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CIAL代表兼デザイナー・戸塚佑太さん、ブランドエディター・加藤大雅さんが聞きたい、「地域独自の食文化を、“自続”可能な形にするデザイン」

CIAL代表兼デザイナー・戸塚佑太さん、ブランドエディター・加藤大雅さんが、
KIGI・植原亮輔さん、渡邉良重さんに聞く、
「長く続いていくブランドのつくり方」

日本各地で育まれてきた独自の食の文化を、“自続”可能な形にアップデートすることをテーマに掲げ、地域の企業やメーカーとともにアウトプットを生み出すことを目指しているクリエイティブチーム・CIAL。その目標を実現するために、代表兼デザイナーの戸塚佑太さんとブランドエディターの加藤大雅さんが、さまざまな分野のスペシャリストたちにインタビューを継続していきます。彼らが最初に話を聞くのは、グラフィック、プロダクト、ファッションなど多岐にわたるデザインを手がけるクリエイティブユニット「KIGI」の植原亮輔さんと渡邉良重さんです。琵琶湖周辺の伝統工芸の技術者たちとともに共同運営するプロダクトブランド「KIKOF」をはじめ、一度きりの受発注の関係性に終わらないプロジェクトを展開する植原さんと渡邉さんの仕事ぶりに憧れていたという戸塚さんと加藤さんが、いま聞きたいこととは?

Text:菊池百合子

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
KIKOFはどのように生まれたのですか?

戸塚:CIALでは、自分たちの活動拠点である東京を含めた地域独自の文化がこれからも続いていくような状況を、デザインやプロダクトを通じてサポートしていけたらと考えています。今回のカンバセーションズのプロジェクトでも、地域のメーカーや生産者と一緒に何かをアウトプットすることを目指しているのですが、KIGIの活動の中には大切なヒントがあるように感じています。特に今日お伺いしたいと考えていたのは、個人的にも素敵だと感じていたKIKOFのものづくりがどのような過程で行われていったのかということについてです。このKIKOFやD-BROSのように、KIGIのお仕事の中には自発性や継続性が高いものが多いように感じています。僕たちもそうありたいのですが、継続的な関係にまで至らずに終わってしまう仕事も少なくありません。おふたりがどのようにして自発的なプロジェクトを生み出されているのか、とても気になっています。

植原:KIKOFに関しては、以前にある講演でご一緒した立命館大学の佐藤(典司)先生の存在がきっかけになりました。KIKOFが立ち上がる2年くらい前に行われた都道府県のブランド力調査で、滋賀県がワースト1位になってしまい、その結果に嘆く県の職員さんが、経営やデザインを専門にしていたその先生に相談をしていたらしいんです。それ以来、滋賀県で盛んだったものづくりの職人さんを集めて展示会を開いたり、Webサイトで紹介したり地道な活動を続けていたのですが、なかなかジャンプしきれずにいたみたいで。それで先生が、僕らのことを思い出して会いに来てくれました。僕らが以前に手がけた、架空のホテルをテーマにした「ホテルバタフライ」というプロダクトデザインのプロジェクトでキービジュアルとなった「湖の前に佇むホテルの絵」から着想を得て、琵琶湖の物語をつくりたいと思っていたみたいで。当時の僕らはまだドラフトという会社に所属していて、KIGIの立ち上げ準備をしている頃でした。

戸塚:凄く良い話ですね。お話を聞いてすぐにお受けしよう、と思ったのですか?

植原:プロジェクトのメンバーとなる職人さんが僕らが入る前からすでに決まっていて、つまりつくり方が決まっていたので、なかなか難題だなと最初は思いました。ただ、陶器、木工、麻、ちりめん、漆、仏壇をつくれる方たちがいて、色々な技術があるから面白そうだとも思い、良重さんに相談してこれをKIGIの初仕事にしようと決めました。ちょうどKIGIとしての大きな展覧会が控えていた時期でもあって、実はプレゼンまでに1年半ほどかかってしまったのですが…。その間に滋賀のことや職人さんについて知るためのコミュニケーションを続けながら、色んなアイデアを考えていきました。

渡邉:どうしようかなと考えていた時に、KIKOFの立ち上げメンバーである丸滋製陶の今井智一さんがオフィスに来てくれました。終始笑顔のとても明るい方で、お話ししているだけで前向きさが伝わってきました。その時に改めて「やらなきゃ」という気持ちが強まりましたね。

植原:職人さんといえば、伝統的に受け継がれてきたものづくりにストイックに向き合っているイメージがあって、「デザイナーなんか知るか」と考えているんじゃないかと勝手に想像していました(笑)。でも、今井さんにはまったくそういう感じがなかったし、新しいチャレンジにも積極的に取り組もうとされていて、「この人となら一緒にできるかも」と思わせてくれる方でしたね。

Hotel Butterfly

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
なぜブランドをつくることにしたのですか?

加藤:1年半のコミュニケーション期間を経て、最初のプレゼンではどんな案を提案されたのですか?

植原:さまざまな職人さんがいたので、みなさんが満足できるようなプロダクトセットを提案しました。その時は盛り上がったのですが、帰りの新幹線で良重さんと話す中で、「もしかしたらちょっと違うかも」「これ本当に売れるのかな」という思いが出てきてしまって。デザインのイメージだけ伝えて、職人さんに「あとはよろしく」というスタンスは良くないなという思いがあったし、もしこれが売れなかったら、1回きりで終わってしまうんじゃないかと。

渡邉:異なる3種類の素材で器をつくり、ちりめんの風呂敷で包んだプロダクトセットを提案し、プレゼンの場では喜んでもらったんですけど、なんか気持ちが晴れ晴れしないというかね。

植原:超優秀なプロダクトデザイナーだったら、爆発的に売れるものをつくって立ち去ることもできるかもしれないけど、もちろんそれは簡単なことではないし、デザインは良いものをつくっても売ることをほったらかしにすることは少々無責任だなと。職人さんたちと地道にコツコツつくり続けていくことが重要なんじゃないか。そもそも、滋賀県のブランド力を上げたいという思いのもとでこのプロジェクトが始まったんじゃないか。そんなことを考えはじめました。また、ちょうどその頃、展覧会の準備をしていたのですが、そこで紙製の壺のようなものをつくっていたんです。これを発展させることでより生活にフィットするものがつくれれば愛されるプロダクトになるかもしれないと思い、また、自分たちが得意な方法論やスタンスでつくる方が良いと考え、まずは器からつくりましょうと改めて提案したんです。

KIKOF

戸塚:僕が想像していた進め方とまったく違ってビックリしています。自分が出した提案に後から違和感が出てくるケースは自分にも思い当たりますが、そういう違和感を見落とさないために気をつけていることはありますか?

植原:KIKOFのプロジェクトに関しては、アートディレクターとして何をするのかというところに立ち返ったところが大きかったです。普段の僕たちの仕事は、クライアントの問題解決というのがまず前提としてあって、その後に表現が出てくるんです。ところが、今回はそうした普段の仕事とは目的が異なっていた。滋賀県のブランド力がワースト1であることや、良い職人さんたちがいるのに技術が継承されず、後進が育っていかないという問題に対する解決策が、僕たちの最初の提案には入っていなかったんですよ。

渡邉:これをつくって、その後どうなっていくんだっけ? と。

加藤:そこからなぜ、「ブランドをつくる」という発想に至ったのでしょうか?

植原:ブランドをつくり、続けていくことでしか問題が解決できないと思ったからです。通常、コンセプトを立てて商品をつくるというところまではプロダクトデザイナーが、それを宣伝するためのイメージをつくっていくところはグラフィックデザイナーが担うことが多いと思いますが、僕らはその両方ができるということもあって、ブランドをつくるということに踏み込みやすかったのだと思います。

渡邉:KIKOFに関しては、私たちがデザイン料をいただくのではなく、一緒にブランドをつくって運営していきましょうという提案をしました。お金のこともすべてオープンにして、お互いの役割を分担していくというやり方をいまも続けているのですが、その中で一緒に成長していけたら良いなと思っています。

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
続けていくコツは何ですか?

加藤:デザイン料をもらってアウトプットを出すという通常のデザインの仕事の進め方ではなく、一緒にブランドを立ち上げて運営していくというスタンスを選択されたのはなぜですか?

渡邉:どちらかがどちらかにお金を渡す形だとなかなか続けていくのは難しいのかなという思いがありましたね。

植原:僕は、自分たちがちょっと損するくらいの気持ちでいることが続ける秘訣だと思っています。綱引きし始めると引っ張り合いの勝負になってしまうので、綱引きは絶対にせず、綱を緩めることが基本ですね。

戸塚:ゼロから何かを立ち上げるプロジェクトというのは、普段のデザインの仕事とはプロセスもお金の流れも大きく異なりますし、歯車を回し始めるところに体力が必要ですよね。ただ、自分たちで責任を負って商品を売るところまで関わっていくというのは、長く続けていくという観点からはとても大切な考え方だと感じています。おふたりはKIKOFというブランドだけではなく、OUR FAVOURITE SHOP(以下、OFS)というギャラリー&ショップまで運営されていますが、これもKIKOFの活動が関係しているのですか?

植原:そうですね。KIKOFのプロダクトをいざ売ろうとした時に、責任を持って売ってくれるお店がどれくらいあるんだろうと考えてみた結果、そんなにないんじゃないかと思い至ったんです。KIKOFの器を支えているテクニックや職人さんたちの努力を、お店の人たちがお客さんに伝えるのは難しいだろうと思ったし、それなら自分たちで売っていこうと。あと、KIKOFでは器だけではなく家具までつくってしまっていたので、誰かのお店に置いてもらうには大き過ぎたというのもありました(笑)。

渡邉:以前に所属していたドラフトの代表・宮田(識)さんの姿勢から影響を受けた部分も大きいですね。宮田さんは1995年に自社ブランドとして「D-BROS」を始めたのですが、やっぱり新しいことで稼ぐということは簡単じゃないんですよね。でも、宮田さんは絶対にすぐにはやめない粘り強さがあるんですよね。一度やめてしまったらすべてなくなってしまうけど、続けていれば何かが生まれることもある。それを25年以上続けていることが本当に凄いですし、そういう姿勢を私たちも受け継いでいるのかもしれません。

OUR FAVOURITE SHOP
渡邉さんが手がけたD-BROSのカレンダー。
植原さんが手がけたD-BROSのカレンダー。

戸塚: KIKOFにおいては、職人さんたちとの関係性というのも長く続けていくために必要なことだと思いますが、どんな人たちと仕事をしていきたいと考えていますか?

渡邉:やったことがないことにチャレンジしてみようという姿勢がある方たちと一緒にできると楽しいですよね。信楽焼にはもともと火鉢や傘立てのように大きなものが多くて、KIKOFの職人さんたちも器のように小さくて薄いものはそれまでつくったことはなかったそうなんです。だから、最初に私たちが提案した時は驚かれましたけど、「20年、30年後の当たり前の技術になっているかもしれないね」と未来を見据えたポジティブな反応をしてくださいました。実際には試行錯誤されて相当大変だったようなのですが、「こういうこともできるんだ」といったポジティブな声が多いですね。

加藤:僕らもこれから職人さんたちと仕事をしていく機会が増えそうな予感があるのですが、最近はオンラインでお話を始める機会が増えていて、何かが足りないという感じがしています。信頼はどういうところから芽生えてくるのかなということを最近はよく考えています。

植原:やっぱり飲まないとダメなんじゃないですか(笑)? 仕事の関係だけではなく、お互いにハズしたところを見せることが大切だと思います。あと、僕の場合は結構電話をしてしまうことも多いですね。それによってお互いのテンションが確かめられるところがあるんです。

KIKOFのプロジェクトメンバーたち。

CIAL(戸塚佑太、加藤大雅)
デザインとはどんな仕事ですか?

戸塚:KIKOFのようなプロジェクトと、普段のクライアントワークにはどんな意識の違いがありますか?

植原:普段の仕事では、クライアント側に目的があった上で僕らに依頼が来るわけなので、課題の解決方法をこちらから提案していく必要があります。そこで大切にしているのは、仮にブランドが「木」だとしたら、「根」の部分まで入り込んでいって相手のことをまずはよく知るということです。 その上で、根から吸収されたものがどのように地表に出て、ひとつのコンセプトとして表現されるべきなのかを考えるんです。それがアートディレクターの仕事だと思っているのですが、根の先の方までは行くけど、それ以上先の細かい根は気にしなくても良いということです。ブランドに乗り移りすぎてしまうと客観視ができなくなる。時にはミクロの視点で見ますが、常に俯瞰して観察することが大切だと思っています。

渡邉:私たちがクライアントさんと同じ目線になっちゃいけないんだよね。気持ちがわかりすぎると良くないところもある。

KIKOF

戸塚:それは僕もたしかに感じるところです。一方で、自分たちの根っこを見つけていないクライアントさんもいて、そういうブランドの根っこを探っていくのはなかなか難しいなと感じます。

植原:まあでも、それはそれで楽しいですよ。KIKOFもある意味最初はそういうところがありましたし。

渡邉:小さいところから一緒に成長していく楽しさもあるよね。

戸塚:自分たちが面白いと思うものをつくり続けているキギさんのスタンスをとても尊敬しているのですが、課題解決を前提にしないものづくりを続けていく上での姿勢やコツを聞かせてください。

植原:デザインの仕事は制約が多いので、どうしても自分たちがやりたいことのエッジが削れていくんですよね。僕はよく「デザインというのは、山頂まで登ってから下山する行為」と言っているんです。高い山の頂まで登って「ヤッホー」と叫んでも、周りに山がないからこだまは返ってきません。一方で下がり過ぎてもやっぱりこだまは聞こえなくて、ちょうど良いこだまが返ってくる場所というのがあるんです。狙いを定めてその場所で叫ぶことがデザインのプロフェッショナルなんじゃないかなと僕は思っています。ただ、やっぱり高い山の頂で叫ぶのも楽しいし、そのどちらもやることがクリエーションだと思っていて、それによって自分も成長できる。だからこそ、自主的な研究やものづくりを続けるというのは大切なことなんですよね。


インタビューを終えて

戸塚くんがずっと好きだったキギのおふたりにお話をうかがえたこと、そんな念願のインタビューを僕たちも楽しめたことが、とても良かったなと思いました。特に、CIALが今後ものづくりの事業者さんたちと築いていきたい関係性を踏まえて、KIKOFについてじっくり聞けたので学びが多かったです。
僕にとって印象に残ったのは、プレゼンを終えた帰りの新幹線で、自分たちがプレゼンした内容に対して『これは違うかも』と感じて提案を取り下げたお話です。このプロジェクトの目的に対して、「自分たちの提案が合っていないのかもしれない」と取り下げる決断ができたのは、プロジェクトがスタートしてから提案までにかかった1年半を通じて、キギのおふたりがKIKOFへの理解を醸成していたからこそだろうなと思いました。(加藤)

僕も、新幹線で違和感に気づいたお話が凄く印象に残っています。キギのおふたりが最初に用意された提案は、プロジェクトに関わっている職人さんたちに喜んでもらえるものでした。それでも、一時的に喜んでもらえるかどうかではなく、将来的に課題の解決になるのか、プロジェクトの目的を達成できるのかということを自分たちに問いかけた結果、根本的な課題解決につながる内容に変更されました。一時的なクライアントへの貢献や自分たちの利益を超えて、本質的に価値のある提案をしようとする姿勢を感じました。
あと、職人さんとの信頼関係の築き方にびっくりしましたね。今回はKIKOFのことをうかがいましたが、きっと相手に合わせた関係というのをその都度築かれているんだろうなと感じました。僕のなかには、「型」や「お金の相場」に引っ張られて、「クライアントとの関係構築ってこういうものでしょう」という先入観ができてしまっていたのですが、おふたりのお話を聞いて、プロジェクトをご一緒する方とコミュニケーションしながら、もっと自由に考えていいんだと気づかされました。
ものづくりを続けていくことにも、クライアントと関係を築いていくことにも真摯に向き合おう、と背筋が伸びるインタビューになりました。(戸塚)