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「問い」をカタチにするインタビューメディア

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CIAL代表兼デザイナー・戸塚佑太さん、ブランドエディター・加藤大雅さんが聞きたい、「地域独自の食文化を、“自続”可能な形にするデザイン」

CIAL代表兼デザイナー・戸塚佑太さん、ブランドエディター・加藤大雅さんが、
天盃 五代目・多田 匠さんに聞く、
「代々続く焼酎酒蔵が、次世代につなぎたいものとは?」

CIALは、デザイン事業とコーヒー事業を両輪に、さまざまな職能を持つスペシャリストたちが集うクリエイティブチームです。「地域独自の食文化を、“自続”可能な形にするデザイン」を問いに掲げ、カンバセーションズでインタビューを重ねてきたCIALですが、この度1898年から福岡県で焼酎をつくり続けてきた株式会社天盃とタッグを組み、コーヒーリキュールを一緒につくり上げていくことが決まりました。そこで今回は、新プロジェクトのパートナーとなる天盃についてもっと知るべく、5代目・多田匠さんに取材をオファー。CIAL代表兼デザイナーの戸塚佑太さんとブランドエディターの加藤大雅さんによるインタビューを通じて、焼酎という「文化」に向き合い続けてきた天盃の思いを伺いました。

Text:菊池百合子

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
どうして天盃を継いだのですか?

加藤:僕たちは、天盃とCIALのコーヒー事業「Kanata」が開発するリキュールの、デザインを担当する予定です。まずは、天盃と多田さんについてもっと知るために、インタビューさせていただくことにしました。

多田:楽しみにしていました。よろしくお願いします。

加藤:お願いします。まずは、麦焼酎専門の蔵元である天盃と、多田さんの関わりについて伺いたいです。

多田:天盃は、私の一族である多田家が明治31年に創業し、代々福岡で焼酎をつくってきました。現在は父が4代目として代表を務めています。実家に酒蔵があるので、私も焼酎をつくる光景を日常的に見ながら育ちました。親と公園でキャッチボールをするような感覚で、父に連れられて焼酎のタンクを眺めながらお酒の話を聞いてきたんです。自分なりに焼酎づくりを手伝うのが楽しかった記憶もあります。僕が父の跡を継ぐということも、幼少期の頃から家族の間で日常的に話されていましたね。

インタビュアーを務めるCIALのブランドエディター・加藤大雅さん。

加藤:多田さんにとってお酒づくりとは、当たり前のように日常にあるものだったのですね。

多田:僕にとってお酒をつくることは、毎日朝ごはんを食べることと同じ感覚です。楽しいかつまらないか、好きか嫌いかという枠を越えて、自分たちの日々の営みと生活がイコールになっています。365日仕事をしているけれど、それ自体が生活であり、自分たちがやりたいことを続けているだけなんです。ですから、家業を継ぐことも当たり前のように感じていました。ただ、家族経営の零細企業である天盃を経営していくために、別の視点で社会を捉える方法を学びたかったので、大学進学のタイミングで上京し、そのまま東京で一度就職しました。

加藤:東京では焼酎に関係のある仕事をしていたのでしょうか?

多田:いえ、インターネット広告のベンチャーで4年間マーケティングの仕事をしていました。酒造りは良くも悪くも「人」や「モノ」ありきのアナログな世界だからこそ、あえて真逆の仕事をすることで、受け継がれてきたものを異なる視点で捉えたかったんです。また、人の思いなどアナログならではの良い面は残しつつ、それを広げていくための手法としてデジタルの力を活用したマーケティングを学びたいという思いもありました。おかげでプロダクトをどう伝えるか、どう見せるか、どのようなコミュニケーションツールを選ぶのかといった、広告をつくる側の視点を養うことができ、貴重な経験になりました。

インタビューに応じてくれた天盃の五代目・多田 匠さん。

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
家業にどのように関わってきましたか?

加藤:いつ東京から福岡に戻ったのでしょうか?

多田:2020年に福岡に戻りました。

加藤:福岡に戻って変化したことはありますか?

多田:良い部分も悪い部分もすべて見た上で、これをやった方がいいんじゃないか、と自分なりに考えて行動するようになりました。東京にいた頃から家業の状況は感覚的にわかっていましたが、実家にいると現実的な数字がもっとクリアに見えてくるんですよね。そのおかげで、「父がやっていたもの」という感覚から、「自分がやるものなんだ」という感覚に切り替わりました。

戸塚:もし自分が継ぐことを前提に家に戻ったら、まず何をするか迷いそうだなと思ったのですが、多田さんは何から始めたのでしょうか?

多田:僕が福岡に戻った2020年4月は、新型コロナの影響が一気に強まり、消毒液やマスクが各地で不足しているタイミングでした。ちょうどその時期、いくつかの酒蔵が消毒用のアルコールを出してニュースになったんです。天盃でも消毒用のアルコール製造をするのかしないのかを父と決断することが、最初の大きな仕事になりました。

CIALの代表兼デザイナー・戸塚佑太さん。

加藤:天盃に戻って早々に、大きな変化を迫られたんですね。伝統ある焼酎の蔵元が消毒用のアルコールを出すことに、抵抗はありませんでしたか?

多田:当時は緊急事態宣言が発令されて居酒屋が軒並み休業になっていて、天盃の売り上げも落ちていたんです。加えてこの頃は、僕たちが世の中に対してできることを模索していた時期でもありました。どんな事情があれど、ものが売れないということは、自分たちが必要とされていないということだと思っていたので、強烈な虚無感がありましたね。そして、何か必要とされることをやるためにアルコール消毒液をつくるべきか、父と話し合ったんです。それは天盃が焼酎一筋で積み重ねてきた122年の歴史を壊すことにもなり得るのですが、そのときに父と話したのは、嗜好品を製造している蔵元として、誰かの生活の役に立ったり、少しでも楽しくなったりするものをつくっていかないと存在価値がないだろう、ということでした。後から振り返って、「消毒用のアルコールをつくった時代もあったんだね」と笑える時が来ることを信じて、やってみようと決断しました。

加藤:消毒液の販売は成功したのでしょうか?

多田:コロナの影響拡大とともに売り上げは伸びていきました。焼酎とは違う形で世の中の役に立てた重要な経験でしたね。一方で、僕たちが最も飲んでほしい焼酎が支持されていない状況はその後も続きました。そこで新しく手を打とうと考えて行き着いたのが、「コーヒースペシャリテ」というリキュールなんです。

戸塚:コーヒースペシャリテは、どんなきっかけで開発されたのですか?

多田:人とのご縁がきっかけです。知人のつながりで、コロナ禍でホンジュラスのコーヒー農園の方々の生活が困窮しているという事実を知りました。コーヒーも焼酎も、自分たちの生活を豊かにしてくれるものですから、その文化を守るために、コーヒースペシャリテの製造に挑戦しました。このときは商品開発のためのクラウドファンディングを実施したのですが、おかげさまでたくさんの方に喜んでいただけましたね。

コーヒースペシャリテ

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
焼酎をつくる上で、何を大切にしていますか?

加藤:天盃は、伝統ある蔵元でありながら、アルコール消毒液やコーヒースペシャリテのように、積極的に新しい挑戦をされていますが、さまざまな判断をしていく上で、大切にされていることを教えてください。

多田:家族経営である僕たちにとって最優先事項は、自分たちの生活、文化、生業、営みを次の世代につなげていくことです。極端な話、会社の規模が半分になろうとも、僕たちの文化や思いを50年後、100年後につなげることが重要なんです。先代が目先の利益よりも生活を重視し、次の世代につなげていくことを最優先にしてきたから、ここまで続いてきたんだと思います。

戸塚:天盃は、どんな文化や思いを未来につないでいきたいのでしょうか?

多田:天盃がつなげたいのは、「世界に誇れる本格麦焼酎づくり」です。焼酎は、日本酒と比べて格式が低いものとされてきた歴史があります。原点が日本酒の絞りかすで造る粕取り焼酎だったこともあり、焼酎は価値が低くて、貧乏人が酔っ払うための酒として見られていたところがあるんです。でも、焼酎と同じ蒸留酒の中でも、ウイスキーやブランデーなどは高級酒として世界的に認められていますよね。これらのお酒と同じように焼酎の価値を上げたい。この思いをつないできました。

加藤:コーヒースペシャリテについても、「世界に焼酎を広めたい」という思いがあったのですか?

多田:そうですね。自分たちの商品を、価値があるものとして世界に届けたいと考えてきた自分たちからすると、100人のうち1人にしか飲まれないものをつくっているだけでは、自分たちが目指している価値を生み出すことができないのではないか? という問いがありました。焼酎のクオリティにこだわったコーヒースペシャリテをつくった背景にも、いままで焼酎を飲まなかった方をはじめ、より多くの人たちに当社の製品を手に取っていただきたいという思いがありました。

戸塚:コーヒースペシャリテをつくったことで、天盃の認知度が高まった実感はありますか?

多田:はい。コーヒースペシャリテは、想像以上にたくさんの方に手に取っていただくことができました。コーヒーの焙煎所とタッグを組み、これまでと違う届け方をすることで、こんなにも届けられる範囲が広がるんだと強く感じましたね。焼酎だけでは出会えなかったお客さんに見てもらえるきっかけをつくれたという意味で、ひとつのターニングポイントになりました。

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
これから挑戦したいことは何ですか?

加藤:天盃の焼酎づくりを次の100年につなぐために、多田さんは今後どんなことに挑戦していきたいと考えていますか?

多田:まず前提として、天盃にとって焼酎が「一丁目一番地」であることはこれからも変わりません。その上で挑戦したいことがふたつあって、ひとつは自分たちだけでものづくりするのではなく、分野が異なる一流のプロのつくり手さんとタッグを組むことです。コーヒースペシャリテを通じて、焼酎をもっと広められる可能性を感じたので、今後CIALと取り組むコーヒーリキュールの開発をはじめ、天盃の焼酎を伝える手段をもっと増やしていきたいです。もちろん、今後いくらリキュールをつくってもリキュール屋になるつもりはなく、届け方を変えることで、焼酎に新たな価値を吹き込んでいきたいと考えています。

戸塚:もうひとつの挑戦したいことは何でしょうか?

多田:天盃では4年前に、「craftman多田」という新しい自社ブランドを立ち上げたんです。これまでの天盃は、自分たちのこだわりや思いをお客さんに実直にお伝えしてきましたが、こだわりのあるものが世の中に増えたいま、それだけでは戦えないと感じていました。そこで、「自分たちの焼酎はお客さんの生活をいかに楽しくできるのか」ということを追求しようと考え、ハードだけでなくソフトの設計を意識した焼酎をつくることにしたんです。そして、食事を豊かにするための究極の食中酒を提案しました。こうした伝え方は初めてだったのですが、このブランドを立ち上げたことで、お客さんからの評価が大きく変わった手応えがありました。今後はこの「craftman多田」のように、プロダクトのこだわりからもう一歩踏み込み、お客さんの生活に豊かさを届けるブランドを広めていくことで、焼酎の価値を高めていきたいと思っています。

craftman多田

加藤:ふたつの挑戦は、焼酎に新しい価値や可能性をもたらそうとしている点が共通していますね。

多田:そうですね。僕たちの思いやストーリーに共感してくださる可能性のあるお客さんに、まだまだ焼酎を届けきれていないと感じています。焼酎ブームによっていまよりたくさん売れていた時代も知っているからこそ、現状にモヤモヤする気持ちも正直あります。ただ、焼酎をかつてのように一過性のブームで終わらせるのではなく、長く続いていくカルチャーにすることが非常に大切だと考えています。そのためにも、多くの人が抱いている焼酎のイメージを変えるきっかけを自分たちがつくっていきたいです。同時に、蔵元として焼酎の味わい、つまり「酒質」を追求していくことももちろん続けていくつもりです。

戸塚:最後に、他社にはない「天盃らしさ」について、多田さんのお考えを聞かせてください。

多田:焼酎の可能性をどれだけ追求できるか、という思いの強さやアプローチに自分たちらしさがあるのかなと思います。「よその蔵がどうしているか」とか「マーケティングの観点からこうしよう」ということはあまり考えていないんです。なぜなら、自分たちの思いや自分たちがつくったものでしか人に感動を届けられないから。自分たちがどんな商品をつくりたくて、それがお客さんにどんな幸せをもたらすのか。それに尽きるんじゃないかなと思います。


インタビューを終えて

これから多田さんたちと取り組むものづくりを前に、天盃とCIALのやりたいことに重なる点を見出せました。CIALのコーヒー事業は、素材としてのコーヒーの可能性を追求していくことがミッションです。そこが、多田さんの原動力である「焼酎の価値を高めること」と重なるように思います。多田さんが「craftman多田」について仰っていた「生活を豊かにする提案」についても、CIALのデザイン事業部が大切にしていることに通じるところがあるので、天盃とコラボできることがますます楽しみになりました。今後はCIALチームで福岡に足を運び、天盃のものづくりについてさらに深く知ろうと考えています。(加藤)

効率化と成長が「正義」になっている現在の経済の仕組みにおいて、「私(たち)は何を求めているのか?」という根源を見失いやすいように感じています。しかし、今回のインタビューで多田さんは、追求していることについて「規模や売上ではなく、この営みを続けていくこと、そして次世代に継承していくこと」と明言されていました。多田さんの言葉に、大きな力に抗い、自分たちが本当に大切にしていることを守り抜くための強くて明るい意思を感じました。多田さんが焼酎に込めている思いのように、私たちのものづくりも、強くて明るい意思を宿すものにしていきたい、と背筋が伸びました。(戸塚)