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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

山口情報芸術センター[YCAM]R&D ディレクター・伊藤隆之さんが、
農家・吉松敬祐さんに聞く、
「有機農法の野菜が美味しい理由」

YCAM内にある研究開発チーム「YACM Interlab」で、さまざまなアーティストの作品制作のサポートや、オリジナルツールの開発などをおこなってきた伊藤隆之さん。その伊藤さんがインタビューするのは、伊勢神宮の神田で発見されたと言われる伝説の米「イセヒカリ」の原種を保存する栽培者であり、農業試験場の研究員としてのキャリアも持つ吉松敬祐さん。メディア・テクノロジーの応用範囲を食の分野に活かす「アグリ・バイオ・キッチン」などのプロジェクトでYCAMとも接点を持ち、70歳を超えたいまも現役バリバリの吉松さんにお話をお聞きすべく、伊藤さんとともに山口市(旧阿東町)のご自宅に伺いました。

伊藤隆之
なぜセンサーが必要なんですか?

吉松さんには、イベントなどの機会で何度かYCAMにお越し頂いていますが、先日開催した「アグリ・バイオ・キッチン」のキックオフパーティで初めてちゃんとお話ししたんですよね。その時に、この農地で使うためのセンサーの感知距離を、通常の5~10mから100mくらいにまで伸ばしたいという話をされていましたよね。

吉松:はい。基盤整備を行った水田の畦畔の多くが、長辺が100mあるんです。このセンサーがトリガーになって、周辺に動物が来たら爆竹を破裂させたり、指向性が高いスピーカーで音を出したり、ストロボも発光させたりということで、農地にやって来る害獣を追い払えないかと考えているんです。

農地を守るための仕掛けは他にもされているんですか?

吉松:フェンスやネットを張ったりしていますが、仕掛けというのは、ずっと同じものを使っていると動物たちも学習してしまうんですね。だから、仕掛けにはふたつの要素を用意することが大切なんです。例えば、点滅灯を設置するだけでは要素はひとつだけになってしまうので、イノシシはすぐ安全だと見破ってしまう。点滅等だけでなく、音も鳴るようにしたり、電気柵にしても電流を流すのと同時に点滅させると、動物たちが「あのピカピカしたものは危ないと連想するようになり、近寄らなくなるんです。

基本的には追い払うだけで、捕獲するようなことはないんですか?

吉松:捕獲をしても、またよそから移動してくるので、被害をなくすことは無理なんです。国は狩猟など力の論理で管理しようとしますが、そうしてしまうと、こちら側の力が弱まると、向こう側の数が増えるという原理になってしまいます。私は、人間と動物の共生を目指していて、そのためには動物を殺すのでなく、農作物を取られないように人間が知恵を働かせることが大切だと考えています。以前の猿は2年に1回くらいのペースで出産していたんですが、最近は栄養状態が良いから毎年出産するようになり、非常に繁殖しているのですね。これは他の動物も同じなんですが、人間の作物を動物に食べさせているから野生動物が里に生息するようになり、繁殖しているわけで、作物を食べられないように防御すれば本来の環境に戻るんです。動物を捕殺することではなく、農家が作物を食べられないようにするということを目指すべきで、それによって生息数のバランスが取れる。それを実現するために良い道具というものが世の中にないから、自分で安くて良いものがつくれないかと悪戦苦闘しているんです(笑)。

伊藤隆之
有機農法の野菜は美味しいですか?

吉松さんは有機農法を取り入れていますが、有機農法の野菜などを食べると美味しいと感じることが多いんですね。実際のところはどうなんですか?

吉松:有機農法の作物というのは、肥料ではなく、土地でつくるものなんですね。今日も家内が玉ねぎを収穫していましたが、大きな玉ねぎをつくりたいと思ったら、植える間隔を広く取ると良いんです。家内などはそれだと数が足りないと言いますが、実際に引っこ抜いてみると、化学肥料を与えてつくったものよりも大きく健全に育っているように思います。土の中に根を広げて栄養を吸収しているので成分のバランスが良く、実際に味も美味しく感じます。それに、いきいきと育った野菜を見ると満足感があると思います。化学肥料は地表水、地下水を汚染してしまう側面があります。有機農法で十分に土を与えながらつくると環境に優しいし、非常に穏やかな育ち方をします。それを5年くらい続けていると、土自体も養われていくんです。要は、微生物を養うために必要な有機物が土の中に育まれていくということで、有機農法を続けていると多くの微生物を含んだバランスの良い土壌ができてくるんです。

以前に吉松さんが、何も手をいれなくても勝手に作物が育つ農地があるというお話をされていて、とても興味深かったです。一生懸命土壌の改良をがんばっているところもあるなかで、何もせずにどんどん作物が育つところもあると。

吉松:あまり手を加えなくても良い生産ができる土壌というのがあるんですよね。おそらくそうした土には作物や雑草の残渣によって自然と土に有機物の供給が持続され、微生物が活動しやすくなっているのだと思います。有機栽培をしてる人には、微生物に対する迷信的な信奉者とも言える人が多く、高い資材を買わされたり無駄な手間をかけたりすることもあるんですね。でも、そんなことをしなくても身近で調達可能な資材でできることもたくさんある。微生物なんかにしても、その地域に生息する微生物をバランスよく生息させればと思うんです。だから、いかに強力な菌があったとしても、それをよそから移植するというのは、長い目で見て良いことなのかわからない。有機農法というのは、化石燃料を使って生産したり、遠くから運んできた資材に依存するのではなく、地域で自力で入手できる資材を使うべきだと思っています。

その土地の生態系にあった土のつくり方、農業のやり方ということがあるということはとても興味深いです。

吉松:先日、阿東の有機農業のグループとして「阿東ゆうきの会」というものを立ち上げたのですが、これは農業従事者以外の人も登録できるようになっているんですね。会員登録した人たちと、夏は水田などの現場を周り、冬は有機農法塾という座学のようなことを始めています。私たちが目指すのは、農業には、誰がやってもうまくいくやり方というものもあって、時間、人、場所を変えても再現可能なやり方を技術と呼ぶのだと私は思っています。手に入りにくい貴重な資源が必要だったり、特定の人にしかできない秘伝というのは技術には入らないと思っています。農業に対する知識や技術を豊かにしていくため、経験を交流して継続的な活動をしていきたいと考えています。

「アグリ・バイオ・キッチン」キックオフイベント

伊藤隆之
日本の有機農業はどうですか?

日本の有機農業に対する考え方についてはどう思いますか?

吉松:以前に、日本と韓国の有機農業の発展の違いについて書かれた本を読んで驚いたのですが、韓国の有機農業というのは、「親環境」という言葉とともに、農薬、化学肥料の施用基準を守って、環境にやさしい農業の推進が政府主導で始められたのですね。一方で、日本は、農薬などを使わず、生産者の顔が見える農作物を流通させる「産消提携」で発展してきました。その後、有機推進法、有機JAS法が制定され、認証制度による有機農産物の流通が広まっていきました。認証制度とは消費者に対する品質保証で、その背景には市場原理、競争原理が働く場でもあります。そのため、おのずから、労働生産性の向上や、生産の効率を重視した合理背の追及が行われます。その結果、高い生産力を追求して、化学肥料や農薬を、有機資材で代替しての有機農業が行われています。JAS有機では、有機資材を多投し過ぎてしまってもそれを縛る方法がなく、環境に対する倫理感というものが欠けているんです。結局は有機農業も大規模な農家だけが生き残るという仕組みになってしまうんですね。

吉松さんの考える有機農法の形とは違うようですね。

吉松:認証制度による有機農業向かうことへの倫理的な抵抗感があって、当時やっていた有機JASの検査員を辞めました。やはり、生産者/消費者の区別なく、多様な生き物を育む自然を共有する方向に行くべきだと思うんですね。経済合理性の追求が破綻しやすいことは、日本における山林の扱いに顕著です。戦前から戦後直後のまだ石炭がエネルギーの主体だった時代には、採炭のための坑道を支えるのに小径木のマツの丸太材が使われて、木材が高騰しました。また、戦後の焼け野原から住居を大量に建てる必要から、大量の木材が必要になって木材バブルが起こりました。森林の伐採が加速的に進み、どんどん針葉樹が植林されていきました。ところが人工林というのは、集中豪雨などが来ると土砂崩れを起こしてしまい、いまその工事費に大変なお金が使われています。最近は木材の需要も減っていることもあり、かって儲かると言うことで植林された人工林は放置されている状態で、針葉樹の単林は陽が入らなくなり、生物の多様性は失われ、山はどんどん痩せていくんですね。山に含まれる養分がなくなると、結果として河川水の質が悪くなり、海の生物にも、農地にも影響が出るんです。

すべては循環していくということですよね。当時は、そういうことはまったく考えられていなかったんですか?

吉松:そうですね。当時は林業は儲かるということで、過剰生産で余っていた肥料を国費で山林に撒いたりもしたのです。そうすればたしかに木は育つけど、成長が早すぎるから木目が粗く木材としてはろくなものになりません。マツやスギといった針葉樹は、落葉樹と比べると有機物、養分の循環が悪く、国土はやせて行きます。スギ、ヒノキの造林は木材生産としては、効率が良いわけですが、行き過ぎた造林は不適地も植林が進められ、そんな場所には杉やヒノキの銘木は育たない。それにも関わらず補助金を出して、どんどん木を植え、生態系をゆがめてしまったんです。私は、国力を蓄えるということは、いざという時に食料をまかなうことができる地力を温存するということだと思っています。現在の日本に大変不安を持っています。もし仮に経済が破綻してしまった時に備えて、国民を飢えさせない農業は準備をしておかないといけないと感じています。

伊藤隆之
農業に大切なことは何ですか?

ここまでお話を聞いてきて、害獣のことにしても、有機農法の考え方にしても、吉松さんはバランスということを非常に大切にされていますね。

吉松:私は、バランスは感性で捉えるものだと思っています。知識があるだけではなく、身体で感じるもの、つまり感性というものが非常に重要だと考えています。作物を育てていても、いまこれは順調に育っているのか否かということを測る明確な指標があるわけではなく、それは自分の目で見て感じないといけません。何かの判断が求められる場合、知識を拠り所にすることが多いですが、それだけでは決着のつかないことがほとんどで、現場では即決が求められる。そこにはミスジャッジしてしまう多くのリスクが存在するのです。知識だけに頼ってしまうと、不確定要素の多い現場では危険だからやめとけという話になり、何もできないことになりかねません。

ちなみに、育てている作物が弱まったりした時はどう対応されているんですか?

吉松:それはもう、今年は良くなかったねとあきらめることですね。そして、何が悪かったかを考える。決してカンフル剤を打つようなことはしません。長い目線で物事を考えるのはまどろこしいと思われるかもしりませんが、良い回答を得るためには忍耐も必要です。最近はみんな即効性のあるものに向かいがちで、テレビなどではすぐにお金につながるような話ばかりですよね。3代、4代先、100年先を考えた取り組みの重要性があまり注目されていないと感じます。まさに農業というのは、そうした先を読み取る力というのが求められています。作物がいまは小さいけど元気が良いとか、大きいけれど病気になりそうだということを察知できるということがとても大事なんです。

「アグリ・バイオ・キッチン」キックオフイベント

そうした人間の本能的な力や知恵というものが衰えてしまっているのかもしれないですね。

吉松:野良猫などを見ていると、子猫のことをとても丁寧に育てていて、これが本能というものですよね。人間にもそれが備わっているはずなのに、育児本がなければ子育てができなかったり、あげくの果てには、親の都合によって、育児を放棄してしまったリする人まで出てくるというのは変な話ですよね。環境に順応することの大切を示す例え話なんですが、以前によく風邪を引いていた私の娘が、ランニングを始めて日に当たるようになってからは、ほとんど風邪にならなくなりました。紫外線によってビタミンDがつくられ免疫力が高まるのに、それをカットしていたら風邪を引くのは当たり前のことだと思うんです。だから、北欧の人なんかも夏になると、わざわざイタリアあたりまで日に当たりに行くわけでしょう(笑)。