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ITONAMI(旧EVERY DENIM)共同代表・山脇耀平さんが聞きたい、「顧客と一緒に地域ブランドを育てる方法」

ITONAMI(旧EVERY DENIM)共同代表・山脇耀平さんが、
『愛するということ』訳者・鈴木晶さんに聞く、
「現代社会における『愛するということ』とは?」

「デニムブランドが考える、“愛すること”の覚え方」を問いに掲げ、カンバセーションズでインタビューを進めているデニムブランド・ITONAMIの山脇耀平さん。継続的なインタビューを通じてこの問いを深め、最終的なアウトプットとして新しいプロジェクトを生み出すことを目指します。前回の「愛し上手」な方々との座談会を通じ、もっと愛について知りたくなった山脇さん。次は、愛についての学術的な知識を深めようと、エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳版の訳者である鈴木晶先生に話を聞くことに。現代社会では、どうすればうまく「愛すること」を実践していけるのでしょうか。

Text:あかしゆか

山脇耀平
なぜ、現代社会では愛することが困難なのですか?

今回鈴木先生にお話を伺うにあたり、『愛するということ』を読み返しました。先生があとがきで「この六十年間に状況はますます愛にとって不利になった」と書かれていたのがとても印象的で、その言葉の真意を改めてお聞きしたいです。

鈴木:読んでもらうとわかると思うのですが、『愛するということ』には大きく分けて2つの特徴があります。ひとつは、愛について精神分析的なアプローチで論じていること。もうひとつは、愛が資本主義社会から受ける影響について論じていることです。やはり人々の行動や心理は、社会構造から大きく影響を受けますよね。

はい。「資本主義が愛を難しくさせている」という点は、本書の中で大きな共感や気付きを得た部分のひとつでした。現代人は利益を追求しすぎて自分のことまでも商品化してしまい、その結果孤独を感じ、それを埋めるために「偽りの愛」に陥ってしまうと。

鈴木:この本が出版されたのは1956年。著者のエーリッヒ・フロムはユダヤ系ドイツ人ですが、渡米して第二次世界大戦後のアメリカ、つまりは資本主義社会の繁栄を目の当たりにしました。そして、そのような社会では愛が育たないのではないかという危機感を抱いて、この本を書いたのではないかと思います。本が出版されてからもう65年が経っていますが、社会はますます資本主義的になっていますよね。ですから、当然「愛」に対する障壁は高まっている。それが、いまだにこの本が読み継がれている理由であり、私があとがきに書いた背景です。

インタビュアーを務めるITONAMIの山脇耀平さん。

先生ご自身は、現代社会における「愛」についてどう思われますか?

鈴木:モノをつくったり売ったりする面において、資本主義よりも前の社会は、生産者と消費者がもう少しつながっていました。モノを通して、それをつくった人が見える。だから、愛着も持ちやすかった。でも、それが大量生産によってなくなっていったわけです。私たちはモノに接するとき、それをつくった人のことをほとんど考えない。実際に、多くのモノが人間ではなく機械がつくっている社会なので、モノを介した人間と人間のつながりがなくなり、その分愛を感じる機会が減った気はします。
テクノロジーの発達によって人間関係が希薄になっているのも大きいですよね。直接人とつながる機会がどんどん減っている。私のようなものを書く人間でも、依頼から納品までメールで完結し、仕事が終わるまで出版社の人と一度も会わないことも多いんです。どんな人と仕事をしているのかよくわからないし、顔も知らない。AIやロボットなども出てきている中で、人間関係がかなり「バーチャル」になりつつあることを感じます。考えれば考えるほど、やはり愛にとっては厳しい時代だと思いますね。

人と関わらなくても生きてしまえるがゆえに、愛がない社会になっている、ということですよね……。

鈴木:愛がなくなることは危険だと思いますよ。これだけ戦争などで殺し合いをしてきても、まだ人類が滅びないでいるのは、愛がつなぎとめてきたからだと思いますから。愛がこのまま薄れていくと、人類の存亡に関わるんじゃないかなと、そんな危機感すら抱きます。

インタビューに応じてくれた鈴木晶さん。

山脇耀平
どうすれば 「理にかなった信念」が身につきますか?

本の第4章で、愛するためには「理に叶った信念」、つまりは「自分の思考や感情の経験にもとづいた確信」を持つことが必要だと書かれてあります(P181)。でも、いまの資本主義社会では、そういった信念を身に付けることが難しいなと思うんです。情報があふれ、すごい速さで流行がつくられていく中で、自分自身が「これを信じればいいんだ!」という確信を見つけるのがすごく難しい。

鈴木:そうですよね。でも前提として、私は流行に乗るのは悪いことではないと思っています。三島由紀夫が、何かの本で「ファッションの流行に逆らうのは難しい」みたいなことを書いていたんです。流行は時代の象徴ですから、「流行に乗ったら負けだ!」と意地を張る必要はないんじゃないかなと思います。流行に乗ることと、自分の信念があることにはあまり関わりはない。問題は、信念がまったくないのにも関わらず、「流行を追うこと」が生活のすべてになってしまうことです。とにかくいろんな情報を仕入れ、流行や他人の目にばかり神経がいってしまう。それでは、自分の存在が心許ないですよね。

そんな人は多いと思います。そうならないために、できることは何かあるのでしょうか?

鈴木:基本的なことですが、やはり「一人で考えること」に尽きると思います。現代の人は、情報を得るためにすごく時間を使っていますよね。アンテナを張り巡らして、とにかく情報社会に遅れないためにずいぶん労力を使っているように見える。でも、情報をいくら追っても、自分の個性とか自分らしさって見つかるわけがないんですよ。もっと内側にあるものですから。それを探すには、一人になることが必要だと思います。

(左)エーリッヒ・フロム・著、鈴木 晶・訳 『愛するということ 改訳・新装版』(2020年/ 紀伊國屋書店)、(右)鈴木 晶『フロムに学ぶ「愛する」ための心理学』(2019年/NHK出版)

まさに「思考と感情の経験に基づいた確信」を得るために、ですね。僕も学生時代、「大人の男になるために、一流のものを片っ端から買い揃えよう」と思った時期がありました。結果的にそういうふうに手に入れたものって大切にできなくて、自分自身が本当に何を求めているのか、確信を持たないまま消費してしまっていたんだと思います。

鈴木:最初はそれでもいいんです。でも、例えば「大人になりたい」と感じたとき、自分にとっての大人がどういうことなのか、何のために大人になるのか、そうすることによって何を得られるのか。結局、「周囲の意見」ではなく「自分の意見」を持って考え始めることが大切ですよね。

そうですね。

鈴木:そうやって、いろいろ揺れ動いてみることによって、次第に信念というものはできていく。でも、先ほど私は「一人で考えることが大事」だと言いましたけど、いつまでも自分一人で考えていても出てこないとも思います。一人で考えたあとにはやっぱり一歩動き出してみて、人との関係の中で発見していくものもあるんですよね。
例えば、恋愛をしたことがない人が、自分の中で「こういう人が理想だ」と考え続けていてもしようがない。実際に人と接してみて、はじめてわかってくるものは必ずあります。先ほどの話につながりますが、だからこそ、人間関係が希薄になると、愛は困難になっていくのです。

山脇耀平
人はどこで愛を覚えるのですか?

前回の取材で、「愛すること」が上手な人たちと座談会をしたのですが、彼らはどうして愛することが上手くなったんだろう、と疑問に思いました。人は、どうやって愛することを覚えていくのでしょうか?

鈴木:精神分析の考え方では、愛は成長の過程で生まれていくものだとされています。人間は、みな等しく母親の身体から生まれてきますよね。もともと母親の身体の一部だったものが赤ん坊となって外界へと出てくるわけですが、実は生まれてからも、まだしばらくはつながっているんです。実際にはへその緒を切って体は分離していますが、赤ん坊の頭の中では、自分と母親がどこで切れてるのかわからなくて一体化している。
ですが、次第に「母親と自分は別の存在だ」ということがわかってきて、自我が芽生えてきます。自我は人間にしかないものです。そして、自我は自然には出来上がらず、「母親をコピーすること」からつくられるんです。見本があって、それを自分の中に取り込んで、自分という存在ができていく。人間は、最初はすべてコピーなんですよ。でも、すべてを正確にコピーできるわけじゃないから、ズレがあったり、かすれてるところがあったりして、徐々に違う人間になっていく。つまり赤ん坊は、「愛している母親をコピーする」ことで、愛することを覚えていくわけです。

(左)鈴木 晶・監修『フロム 100の言葉』(2016年/宝島社)、(右)エリザベス・キューブラー・ロス・著、鈴木 晶・訳『死ぬ瞬間 死とその過程について』(2020年/中央公論新社)

なるほど。では、親の愛情に恵まれなかった人は、愛することが難しいのでしょうか……?

鈴木:親からの愛情を受けられなかった人は、たしかに人をうまく愛せなかったり、人間関係においていろんな障害が出てくると思います。でも、その時に最も大切なのは、「自分は親に愛されなかった」ということに気付き、その現実を見つめること。原因が何だったのかを理解できると、人の性質は案外変えられるものなんです。
愛が不足しているとき、人はいろんな方法を考えます。例えば、愛情に恵まれずに育ってきた人が、いまさら母親に愛してもらうわけにもいかないから、その分恋人に甘えて、母親から得られなかったものを得ようとする。でも、恋人は母親じゃないから、無条件の愛など与えてくれず、うまくいかない。そして、無自覚に同じことを繰り返してしまう。「過去にもらえなかったものを、いま何らかの形で埋め合わせる」という解決法は、かなり難しいと思います。だから、自分の過去を棚卸しすることは、最も効果的であると言えますね。とても難しいことですが……。

では、愛することが上手な人たちは、自分のトラウマを乗り越えたり、適切な愛を受け取ってきた人たちということなんですね。

鈴木:ご本人が意識してるかどうかはわかりませんけど、そうである可能性は高いと思います。

山脇耀平
愛において、「対象の変化」は重要ですか?

僕はデニムが大好きなのですが、自分が履いていく中でシワが入ったり色が落ちたり、風合いが変化していくところがいいなと思うんです。これは、自分で水をやった植物が成長していくことを愛しいと思う気持ちと同じなのかなと考えていたんですけど、愛において「対象が変化すること」は重要なのでしょうか?

鈴木:服を愛するということは、「他者に向かう愛」ではなく、「自分に向かう愛」だと思うんです。イギリスの動物学者であるデズモンド・モリスの著書に『裸のサル』という有名な本があります。その本には、サルはもともと毛が生えているけれど、人間は裸で生まれてきたから何かを着なければならなかった──つまり、人間にとって服は身体の一部、自分自身の一部であるということが書かれているんですね。人間は裸になったときが「自分」なのではなく、「身に纏っているものを含めて自分」なのだと。そう考えると、服を愛することは、自分自身を愛することにも近いと言えます。

では、洋服など対象の変化に対していいなと思うのは、そこに自分の行動や育ててきた時間が宿っていると考えられるからなのでしょうか。

鈴木:そうでしょうね。だから、いくら着ても全く変わらないものは誰が着ても同じで、いわゆる一点物にならないから若干の物足りなさを感じるのではないでしょうか。もちろん、常に新しいものがいいと言う人もいると思うけれど、変化するものに対する愛は、「それを愛している自分が好き」ということと同義なのだと思います。服と自分が一体化しているわけです。

(左上から時計回りに)ライターあかしゆかさん、山脇耀平さん、鈴木晶さん。

たしかに、自分と一体化してるものを身につけていると、守られているような感覚がすごくあります。

鈴木:そうそう。いまは服を例に挙げて説明しましたが、服じゃない「モノ」でも一体感は感じられるんですよね。「自分」という境界が、モノにまで溶けている人っているんです。人間には一応、物質としての境界線があるわけですけど、実際にはもっと曖昧な生き物で、いろんなところにはみ出している。例えば、自分の家を愛している人は、家にまで自分が染み出しているんです。拡張された自分を見つけ、そこまで愛せている人は幸福感が強いと思います。

おもしろいです。「愛することが上手な人たち」の話を聞いていると、皆さんそれぞれ自己肯定感が高いなと思いました。愛することが上手い人は、自分のことを愛することも上手いのかもしれませんね。これまでのお話をまとめると、僕たちの提供する衣類においても、自分と「一体化」してもらえるような工夫が必要なのかな、と思いました。

鈴木:フロムの考え方を使ってブランドのものづくりを考えるのは、なかなか難しいことだと思います。その間には、いくつもの段階がありますから。でも、間接的にはすごくつながっています。モノを愛することは、自己肯定感、自己愛の一部なんだということ。そして、それは自分自身の内側に留まることではないし、自分だけを好きになることじゃないんですよね。自分を愛せるようになると、他のモノ、他の人も愛することができるようになり、ちゃんとした関係を築けるようになる。それはたしかだと思います。

本当にそうですね。鈴木先生のお話で、この先向かうべき方向が少し見えてきた気がします。今日は本当にありがとうございました!


インタビューを終えて

初めて『愛するということ』を読み、愛が技術であることを知ったとき、希望に満ちた気持ちになったのを覚えています。今回鈴木さんにお話を伺い、モノの中でも服というものが自己と切り離せない特別な存在であることを学びました。愛の素晴らしさは、愛を覚えることでしか知ることができない。だからこそ、愛するほど自分のものになっていく、そんなデニムの素敵な可能性を信じて、次のインタビューに進みたいと思います。(山脇)

『愛するということ』は大好きな本なので、今回訳者の鈴木先生にお話を聞けてうれしかったです。自分の思考や感情を、社会に奪われることなく大事にしていこうという意思、「モノを通して自分を愛すること」について考える機会をもらいました。最近私も自分でお店を始め、その場所に対してはいままで感じたことのない愛着を持っています。それは、先生の言葉を借りると「自分が溶け出しているから」なのかもしれません。「愛する」という態度について、これからもっと考えていきたいです。(ライター・あかし)