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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

「PAPERSKY」編集長・ルーカスB.B.さんが、
仙遊寺副住職・小山田弘憲さんに聞く、
「四国で育まれてきた独自の文化」

地上で読む機内誌「PAPERSKY」の編集長ルーカスB.Bさんと、インタビューサイト「カンバセーションズ」がコラボレートし、トヨタのプラグインハイブリッドカー「プリウスPHV」に乗って、四国・お遍路の道をたどる特別企画「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」。「カンバセーションズ」では、その道中で出会ったさまざまな方々のインタビューを紹介していきます。最後の更新となる今回は、旅の後半でお世話になった宿坊を持つ愛媛県今治市にある第58番札所・仙遊寺の副住職、小山田弘憲さんのインタビュー。意外な経緯で仏の道に入ることになった小山田さんに、さまざまなお話を伺いました。
※「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」の旅の記録は、PAPERSKYのWebサイトでご覧になれます。

ルーカスB.B.
なぜお寺に入ったのですか?

仙遊寺の副住職になったのはいつからですか?

小山田:9年前です。それまで私は東京のIT企業で働いていたのですが、当時お付き合いしていた方から、実家に遊びに来ないかと言われたんですね。はじめは松山だと聞いていたんですが、今治駅で電車を降りると、いまはもう亡くなってしまった義母が、「よく来てくれた」ととても喜ぶんです。今治駅からさらに車で山の中に入っていって、どこに連れて行かれるのかと思ったら、このお寺に着き、その時にそういえば実家がお寺だと言っていたなと思い出しました(笑)。家に入ると彼女の父親がえらく歓待してくれて、「いつ来てくれるんだ?」と。最初は、そんなつもりはないと断っていたのですが、最終的には務めていた会社を退職し、妻と婚約だけして、高野山に1年間修行に行くことになりました。

高野山での修行はいかがでしたか?

小山田:やはり厳しかったですね。外部との連絡が一切取れない環境で、日中正座して拝み続けるような生活でした。高野山は標高1000m程の場所にあるので、冬場になると氷点下十数度まで冷え込むんですね。一番大変だったのはトイレで、一度拝み始めてからお手洗いに立ってしまうと、また一からやり直しになるんです。また、歩く時に下駄の音を鳴らしてはいけなかったり、食事中も当然私語厳禁で、たくあんを噛む音すらダメなんです。しかたなく、たくあんを飲み込んだりするわけですが(笑)、それよりも大切なことは音を鳴らさないようにしようとする気持ちなんですね。仏教の教えで一番重い戒律は「不殺生」といって生命を殺めることですが、うちの宿坊の精進料理に使っている米や野菜も、厳密に言えば生命ですよね。また、「不偸盗」といってものを盗んではならないという戒律もありますが、私には家内がいて、厳密には彼女の気持ちを盗んでいると言える。…いまはどうかわかりませんが(笑)。仏教には多くの戒律がありますが、厳密にすべてを守ることは不可能です。でも、大切なことは、それを守ろうと努力することや、破ってしまうことを申し訳なく感じる意識なのだと思います。

Photo: Koichi Takagi

東京で働いていた頃とはまったく違う環境で修行を積むことになって、途中でやめたいとは思いませんでしたか?

小山田:自分で行くといった手前、逃げて帰るのは嫌でしたし、一緒に修行した仲間がいたからこそやり通せたところはあったと思います。修行では、ひとりが何かをしてしまうと全員で責任を取らされるのですが、それでも自分だけではやり切れなかったと思うし、精神的にも追い詰められていくなかで、仲間たちとともになんとか1年間乗り切りました。ただ、やはり何年もできるものではなく、1年間で良かったなと思います(笑)。

ルーカスB.B.
信仰心はどこから来るのですか?

高野山から戻ってきてからすぐに副住職になったのですか?

小山田:そうですね。この世界では、60歳を超えてようやく小僧を終えると言われたりもするのですが、一応1年間の修行を終えると、必要なことはひと通り覚えられます。ただ、副住職と言うと、副社長のようなイメージをされる方も多いと思いますが、全然そんなことはありません。高野山のような大きなお寺ではお坊さんが何人もいますが、うちのように一家庭でやっているところでは、お坊さんはふたりもいれば間に合うので、副住職と言っても、どちらかというと”服従”職と言ったイメージに近く(笑)、書類仕事から宿坊の世話まで何でもやっています。

お寺に入る前から、仏教や宗教などには興味はあったのですか?

小山田:もともと私は、お寺と神社の違いもよくわからないくらいの人間でした。高野山で修行を始めた頃は、信徒さんや檀家さんにお話をするにあたって、自分が信じられていないものを話すことはできないとよく言われました。ただ、修行を続けていて感じたことは、信仰心があるから拝むのではなく、拝んでいるから信仰心が生まれてくるということでした。言葉は悪いですが、たとえ最初は嫌々だったとしても、1年間手を合わせてお経を唱えていると、その過程で信仰心というものは生まれてきます。

Photo: Koichi Takagi

お遍路さんたちにもそういう人は多いかもしれないですね。

小山田:そうですね。若い遍路さんは人生に区切りをつけたいとか、自分探しをしたいと言って来る人がほとんどで、それはそれでいいと思います。たとえ最初は遊びで来たとしても、四国を周っている間に、立派なお寺があるなとか、ちょっと般若心経でも唱えてみようかなと思ってもらえるかもしれない。要は入口は何でもいいんです。巡礼路には88のお寺がありますが、お遍路というのはそれらをお参りすることだけではなく、その道中こそが意義深いんですね。行く先々での出会いや、厳しい山道を一生懸命歩くことで得られるものがあると思うんです。

ルーカスB.B.
お接待の原点は何ですか?

副住職自身もお遍路を周ったことはあるんですか?

小山田:あります。私がお遍路に出る前に、住職が手を前に出したんです。最初は、握手かなと思ったのですがそうではなく、財布を渡せと。お大師さんはお経を読んでお賽銭を頂いて周っていたのだから、お前もそれをしなさいと言うんです。それで仕方なくトボトボ歩き始めたんですが、小さな商店の前を通った時に、そこから出てきた地元のおばちゃんが、お接待と言って袋を渡してくれたんですね。中には、サンドイッチとプリンとおまんじゅうと牛乳が2つずつ入っていて、最初はお大師さんとどうぞという意味だと思ったんです。でも、よく考えると、たまたま道端で僕を見かけたおばちゃんが渡してくれたわけで、もしかすると最初はそれを旦那さんと一緒に食べようと思っていたんじゃないかと。その後も色々な人たちがお接待をしてくれて、無事に巡礼を終えたのですが、それからしばらく「何で四国の人たちはこんなに親切にしてくれるんだろう」と考えていたんです。

四国の人たちにとって、お接待というのはどういうものだと思いますか?

小山田:お接待には、お大師さんにお供えをするという宗教的な意味合いもありますが、それ以上に相手のことを思いやるということが大きいのだと思います。海に囲まれている四国というのは、かつては流刑地でもあったし、商業的にも遅れていた土地で、厳しい環境下で汗水流して一生懸命生きてきた人たちが多いんですね。だからこそ、寒い冬や暑い夏の中で歩いているお遍路さんの辛さもよくわかるんです。相手のことを気にかけてあげる人が四国にはとても多いですし、相手の厳しさ、辛さに共感するということがお接待の原点なのだと思います。私たちとしても、宿坊をはじめお寺としてお接待できることはなんでもしていこうと考えています。

Photo: Koichi Takagi

頂いた精進料理もとても美味しかったです。

小山田:本当のところを言うと、宿坊の料金はもう少し上げたいところなのですが、お遍路さんのことを考えるとそれはできないし、そういうこともお接待のひとつなのかもしれません。また、うちは通夜堂といって、雨風をしのいで野宿ができる場所も残していて、宿坊に泊まるお客さんの後にシャワーなども浴びさせてあげています。ただ、最近は、お接待のことをサービスと勘違いしてしまう方も多くなっています。先ほどお話ししたように、お接待というのは厳しい行をしている人たちに共感する思いやりの気持ちが原点なのに、それを街頭で配っているティッシュをもらうような感じで、サービスとして受け取ってしまうと、四国の人たちの気持ちが通じにくくなってしまうんじゃないかと感じています。

ルーカスB.B.
これからお寺はどうなりますか?

仙遊寺では若い方も働かれているようですね。

小山田:いまうちで働いている若い者は、もともとお遍路さんをやっていた子たちです。うちには、元暴走族で耳に大きなピアスの穴を開けた子なんかが、修行させてくださいと言ってくることもあって、そういう人たちも受け入れています。そこからうまく自分の進みたい道に行ける子もいれば、うまくいかない子もいるんですが、お遍路と同じように、人生の中でお寺にとどまって自分を見つめ直すことも大切な修行だと思うので、一緒にお経を読んだり、掃除や畑仕事などをしたりしています。

跡継ぎに困っているお寺も多そうですし、若い人たちの宗教に対する意識も低下しているように思いますが、今後お寺はどうなっていくと思いますか?

小山田:東日本大震災の時もそうでしたが、何か人間離れした出来事が起こると、どんなに若い人たちでも手を合わせてお祈りをするんですよね。どんな宗教でも、人間というのはちっぽけな存在なんだと感じるところから始まるものだし、それは普遍的に続いていくものだと思っているので、あまり心配はしていません。むしろしっかりしないといけないのはお寺の方だと思います。いま日本には、約7万8000件のお寺があると言われていて、これはコンビニの5万件よりも多く、ラーメン屋さんの8万件よりやや少ない程度です。それだけの数のお寺があるわけですが、檀家さんに対してお葬式や法事だけをやっていれば生活は安泰という姿勢のお寺も少なくありません。もちろん人間の死を司るというのは宗教施設として最も大切なことなのですが、もっと幅広く活動していくことが大切だと思っています。

仙遊寺さんは、四国遍路の世界遺産登録に向けても積極的に動かれているようですが、自分たちから何かを発信していきたいという意識が強いのですか?

小山田:世界遺産の話は、私たちがやっていることのほんの一部ですが、信仰の場というイメージばかりが先行するなかで、それだけがお寺じゃないんだということを色々な形で見せていきたいと思っています。例えば、除夜の鐘や正月三ヶ日の行事だったり、うちであればお遍路さんのお接待だったり、お寺には法事以外にもたくさん役割があります。かつてお寺は教育の場であり、地域の中核になる文化的な施設でもあったんですね。例えば仙遊寺では、ここで住職と一緒に空手の教室を開いていたり、消防団の訓練をしたり、病院や福祉施設に行って患者さんらの話相手などもボランティアでやっています。お寺は拝むための場所だけじゃないということは積極的に伝えていきたいし、うちはお遍路のお寺でもあるので、相手を思いやるということが長い間信仰と結びついてきた数少ない場所である四国の文化も大切にしていきたいですね。

Photo: Koichi Takagi