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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

アーティスト・谷口真人さんが、
ロボットクリエイター・高橋智隆さんに聞く、
「ロボットづくりに惹かれる理由」

今回のインタビュアーは、アニメ少女のモチーフを独自の手法で表現したペインティング、映像インスタレーションなどの作品で注目を集めるアーティスト、谷口真人さん。その谷口さんがインタビュー相手として指名したのは、日本を代表するロボットクリエイターとして、オリジナル作品から企業との共同プロジェクトまでさまざまな仕事を展開し、各メディアからも引っ張りだこ状態の高橋智隆さん。三次元と二次元、物質とイメージなどの狭間に生じるものを作品テーマに据えてきた谷口さんが、物質としてのロボットを作り続けてきた高橋さんに、いま聞きたいこととは?

谷口真人
ロボットを作る動機は何ですか?

僕は人の存在を、半分イメージのようなものとして受け取っているところがあるんですね。例えば、同じ人と会って話す場合と、メールでやり取りする場合のどちらにしろ、物体としてその相手を捉えているというよりは、もう少しイメージ的な存在として見ている感覚があります。そうした感覚は自分の作品にも反映されていると思うのですが、一方で物質としてのロボットにこだわり、制作されている高橋さんには凄く興味があるんです。

高橋:僕はモノフェチなんですよ。工業製品が好きだし、それを所有して眺めることが楽しくて、さらに気に入らないところは自分で改造したりもする。例えば、いま僕が所有している車は、すべて色を塗り替えています。それはもとの色が気に入らないからで、自分で塗り替えることを前提に車を買ったりするんです。

モノを集めることが好きなんですか?

高橋:いえ、いわゆるコレクターではないんです。コレクターの場合は、例えば特定のキャラクターが描かれているモノであれば何でも収集すると思うんですが、そういうことではないんですね。車だったら何でもいいわけではなく、これじゃないとダメだというのがあるんです。自分がロボットを作っているのもそれと同じで、自分が欲しいものを作って所有したいからなんですよ。人によっては作ることだけに興味があり、その後は捨ててしまったり、次作の材料にするような人もいるけど、僕は手元に置いておきたいんです。欲しいものがないから作っているだけで、はじめからあるならわざわざ作らないし、自分で作るメリットは、自分の理想のモノになるということくらいなんです。

高橋さんとは逆で、僕はモノに対する執着があまりないんです。だから人のことも物体として捉えていないのかもしれないし、実際モノフェチという感覚がよくわからないんですよ。

高橋:例えば、ある時僕は車を運転することが嫌いだと気づいたんです。なぜなら自分がその中に入ってしまうとあまり楽しくないんですね。ガソリンスタンドで洗車してもらっているのを外から眺めている方がいいんです。例えば、女性と付き合うようになって一緒にご飯を食べている時に、彼女にキッチンから調味料を取ってきてもらうようにお願いをしたとしますよね。その時に、彼女がキッチンまで行って、帰ってくるのを眺めているのが好きなんです(笑)。

えー! そういう時は何を見ているんですか? その人の動きとかですか?

高橋:うーん…(笑)、まぁ全体だと思うんですけど、絶対に動いている方がいいんですよ。例えば、逆に自分がキッチンに何かを取りに行ったとして、それを待っている彼女を見ていても別に楽しくないんですよ。


谷口真人
なぜミニチュアが嫌いなんですか?

ロボットには自分が乗れるタイプのものもありますが、高橋さんがつくっているのがそういう方向ではないということも、モノが好きで眺めていたいという欲求が強いからですか?

高橋:たしかにそれはあるかもしれません。また、それ以前の問題として、単純に大きなモノを作ることが大変だということもあります。とにかく僕は、デカくて大味なものが嫌いなんです(笑)。仮に大きなものを作るとなると、大工仕事的な方向になり、クラフト的な要素がなくなってしまう。自分としては、ダイナミックに作っていくことよりも、もっと緻密にチマチマやっていく方が好きなんです。そうしないとモノが持っている精密さ、緻密さというものが出てこなくなってしまうんです。だから、本当は車なんかも自分にとっては大きすぎるんですよね。

むしろラジコンなんかの方が良かったりするのですか?

高橋:ラジコンは昔やっていましたし、いま自分が好きだと感じる車のデザインも当時ラジコンで遊んでいたようなものに近いのですが、あまり好きになれないのは、無駄にビュンビュン動くところなんです。ディテールもちょっとチープに見えてしまうものが多いし、もっと重厚な感じで動いてくれたらいいのにと。要は、ミニチュアとして作られたものがあまり好きじゃないんです。例えば、僕が作っているロボットの目が大きいのも、ミニチュアにはしたくないという理由からなんです。何か大きなモノの縮尺モデルみたいなものは作りたくないんです。

たしかに高橋さんのロボットのパーツの中で、目のサイズ感は気になっていました。

高橋:目は凄く大事な部分で、例えば、ディアゴスティーニの「週刊ロビ」にしても、ボディはつや消しをしているけど、目はあえてツヤ感を出すようにしています。人形の目玉とかを見てみても、凄く凝っているじゃないですか。それだけ大事な部分だということなんですが、よくあるロボットには目の作りがいい加減なものが結構多いんですよね。目の部分が液晶になっていたり、LEDで光ったりするものなんかもありますが、そういう部分よりも目玉のカーブや透明感などの方が大事だと思っています。

体長から身体のライン、丸っこくて大きな手など、人間の男の子的でありながら、機械っぽさもある。あくまでも原寸サイズとして存在しているようなものだからこそ、説得力があるんでしょうね。

ROBI

谷口真人
どうやってデザインしているのですか?

高橋さんは「鉄腕アトム」に影響を受けているということですが、ロボットのデザインをする際にもアトムをモデルにしているところがあるんですか?

高橋:直接的なモデルというわけではないですが、「アトム」も含め、色んなものから影響は受けていますね。例えば、たまたま見つけた海外の絵本の配色とか、あるモーターショーで見たコンセプトカーのヘッドライトの造形とか、そういうものからインスパイアされることもありますね。

デザインのイメージは、作り始める段階で明確に固まっているんですか?

高橋:いや、作りながら考えていく感じですね。ロボットの中には、色んな部品やモーターなどがあって、技術的な制約が凄く厳しいんですね。例えば、僕よりも可愛らしいロボットのキャラクターを描ける人はいくらでもいますが、それをその人が形にすることは不可能ですよね。僕の強みは、ロボットの外側と内側の両方考えながら、干渉する部分の最良の妥協点を見つけられることだと思います。デザイン、コミュニケーション、機械の全部をやらないといけないというのが、この分野の難しさでもあるんです。

高橋さんがひとりでロボットを作リ続けている最大の理由は何ですか?

高橋:ひとりで先に作ってしまえば、製作過程で人の意見に侵されることがないんですよね。いまお話したようにデザインの過程では色んな情報を集めたり、参考にしたりしますが、基本的に人にあれこれ言われるのが嫌なんです(笑)。まず先に形にして出してしまえば、みんなもこれがいいんだと思ってくれる。例えば、大きなメーカーと仕事をする際にも、なるべく先に形にして仕様を固めてしまうんです。まずはとにかく面白いものを作るんですよ

自分がいま思い描いているものをつくり続けていく感じなんですね。

高橋:そうですね。でも、実はそれが世の中の役に立ったり、産業になったりするんです。逆に便利なものや役に立つものを作ろうという動機は不純だと思うんです。僕の場合は、自分が欲しいものをまず作るという純粋な動機だから、少なくとも自分自身はブレないんです。もしかしたら、僕が世界でただ一人の変態だったとしても、少なくとも自分の欲しいものにはなるし、同じような感性を持つ人間が世界中に何人かはいるはずだと思ってやっています。それはアートでも同じことかもしれないですね。

谷口真人
ロボットの性別を意識しますか?

高橋さんがロボットをつくる時に、性別というものを意識しますか?

高橋:あまり深く考えてはいないですが、僕の中では男の子のキャラクターというイメージがありますね。以前に女性ということを意識して作ったロボットもありますが、そういう特別な理由でもない限り、自分のロボットは男の子なんだと思います。逆に言うと、女の子のロボットを作る意味があまり見出せない。出発点がアトムだったりするから、自然とマンガに出てくる主人公の男の子のような意識で作っているのかなと。

女性らしいフォルムと動きを意識して作られた「FT」。

なるほど。マンガの主人公的なイメージがあるんですね。たしかにアトムにしても、ドラえもんやコロ助などにしても、みんな男性ですもんね。でも僕は、高橋さんとは逆なんです。例えば、アニメの主人公の男の子の声も、女性が当てていることが多いじゃないですか。そういうこともあって、まず女の子をイメージしてしまうんです。

高橋:自分とは逆のことをイメージする人もいるんですね。面白いです。女の子というのは色んな意味で大人の女性が持っているものがまだない中途半端な状態で、あまり興味がいかないんですよね。子供ということに関しては、自動的に男の子をイメージしているんですが、もし今後子供以外のロボットを作るとしたら、女性を作ると思います。やっぱり女性の骨格の構造や動きには美しさがあるし、もし女性型のロボットを作るとしたら、高貴な美しさがあるものを作りたいですね。

僕の場合、やっぱり小さくてかわいい女の子のロボットとかそういう方向をイメージしてしまいます(笑)。ちなみに、高橋さんは女性のパーツだったらどこが好きですか?

高橋:いきなり何を聞くんですか?(笑) その時々で、この部分が面白いなという旬のパーツみたいなものがあったりしますね。あまり良くないかもしれませんが、異性を見る時に違う意味での下心、つまり仕事やデザインの延長上で、研究対象として見てしまっているところがあるかもしれません。パーツということで言うと、例えば、一般的に「美人」「ブス」と言われる女性の違いって何だろうと考えることがあります。目、鼻、口、耳などみんな同じパーツで構成されていて、しかもそれぞれのパーツを単体でよく見てみると気持ち悪いものだったりするじゃないですか。じゃあどこに「美人」と「ブス」の差があるのかと。

考えたことなかったですが、言われてみるとたしかにそうですね。

高橋:例えば、工業製品の美というのは、完璧なパーツが揃うことで生まれると思うんですね。一方で人間の美というのは、完璧なパーツの集合ではなく、むしろディテール自体は気持ち悪いものなんですよね。付いているものは皆同じで、それらはもともと気持ち悪いものだったはずなのに、相手によってそのパーツを好きになったり、気持ち悪く感じたりするというのは不思議なことだなと。

谷口真人「あのこのいる場所をさがして」 写真:新津保建秀

谷口真人
人間にとってロボットとは何ですか?

グランドキャニオンの断崖絶壁に挑戦した「エボルタ」などを見ていると、少し不自由で苦労していそうに見えるからこそ、可愛らしさを感じるのかなと思います。他のロボットにしても、喋る時に少しタイムラグがあったりして、そういうところが共感を生んでいるのかなと

高橋:なるべく性能は上げたいと思っているんですが、現在の技術ではできないこともあるんですね。もしそこで外観だけカッコ良いロボットにしてしまうと、違和感が出てしまう。だから、あえて半人前的な感じにした方が良いかなと思っているところがあります。

共感してもらうために、あえて隙をつくるという意識はありますか?

高橋:それはないですね。本当はもっと完璧なものを作りたいんです。例えば、動きなどにしても、アニメやCGのようにもっとシャカシャカ動く感じにしたい。夏休みの電子工作みたいな素朴なものとは対極にあるような、不安定さや無駄な動きがないロボットを現実の世界に作りたいんです。


2本のEVOLTA乾電池を動力に、グランドキャニオンの断崖絶壁の登頂に成功した「エボルタ」。

ロボットの話になるとよく「不気味の谷」のことを耳にするのですが、高橋さんがつくるロボットは、どんな位置付けのものだと思われますか?

高橋:僕のロボットは「不気味の谷」の前の段階にあるもので、キャラクターとして最も好感度が高いところを狙って作っています。わざわざその谷を超える必要はないなと。

そもそも人間にとって、ロボットの存在とはどんなものだと思いますか?

高橋:例えば、ヒューマノイドを作っている人たちは、まずみんなそれが好きだというのがあると思うんですね。それはそれでいいとして、じゃあそれにどんな役割があるのかというと、まだ良い答えは出ていないですよね。人間と同じサイズで設計されたロボットが、果たして生活空間の中でどれだけ役に立つかというと、いまいち誰も腑に落ちていないし、機能自体はどんどん進化していても、なかなか次のステージには進めていない。僕個人のことで言うと、ロボットが好きな理由は、そこに人間や生物的なものを感じるからで、そこを今後活かしていくには、コミュニケーションツールとしての役割しかないだろうと。例えば、アニメに出てくる「目玉おやじ」や「ティンカー・ベル」など、人間ではない物知りなヤツはみんな小さくて、それを人は自分の肩や頭、ポケットなどに忍ばせている。そこに人間の本能的な欲求があるのかもしれないなと思うんです。それがスマートフォンに代わる情報端末として、15年後には一人1台持ち歩くような存在になると考えています。


インタビューを終えて

一口にロボットと言ってもさまざまなものがあると思いますが、僕が真っ先に思い浮かべるのは、人間に近い存在としてのロボットです。特に、モノであるのにどこか生き物のように感じてしまう存在の仕方に興味があり、高橋さんのお仕事に興味を持ちました。高橋さんの作るロボットは、人間によく似た存在、鏡としての存在というよりは、友達のようでした。
『ティンカーベル』や『目玉おやじ』のようにロボットを存在させる。それは、私たちの想像を現実に存在させたいという想いが出発点になっているんだと思います。高橋さんがこだわる"完璧さ"は、自らの想像をできる限りそのままに、手で触れられるものとして目の前に存在させたいという思いの表れなのではないかと感じました。
もしも機能のことだけを考えるなら、サイボーグ的に人間に組み込むなど、別な方向性もあるのかもしれませんが、しかし高橋さんはそうはせずに、ロボットを人間の友だちのように存在させます。それがとても面白かったですし、絵を描くということにも類似していると感じました。絵画にしても、頭の中のもの、あるいは感じているもの、目に見えないものを現実にあらわにさせたいという想いで描くということがあります。イメージを、描き手の頭の中だけにとどめず、わざわざ現実に、目の前にあらわしたいと考える。そもそも私たちがこのような想いを抱くのは不思議なことなのですが、高橋さんが自身の想い描くロボットを物体としてこの世に存在させたいと思う、その感覚に近いのではと感じました。
『ロビ』を抱かせてもらった時、その身体の重みをしっかりと感じました。その感触は、私が決して直に認識することのできない高橋さんの頭の中にある想像が、たしかにこの世にあるのだということを私に伝えてきたのでした