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「問い」をカタチにするインタビューメディア

問いから学ぶ

クラフトマン/KULUSKA・藤本直紀さんが、
書籍編集者・松島倫明さんに聞く、
「デジタルとフィジカルの関係性」

去る10月15日に、鎌倉にある「蕾の家」と「かまくら宮路」の2会場で開催された公開取材イベント「QONVERSATIONS Neighbors in KAMAKURA」。「かまくら宮路」を会場に行われたSESSION 3では、ものづくりユニット・クルスカ藤本直紀さんが、『FREE』『MAKERS』『GO WILD』をはじめ、数々のヒット書籍を世に送り出してきた編集者の松島倫明さんにインタビュー。未来を更新するデジタル・テクノロジーの文脈と、トレイルランやマインドフルネスなどフィジカルに根ざした文化をつなぐ仕事を続ける鎌倉在住の松島さんに、直紀さんが聞きたいこととは?

藤本直紀
どうやって題材を見つけるのですか?

これまで僕はずっとものづくりをしていて、ある時からレーザーカッターや3Dプリンタなどのテクノロジーも用いるようになりました。その流れの中で『MAKERS』という書籍を読みました。また、それとは別で『GO WILD』もうちの本棚にあって、この2冊を松島さんという同じ編集者が手がけていること、さらに、鎌倉にお住まいだということを聞き、これは一度お話を伺ってみたいと思ったんです。

松島:ありがとうございます。デジタル・テクノロジーの歴史を振り返ると、DTPによってPCさえあれば出版物がつくれるようになり、インターネットの普及によってブログなどを通して、誰もが世界中に自分の思いを発信できるようになりましたよね。これらが画期的だったことは、それまで特権的な人たちにしかできなかったことが、誰の手でも実現できるようになったということでした。こうしたデジタルによる「民主化」のさらに先にあるのが、情報と同様にモノもデジタル化され、パーソナル・ファブリケーションのツールの普及などによってものづくりが民主化される世界で、それが描かれていたのが『MAKERS』でした。その本がご縁となって、こうしてつながることができるのは、とてもうれしいことですね。

松島さんは、『MAKERS』の他にも『FREE』や『SHARE』、さらに先日出版された『〈インターネット〉の次に来るもの』など、時代の最先端を行くような書籍を数多く手がけていますが、これらを日本に紹介しようと思うきっかけは、どういうところから生まれるのですか?

松島:FacebookやApple、Googleなどシリコンバレーの企業を見ればわかるように、インターネットやデジタル・テクノロジーの世界ではアメリカの影響というのが非常に大きいんですね。そのため、テクノロジーが未来の社会をどうつくっていくかということを題材にしたアメリカ発の本もたくさん出ています。それらをチェックしているわけですが、翻訳書で難しいのは、例えばアメリカで書かれた本がアメリカ国内でしか通用しない話なのか、それとも他の世界にも影響を与え得るものなのかという部分です。その点デジタル・テクノロジーには、根源的な部分から社会を変えていく力があるので、時代に先行しやすいところがある。例えば、2009年に出版され、ベストセラーになった『FREE』は、情報が無料で得られ、限りなくゼロに近い経費でコピー・配布ができるようになった世界がどうなるのかということについて問題提起した一冊でしたが、これもまさにデジタルというものが否応なく世界を変えていくことを示している例ですよね。

そういえば、事前に打ち合わせをした時に、松島さんは『MAKERS』を出版する時期について、当初はタイミングが少し早すぎるかもしれないと感じていたという話をされていましたよね。

松島:『MAKERS』は、2012年に出版した本なのですが、当時は日本の市場ではまだ理解してもらえないんじゃないかという心配をしていました。翻訳書というのは、最初に企画書を見るのが出版の2、3年くらい前だったりするんですね。だから、この本の著者であるクリス・アンダーソンの前著『FREE』がちょうど日本で出版される頃に、すでに『MAKERS』の骨子が手元にあったんです。それを読むと、3Dプリンタが云々というようなことが色々書かれているのですが、正直最初は「なんだ、このマニアックな世界は」と思いました(笑)。当時は僕もピンと来なかったし、メイカーズムーブメントという言葉もなかったのですが、本が出版される年の春くらいから、「ビットからアトムへ」という言葉を耳にするようになり、MITメディアラボの伊藤穰一さんも「これからはハードウエアスタートアップだ」と言い出すなど、結果的にドンピシャのタイミングで出版することができたんです。

藤本直紀
何のために本を出すのですか?

お話を聞いていると、翻訳書を出版する時機というのはとても難しそうですね。タイミングとしては、時代の半歩先くらいをイメージしているのですか?

松島:マーケット的な話をすると、いわゆるアーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティと呼ばれるような人たちがそれぞれいますよね。海外の文化やムーブメントを日本に持ってこようとする場合、得てして時間差というものがあって、早すぎると空振りに終わってしまうんです。マーケティング的には、アーリーマジョリティくらいに向けて投げるのがちょうど良いのですが、僕は「BRUTUS理論」というのを勝手につくっていて(笑)。これは雑誌の『BRUTUS』で取り上げられる特集テーマは、アーリーアダプターではなくて常にアーリーマジョリティに向けられているという勝手な理論です。『BRUTUS』は多くの人たちが「いまはこれが面白いんだ」と感じられるちょうど良いタイミングで特集を組んでいて、とても上手いなと感じます。翻訳書というのはその特性上、人口に膾炙する前に版権をもう買ってしまうものなのですが、逆に言うと、『BRUTUS』に特集された時点で、翻訳書を出すタイミングとしてはすでに遅いと考えるようにしています。

実は、僕が『MAKERS』を読んだタイミングは、出版されてから少し経った頃でした。もともと僕はテクノロジーを使ったものづくりとは無縁で、ずっと自分の手を動かすクラフト的なプロセスでつくっていたのですが、自分以外の人に何かをつくってもらうためにどうしたらいいかということを考えていた時に、レーザーカッターというものがあるということを聞きました。さらに、鎌倉の蔵の中に、それらを使えるファブラボ鎌倉という施設がちょうどできたタイミングだったんですね。そこからレーザーカッターやIllustratorなどの使い方を覚え、それとともにシェアの文化やメイカーズムーブメントのことなども知り、『MAKERS』や『SHARE』を一生懸命読んだ記憶があります。

松島:それが最も理想的な形ですよね。先ほど、「民主化」の話をしましたが、一人ひとりにできることがあり、デジタル・テクノロジーによってその可能性が広がっていくというのが本来あるべき流れだと思っています。例えば、インターネットによって誰もが書きたいことを世界中に発信できるような環境ができたとしても、それが役立つのは、本当に言いたいことがある時ですよね。ものづくりにしても同じで、レーザーカッターや3Dプリンタがあるから何かをつくろうということではなく、まずつくりたいものや、それをシェアしたいという衝動があり、レーザーカッターや3Dプリンタがあることで、それが実現可能になるという順序が理想だなと。

僕の場合は、それまで何も知らなかった分、失敗も含めてみんなで共有するという文化なども、「そういうものなんだ」と普通に受け入れることができました。そして、自分たちのサンダルのデータを使ってケニアでサンダルがつくられたりということが、自分たちのいない場所で起こるようになっていきました。

松島:先ほども話したように、本を出す時には、それがどのくらいの人に響くのだろうということを考えるわけですが、その先にあるもっと大切なことは、日本でそうした新しいカルチャーをつくっていく人たちがいるかどうかということなんですよね。『MAKERS』にしても、実際に手を動かせる人たちに対して、こういうやり方がありますよということを投げかけることが自分の仕事だと思っていて、その先に直紀さんのようなつくり手がいて、しかもその人たちが鎌倉ベースで活動されているというのは、正直メチャクチャうれしいことなんです。『MAKERS』にしても、『GO WILD』にしても、いかにそこに書かれていることを社会に実装していけるかということは常に考えています。

藤本直紀
身体とテクノロジーはどう関係していますか?

もともと松島さんがデジタルカルチャーに興味を持ったきっかけは何だったのですか?

松島:先ほど、横山(亨)さんのヒッピーの話がありましたが、僕も世代が近いので似ているところがあって、60年代のカウンターカルチャーから影響を受けています。60〜70年代というのは、戦後の高度資本主義社会によって大量生産大量消費の経済モデルが確立された時代ですよね。それとともに、たくさんの生徒を教室に詰め込んで一様に技能を身につけさせ、それが労働力になって経済成長を支えるというマス教育も一般化しましたが、それに対してアンチを唱えた若者たちがカウンターカルチャーをつくっていきました。その度合によって、政治運動をする人からヒッピーになる人までさまざまでしたが、例えば、もともとは国家事業として開発された巨大なコンピュータを個人が使えるパーソナルコンピューターというツールにしたスティーブ・ジョブズもカウンターカルチャーからの影響を受けています。これらの根本には、物事をマスとしてとらえるのではなく、個人個人の能力や可能性を広げることで未来をつくっていくという思想があるんです。

走ることをテーマにした『BORN TO RUN』や、瞑想のことなどについて書かれた『マインドフル・ワーク』などの書籍も出されていますが、これらの本と、デジタル・テクノロジーを扱った本というのは、松島さんの中でどのように結びついているのですか?

松島:いまお話したように、デジタル・テクノロジーというのは60年代のカウンターカルチャーの思想と密接につながっています。例えば、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でスピーチした「Stay hungry,Stay foolish」という有名なフレーズがありますが、この引用元は『ホール・アース・カタログ』というカウンターカルチャーのバイブル的な本なんですね。この本には、キャンプ用品からDIYツール、コンピュータまでがまさにカタログのように載っているのですが、その背景にあるのは、経済が急成長する中でいかに自然と調和して人間らしく生きるかという思想です。当時は、テクノロジーというものは、身体に内在している自然性に回帰するためのツールだという考え方もあったんです。そうしたデジタル・テクノロジーの捉え方は、『FREE』『MAKERS』の著者であるクリス・アンダーソンがかつて編集長を務めていた雑誌『WIRED』などに継承されていくわけですが、人間本来が持っている可能性をいかに自然に引き出せるかという問題意識は、『BORN TO RUN』や『マインドフル・ワーク』などの書籍にも共通してあるものなんです。

なるほど。そういう意味では、デジタル系の仕事、フィジカル系の仕事というものが松島さんの中で分かれているわけではなく、言いたいことは一貫しているんですね。

松島:そうですね。インターネットが普及し、SNSなどによって人々が繋がったことで、60年代に人々が見ていたいくつかの夢は実現しつつあります。一方、『BORN TO RUN』で書かれているトレイルランにしても、山の中を100キロ、100マイル走るというのは無茶な話に聞こえるかもしれませんが、険しい環境の中を一昼夜走ってでも、もう一度自然に回帰したい人々の意識が背景にあるんです。そしてそれは、制度化・商業化されたランニング・ブームに対するカウンターでもある。60~70年代に自然回帰の思想を持った人たちが、いまこうした動きをつくり出していて、直紀さんの家に『GO WILD』と『MAKERS』の2冊が偶然入っていたことも、これらがつながっていることを証明しているような気がします

藤本直紀
鎌倉暮らしはいかがですか?

僕らはワークショップをよくやっているのですが、他の人たちにも自分の手でものをつくる感覚を共有したいという思いがあって、つくり方などをシェアしているんですね。最初はレーザーカッターを使っていたのですが、機材を使わずに簡単につくれるものはないかと色々探してる中で、『BORN TO RUN』で描かれていたメキシコの先住民・タラウマラ族が履いているサンダル「ワラーチ」が良いんじゃないかと気づいたんです。今日のワークショップで松島さんにもワラーチづくりに参加して頂きましたが、これなら自分の足に合わせたものをアナログ作業でつくれるし、特に鎌倉の人たちは3月から10月くらいまでサンダルを履いているからちょうどいいなと(笑)。

松島:そうですね(笑)。僕もワラーチを履いて鎌倉でよく走っているのですが、こっちに引っ越してきたのはいまから2年半ほど前なんですね。東京生まれ東京育ちの僕は、それまで職住近接派だったんです。仕事をはじめた当初は、「編集者は山手線の中に住んでいないとダメだ」という間違った情報を吹き込まれていて(笑)、それを律儀に守って山手線内で引っ越しを繰り返していました。でも、『BORN TO RUN』や『GO WILD』などの本を手がけ、自分でも山を走りたくなった時に、都内から手っ取り早く行けるのは高尾山か鎌倉くらいしかないんですね。東京にいる時は、自宅から近かった品川の運河沿いなどを妻と一緒によく走っていたのですが、鎌倉までトレイルランをしに行こうと妻に言っても、「電車に1時間も乗ってまで走りに行くなんてありえない」とついて来てくれなかったんです(笑)。だから、ひとりで鎌倉まで走りに行っていたのですが、やっぱりそのために電車に乗るのは大変ですよね。また、100マイル走るようなエクストリームな世界だけではなく、もっと多様な楽しみ方をライフスタイルとして取り込んでいけることが大切だなと思い、鎌倉に引っ越すことにしたんです。

東京にいた頃の職住近接という考え方もだいぶ変わったということですか?

そうですね。鎌倉には家族のお墓があるので、小さい頃からよく来ていたのですが、昔は退職したら引っ越す場所というようなイメージで、通勤するリアリティはなかったんです。引っ越す当初もまだ腰が引けていたので、一軒家に賃貸で住んでいるのですが(笑)、いまはもうこのままずっといたいという気持ちですね。僕は仕事柄、ニューヨークやロンドンなどのブックフェアに出張で行くのですが、現地の人たちは週末になるとみんなで緑がある大きな公園に遊びに行くんですね。東京で生活していた頃の自分は、そういうことにあまり関心を払っていなかったのですが、30代になった頃から、都内のマンションの一室で暮らし、遅くまで飲んでタクシーで帰るような生活を続けているような人生のクオリティというのは、果たしてどうなんだろうと考えるようになりました。鎌倉に引っ越してきて、すぐに自然の中に入っていけることはもちろんですが、例えば今日のようなイベントでローカルの人たちとつながれることも面白いですよね。なぜか鎌倉で暮らしていると、東京にいる時以上に街で知人と会う気がします。きっと東京は漠然と広がっている感じがあるからで、鎌倉のこの適度なサイズというのは凄く良いなと感じています。

インタビューの前に長谷の蕾の家で開催されたクルスカのワラーチワークショップにも松島さんは参加。

最近は、鎌倉で「ZEN2.0」などの活動にも取り組まれていますね。

松島:はい。鎌倉に来たこともあり、禅やマインドフルネスへの興味が強まっていて、仕事以外の部分でもコミットしていきたいと考えています。マインドフルネスなどのフィジカル寄りの文脈でも、デジタル・テクノロジーの文脈でも、これからは「共感」がキーになってくるのかなと感じています。例えば、現在のマインドフルネスというのは、「集中力が高まって生産性が上がる」とか「リラックスできて気分がすっきりする」という部分がフォーカスされていますが、突き詰めていくと、慈悲や思いやりの心というところに行き着くと思うんです。そうしたものをアメリカ西海岸のIT企業が積極的に取り入れていることは象徴的だと感じます。世界中にネットが張り巡らされているいま、シェアという概念をベースに、資本主義を代替するもうひとつの交換経済圏がつくられつつあります。今後デジタルに変換されてシェアできるものがますます増えていく中で、「共感」というものが共通の通貨になると思っています。自分が持っている社会関係資本と、相手に対する思いやりが、デジタル・テクノロジーを通じてシェア・交換されていくような社会が、これからどんどん広がっていくんじゃないかなと。