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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター・杉原永純さんが、
映画監督・柴田剛さんに聞く、
「自由に映画を撮るということ」

インタビュアーの杉原永純さんは、映画・映像作品の撮影コーディネートや東京のミニシアターでの仕事を経て、2014年にYCAMに赴任した映画分野のキュレーター。そんな杉原さんがインタビューするのは、「おそいひと」「堀川中立売」などの長編作品で知られる映画監督の柴田剛さん。YCAMが本年度からスタートするプロジェクト「YCAM FILM FACTORY」で、新作映画「ギ・あいうえおス -他山の石を以て玉を磨くべし-」(仮題)を撮影予定の柴田さんに対し、すでに監督とともに山口県内のロケハンをおこなっている杉原さんがさまざまな質問を投げかけました。

杉原永純
映画に興味を持ったのはいつ頃ですか?

剛さんと関わるようになったのは、僕がオーディトリウム渋谷という映画館で働いていた2011年頃ですよね。その前に僕は、2010年の東京フィルメックスでプレミア上映された「堀川中立売」も拝見していて、メチャクチャな映画を撮る人だなという印象を持っていました。まずは、剛さんが映画を撮るようになるまでの話を聞かせて下さい。

柴田:僕は東京生まれ神奈川育ちで、大学で大阪に行ったので、小さい頃から関東と関西を行き来しているんだけど、映画をやりたいというのは子どもの頃からあった。ただ、家には映画をするのはよくないという考えがあってさ。なぜかと思ってたどってみると、親戚にあたる人が70~80年代に映画監督をしていて、それがきっかけなのかわからないけど、映画に対する何かモヤモヤしたような感じというのが親戚一同にあったんだよね。だから、僕が8mmカメラを持ち始めた頃からなんか空気がギクシャクし始めて、高校1年の頃にいよいよ映画をやりたいと言うと、家族、親戚が不穏なムードになり、映画だけはやめろと言われた。

その時は反発しなかったんですか?

柴田:いや、反発したからいまこういう仕事をしているわけだけど、なんで映画がダメなのかという明確な理由は教えてくれないんだよ。映画に対して何か抱えているということはわかるんだけど、もうこっちは走り出しちゃってたからね。それで東京を離れることにして、浪人して大阪芸大に入ったんだけど、半ば追い出されるような感じだった。その頃に祖母から言われた「映画を撮るのはいいけど、映画のような人生は歩むなよ」という言葉だけがいまも自分の中に残っている。大阪芸大では、同期に映画監督の山下敦弘や脚本家の向井康介をはじめ色々なヤツらがいて刺激を受けたんだけど、映画をやりたくて集まっている連中の中で、映画というものにバイアスがかかった状態で来ていた自分は、どこか遠慮しているところがあったと思う。それで、バンド活動などもするようになったんだよね。

その頃はどんな音楽に影響を受けていたんですか?

柴田:ボアダムスだね。僕が中学生くらいまでは原宿にまだホコ天があって、ただで見られるから神奈川の実家からよく通っていたんだけど、そのうちにもっと変わった音楽や面白い表現を見たいと思うようになったんだよね。バンドは、精力的にスタジオで練習するような感じでもなかったんだけど、ベースとして4、5バンドくらいに参加していたから、それなりにライブをしなきゃいけなくて。そういうことを2年くらいやっていたんだけど、3回生でいよいよ進路も決めないといけないという頃になって、やっぱり映画に戻ったという感じだったね。

杉原永純
「映画」というジャンルを意識しますか?

卒業制作で「NN-891102」を撮影してから、長編2作目となる「おそいひと」が公開されるまでの間に5年くらいあったと思うのですが、その頃は何をしていたんですか?

柴田:「おそいひと」を撮るまでの間はずっと大阪に住んでいて、映写技師をしながら、編集のバイトや結婚式のビデオ撮影などをしていたよ。その頃に、ヘルパーをやっている先輩から、「おそいひと」に出演する住田(雅清)さんを紹介してもらったんだよね。もともと住田さんが映画をつくりたいと言っていたことがきっかけで、障害者が主人公のフィクション映画を自主制作で撮ることになった。その当時は、大学時代の仲間もみんな23歳くらいで仕事を始めていたから、なかなかスタッフが集まらなくてね。最初は僕と撮影の高倉雅昭くんのふたりでスタートしたんだよ。クランクインにたどり着くことすら疑わしかったけど、最終的にはなんとかなって、4年がかりで完成した。

映画祭に出たのはこの作品が最初でしたか?

柴田:いや、卒業の年がちょうど大阪とロッテルダムの交流400周年だったんだけど、そういう枠の中でロッテルダム映画祭で卒業制作が上映されたんだよ。その時に、メディアアーティストのエキソニモと知り合って、打ち解けたんだよね。その後も、スペインの「Sonar」という面白いミュージシャンが集っている音楽フェスで作品が上映されたり、一般的な映画祭とはちょっと毛並みが違うお祭りに呼ばれることが多いんだよね。それはそれで面白いんだけど、あくまでもこっちは映画だよと言い張りたいところもあって。でも同時に、どこか映画じゃないものをつくりたいという思いもあるんだよね。

剛さんの立ち位置というのは、映画界の中ではかなり異質ですよね。アートに色気があるという言い方が良いのかわかりませんが、そうした傾向の人たちは、映画業界の中でつまはじきにされがちなところがあるように感じています。ただ、そんなポジションの人だからこそ、YCAMに呼んだら面白いんじゃないかという思いがありました。

柴田:以前に愛知芸術文化センターに声をかけてもらい、「ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-」を撮った時も、既存のジャンルの中で、しっかりとタグ付けがされた万人を楽しませるような映画ではなく、すべてをひっくり返してしまうようなものが期待されていたようで、何をしでかすかわからない人ということで僕に声をかけてくれんたみたいなんだよね。そういうものを求めらていた分、凄いプレッシャーを感じた(笑)。YCAMにはすでに2回行ったけど、スタッフたちが色々なことをしているのを見ているのはとても楽しい。そういうものを見ていると、一層引き締まって、こっちは映画をつくろうという気になれる。不思議なもので、映画の中にいると脱線したがるし、どんどん新しいものにモデルチェンジしていくようなアートやテクノロジーの世界を見ていると、ちゃんと映画と向きあおうと思うんだよ。きっとあまのじゃくなんだろうね。

「ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-」

杉原永純
表現に「型」は必要ですか?

僕は以前に映画の撮影コーディネートをしていたのですが、2011年に突然オーディトリウム渋谷というミニシアターでブッキングの仕事をするようになりました。そこでは、いわゆるメジャー映画とは異なる個性を持ち、鑑賞後にモヤっとしたような印象が残る類の映画、剛さんの言葉を借りるなら「タグ付け」がされた作品の中から、ひとつずつ上映するものを選んでいくんですね。その中で、「ギ・あいうえおス」を上映する機会もあったのですが、剛さんは、東京などのミニシアターという枠組みの中では評価しづらいものをずっと撮り続けてきているように感じます。

柴田:映画に対する遊び方、楽しみ方というのは、それぞれにあるんだろうと思う。以前に映画業界の人から、「剛くん、型破りってどういう意味かわかってる?」と聞かれたことがあったのね。昔から僕は喧嘩を売られやすいタイプなんだけど(笑)、その人いわく、型があるからこそ型破りというものが成立するわけで、君にはそもそも型がない。自由過ぎるし、片手落ちだよ、と。そこでひとつわかったのは、この人はちゃんと自分のルールや型にはめた上で、物事を認識したいんだということ。タグや既視感というものは、多くの人たちに作品を楽しんでもらったり、理解してもらうために必要なことはわかるけど、その枠がとても狭いなと感じることがある。

ルールを壊すということはこれまでも色んな人たちがしてきていますが、ルール自体をひっくり返して考えてみたり、まっさらなところからルールをひとつずつつくっていくということをしている映画監督は、そんなに多くないように感じます。そもそも映画というのはスタッフワークなので、共通認識を持つためには雛形が必要ということもある。映画の制作や上映に関われば関わるほどそういうことを強く感じるし、僕がYCAMに来たことも、剛さんを呼んだこともすべてそこにつながっていくんです。既存の枠組みをひっくり返していかないと、映画はいつ足元をすくわれてもおかしくないなと。

柴田:そうだよね。最初の話に戻るけど、映画をつくりたいのにやるなと家族、親戚に言われたことは、僕にとって理不尽極まりないことで、それがずっとつきまとっているところがあって。自分も既視感のある映画や、タグ付けされた映画に影響を受けているけど、映画が好きな自分と少し距離を置くスタンスというものが完成されているから、自分にとって映画はこうであるということを強く設定する感覚がないんだよね。でも、自分が映したいもの、伝えたいことというものはあって、そこにブレずに向き合おうとすればするほど、大変なカロリーを要するんだよね。

『ギ・あいうえおス -他山の石を以て玉を磨くべし-』(仮題)に向けたロケハン

仮に自由に映画を製作できると言っても、商業映画の場合ではある種の枠はすでに決まっていて、ホラー映画やアクション映画といったタグ付けがされている中で遊びましょうというケースがほとんどですが、剛さんからはもっと異質なものを取り込もうとする姿勢を感じます。「堀川中立売」にしても、京都を舞台に、歴史から妖怪までが取り上げられるある種とっ散らかった映画で、型とは無縁のような作品ですが、それでもいいんだと感じる人がひとりでもいれば、それで成功なのかなという気はします。

柴田:そもそも型というものがどうやってできたのかということを考えてみると、人前で何かを演じたいとか、音を奏でたいとか、作ったものを評価されたい、使ってもらいたいという人たちがまずはじめにいて、それを周囲の友人たちがサポートしていくような互助関係、信頼関係から生まれていったものだと思う。でも、それがどこかで逆さまになって、いまは自由に表現するということが本当に骨を折る作業になっているような気がするんだよね。

杉原永純
新作の制作状況はどうですか?

映画をつくる時というのはまず企画があり、脚本を書いて出資を募り、スタッフ、キャストを集めて撮影に入るという流れが一般的ですが、映像制作の環境が激変する中で、YCAMが映画をつくるとしたらどんな体制ができるのかという映画製作の根っこの部分を、柴田さんと模索したいと考えています。撮影に入るのはまだこれからですが、もう作品のタイトルも決まっているんですよね。

柴田:「ギ・あいうえおス -他山の石を以て玉を磨くべし-」というタイトルで、これは東京で通っていた中高一貫の男子校の校訓をもじったんだよね。切磋琢磨して己の玉を磨いていこうという意味です。最初に杉原さんから、「ギ・あいうえおス」のパート2をつくらないかと言われた時に、ずっと興味を持っているUFOをやりたいと即答したよね(笑)。そういうテーマが根っこにあるんだけど、YCAMのある山口には、山頂に巨石がある山というのがたくさんあるということを聞いていて興味を持っていたら、ちょうどYCAMの別のプロジェクトで石のことを調べていたんだよね。

『ギ・あいうえおス -他山の石を以て玉を磨くべし-』(仮題)に向けたロケハン

ムン・キョンウォンさんという韓国人のアーティストによる「プロミス・パーク・プロジェクト」でリサーチを継続していたので、ちょうど巡り合わせが良かったんです。それで色々情報を提供してもらい、それをもとに柴田さんとロケハンをしていく中で色々なものが見つかりましたよね。これはおそらくYCAM以外ではなかなかできないことなんじゃないかなと。

柴田:本当に色んなことが上手く噛み合ったよね。最初の段階でメールやFacetimeでやりとりをしていて、こういう場所をロケハンしたいという話をしたら、1週間後にGoogle Mapにマッピングされた資料が送られてきて、ロケハンのためにわざわざここまでやってくれたのかと思った(笑)。先日の2回目の滞在では10日間くらい山口にいたけど、そこでも色んなことが起きたよね。UFOを呼べるという人たちにもたくさんあったし(笑)。

「プロミス・パーク・プロジェクト」のリサーチを数年がかりでしていることなどもそうですが、YCAMでは 東京にいた頃とは違うペースでプロジェクトが進められます。東京では、最初の2週間で準備をして、次の2週間で撮影、最後の2週間で仕上げて納品という流れも多い。その中で、今回のような機会というのはある意味怖さもあるけど、非常に楽しみですね。

柴田:今回ももともとは1年くらい滞在するようなイメージでいたんだよね。こういう機会をつくってくれて、杉原さんには本当に感謝しているよ。プロットはだいぶ頭の中で固まってきているので、良いものをつくりましょう。