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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

「PAPERSKY」編集長・ルーカスB.B.さんが、
NPO法人砂浜美術館 事務局長・山本あやみさんに聞く、
「砂浜美術館が果たしてきた役割」

地上で読む機内誌「PAPERSKY」の編集長ルーカスB.Bさんと、インタビューサイト「カンバセーションズ」がコラボレートし、トヨタのプラグインハイブリッドカー「プリウスPHV」に乗って、四国・お遍路の道をたどる特別企画「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」。「カンバセーションズ」では、その道中で出会ったさまざまな方々のインタビューを紹介していきます。今回は、愛媛県から高知県黒潮町に移り住み、NPO砂浜美術館の事務局長として働く山本あやみさんが登場。「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」というユニークなコンセプトを掲げ、年間通じてさまざまな展示や体験プログラムを実施している美術館の取り組みについて伺いました。
※「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」の旅の記録は、PAPERSKYのWebサイトでご覧になれます。

ルーカスB.B.
どうして砂浜美術館は生まれたのですか?

砂浜美術館はいつからあるのですか?

山本:1989年にスタートしているので、今年で25年になります。2003年には、それまでの任意団体という形からNPO法人に切り替わり、同じく観光を軸に活動していた大方町遊漁船主会、大方町公園管理協会、大方町観光協会と一緒にまとまり、活動の幅が広がりました。

砂浜美術館自体はどんなきっかけで生まれたのですか?

山本:もともとは、当時の大方町(現黒潮町)役場の職員が、高知のデザイナーの梅原真さんとお話をするなかで生まれた「Tシャツアート展」がきっかけです。この企画は、梅原さんのお知り合いの写真家・北出博基さんによる「自分の撮影した写真をTシャツにプリントして砂浜で展示したい」という考えがもとになっていて、それをこの町の砂浜でやろうということになりました。当時はまだバブルの時代で、莫大な資金をかけてリゾートホテルなどを建てる観光施策なども多かったのですが、当時の大方町の町長はいまあるものを大事にしていきたいという方針を持っていたこともあり、梅原さんを中心に、砂浜美術館のコンセプトを固めていくことになりました。

Photo: Koichi Takagi

凄く良いコンセプトですよね。他に同じような試みをしている自治体はあるんですか?

山本:あまり聞かないですね。それもあってか、海外からもたくさんの方たちがここに来てくださっていますし、他の市町村の方が研修でいらっしゃることや、逆にワークショップのためにお呼び頂くこともあります。また、毎年5月頃に5、6日ほどの期間で開催をしている「Tシャツアート展」にしても、現在では私たちのコンセプトに共感して頂いた方たちと提携する形で他の市町村で開催するケースもあるなど、広がりを見せています。

ルーカスB.B.
どんな作品や企画がありますか?

「Tシャツアート展」以外では、どんな企画が開催されているのですか?

山本:砂浜の手前には松林があるのですが、11月頃になると、ここでパッチワークキルトの展示を行っています。この時期には松林のすぐそばでらっきょうの花を見て楽しんで頂けるようにもなっています。また、海岸に流れ着く漂流物で作品をつくる「ビーチコーミング」や、沖でのホエールウォッチングなどの体験プログラムも行っています。

「潮風のキルト展」

漂流物はどこから流れてくるのですか?

山本:潮の流れ次第ですが、台湾や中国、アメリカなどさまざまな場所から流れてきます。砂浜美術館の事務局がある「道の駅ビオスおおがた情報館」には、フランスから流れ着いたであろう古い双眼鏡や、江戸時代のものと思われるかんざしなど、もともとこの場所にあったものではない貴重な漂流物や、大量に流れ着くライターを使った地元の高校生たちの作品などを展示しています。この浜に流れ着いたさまざまな漂流物を見ながら、それがどこから来たのかということなど、色々想像を膨らませてもらえればと思っています。

ミュージアムショップで販売している商品もすべて自分たちで企画しているんですか?

山本:黒潮町の事業者さんの商品や作品などは委託販売になりますが、Tシャツやてぬぐい、おおがたはがきなど、砂浜美術館のオリジナルグッズは自分たちで企画しています。このおおがたはがきは初期の頃からの人気商品で、かつての町名だった「大方(おおがた)」にちなんでいます。もちろん実際に郵便局からも送れるのですが、「折曲厳禁」と書いておかないと、普通に折り曲げられて郵便受けに入れられてしまうので、注意が必要です(笑)。

ルーカスB.B.
なぜ黒潮町に移住したのですか?

黒潮町に移住する人は結構いるんですか?

山本:そういう方も増えてきていますね。町が1年間住宅を安く提供する制度などがあり、サーファーの方なども多く移住してきています。実は、私自身も愛媛県の出身で、ここから車で1時間くらいのところに実家があるのですが、学生の時にボランティアでこの町に来たことがあったり、それ以前からも遠足などでよく遊びに来ていて好きな場所だったんです。そこで、砂浜美術館がNPO法人になり、スタッフを新たに入れるというタイミングでこちらに移り住み、現在の仕事を始めるようになりました。

スタッフの方は何人くらいいるんですか?

山本:現在は16人になります。もともとは1人でスタートしたのですが、それが2人、3人と増えていき、いつのまにかこのような規模になりました。現在は理事長も含めスタッフのほとんどが30代なので、色んなことを積極的にやっていきたいという意識が強く、みんなで様々な企画を出し合いながら、検討していくような形が取れています。

20年以上続いているというのは凄いことですよね。

山本:そうですね。砂浜美術館の立ち上げメンバーはもうすぐ60歳前後で定年を迎える世代になっています。私たちは後から入った立場ですし、先輩たちがいたからこそ続いてきているものだと思いますが、これから先も10年、20年と続けていくことを見据え、経験の少なさを若さでカバーしながら、時には先輩の助けもお借りし、柔軟に活動していければと考えています。

ルーカスB.B.
今後はどんなことをしたいですか?

砂浜美術館として、今後どんなことをしていきたいと考えていますか?

山本:「砂浜美術館」と言っても、地元の人たちにとって浜というのは当たり前にあるものですし、わざわざ何かを見に来るような場所だとは思っていない方も結構多いんですね。でも、私たちとしては、地元の方たちにももっと来て頂きたいと思っていて、例えば、2012年の「第24回Tシャツアート展」では、町内のみなさんそれぞれに、自分たちの住んでいる地区の良い所を写真に収めて、自慢して頂くという企画を立てたりもしました。また、「Tシャツアート展」に限らず、町の良いところをどんどん宣伝していくということが自分たちの活動の軸でもあるので、山の中でつくる山菜の田舎寿司などの体験プログラムも積極的に企画し、地域の方に持ちかけたりもしています。

町の外から来る観光客だけではなく、町の中の人たちとの関係性も大切にしていきたいということですね。

山本:そうですね。町の内外それぞれに対して、ここが良いところだという認識を深めてもらえるような活動をしていきたいですね。黒潮町でも少子高齢化が進んでいるので、町の外から人が来てくれないと厳しい部分もありますし、町の人たちと一緒に、黒潮町の魅力をもっと広げていけたらいいなと思っています。

シーサイドはだしマラソン

今後街を活性化させていく上でも、砂浜美術館の役割はより大きくなっていきそうですね。

山本:砂浜美術館もすでに20年以上続けていて、対外的にはある程度知名度も上がってきていると思うので、今後はそれを活かして町に貢献していく動きというものが非常に期待されています。砂浜美術館を通して、町の中のさまざまなものを宣伝し、人を呼び込んでいくことで、町の人たちが実質的に潤っていくということが今後は必要だと思っています。最近は、全国の色々な町ががんばっていますよね。そのなかで、アクセス的に決して有利とは言えない高知県という場所で、それを補って余りあるくらいの見せ方をしていければと考えています。

Photo: Koichi Takagi