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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

美術家・HOUXO QUEさんが、
茶道家/SHUHALLY代表・松村宗亮さんに聞く、
「茶道の美意識と創造性について」

今回インタビュアーを務めてくれるのは、現代における絵画表現の可能性を追求する美術家として、国内外で精力的な活動を展開しているHOUXO QUEさん。そんなQUEさんがインタビューするのは、横浜・関内にあるマンションの一室に茶室を設け、新しい「茶の湯」の提案を目指すSHUHALLYの代表である裏千家 茶道家・松村宗亮さん。偉大な先人たちが培ってきた伝統文化を尊重しながら、日本独自の美意識を更新すべく精力的な取り組みを行う松村さんに、 QUEさんが聞いてみたいこととは?

HOUXO QUE
なぜ茶道に興味を持ったのですか?

まずは、松村さんがどのような環境の中で茶道というものに興味を持ったのかをお聞きしていければと思います。

松村:私の実家は代々横浜なのですが、海外文化が入りやすい土地柄、周囲に多くの外国人がいる環境で育ったんですね。その中で当然のように海外文化に興味を持つようになり、高校生の頃には自分でラップなどもやっていました。その流れでアメリカ留学を志すようになったのですが、日本の大学に入ってから留学するのもひとつの手ではないかと親から言われ、日本の大学の哲学科に入りました。やがて、フランスなどヨーロッパの哲学に興味を持つようになり、大学3年の時に休学をして1年間ヨーロッパに行ったんです。当時は、日本文化を意識することはほとんどなく、むしろヨーロッパ人になりたいと思うほど外国かぶれでした(笑)。日本人である僕がヨーロッパにいると、禅のことなどを聞かれるのですが、何も答えられない自分がいて…。結局語学を習得しても語るべき内容を持っていないということを痛感し、方向転換をして帰国したんです。

僕は、メッセンジャーバイクを背負ってニューヨークに行き、現地の友人が紹介してくれた家を転々とまわるような生活を3週間くらいしたことがありました。僕には日本の他に、中国、台湾、韓国の血も流れているのですが、ニューヨークで触れ合ったローカルの人たちにとっては、そんな複雑なアイデンティティなど関係なく、僕はジャパニーズでしかないんですよ。そこで自分が日本人であるということをとても考えさせられましたし、松村さん同様に、日本の美意識や文化を思いのほか知らないということに気づきました。日本文化にもさまざまなものがあるなかで、松村さんはなぜ茶道を選んだのですか?

松村:日本文化を見つめ直したいと思ったものの、その時点では「外国人が見たニッポン」程度のイメージしかなかったんです(笑)。日本らしい芸事といえば、華道、書道、茶道だろうということで、それぞれやってみたんです。華道の型を学んで花を活けていくことも、筆さばきを覚えてきれいな字が書けるようになっていくことも非常に楽しかったのですが、お茶だけは正座がとにかくきつくて、苦痛だったんです。ただ、お茶というのは他のふたつと少し変わっていて、もちろんお点前の仕方も教えてくれるのですが、それ以外のあいまいな要素が多いんです。先生からは、立ち振舞や態度など背景にある考え方や哲学的なことを指導されることが多くて、単純にその立場が面白いと思ったんです。もともと哲学には興味があったし、ある種自分のことを棚に上げながら(笑)、生徒とコミュニケーションをしながら自分自身が成長できる場だと感じたんです。

お茶の教室というと、秘匿されていて敷居が高いイメージもありますが、ご自身で教室を開くにあたり、どのようなことを考えたのですか?

松村:お茶の教室というのは、経済的に余裕のある人が、商売関係なく教えていることも多くて、ネットなどでもあまり出てこなかったり、料金が明示されていないこともよくあるんです。ある種閉鎖的な空間なのですが、それでは若い人たちはなかなか入ってこれないですよね。ただ、自分がお茶に対して面白いと感じたのだから、周りの人たちも同様に面白いと思ってくれるはずだという変な確信があったんです。そして、若い女性たちにファッションや美容の代わりにお茶にお金を出してもらうためには、しっかりわかりやすい形にする必要があると考えました。現代の様式に合わせたお茶の教室を開くことができれば、ビジネスにもなるのではないかと考えたんです。

HOUXO QUE
どうやって茶室をつくったのですか?

一般的な茶室というのは平屋建ての日本家屋に併設されている印象が強いのですが、ここは集合住宅の中にありますよね。

松村:このビルは、家業の不動産事業として建てられたのですが、ちょうどタイミングが良かったこともあり、マンションになる予定だった部屋の一部を急遽茶室にすることにしたんです。そうした前提条件の下で茶室をつくることになったのですが、友人の建築家が独立したタイミングだったので、彼にお願いをすることにして、日本中のお茶室を一年ほどかけて一緒に見て回り、さまざまな茶室の文献も調べていきました。茶道には「写し」という文化があり、既存の有名な空間をコピーすることが多いのですが、いまお話ししているこの空間も「咄々斎」という裏千家の有名な稽古部屋の写しになっています。その中にガラスや照明などオリジナルの要素を加えたり、他のさまざまな茶室の要素をサンプリングしながらつくっていったのがこの空間なんです。

SHUHALLYの茶室「文彩庵」。 Photo: Sadahisa Yokouchi

集合住宅という都市的な空間の中に空中庭園のようにお茶室があるという状況が、まさにいまという時代を象徴しているように感じます。

松村:茶の湯の言葉に「市中の山居」というものがあるんですね。お茶というのはかつて、京都や堺などの大都会で盛んだったのですが、こうした場所では、武士や商人というヒエラルキーや日常の生活、価値観からトリップできるものとしてお茶が楽しまれていたところがありました。だから、当時は都会の真ん中に、あえて山居のような佇まいの空間をつくるということが文化としてあったんですね。この茶室は、横浜の関内という場所にあって、横浜スタジアムの歓声などが聞こえてきますし、周りはラブホテルや葬儀屋などに囲まれているのですが、こうした不思議な空間というのが現代における「市中の山居」に近いのかなと思っています。

現代での実践的な形ということですね。江戸時代は山に行くことが困難だったから市中に茶室を設けたのだと思いますが、いまは逆に茶室に行くことが困難だから集合住宅の中にそれがつくられているということですよね。

松村:そうですね。この奥にある「文彩庵」という四畳半の茶室も裏千家の「又隠」という茶室の写しなのですが、こちらは壁がステンレスになっています。マンションの中に和室があるということ自体がそもそもフィクションと言えるのに、そこに土壁などを使ってしまうと、さらに高度な嘘が入ってしまうと感じたので、自分にとっても身近な金属やガラスを使うことにしたんです。また、僕自身ゴツゴツギラギラしたものが好きだというのもあったので、三十代半ばの男の色気が感じられるような、車のハマーのような茶室をつくりたいというなんとも軽薄なアイデアがベースにありました(笑)。その頃、LEDを内蔵した「光畳」というものがあることを偶然知り、それを使うことにしたのですが、「光る茶室」という個性がフックになり、多くの人に覚えて頂くことができました。

SHUHALLYの稽古場。 Photo: Sadahisa Yokouchi

HOUXO QUE
いま茶の湯を嗜む魅力は何ですか?

「ハマーのような茶室」というフレーズがありましたが、その感覚からはかつての舶来品を楽しむ文化に近いものを感じます。「文彩庵」にあるのは、利休の「侘数寄」のような「レス・イズ・モア」を目指す美意識とは少し違うと思うんですね。「写し」という伝統的な文化を踏襲しつつ、現代的な装飾性が同居している状態が非常に面白いと感じました。

松村:結局どこまで行ってもこの時代の自分がやっていることなのだという意識が前提にあります。例えば、美術館や博物館のガラスケースに入れられているようなクラシックな道具などもとてもシビれるのですが、これらは当時の空気を吸収した人たちによってアウトプットされたものだから、それをコピーするだけでは勝負にならないと思うんですね。おこがましいですが、やっぱり(千)利休や(古田)織部、(小堀)遠州たちと勝負したい。現代的な要素をとりわけ意識しているわけではないですが、それらがアウトプットとして出てくるのは当たり前のことだと思うし、この時代にしかないステンレスやLEDという素材を使っているのも同じことなんです。

QUEさんがアーティストとして参加した光茶会。

SHUHALLYでは、若手の陶芸家や現代アーティストの作品を積極的に取り入れていますよね。僕らが思い描く茶道の世界というのは、歴史的な価値が担保されていて、持つこともためらわれるような器が出されるイメージがあるのですが、松村さんは非常にアバンギャルドな人たちの作品や道具をあえてセレクトされているように感じます。

松村:利休は晩年になってから、急にアバンギャルドな道具を使うようになったんですね。それまではそれこそ歴史的な価値が担保された美しい道具を使っていたのですが、急にボテッとした茶碗や、節が真ん中にある茶杓などを使って客をもてなすようになりました。個人的には、この価値の大転換というものが利休の最も凄い点だと思っているのですが、ここで使われている道具というのは、やはり当時の現代作家のものなんですね。そのクレイジーさ、アバンギャルドさに大きな衝撃を受けたし、自分もその系譜の中でお茶をやりたいという思いが根底にあるのだと思います。茶道の世界では、誰々がつくった茶碗ということがブランドになるのですが、大してわかりもしないくせに、作家の名前を聞いた瞬間に反応が変わるのがムカつくんです(笑)。もちろん知識を持つことで楽しめる世界も素敵だと思いますが、自分としては現代作家がつくるものを使う方が楽しいし、彼らと一緒に成長していくことで、いつかそれが自分のお茶になっていくのではないかと思っています。

Photo: 田村孝介

例えば、いまの時代に利休や織部がいたら、どんな素材で茶室を建てるのかということにとても興味がありますが、おそらく土壁一択ではないと思うんです。古くから続く伝統や美意識がある一方で、いま僕たちが生きている時代は当時とは大きく違うものですよね。そのなかで、いま茶の湯を楽しむということには、どんな魅力があると思いますか?

松村:人間の根源的な部分は変わらないと思っているので、限られた時間だけ日常から切り離されるスペシャルな体験という点は昔もいまも変わらない茶道の楽しみだと思います。また、この茶室には現代的な要素をふんだんに取り入れているのですが、これらはこの場所に身体を持ってこなければ体験できないんですね。ここに来て、触る、味わう、話すという体験もひとつの魅力だと思います。

HOUXO QUE
どんな視点で作品を見ていますか?

お茶の世界には「数寄」という言葉がありますが、松村さんご自身の「数寄」とはどのようなものだと考えますか?

松村:もともと数寄というのは、好きなもの、心惹かれるものを集めるコレクター精神のようなものです。僕はありがたいことに、良いなと思う方たちにここに来て頂き、一緒に何かをさせて頂けている点では「数寄」に通じる部分があるかもしれませんが、自分は浮気症なので、何かひとつに執着するようなコレクターだとは思っていません。

まさにアートの世界にはコレクターと呼ばれる人たちがいて、茶道の言う「数寄者」だと思います。また、お茶の世界では茶会などによって頻繁にコレクションを披露する機会が設けられていますよね。

松村:そうですね。もともと茶の湯というのは、(織田)信長をはじめとした人たちが、価値のある名物をお披露目することで自分の権力を示すために使っていたところがあったんですね。その後、江戸時代には町人たちもお茶を始めるようになり、名物が欲しいがためにそれを人につくらせるようになりました。自分の趣味の良さや経済力をスマートに見せるためにお茶が使われてきたところは多分にあると思います。

Houxo Que × Norimichi Hirakawa「days and nights」

そういった構造はアートのものと同質のものですね。ちなみに、松村さんはどんな観点で作品や道具を見られているのですか?

松村:やはり茶室に飾ることを常に念頭に置いてしまいますね。これを茶室のどこに置いたらお客さんはうれしいのかなど、どちらかというと自分以上にお客様を喜ばせたい、驚かせたいということが判断基準として大きいと思います。茶室に人を呼ぶということが大前提になっているので、基準としては少し特殊かもしれませんね。

人を招くという茶道の持つ形式があり、そこを軸に考えてものを選ばれているがゆえに、ここには包括的な空間が生まれているのかなと感じます。アートにもそれに近いものはあると思いますが、建築を含めてそこに特化した空間という部分は新鮮ですね。なんというかまるで、現代作家の作るインスタレーション作品を鑑賞するような、そんな体験を与えられた印象が僕にはありました。

Houxo Que「uncanny vallery」

HOUXO QUE
未来の茶室はどうなりますか?

現代アートの世界というのは、設定されたルールの中でアーティストやキュレーター、コレクターなど様々なアートワールドの住人たちがプレイしているような場所だと思うんですね。一方で茶道は、それとは異質なルールであるにも関わらず、美を中心とした世界として近似性を持ちながら、同時に新鮮さも感じられる空間が形成されているように感じます。床の間にかけられた作品や、使われる茶道具など、さまざまな作品によって構成された展覧会のような空間がここにはあるのではないかと。ただアートの場合は、そうした空間をつくり出すのはキュレーターと呼ばれる人たちですが、彼らは基本的には研究職であり、裏方であって表舞台のプレイヤーではないんですね。一方でお茶の場合は、その空間をつくり出す人が自らお茶を点てるプレイヤーでもあり、また同時にコレクターでもあるというところに特異性があるように感じます。

松村:現代アートのことはあまり詳しくはないですが、アートというのはホワイトキューブの中に人が集まり、作品を鑑賞することが多いですよね。一方でこの場所では、作品が道具として実際に使われたり、狭い茶室の空間の中で飲んだり食べたりしながら美を楽しむということをしていて、それはお茶の世界にとっては当たり前の体験なのですが、現代アートの世界の人たちからすると非常に新鮮に映るようです。お茶には茶室やお庭、道具などの要素や、露地を歩いて茶室に入っていくまでの行程などがあり、ある程度規制されたルールの中で美を楽しむゲームとしての要素もあるのかなと思います。

Photo: 田村孝介

露地を通って茶室へ向かう途中での会話や、にじり口をくぐって室内へ入る際の視線の誘導など、階層ごとに様式が設定されていて、その中でプレイヤーがどんな駆け引きを行うのかというところにある種の知的ゲームとしての要素がありますよね。

松村:また、多くの人が集まる展覧会などとは違い、お茶の場合は不特定多数の人が来るということは想定はしておらず、具体的な誰かのためにということが前提になっているんですね。場合によっては、そのお客様が来ることを1ヶ月前から念頭に入れて献立や道具を考えることもありますし、超カスタマイズされた空間づくりをしていくという点もお茶の特殊な要素だという気はします。

Houxo Que「Garden in May」

最後の質問になりますが、もし仮に松村さんが新しい茶室をつくるとしたら、どんなものを建ててみたいですか?

松村:この時代だからこそできるものということを前提にすると、白い箱だけつくっておいて、そこに映像や光、プロジェクションマッピングを投影して、どんどん変化していくような空間ができたら面白そうですね。お茶室というのは、普段体験できないような空間をいかにつくり出せるかということが大切ですが、一瞬だけお客様を別の世界に連れて行く方法というのは色々あると思うんですね。通常は、路地を抜けてお茶室に入るまでのアプローチの中で心的変化を促すような空間づくりをするのですが、これにはどうしても物理的な広さが必要になる。仮にそれが難しいような場所であれば、例えば天井がドーム状になった真っ暗な部屋にみんなで寝てもらい、映像によって心的な旅を体験してもらった上で、部屋が明るくなるとお茶のセットが用意されているという演出によってもひとつの茶室をつくり出せると思うし、そういう実験にはとても興味がありますね。


インタビューを終えて

今日お話を伺ってみて、独自の伝統と様式を持つ茶道の世界において、いまの時代の価値観や創造性のあり方を模索する松村さんの活動はやはり面白いなと感じました。例えば、文彩庵のお話の中で写しという様式自体が伝統建築の二次創作で、さらにそこにハマーというコンセプトを突っ込んでくるあたりは、飛躍のしかたにゾクゾクすると同時に、その突拍子もなさに思わず笑ってしまいました。そして、それは松村さんご自身のバックグラウンドと接続しているというお話をお聞きしていくなかで、茶室という空間の捉え方が自分の中で変わっていくのを感じました。
コレクターとしての作品の選び方や人をもてなすという茶道のあり方など、そういったお話はアーティストとしてとても興味深かったです。アートとは出自は異なりますが非常に似た側面を持つ文化だと思いますし、もちろん異なった部分もありますが、美を中心とした世界として日本で伝統的に存在する文化の奥行きを知ることができたのは非常に貴重な経験でした。
また、お茶を体験するためには身体を持ってこなければいけないという話がありましたが、これは現代において非常に重要なテーマだと感じます。いま僕たちが生きている社会では、自分の肉体はそこにあるままで好きなアイドルから遠い国の戦争まで、多くのことをテレビやPCモニターや、iPhoneのディスプレイ越しに知ることが当たり前になっています。そして、それはいまや我々の現実の一部として受け止められています。こうした現象は恐らく絵画や写真、むしろそれ以前のイメージというものが発生した時に生まれたものだとは思いますが、新たなテクノロジーが発達していくなかでのリアリティの変化というのは、確実に社会に変化を及ぼしていると思います。
こういった環境下で、僕は表象とそこにある物質としての絵画、つまりイメージとフィジカルの関係性を模索しながら、目の前にあるアクチュアルなリアリティを引きずり出したいという思いで制作に取り組んでいるのですが、だからこそお茶が肉体を通して様々なフェーズを体験する必要がある以上、そこに身体を持ってこなければいけないという話はとても興味深かったですし、現代社会の中でそうした場というのは非常に貴重なものになってきていると思います。
また、山に行けないから茶室へ行くという『市中の山居』は『山』のバーチャル・リアリティであると同時に『市』にいるという前提があり、自分自身は『市』にもいて『山』にもいるという、そこにある身体性を軸とした対比と共生の概念なのではないかと思います。地上五階でビルに囲まれた茶室からはそれを強く感じました。
茶の湯の文脈上で編まれてきた『侘び』という概念は、一般的に言われるような『一切の無駄を排する無飾の美学』だけではなく、おそらく僕らが考えている以上にさまざまな表情を持っているものだと思いますが、今日のお話を通して、都会の集合住宅の中にある松村さんの茶室にもその美意識が体現されているような気がしました。
僕ら日本人の美意識というものは、極限の何かを目指すものではなく、豪華な書院式の住宅に併設された侘しい草庵のような、この茶室から庭越しに見えるビルディングの借景のような、ふたつの異なる状況や事を対比する中から見出されるようなものなのではないかということをこのインタビューを通して感じました。
この様な機会を設けて頂いたカンバセーションズ原田さん、茶室へ招いていただき貴重なお話をして下さったSHUHALLY松村さんに感謝を述べたいと思います。