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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

ファブラボ鎌倉・渡辺ゆうかさんが、
ものづくりユニット・KULUSKAさんに聞く、
「デジタル技術がものづくりに与えた影響」

2015年から拠点を鎌倉に移したカンバセーションズが、鎌倉・湘南エリアで活動している人たちをインタビューによってつないでいく新企画「QONVERSATIONS Neighbors」。今回は、デジタル工作機械を備える市民工房「ファブラボ鎌倉」の共同設立者である渡辺ゆうかさんが、鎌倉を拠点に活動するものづくりユニット「クルスカ」の藤本直紀さん、あやさん夫妻をインタビューします。ファブラボ鎌倉との出会いによって生まれた「旅するデザイン OPEN DESIGN PROJECT」をはじめ、「参加と共創」「暮らしとものづくり」などをテーマにしたプロダクト製作やワークショップなどを行ってきたふたりに、盟友・渡辺さんが聞きたいこととは?

渡辺ゆうか
おふたりにとって、ものづくりって何ですか?

クルスカのおふたりとは、ファブラボ鎌倉を設立した2011年に出会い、そこから一緒に成長してきた感覚があります。日頃から情報交換をしたりはしていますが、こうしたインタビューの場は、改めておふたりにお話を聞く良い機会だと思っています。今日は、クラフトをベースにしたクルスカさんのものづくりが、ファブラボとの出会いなどを経てデジタルと融合することで、どのような化学反応を起こしてきたのかということを掘り下げていきたいと思っていますが、まずはそもそもクルスカさんにとって、ものづくりとは何を意味するのか、というところからお聞かせ下さい。

直紀:僕のものづくりは洋服からスタートしているのですが、コムデギャルソンやイッセイミヤケなどのコンセプチュアルな服づくりに興味があり、身体と洋服の関係について書かれた鷲田清一さんの本などを読んでいました。自分も服のデザインをしたいと思うようになって専門学校に進んだのですが、やがてデザインそのものよりも形をつくること、自分の内面を表現することよりも、つくることで相手に喜んでもらうことへと関心が移っていきました。クルスカを始めてからしばらくは、自分がつくりたものをお店に置いてもらっていて、身近な人から「もっとこういうものが欲しい」という要望がある中で、それぞれの相手に応じたものをつくってお渡しするというスタンスに変わっていきました。さらにここ数年は、「欲しいものがあるなら自分で形にしてみるのもいいんじゃないか」ということで、ワークショップや教室をするようになっていったという経緯があります。

あや:私はもともとグラフィックデザイナーで、主に広告の世界で仕事をしていました。その中で彼のようなつくり手と出会う機会が多かったんですね。そこで、つくることの楽しさを大事にしているつくり手の人たちと接しているうちに、広告的なアプローチは本当に必要なのか? デザインの力というのはそういうことではないんじゃないか? と考えるようになっていきました。そこからふたりでクルスカを始めるようになったのですが、ちょうどその頃はファストファッションが右肩上がりだった時期と重なるタイミグで。このままだとつくり手の思いというものが失われてしまうんじゃないかという危機感や、そうは言っても「つくる」という行為は失われないだろうという希望が混在する中で、ものづくりの場そのものをコミュニケーションにできないかと考えるようになっていきました。

直紀:ものを売っていくためにはデザインが必要ですが、使う人からすると、そこにポケットは要らないとか、もっとシンプルなものが欲しいと感じることが多いという声をよく耳にしていて。つくり手と買い手という構図のように、どこか距離感があるのも感じていました。それなら、つくられたものを選ぶだけではなく、自分たちでつくるという選択肢も用意できると良いのかなという考えが、いまの自分たちのものづくりに対するスタンスになっています。自分でつくることで、直すこともできるようになりますし。シーズンごとに切り替わるものだけでなく、寄り添うように長く使えるものもあると思います。一歩先を考えてつくる人が増えれば、ものの取り扱われ方も変わっていくのではないかという思いもありました。

つくったものを相手に届けて終わりということではなく、つくり手と受け手が共同体のようになり、そこで出たアイデアを形にしていくようなコミュニケーションをしていきたいということですね。

あや:そうですね。自分たちも含めて、ただつくるということはやめたいという思いがあります。つくること、表現することがしやすくなった世の中で、ただつくるだけということをしても、そこでできたものはいずれゴミになってしまうと思います。私たちは、つくって終わりではなく、つくってからがはじまりだと考えていて、暮らしに身近なものをつくっていく中で、「本当に必要なものってなんだろう? みんなはどう思う?」という投げかけをしながら、一緒に考えていくという関係性をつくろうと心がけてきました。少し立ち止まって考えてみることで、世の中の見え方に小さな変化が生まれたり、自分のほしいものも明確になると思います。自由な発話やアイデアが生まれていく場は、とても面白いです。

渡辺ゆうか
デジタル技術で何が変わりましたか?

ファブラボ鎌倉と関わるようになってから、レーザーカッターなどデジタル技術を活用したものづくりをされるようになったと思いますが、それまではデジタルについてどんなイメージを持たれていましたか?

直紀:僕は1979年生まれなのですが、色々なものが自分たちのすぐ下の世代から始まったんですよ。変な例を挙げると、高校の時は一学年下からみんなルーズソックスを履くようになったし(笑)、通っていた服飾の専門学校でも、僕らが卒業するタイミングでパソコンが導入されて、CADが使われるようになりました。学校を卒業してからも最初はオーダーメイドの仕事をしていたので、人の身体に合わせてアナログで調整していくという技術を実践で覚えていったところがあるんです。つまり、デジタルが入る余地がない中で10年くらいものづくりを続けてきたのですが、ある時に福祉施設と共同でサンダルをつくるというプロジェクトに関わることになったんです。そこで、専門技術がない人でもサンダルがつくれるようにしたいという動機で、レーザーカッターが使えるファブラボ鎌倉に問い合わせをしてみたことが、自分とデジタルの出会いになりました。そこで初めて、クリックひとつでサイズが変えられたり、等間隔で線が引けるということを知って、感動したんです。

以前に直紀さんが、デジタルとアナログのものづくりでは思考のプロセスが違うと仰っていたのが印象的なんですが、デジタルにはどんなメリットがあると感じていますか?

直紀:それまではサンプルひとつつくる時でもすべて手作業でやっていたのですが、デジタルを使うことで色々なバリエーションがプロトタイピングできるようになります。それによって、いままで作業に取られていた時間を、根幹のアイデアを考えるというところに充てられるようになったというのは大きなメリットだと感じています。

あや:彼がゆうかさんに初めてメールをした時に私は横で見ていたので、当時のことはクリアに覚えているんですが、最初は「うちはレーザーカッターのサービス屋さんじゃない」と断られたんですよね。それでも、一生懸命そうじゃないということを伝えて受け入れてもらえた時に、珍しく彼が意地を見せたなと感じました(笑)。最初から私が問い合わせることもできたのですが、それまでデジタルに縁がなかった職人の彼が戸を叩いたということは、非常に大きかったなと思います。その頃はまだ指一本でキーボードを叩いてメールを書いていたし、IllustratorもPhotoshopも一切触ったことがなかったんですよ(笑)。

直紀:かなり遠回りはしましたが、学生の頃に中途半端にパソコンに触っていなかったからこそ、これを使って何ができるのかということを一から考えていく面白さがありました。手仕事やデジタルという枠組みはあまり関係なく、それまでしてきたものづくりと同じスタンスで、新しい技術や機能を覚えるということにハマっていく感覚がありました。最初はレーザーカッターで何ができるのかわからないまま来ていたところがあって、型紙を革に写し取れればいいくらいに考えていたんです。そうしたら、マーキングだけではなくて革を切るところまでできるということがわかり、これは凄いと(笑)。さらに、穴まで開けられるし、針と糸さえあれば誰でもつくれてしまうということに感動したし、新しい道具を得たことで自分の可能性が広がった感覚がありました。

あや:自分の手でものをつくっている人たちというのは、その技術を使うことでどうなるのかということを身体的に理解した上でマシンを扱うので、どんどんものづくりが加速していくところがあるんです。例えば、手作業のワークショップというのはとても時間がかかって、最初のうちはよくわからないまま作業をしていくんですけど、やっていくうちに楽しくなるというところがあり、自分の中で起きる変化に敏感にもなります。一方でデジタルを介したものづくりというのは、目的がないまま始めた場合は、「ああ、こういうものなんだ」という、早い段階での安易な理解ができてしまう。機械がデータを出力するのを見た時に、それをすべての結果だと解釈するのはもったいないと感じています。目の前に現れた結果だけでなく、そこに行き着くまでの背景や途中経過を体感して考察したり、試行錯誤しながらつくることも大切だと思います。どちらが優れているということではなく、デジタルとフィジカルを行き来する中で気づいたことを、いろんな視点で捉えていけたらいいんじゃないかなと感じています。

ファブラボ鎌倉

渡辺ゆうか
ファブラボはどんな存在ですか?

クルスカさんは、デザインのデジタルデータを公開するというこちらの提案などもすんなり受け入れてくれましたが、これだけ劇的に変化するのかと驚くほど、デジタル技術を独自に解釈し、理想的な動き方をされているように感じます。そんなおふたりにとって、ファブラボというのはどんな存在なのですか?

直紀:先ほどもお話ししたように、最初はとても便利な道具を手に入れたという感覚でデジタルの世界に入っていて、いまも基本的には、やりたいことがまず先にあり、そのために必要な道具や技術を使うという意識を持っています。そういう意味では、例えば3Dプリンタというものが自分のものづくりにおいて必ずしも必要なものというわけではないんです。ファブラボ鎌倉にきて良かったのは、そうした技術や機材的な面よりも、デジタル、デザイン、ものづくりというものを自由に横断している人たちと触れ合えたということです。以前からものづくりをしている知り合いは多かったのですが、Webサイトがデザインできて、自分でコードも書けるような人たちから刺激を受けれたということが、特に最初の1、2年は大きかったですね。

あや:彼についてファブラボ鎌倉に来るようになり、ここで行われているアカデミックな取り組みや、地域の人たちとの活動などを見ていて、この場所が凄く好きになりました。やがて一緒にプロジェクトをするようになりましたが、それは、ずっと職人の道で生きてきた彼にとって非常に大きな変化だったと思います。自分たちのデザインデータが、地球の裏側でダウンロードされたりするようになって、その状況についてゆうかさんが「デザインが旅しているみたい」と言ってくれたんですよね。その時に、たしかにデータは旅をしているけど、自分たち自身はどうなんだろうと感じて、英語もろくにしゃべれないまま、実際に海外を旅したりもしました。そういう意味で、ファブラボ鎌倉は私たちの活動に大きな影響を与えてくれた場所であり、大人になってから来た最初の学び舎のような存在だと感じています。

友達クラウドファンディングで資金を集めて(笑)、ヨーロッパを一周したんですよね。クルスカには応援者や出資者がいた。それは、あやさんの力がないとできなかったことだったと思います。一方で現場では直紀さんの力が当然必要で、お互いの強みがとても良く活かされているおふたりは、うらやましいと感じるほどです。こうした役割分担は最初から上手くできていたのですか?

直紀:僕は、クルスカを始める前はとにかくつくることが楽しかったんです。その後、多様な視点を持った彼女とともにクルスカと名乗って活動をするようになり、受注会でお客さんの要望を聞いてからものをつくるということをするようになったことで、伝えることの大切さを痛感しました。それでも、そこについては自分は苦手意識があり、伝える役割は彼女にしてもらっていたのですが、途中から抵抗が始まったんだよね(笑)。

あや:わたしは広告の仕事をしていながら、昔から表層的なデザインや過剰なデザインが嫌いで(笑)。耳障りが良い言葉で柔らかく伝えることで得られることを目的にはしたくなかったんです。ものをつくる人には言葉にならない感覚があるということもわかりますが、それでも職人である彼の言葉で伝えてほしいという思いがあったし、そうした率直な声だからこそ伝わるんじゃないかという考えがしばらくありました。

直紀:ワークショップなどを始めると、ものをつくることと、その場にいる人たちに伝えることがセットになるので、役割を分担するのではなく、共有していく必要性が出てくるんです。ふたりで一緒に空間や時間をつくっていくことで、少しずつその辺りが変わっていったのかなと。例えば、少し前までは、クルスカとして出している文章については、ふたりのどちらでもないクルスカという人格を想像して書いていたところがあったんですね。ただ、今年からはTwitterなどもふたりそれぞれのアカウントに分けて、お互いに自分の個性を出していこうと考えるようになりました。

あや:外国の方とかは、私たちのことをクルスカさんというひとりの人間だと勘違いしていたりするんですよ(笑)。だから、実際にお会いして、日本人の二人組だとわかると驚かれたりもしたんですけど、いまはそうしたクルスカとしてのイメージをあえてつくらずに、相手に委ねていいんじゃないかなと。イメージよりも、実際に関わり合うことでわかることがあると思うので。一方通行の関係性ではなく、より濃密なコミュニケーションを重ねていくことが大切だなと感じています。そういえば最近、ワークショップの参加者で、「クルスカ」というのは、みんなでつくるという行為を表しているみたいだと言ってくれた方がいて、なるほどと思いました(笑)。

渡辺ゆうか
今後どんなことをしていきたいですか?

ところで、おふたりは昨年岡山で生活されていた時期があったんですよね。

あや:スペインにあるファブラボに行ったことがきっかけになりました。自分たちでエネルギーからつくって活動できるような、自給自足型のファブラボをつくるつもりで岡山に行ったんです。当時は、鎌倉と岡山を行き来しながら少しずつ営むことを考えて、多拠点居住をスタートしていました。ただ、どこかで鎌倉や関東圏に人も仕事も働き方も引っ張られていたところがあったんです。岡山もとても良いところで、共闘できる仲間や環境があり実現できそうな状況にも恵まれていました。しかし、なぜかそういうことをすればするほど、自分たちの暮らしは疲弊していきました。やってみてわかったことなのですが、多拠点居住は私たちには向いていませんでした。その時に、私たちは旅をして生きていくこともできるけど、そのためにはどこかに根を張って暮らすことも必要だと感じたんです。家族それぞれが鎌倉で暮らしていた時間というものを大切に思っていたことがわかって、戻ることにしました。そこで得たこと失ったことがそれぞれありますが、つくるという行為の中には色々な側面があり、人それぞれ思いがあるということを改めて感じたし、「これからどう生きていきたいのか」という大切なことに気づけました。その中で私たちクルスカは何を考えてものづくりをしているかということを、もっとしっかり伝えていきたいなと思っています。

それを伝えるための活動として、今後はどんなことをしたいと考えているのですか?

直紀:僕たちは、ファブラボから大きな刺激を受けて、デザインをオープンにしていくことの面白さを体験しました。その魅力をもっと多くの人に知ってほしいという思いがありますし、活動を始めて10年という区切りもついたので、これまでの総まとめではないですが、自分たちの活動や、まだしっかり発信できていない声や思いというものを、本のような形でまとめることをしてみたいなと考えています。

あや:そうですね。あとは5年後くらいに、人が集い交差していくような場を開きたいと思っています。暮らしの延長線上にある感じで、朝ごはんやおやつを出したりしながら、ものがつくれるような滞在型のカフェを開きたいんです。そこではクルスカだけでなく、みんなで仕事をつくっていくような、いろんな働き方も生まれているといいなと思っています。

旅するデザイン岡山

素晴らしいですね。私たちも、海外の人が来日した時に滞在できて、朝ごはんなんかもつくってくれるレジデントのような場所があると良いなと思っているんです(笑)。

あや:クルスカはこれまでに色々な道をたどってきましたが、根っこにあるのは、暮らしとものづくりというところなんです。これからは、暮らしながらつくることと、つくりながら暮らすことを提案していきたいと思っています。かつては手でつくる暮らしがたくさんあったはずなのに、いつのまにかそれらがなくなってしまいました。でも、いまならいつでもそこに立ち返ることができると思っていて、そういうところにつなげていけるような活動をしていきたいですね。少しでも先の世代へつなげていけることがあると思うので。私たちが暮らす町で、どんな関わり合いや取り組みができるか楽しみにしています。

直紀:例えば、自分たちがやっているスリッパ制作のワークショップは、だいたい5時間くらいかかるのですが、11時から1時間ほど裁断をしてからみんなでごはんを食べて、その後2時間くらいで縫製して、おやつを食べてから仕上げるという流れなんですね。ただつくるだけのワークショップでは得られない体験があって、今後はそういう活動にシフトしていきたいなと。自分たち自身が実践や実験をしていくことで、手でつくる暮らしを提案していきたいと思っています。

クルスカのワークショップの様子。

鎌倉という場所は、そういう過ごし方や体験ができる場所ですよね。幸せということを考えていくと、どれだけ上質なコミュニケーションを持てるかというところに行き着くと思うのですが、クルスカさんの活動には、そういうことを考える上でも大きなヒントがあると思います。そんなクルスカさんが次にどんな人にインタビューするのか、いまから楽しみです。今日はどうもありがとうございました。