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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

「な夕書」店主・藤井佳之さんが、
建築家/「仏生山温泉」番台・岡 昇平さんに聞く、
「温泉の運営から考えるまちの幸福論」

高松でのインタビュアーを務めてくれるのは、高松市街で完全予約制の古書店「な夕書」を営む藤井佳之さん。その藤井さんがインタビュー相手として挙げてくれたのは、高松・仏生山温泉の番台を務め、さらに仏生山の街全体をひとつの旅館に見立てる「まちぐるみ旅館」計画なども進めている建築家の岡昇平さんです。それぞれ東京の出版社、建築事務所で働いた経験を活かし、その後高松に自らの拠点を持ちながら、独自の活動を続けているおふたりが、岡さん設計の仏生山温泉の素敵な休憩室で語り合ってくれました。

藤井佳之
なぜ温泉を始めたのですか?

いきなりベタな質問から入りますが、岡さんはなぜ仏生山温泉を始めたのですか?

岡:もともとは父親が温泉を掘ったのがきっかけです。僕の家は代々飲食店のようなことを家族経営でやっていて僕は4代目になるのですが、父親は昔からずっと温泉をやりたいと言っていたんですね。ただ、もともと温泉が湧いていた場所ではないし、温泉を掘るのにもお金がかかるので、家族はみんな無理だと高を括っていたんですね。ところが15年くらい前に金沢大学の調査チームが日本全国の重力検査をした際に、仏生山近辺に大きな穴があることがわかったんです。それが一時期話題になった高松クレーターと言われるものなんですが、その後もしかしたら温泉が出るかもしれないという噂が立ったんです。それで父親が温泉を掘り始めたのがいまから11年前くらいですね。

温泉が確実に出るかはわからないまま掘ったんですか?

岡:そうです。だからもしかしたら出ない可能性もあったし、当時は家族全員反対で大げんかになったくらいです(笑)。父が温泉を掘っている頃、僕は東京で仕事をしていたのですが、たまに母親から電話がかかってきて、父親をどうにかしてくれと言われたりして(笑)。僕も絶対に温泉なんか出ないと思っていたし、みんなでどうにかしてやめてもらおうと色んなカードを出したのですが、父親はあきらめようとしませんでした。

当時岡さんは東京の建築事務所「みかんぐみ」で働いていたんですよね。その後どういう経緯で高松に戻ってくることになったのですか?

岡:建築事務所というのは早ければ3年くらい務めて独立をする人もいるんですね。ちょうど父親が温泉を掘った年というのが、僕が「みかんぐみ」に入って3年目だったんですが、以前から3年間働いたら高松に帰って設計の仕事をしようと考えていたんです。その計画通りに戻ってきたら、温泉が掘り上がっていたんです。

独立後最初の設計の仕事がこの仏生山温泉になったんですね。当時から温泉の運営も岡さんがされる予定だったんですか?

岡:そうですね。仏生山温泉のすぐそばに、もともと経営していた宴会場があるのですが、そちらは引き続き父親が見て、僕は温泉を担当することになったんです。当初から高松に帰ってきたら設計の仕事をしながら、家業も継ぐ予定だったのですが、それがたまたま温泉になっていたんです(笑)。

藤井佳之
人気の秘密は何ですか?

人気の秘密は何ですか?

岡:どうなんでしょうね。でも、高松にある一般的なスーパー銭湯や日帰り入浴施設などに比べると、お客さんの数は少ないと思いますよ。単純に売上や利益のことだけを考えたら、スーパー銭湯のようなやり方がいいと思うんですけど、ここの場合は、そういうマスマーケティング的なアプローチではないんです。例えば、ジェット噴射で泡が出るとか、歩行湯や寝湯などのバリエーションがたくさんあった方が世間受けはいいと思うんです。高松にあるほとんどの入浴施設はそういうやり方で作られていますが、仏生山温泉は僕の好みでつくっているところがある。だから、その好みに合う人は凄く好きになってくれるけど、そうじゃない人もかなりいるとは思います。

仏生山温泉は岡さんがご自身で設計をされているわけですが、その好みの部分というのはどういうところなんですか?

岡:色々あるんですけど、例えば温泉には、かけ流し式と循環式というふたつがあるんですね。かけ流しというのは、文字通り流れていくお湯をそのまま捨ててしまうんです。一方で循環式というのは、排水されたお湯をろ過して循環させるのですが、香川県のほとんどの入浴施設はこの循環式で、すべての浴槽をかけ流しにしているのはここだけなんです。かけ流しは湯量が豊富じゃないとできないし、経費も余計にかかってしまうのですが、温泉の本来あるべき姿はかけ流しだと思うので、ここではそうしているんです。

例えば、古本屋というのは、東京の神保町や大阪のかっぱ横丁などに行けば、老舗のお店などがたくさんあって、そういうところの品揃えや値付けなどを僕は見に行ったりするんですね。ただ、僕の場合は家業が古本屋だったわけでもないので、そういう昔ながらの古本屋という感じではなく、どちらかと言えば20代30代の人たちが新しく始められる古本屋に近いことをやっていると思うんです。岡さんは温泉を始める前に、昔からある温泉などを参考にしたりしましたか? 仏生山温泉のようなデザイナーズ温泉と言えるようなところというのはあまりないですよね。

岡:温泉を作る前に全国各地の温泉を見に行ったりはしましたよ。ただ、具体的に参考にした温泉というのはないですね。最近はオシャレな温泉も増えてきていると思うし、そういうデザインや形という目に見える部分はわかりやすいところですが、仏生山温泉を評価してくださっている方たちが気に入ってくれているのはそういう部分ではないのかなと思っています。例えば、仏生山温泉では、200円で古本の文庫本を販売し、温泉の中で読めるようにしているんですね。お風呂屋さんというのは、回転率をなるべく高めるというのが普通の考え方なので、温泉の中で本を読んでもらうというのは、その流れに逆行することなんですが、そういう他には居心地のような部分を気に入ってくださっているんじゃないかなと思っています。

仏生山文庫

仏生山温泉では、「夕方おんせんマーケット」などのイベントもされていますが、これらもお客さんを増やして売上を上げていくための試みではないのですか?

岡:基本的に、あまり売上を上げようとは思っていないんですよ。年々お客さんは増えているんですが、儲けるということは重要視していないんです。それよりもこの仏生山温泉が最適な状態、気持ちが良い状態にあるように心がけています。

夕方おんせんマーケット

藤井佳之
目立つことは嫌いですか?

岡さんは建築の仕事もされていますが、ベースはいまも建築の方にあるのですか?

岡:ベースというのはものづくりにあるんですよ。もともとものをつくることが好きで、たまたまちゃんと学んだのが建築だったんですね。でも、建築のスキルというのは表面的な技術で、ものづくりにおけるほんの一部でしかないんです。少しやり方を変えるだけで色んなものができていくわけで、建築に限らず色々なものをつくるということをやっているんです。だから、僕が取り組んでいる「まちぐるみ旅館」や「ことでんおんせん」なども全部ものづくりの一貫なんです。

例えば仏生山温泉を設計するというのは「ものづくり」だと思うんですけど、温泉ができた後というのはどちらかというと「場づくり」に近いような気がするし、実際にメディアなどの取り上げ方もそういうものが多いですよね。例えば、僕がやっている「な夕書」も紹介をされる時も「人と人が出会う場所」というような場づくり的な観点で捉えられることがあるんです。でも、自分の中では「な夕書」はあくまでも本を売るところであって、場づくりをしているつもりはないし、そこにはあまり興味がないんです。仏生山温泉の場合は、温泉で本が読める「場」や、人がリラックスできる「場」をつくるという側面も強いですよね。

岡:そもそも建築というのはつくってしまった後には場所ができるので、広い意味では場づくりだと思うんです。でも、藤井さんがいま話されているのは、「交流のための交流の場」ということですよね。それには僕も違和感があるし、そういう場所にはろくなものがないと思うんです。まずは本屋として機能していることが大事で、その結果交流の場所にもなっているのであれば、それは健康的ですよね。僕自身交流の場をつくることを目的にはしていないし、たまたまそうなっていればいいなという感覚ですね。

仏生山温泉

少し話が変わりますが、僕は古本屋「な夕書」の店主をやっていて、「な夕書」の売上がその月の自分の収入のどのくらいの割合を占めるかは月によって変わるんですが、どんな場合でも「古本屋の店主」であることを前提にしているところがあるんですね。僕みたいなフリーで企画や編集、ライティングをしている人間が、これから10年後20年後とずっとフリーで「何でもできますよ」というスタンスで通用するほど甘くはないと思うんです。だから、「古本屋の店主だけど、こういう記事も書いたりします」というアプローチで働いているんです。岡さんは、仏生山温泉の番台であり、建築の仕事もされていますが、そういう部分を意識することはありますか?

岡:周りからどういう風に見られるかというところはあまり気にしないんですよ。もともとメディアなどに出たいという欲求もないし、仏生山温泉ではそういうプロモーションは一切していないんですが、それはここが温泉だからというのが大きいと思います。例えば、僕が「な夕書」をやっていたとしたらメディアに出てプロモーションをしていたかもしれない。要はその場所が社会的にどうありたいかということなんですね。僕は、温泉というのは、100年くらい続いた方がいいと思っているんです。だから流行らせる必要はないし、年に1%程度ずつ成長していればいい。それが温泉の社会的役割だと思っているし、その場所がどういう状況の時に最も素敵で楽しく最適化された状態になれるのか、そこを目指していきたいというのがありますね。もちろん、パーソナルな性格の部分もあるとは思いますが。

それも大きいですよね。僕は基本目立つのが好きですから(笑)。一見目立つのが嫌いなように振る舞いつつ、「ブルータス」とかで紹介されたりしたら、「いやぁ断れなくて」と渋い顔をしながら、ニヤニヤ掲載誌を立ち読みしているようなタイプなんです(笑)。

岡:でもそれは大切なことですよね。メディアに出ること自体は、社会に必要とされている状態のひとつのあり方だと思うので、喜ばしいことですよね。

藤井さんが営む予約制書店「な夕書」。

藤井佳之
どのように街と関わりたいですか?

岡さんが進めている「まちぐるみ旅館」計画はどのくらい進んでいるのですか?

岡:「まちぐるみ旅館」というのは仏生山のまち全体を旅館に見立てて、まちに点在する飲食店、浴場、物販店、客室などのお店を旅館というネットワークでつないでいくプロジェクトなのですが、去年1つ目の客室を始めたばかりなんです。まずは10年くらいが一区切りだと思っていて、今年が2年目なので進行状況としてはまだ1割程度という感覚です。

今後は具体的にどうしていきたいと考えているのですか?

岡:僕がこうしたいと考えられるのは半分くらいで、結局はお店を作るだけではなく、それをやる人がそこにいるか、もしくは来てくれるかということが大事なんですね。例えば、僕としては、次はおいしいごはんのお店がほしいと思っていますが、実際にやってくれる人が出てくるかどうかでそれは変わってきます。この「まちぐるみ旅館」もそうなのですが、僕が作りたいと思っているのは、まちに住んでいる人たちが楽しく過ごすためのインフラなんです。僕らは高松に拠点があって、この周辺で今後も生きていくと思うんですが、そのなかで自分の最大のテーマというのは、いかに自分の周りをニヤニヤできる状況に変えていけるかということなんです。

仏生山まちぐるみ旅館

例えば、いま流行りの「ソーシャル」や「コミュニティ」という言葉がありますが、仏生山というまちを、そういう観点から他の地域と比較・分析することはありますか? 例えば、今年開催されている瀬戸内国際芸術祭からどんなものが派生して、そこから何が起こっていくのかとか、僕はそういう動きに注目をしているし、期待しているところもあります。高松にしても、街の中で大なり小なりいろんな動きが起こってきていますし、これからもしばらく高松、香川を拠点としていく上で、5年〜10年くらいのスパンで注目していることなども個人的にはあります。岡さんはそういう面でいま注目しているものなどはありますか?

岡:藤井さんは仕事柄そういう情報を仕入れながら自分で発信されているので、凄く色んなことに着目されていると思うのですが、僕は全然そういうことは興味がないんですよ。他の地域の動きなどを分析的な視点で見たりはしますが、その視点を仏生山温泉のことに置き換えるということはないし、比べる必要はないかなと思っています。

ことでんおんせん

そうなんですね。やっぱりこうして話してみると、僕と岡さんは全然違うんですね(笑)。最後の質問ですが、仏生山温泉というのは岡さんのお父さんなくしては存在しなかったものですよね。そのなかで独立して高松に帰ってきた岡さんは、実際に仏生山温泉の運営をするようになって、考え方などで変わった部分はありますか?

岡:僕がものづくりに興味があるのは、価値や魅力というものをいかに掛け合わせて、1+1=3にできるかということなんですね。それは建築であろうと、温泉であろうと、宴会場であろうと基本的には変わらないんです。ただ、実際に温泉を運営するようになって、誰かが喜んでくれる姿を見ることが凄く楽しくなりました。もちろん、誰かが喜んでくれるものをつくるというのは大切なことで、それは理解していたのですが、温泉を運営するようになって、そこに実感が伴うようになりました。お客さんがここに来た時の顔と、温泉に入って帰っていく時の顔が全然違うんです。これは凄く素敵なことだなと思います。