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「問い」をカタチにするインタビューメディア

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ナオライ代表取締役・三宅紘一郎さんが聞きたい、「自然から感謝されるメーカーのあり方」

ナオライ代表取締役・三宅紘一郎さんが、
広島杜氏組合長/月の井酒造店杜氏・石川達也さんに聞く、
「自然と一体化する酒造り」

広島県呉市の久比/三角島を拠点に、日本酒酒蔵の再生を目指すナオライ。「自然から感謝されるメーカーのあり方」という自らの問いを深めるべく、カンバセーションズでインタビューを重ねている代表の三宅紘一郎さんは、乳酸を添加せずに自然の力を活用する伝統的な日本酒造りの製法「生酛(きもと)造り」に注目するようになりました。自然との理想的な関わり方のヒントを得るべく、生酛造りの第一人者であり、広島杜氏組合長も務める杜氏の石川達也さんにお話を伺うために、呉市のお隣、東広島市を訪ねました。

Text:米山凱一郎
Photo:福崎陸央

アシスタント:竹澤元哉 

会場協力:ちゅうしん蔵

三宅 紘一郎
良い酒造りとは何ですか?

「自然から感謝されるお酒造り」を目指す上で、伝統的な酒造りの製法「生酛(きもと)造り」について学ぶことは欠かせないと思っています。以前、広島の方からご紹介で同じ広島県ご出身の石川さんにお会いできた時はとても嬉しかったですし、酒造りに関する衝撃的なお話をたくさん聞かせていただきました。今回は、これからのお酒造りや、自然と人の調和についてお伺いしたいと思っています。まずは、改めて石川さんの自己紹介からお願いできますでしょうか。

石川:私は、いまこのインタビューを受けている東広島市西条で育ちました。酒どころとして知られるこの土地で、父親が「賀茂鶴酒造」に勤めていたため、蔵の敷地内にあった社宅で暮らし、蔵を遊び場に育ったという生い立ちがあります。ただ、当時の私には将来酒造りをする考えがなかったので、大学進学で東京に出て、最初は質より量で安い酒ばかり飲んでいましたね。そのうち友人に感化されて良いお酒も飲み始めた頃には、ちょうど地酒ブーム・吟醸ブームが来ていて、東京に集まる日本中の美味しいお酒を片っ端から飲み漁っていました。安アパートに冷蔵庫を2台置き、常時20種類くらいはお酒をストックして、いまで言う「酒オタク」みたいな大学生活でした。

そこから酒造りに興味をもたれるきっかけは何でしたか?

石川:埼玉県蓮田市にある神亀酒造の「ひこ孫」という純米酒に出合ったことですね。ただ美味しいだけじゃないお酒を初めて飲んで、「お酒ってこんなにすごいものなんだ」と衝撃を受けました。お酒には精神と肉体にまで影響を及ぼす力があると知り、酒蔵で育ったようなものなのに、お酒に出会い直した気がしたんです。「こんなにすごいものなら、それを造る仕事に人生をかけてみても良いかもしれない」と思った私は、神亀酒造に飛び込むことにしました。当時私はまだ大学生でしたが、残すは卒論だけだったので、在学中から神亀酒造の正式な蔵人として働き始めました。そして、「日本の酒の変遷に関する考察」という卒論を書いて大学を卒業し、そのまま社員として働くようになりました。

その後、西条に戻られてからお勤めになられた竹鶴酒造で、蔵人として2年、杜氏として24年間ご活躍されたことは、私もよく存じ上げております。そして、昨年からは茨城県大洗町の月の井酒造店に移られ、日本酒業界内でも大きなニュースになりました。杜氏として1年目を終えられて、いまどのようなお気持ちでしょうか。

石川:月の井酒造店の社長とは以前からご縁があり、「蔵の改革を託したい」という依頼を受けて入りました。最初は、「竹鶴のような味のお酒にならないか」と危惧されましたし、「いままでの味を守ってほしい」という話だったら受けにくかったのですが、やる以上は思い切った酒造りをしたいと話し合いを重ね、納得する形で一造りを終えることができました。私が目指す酒造りとは、その土地やそこで得られる原料を生かし、蔵の個性を追求することであり、それは竹鶴酒造でも月の井酒造店でも同じです。その土地の水やお米、あるいは蔵の環境を生かしてお酒を造れば、結果は自ずと違う酒になると考えています。

「蔵の改革」では、具体的にどのようなことを実行されたのですか?

石川:本当にいろんなことをガラっと変えましたね。仕込蔵と貯蔵庫を入れ替えたり、古い道具を引っ張り出して使い始めたりして、蔵入りしてから実際にお米を触るまで1ヶ月以上かけました。蔵人たちに伝えていたのは、「『良い酒』を目指すと言っても、どういう酒ができるかは造ってみないと分からない。だから、まずは『良い蔵』にしましょう」ということです。清潔感があり、動線が整って仕事がしやすく、チームワークも良い蔵にして、きちんと理にかなった良い酒造りを心がけましょう、と。そうすれば結果として、そんな変な酒になるはずがありませんから。また、お酒の造り方もかなり伝統的なものに戻して、現在の常識にとらわれない造り方にしました。それもすべて、蔵の個性を生かすためです。かなり大きな変化がありましたが、会社全体で温かく受け入れてもらえましたし、逆に蔵人たちも面白がって取り組んでくれたので、自分としてはありがたかったですね。

三宅 紘一郎
「命」をどう捉えていますか?

菌や微生物など、人間以外の命とも関わることが求められる酒造りにおいて、どのようなことを大切にされていますか?

石川:命って、文字通りの「生命」だけではなくて、建物や道具などの無機物にも宿ると自分は思っています。建物が十分に生かされずに使われてたら建物が泣いているような気がしますし、古くから伝わる道具なのに使われずにしまわれていたら、道具もかわいそうだなと思うんです。だから、月の井酒造店では、まずは時間をかけて蔵の整備に取り組んだわけですね。もちろん微生物やお米、水などの命も大切にしますが、「生命」という意味ではない、感覚的な命も大事にしたいと思ってやっています。

目に見える命と目に見えない命、両方を大切にした先に「良いお酒」があるのでしょうか?

石川:そうですね。私たちはお酒を「つくる」と言いますが、その字は「作」ではなく「造」なんです。なぜなら、私たちは自らの手でお酒をつくっているのではなく、微生物たちが十分に力を発揮できる環境を整えているだけですから。そして、「造」という漢字は、漢字学の泰斗である白川静先生の説では「神につながる」ことを意味しますので、「造」が付くものづくりは「祈りを込めた、神につながるものづくり」になります。たとえば、建造や造船など、昔の人は大きなものを畏怖していたからこそ、地鎮祭や上棟式、進水式などの儀式を伴いながらものづくりをしてきたんですね。酒造りも「神につながるもの」なので、どこの蔵にも神棚はありますし、私が月の井酒造店に蔵入りしたときには、近所の神社の神主さんにお越しいただき、祝詞を上げてもらってから仕事を始めました。なぜなら、お酒は人間にはつくり得ず、自然は人間よりももっともっと偉大なものなので、その力を少しでもお貸しいただきたいと祈るわけです。

石川さんは「このお酒は私の作品です」という発言する酒蔵の方がいることを危惧されていましたし、下手をすると私たちも安易にそう言ってしまうかもしれないので、大変勉強になります。また、私たち30代前後の世代からすると、「モノはモノ」「使えないモノはゴミ」といった感覚がいつの間にか染み付いてきている気がしているので、無機物にも命が宿るという観点にははっとしました。石川さんがそのような感覚になられたきっかけやタイミングはあったのでしょうか?

石川:はっきりとしたきっかけはありませんが、皆さんもそういう感覚ってあると思うんですよ。たとえば、私たちの世代だと「ご飯粒を残したらいけない」という感覚があります。やっぱり一粒たりとも残さないで食べることが礼儀やマナーであり、それはお米にある種の命を見ているからですよね。その意味で「お酒とは何か」と問われたら、私は「命」だと答えます。人に個性があるように、お酒という命にも個性があるので、命が宿ったお酒には良いも悪いもありません。味の好みは別にして、その命を感じられる人はいると思っています。私にとってはお酒に命が宿ることが最も大事なことなので、表面的な味がウケるかどうかはあまり気にしていないんです。

写真提供:佐古修平

いまのお話を伺って、石川さんが杜氏として初めて文化庁長官表彰(2020年度)を受けられたことを改めて納得しました。この度は本当におめでとうございます。この表彰を通じて、文化庁はどのようなメッセージを伝えたいのだとお考えですか?

石川:ありがとうございます。もともと酒造りは文化庁長官表彰の対象ではなかったんですが、ユネスコ無形文化遺産に日本の伝統的な酒造り技術の登録を目指す方針を国が打ち出したため、国税庁・文化庁が動き始めています。それに連動して、「酒造り」が日本の文化として文化庁長官表彰の対象になり、その第一号で私が推薦されて表彰されました。私に抜きん出た功績があるからではなく、代表として受けたイメージですね。今後もおそらく表彰を受ける杜氏が続くと思います。文化庁からは、「形のない伝統技術を評価しよう」という姿勢を強く感じましたね。私も「酒造りの伝統」について文化庁でお話をしてきました。

三宅 紘一郎
どうすれば自然と一体化できますか?

それではいよいよ、石川さんが長年追究されてきた伝統的な酒造りの製法「生酛造り」についてお話を伺っていこうと思います。石川さんにとって生酛の魅力とは何ですか?

石川:まず、造り手としてこんなに面白いものはないですね。生酛造りでは、微生物を一切殺菌せず、戦わせて淘汰させ合うことで、最終的にはアルコール醗酵の役目を担う「酵母」の純粋培養へ導いていきます。現代の感覚で酵母を純粋培養しようとしたら、まず殺菌すると思いますが、それは伝統的な生酛の精緻なメカニズムを知る者からしたら安易な手法です。現代の感覚や科学的知識だけでは辿り着けないところに経験則だけで辿り着いた先人の知恵の凄さに、ただただ感嘆するしかありません。「私にはオリジナリティはない」とよく言うんですが、それだけ昔の人の培った技法は完璧なんです。下手にアレンジすると、改良ではなく改悪になってしまうので、そこは素直に受け止めて後世へ継承していきたいと思っています。

人の手を加えるのではなく、微生物同士が何をやっているかを考えようということですね。

石川:微生物たちがうまく働くための環境を整えるのが、「造る」人間の役割です。人間が自然をコントロールする考えだと、「作る」になってしまいますから。ただ、それだけではなくて、「自然を相手にするんだから、不自然なことはしないようにしよう」という感覚さえもダメだということを、私は生酛造りを通じて教わりました。なぜなら、自然を「相手」にしようとすると、自然は「対峙」するものになり、その距離をいかに近づけたり離したりするかが大事になってしまうからです。生酛造りでは、その感覚は通用しません。ではどうすれば良いのかと言うと、自分も自然にならないといけないんです。自然と一体化しないと。2004年に初めて生酛造りに取り組んで以来、自然と同化することを私は意識するようになり、年賀状に「酒になりたい」と書いたこともありました。

そうなんですね(笑)。このインタビューで深めたいのは、まさに石川さんが取られたアプローチです。「自然が相手」ではなく「自然になる」ために、どのようなことをされてきましたか?

石川:傍から見るだけではやっていることはそんなに変わらないかもしれませんが、たとえば麹を造っている時には、自分が麹になったかのような感覚になります。微生物である麹菌たちがつくる麹を命として見て、それと一体化していく感覚です。

写真提供:佐古修平

「自分が麹だったらどういう気持ちで、何をされたら一番気持ち良いんだろう」と想像すれば良いのでしょうか?

石川:気持ち良くならなくていいんです。麹が最大限力を発揮するには、厳しい環境に身を置かせることも大事なので。最も重要なのは、お酒は自然のサイクルの中から生まれ、そのサイクルがきちんと回って完結するためには人間も必要だということです。「自然になる」とは、自然のサイクルの一部になるイメージです。人間もお酒ができる要素のひとつであり、人間がいないとお酒は生まれないんですが、そのサイクルを上から操るのではなくて、サイクルの中に自分も入る感覚が大事なんです。これは非常に感覚的で、抽象的なことですが。

私は、「自然から感謝されるような人や企業のあり方」を問いとして立てていますが、自然になり切るという石川さんの考え方から、良い気づきをいただけた気がします。

石川:自然観にもいろんなものがあり、「人間が関わらないことが自然である」とする考え方もありますが、私は人間も自然の一部になって何かすれば良いと思っています。自然と一体化した感覚でつくるものは、すべて自然なんですよね。だから、自然な感覚でお酒を造るといろんな酒が生まれるはずだし、それは毎年違うため、コントロールはできません。与えられた環境を生かすことこそが自然なんですよ。

三宅 紘一郎
どんなお酒を未来に残したいですか?

飲み手にとって、生酛の魅力はどこにありますか?

石川:日本酒の歴史を振り返ると、伝統的な酒造りが完成した江戸時代末期には日本中のお酒のほとんどが生酛で造られていたので、「生酛=本来のお酒」と言っても過言ではありません。その特徴は、味の濃さや酸味の強さで語られることが多いのですが、それは的外れだと私は思っています。生酛の特徴は、緩衝力(かんしょうりょく)の高さです。緩衝力とは外的な作用を和らげる力のことです。たとえば、優れた料理人はきちんとだしを取り、だしという緩衝液の幅を利用することでちょうどいい塩加減を実現しています。お酒も同じで、緩衝力の高いお酒というのはどんな料理にも合うし、それが本来の日本酒であり、生酛はその究極形なんです。その理由は、アミノ酸が結合した「ペプチド」などの微量成分が多く含まれているためであり、これは人工的に配合するのがほぼ不可能なんです。

日本酒業界においては、現在造られているお酒のうち生酛は3%程度で、90%以上が人工の乳酸を投入する「速醸」という造られ方をしています。今後、どのような酒造りを未来に残したいと石川さんはお考えですか?

石川:速醸でも緩衝力を高くすることは可能ですから、生酛の比率が高くなることだけが良いと思っているわけではありません。ただ、酒造りの原点は、生酛という伝統的な造り方の中にあるという意識は持った方が良いと思います。近年話題になっている日本酒は、味にばかりフォーカスしていて総じて甘いのですが、糖分は緩衝力に影響しないため、コクや幅がなく料理に合いにくいお酒ばかりが生まれています。それが商売として成功するのは良いのですが、その先に酒の未来があるかというと、はっきり言ってありません。日本酒本来の良さを受け継いでいないんですから。将来にわたって残すべきお酒・酒造りとは何かと考えたら、それはやはり原点に立ち返って、もう一度自然と一緒になって造っていくことだと私は思っています。

写真提供:佐古修平

昨今は新型コロナウイルスの影響で酒類提供にも制限が出ている地域があり、酒造りに携わる者として、お酒の存在価値について改めて考えています。石川さんの考えもお聞かせください。

石川:最後までしっかりと醗酵したお酒を飲むと、お酒の分解がスムーズにされる分、食欲が湧きます。それは、生きる糧を得ようとする力が湧くということです。そして、人と話したくなります。人間は社会的な動物であり、人とコミュニケーションを取りたくなるのは、人とつながって連帯して生きようとする力が湧くということです。つまり、お酒とは人に生きる力を与えられる存在なんです。だから、コロナ禍でお酒が飲まれなくなっているのは、私たちが造るお酒の力が足りていないからなんでしょうね。もし本当に人に生きる力を与えられるんだったら、飲まれるはずですから。いまの日本酒業界は、嗜好品としての美味しさを追求していますが、お酒はただ美味しいから飲まれてきたのではないことは、歴史が証明しています。人に生きる力を与えられる、命が宿ったお酒を造ることができれば、日本酒はもう一度世の中から切実に求められる必需品になり得るだろうと思っています。

貴重なお話をありがとうございました。最後に、これからの世代に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。

石川::ある程度長く生きていると、ある時代に良いと言われていたことや常識が、後になってそうでもなかったと知ることがたくさんあるんですよね。また、本当に良いものや根源的なものは、時代によって変わるものではないとも思います。ある時代の感覚に振り回されたり、周りの人たちの意見に流されたりしないように、自分はどう感じるかを大事にしてください。そのためにも、時代によって変わらない普遍的な価値のある古典や伝統が参考になると思っています。


インタビューを終えて

ずっとお話を伺ってみたかった杜氏・石川達也さんにインタビューをすることができ、本当に幸せな時間でした。 醗酵や生酛など日本酒造りに関わるお話、お酒の存在意義は嗜好品ではなく、生きるために飲むお酒というお話、命は植物や菌や微生物などの有機物だけではなく、醸造のために使う道具にも宿るというお話は鳥肌が立ちました 。

「どうすれば自分たちは自然から感謝されることができるのか?」 という人と自然を対峙させて自然を考えてしまう自分たちの問いに対して、「人間が自然の一部になる」というお話は目から鱗で、自分たちの問いを深めることができました。日々の営みである日本酒造りを通して、自然の一部になる感覚を研ぎ澄まされ紡ぎ出されているようなお言葉でした。
インタビューに加え、取材を終えた後に石川さんが月の井酒造店様で今年醸された日本酒を飲ませていただき、身体が喜ぶような旨さに驚きました。同じ広島ご出身である杜氏・石川達也さんのような生き方、働き方、日本酒との向き合い方ができるように、自分たちも事業と向き合っていきたいです。