山口情報芸術センター[YCAM]アシスタントキュレーター・西 翼さんが、
アワセルブス 代表取締役・河口 隆さんに聞く、「新しい関係性のつくり方」
インタビュアーを担当する西 翼さんは、2012年よりYCAMのさまざまな展示や研究開発プログラムなどを手がけてきたキュレーター。その西さんが今回インタビューするのは、メディアテクノロジーを用いた新しいスポーツの創作を目指すイベントとして、今年の12月にYCAMで開催される「スポーツハッカソン」で協働している「アワセルブス」の代表・河口隆さんです。2013年にYCAM10周年記念事業の公募作品として開発された「スポーツタイムマシン」に関わるなど以前からYCAMとの接点を持ち、先日「アワセルブス」が位置する山口市中心商店街の一角に本格オープンしたファブラボ山口の運営も手がける河口さんに、西さんがいま話を聞きたいこととは?
これまでにどんな仕事をしてきましたか?
河口さんと初めてお会いしたのは、僕がYCAMにインターンで来ていた2010年頃で、前町アートセンター(MAC)というオルタナティブスペースで開催されていたイベントでしたよね。当時は、どういう経緯でMACに行かれていたのですか?
河口:当時MACに住んでいた会田大也さんはもともと気になる存在で、MACに行くようになる前に会田さんがやっていた主婦向けのワークショップに顔を出したことがきっかけでした。当時私は会社員だったのですが、仕事が暇で、どうせならサラリーマンが踏み込めない領域に行ってみようと思っていたんです。ちょうどそのワークショップの企画者が大学時代のバンド仲間だったこともあり、参加することにしました。
当時勤めていたのはどんな会社だったのですか?
河口:新しい会社を立ち上げるからと言われて誘われたところだったのですが、当初は私がリーダーになり、6人くらいのプログラマーが入ってくるという話でした。彼らを雇えるような案件をこれから取ってくるからと言われ、とりあえずPCが6台置かれた部屋に座って、これから仕事が来るものだとばかり思って待っていたんです。ところが、数ヶ月経っても音沙汰がない状態で、結局1年半ほどいたのですがひとつも仕事をすることなく、その事務所をたたむことになりました。そして、「君はまだ若いから再就職もできるだろう」と言われ、35歳にして仕事がなくなったんです。私は25歳くらいからシステム系の仕事をしていたのですが、プログラマーには35歳定年説というのがあり、要は年を取ると新しい技術が覚えられなくなるから、技術者としてはそこが定年という話です。そこで「これからは余生のつもりで暮らそう」と思い、アワセルブスという屋号で独立することにしました。
独立されてからは、それまでとは違う仕事をするようになったのですか?
河口:そうですね。会社員の時は、在庫管理や会計のシステムなどをつくっていたのですが、当時はGoogleが実施していた20%ルールというものが注目されていて、私もそれを勝手に自分に課し、仕事の合間にWeb制作の勉強をしていたんですね。そのおかげで、独立してからはWebサイト制作などの仕事をするようになりました。また、せっかく独立したのだから会社員にはできないことをしようと思い、事務所でワークショップや勉強会を開催したり、さらに、毎週火曜日をオフィスの開放日にして、一日仕事をせず、Ustreamで事務所の様子を配信し、Twitterで「誰でも来ていいですよ」と呼びかけたりしていました。そうすると不思議と知らない人なんかもやって来て、一緒に話をしたりして一日ダラダラ過ごすというようなことを2年ほど続けていました。
どんなことにモチベーションを感じますか?
仕事とは別に、Ustreamを配信したり、ワークショップやイベントなどをされていた背景には、どんなモチベーションがあったのですか?
河口:もともと新しい関係性をつくることや、場を円滑に回すスキルというものに興味があり、ワークショップの運営やファシリテーションなどについて勉強していた時期があったんです。それを実践してみたいという興味からイベントなどをしていたところがありましたし、もともと私は既製のものが好きではなかったということもあると思います。既成の考え方ややり方に収まることは非常に楽ですが、やはりそれだけでは面白くないし、既視感があるものが嫌いなんです。自分自身が驚きたいという思いがあり、そうした出来事が目の前で起こるような、予定調和に収まらないシチュエーションをつくりたいという考えが根底にあるのだと思います。
河口さんがYCAMと本格的につながりを持つようになったのは、2013年のスポーツタイムマシンからになりますか?
河口:そうですね。YCAMのスタッフの方が個人的にやられているイベントなどにはちょくちょく顔を出していたのですが、本格的にYCAMの事業に関わるようになったのは2013年頃からです。当時、eスポーツを提唱しているゲームクリエイターの犬飼博士さんとデザイナーの安藤遼子さんがYCAMに来ていて、先ほど話したMACで市民の人たちに向けて、自分たちがしようとしていることをプレゼンし、協力者を募っていたそうなんです。その場に私はいなかったのですが、プログラムが書けて、Ustream配信もできる人を探していたそうで、それなら河口くんがいいんじゃないかという話になったらしく、翌日犬飼さんから電話がかかってきたんです。
スポーツタイムマシンの時は、コーディネーターという肩書きでクレジットされていましたね。
河口:はい。最初に犬飼さんとお会いした時に、凄い勢いでやりたいことをお話しされているのを聞き、これは関わったら面白そうだなと感じたので、プログラムを組める人をはじめ、さまざまな人たちを自分が探すことになりました。すでにイベントや勉強会を通してネットワークができていたので、そういう人たちにプロジェクトの話をしたところ、案の定何人かが反応してくれ、その人たちがコアメンバーになりました。何かのテーマやネタがあった時に、それを投げる先があると仕事の上でも生きてきますし、もともとプログラマーやミュージシャン、主婦など、普段関わることがないクラスタ同士をつないでいくということを意識してやっているところがありますね。
どうしてファブラボ山口は生まれたのですか?
河口さんの会社「アワセルブス」が運営するファブラボ山口が、今年から本格オープンとなりますが、これはどういうきっかけでスタートしたプロジェクトだったのですか?
河口:見たことがないものを見たいという思いが強い私にとって、ファブラボに代表されるメイカーズムーブメントというのは非常に興味があったんですね。これから3Dプリンタをはじめとするデジタルファブリケーションが発展していくことによって、これまでの産業の構造自体が変わってしまう瞬間に立ち会えるかもしれないという期待感があり、そこにはぜひ乗っかりたいと。ファブラボ山口は、山口市がファブラボ鎌倉に依頼をしたところからスタートしているのですが、市を介してファブラボ鎌倉の渡辺ゆうかさんとお会いした時に、これはやるしかないと思いました。個人で仕事をするようになって3年くらいが経ち、そろそろこの働き方にも飽きていたということもあったのですが、ちょうどその頃にオフィスをシェアしているパートナー企業の「101DESIGN」の代表から法人化の勧めを受け、「アワセルブス」を会社にしていたんですね。それが結果的には良いタイミングとなり、ファブラボ山口のプロジェクトを事業者として受けることができ、良いスタッフたちとも巡り合うことができました。
商店街の中という特殊な立地ですが、今後どんな人たちが関わってくれそうですか?
河口:昨年、ファブラボを試験的に2ヶ月オープンした時には、製造業の仕事をしていて、自分自身でもものづくりをしてみたいと思っている方や、実際に革細工などをしている方、Raspberry Piなど電子工作に興味ある方たちが利用してくれました。ただ、利用者からお金をいただくモデルでは継続は難しいと考えているので、企業などが自社製品の開発や研究のために使う場としても機能すると良いなと。一から製品の開発などをしようとすると、機材やそれを使える人材を揃える必要があり、非常にコストがかかりますが、幸いここにはすでにそうした環境が揃っているので、この場を使って企業に新しいものづくりにトライして頂けるといいなと思っています。ゆくゆくは、ここを起点に山口からデジタルファブリケーションによるビジネスを軌道に乗せる会社が出てくるということが、事業者としての目標ですね。
実際にファブラボに関わる人たちで、この空間をリノベーションをするという試みをされるようですね。
河口:ちょうど明日(取材時)からリノベーションワークショップを始める予定です。ここは以前に薬局だった場所をそのままの状態で使っているのですが、歩くだけで真っ白になったり、トイレが怖いと言われたり、非常に不評なんです(笑)。もちろん、最初からきれいにリノベーションしてオープンするという選択肢もあったのですが、それでは面白くないし、もともとファブラボは、必要なものは何でも自分たちでつくるということがコンセプトなので、空間自体も利用者のみなさんと一緒につくろうと。考え方は非常にファブラボ的だと思いますし、ファブラボ山口は基本的にボトムアップ式に物事を進める方向で、私は何も言わずに成り行きを見守るというスタンスにしたいんです(笑)。そうすることによってスタッフさんが困っているのですが(笑)、自分も含め、何でも与えられることに慣れていて自発的に動くことが得意ではない人が多い気がしています。それなら、自ら動かざるを得ない状況をつくり、欲しいものは自分たちで手に入れるという体験をしていくのがいいんじゃないかなと。私自身、どうなるかわからない状況を楽しみたいし、ぜひ想像できないような斜め上の方向に行ってほしいですね(笑)。
なぜ「巻き込まれたがり」なんですか?
いま河口さんとは、冬にYCAMで開催するイベント「スポーツ・ハッカソン」に向けて、犬飼(博士)さんや、山口の人たちと打ち合わせを重ねていますよね。我々としては地元の人たちに積極的に参加してもらえるような空気をつくっていこうと意識しているのですが、何の躊躇もせずについてきてくれる河口さんはある意味凄いなと(笑)。
河口:元来私は巻き込まれたがりで、自分の意志とは関係なく人生が転がっていくといいなと思っているんです。何か新しいプロジェクトを起こそうとした時には、犬飼さんのような言い出しっぺ的な存在が絶対に必要で、そうなれる人というのはそんなに多くないんですよね。そういう人に巻き込まれたがっている人、もしくは巻き込まれる準備ができている人というのが世の中には一定数いて、何か面白そうなことがあったら顔を出したいと考えている人たちのことは、顔を見ればわかります。私自身は、巻き込んでいく人と巻き込まれたがりの人のちょうど間にいて、いち早く巻き込まれつつ、他の巻き込まれたがりを巻き込んでいくというスタンスなんです。
巻き込まれたがっている人たちは何を求めているのでしょうか?
河口:まずは、自分が持っている能力を生かしたいという思いがあるのだと思います。また、チームプレイで何かをするということに満足感を得たいという人も多いのかもしれません。複数の人たちと何かひとつのことに取り組む機会というのは、意外と普段の生活の中では少ないかもしれない。だからこそ、会社などから与えられる仕事とは違い、能動的にコミットできるプロジェクトを求めている人というのも少なくないのかなと。頼られることもまんざらではないという巻き込まれたがりの人たちに何かをお願いすると、物事が円滑に運びやすいんです。そういう人たちがもっと増えていけばいいと思っているのですが、そのためには、人生を左右しない程度の軽い巻き込み事故がたくさん起きるような状況が必要で、巻き込まれた側が「まんざら悪い気もしなかったな」と感じるような、軽い成功体験が得られる機会が増えるといいのかなと思います。
現在、河口さんとは、新しいスポーツをつくるというテーマのもと、GPS機能などを使って、ある場所からある場所へとボールを運んでいくサッカーの原型のようなスポーツのアイデアを出し合っていますが、こうしたやりとりが個人的にとても面白いんですね。YCAMというものが、地域の人たちとともにそういうものをつくる場になり得るんだということが実感できるし、今後こうした機会や関係を築ける人たちが増えていくといいなと。これまでYCAMは、世界に向けて発信していくことに注力してきた面もあったと思うのですが、今後地域の中でさまざまなところにジワジワとYCAMの存在が広がっていったら面白いし、そうなった時に常に巻き込まれてくれる河口さんのような存在は非常に心強いです(笑)。
河口:山口を外から見た時に、YCAMの存在感や影響力というものは非常に大きいと思うんですね。一事業者として、地元ばかりを見て仕事をしているのはつまらないし、少し嫌らしい言い方かもしれませんが、YCAMと何かをしているということで、外から面白い存在として見られるところがあるし、実際に面白いことができている。各地からYCAMに色々な人たちが集まり、循環していることは素晴らしいことだし、同時に、東京では壇上の存在のようなアーティストたちが来ても、山口市民たちはそれをよくわからずに普通に関わっている状況は面白いですよね(笑)。今後は、YCAMという存在を良い意味で利用するような山口の事業者や市民がどんどん出てくるといいと思うし、YCAMの存在は抜きにしても、外に対してアプローチしていく意識というのはとても大事だなと思っています