MENUCLOSE

「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

写真家・青山裕企さんが、
会社員・青山庸子さんに聞く、
「僕と結婚した理由」

スクールガール・コンプレックス』『ソラリーマン』をはじめとする写真集や、今をときめくアイドルたちのポートレート撮影などを手がけ、さらに最近ではエッセイなどの執筆活動も積極的に行うなど、いま最も話題を集めている写真家のひとり、青山裕企さん。そんな彼が、今回インタビューをする相手は、なんとご自身の奥さまです! 先日出版されたばかりの新著『<彼女>の撮り方』でも奥さまにまつわるエピソードを披露している青山さんが、付き合ってからわずか半年で結婚を決めたという"いちょこさん"こと庸子さんに聞きたいこととは?

青山裕企
どんな環境で育てられたのですか?

僕は写真を通して、ものの見方を少し変えるだけで、大きく世界が変わって見えるということを伝えたい気持ちがあるのね。そのために、自分でシチュエーションを作って撮影するスタイルを取っているんだけど、人生においても、例えば旅に出てみたりとか、自分でドラマチックなことを巻き起こすことで楽しもうとしているところがあるんだよね。でも、いちょこさん(※庸子さんの呼び名)には、もっと身近なところでそれを発見していく才能があると思うのね。それは家庭の環境や教育とも関係していると思うんだけど、その辺りの話から聞いてもいい?

庸子:象徴的な話をすると、小学校の時に友達の誕生日会があると、みんなプレゼントを買っていくじゃない。当時は、サンリオのキャラクターとかが人気があって、みんな親からお小遣いをもらってそれを買いに行くというのが女の子の中の常識だったの。当然私も同じように親にお小遣いをもらおうとすると、「自分で作ればいいじゃない」って言われるのね(笑)。そんなつまらないものを買ってもしようがないし、自分で絵とか描けばって。うちは両親が美大出身で芸術関係の仕事をしていて、家に画材とスケッチブックがいっぱいあったから、その時は紙芝居を作ることにしたのね。一生懸命うさぎの絵とかオリジナルの話を考えて作ってそれをプレゼントしたんだけど、喜んでくれたのは友達じゃなくて、友達のお母さんだったの…。

わかる(笑)。子どもは残酷だからね。切ないけどグッとくる話だね。

庸子:両親がケチなわけじゃなくて、お金で簡単に買えるものには気持ちがこもっていないってよく言われてきた。自分の手で作り出して贈るという教えは一貫してたなぁ。

庸子さんが裕企さんに渡した「プチエネルギー7日間入り」。

いちょこさんと付き合い始めた頃に、僕の父親が倒れて実家に戻って、精神的に相当しんどい時に、「プチエネルギー7日間入り」って書かれた封筒をくれたじゃない。そこには色んなミッションが書かれていて、それを一日一枚ずつ開けるんだけど、それが楽しみで全部真面目にやってたんだよね。それこそ「愛してる」とかそういうことが書いてあってもいいものだけど、「植物を魅力的に撮って写メールで私に送る」とか、内容もやっぱりいちょこさんぽくて。付け焼刃じゃ絶対できないような、育まれてきた石井庸子の中枢みたいなものがそこにはあるんだろうね。正直そこに惹かれてたりするんだよね。

庸子:子どもの頃、長野に親戚の山荘がある関係で、夏休みは両親と一緒にそこで1ヶ月くらい過ごすのね。でも、周りに友達なんていないから、朝と夕方のNHK教育テレビだけを楽しみにしてたりした。時間だけはたくさんあったから、ある日は、「今日はトンボを100匹以上捕まえよう」と思いついて、虫カゴにぎっしりトンボを入れて帰ったことがあるんだけど、「トンボが可哀想でしょ!」って親にスゴく怒られた(笑)。こんな感じで昔から、何もないところや目の前にあるものから何かを発想するという環境で育ってきたんだよね。

青山裕企
僕と結婚しようと思ったのはなぜですか?

僕は写真の道で生きていくと覚悟した段階で、40歳くらいまでは絶対結婚できないと思ってたのね。経済的にも不安定な仕事だし、僕のことを受け入れてくれる人が仮にいたとしても、それに応えることはできないと思ってた。でも、いちょこさんとは2005年に付き合い始めてから、実質2、3ヶ月くらいで結婚を決めたよね。付き合ってすぐに結婚をしようと思ったのはなぜなの?

庸子:そんなの前にも話さなかったっけ(笑)。理由はふたつあって、ひとつは一緒にデートをしている時に子どもの話題になって、何気なく「結婚したら子どもは欲しい方?」って聞いたら、それに対して適当に答えるんじゃなくて、「子どもは好きだし欲しいけど、お腹を痛めて産むのは女性だから、その相手が欲しいと思うなら一生可愛がって育てていくし、子どもがいらない人なら、その人と仲良くやっていこうとすると思う」ってことを言われたんだよね。こんな考えをすんなり話せることがまずスゴイし、心底良い人なんだなって(笑)。

子どもに対する考え方は、僕の女性観ともスゴく関係しているんだよね。たとえノーベル賞を受賞するくらいの偉業を成し遂げたとしても、それが子どもを産むということに勝ることはないと思うんだよね。女性はそんなこと別に意識していないのかもしれないけど。

庸子:もうひとつは、京都に3泊くらいで旅行に行った帰りに、東京駅でじゃあねって別れた後、別に旅行中に持ってもらってたわけじゃなかったのに、荷物が急に重く感じられたんだよね。その時に「なんで別々に帰るんだろう? なんで同じところへ帰らないんだろう?」って素直に疑問に感じて。それから少し経って、何気ない会話のなかで、こっちからプロポーズしたみたいな内容になった時に裕企がスゴく動揺して、「こういう話はまた改めてこちらから」みたいなことを言ってたよね(笑)。

裕企さんがプロポーズのために作った結婚パスポート。
過去に行った旅行の写真などが入れられたこのパスポートの有効期限は「FOREVER」!!

いちょこさんの両親に挨拶する日が決まっていたから、その前にちゃんとこっちからプロポーズしないと順番がおかしくなると思って。それで、付き合うことを決めた場所でもある幕張に連れて行ったんだよね。

庸子:雨がフリそうな日だったから電車の中がジメジメしていて、「なんでわざわざこんな遠くに連れて行くんだろう。イヤだな」って思っていたんだけど、そこで渡されたものが心のこもったものだったから気持ちが逆転した(笑)。でも、書かれていた世界一周旅行のプランが全部祐企の行きたいところだっていうのがすぐわかって、なんかセコいなぁって(笑)。

青山裕企
なぜそんなに自分を肯定できるんですか?

僕と初めて会った時、いちょこさんは大学4年だったと思うけど、その時はエステのバイトをしていたよね。そのまま就職をして、その後事務の仕事を経て、いまはノベルティグッズの営業企画の仕事をしているわけだけど、仕事は変わっても中身は良い意味で変わらないなと。僕の場合は、写真家になると決めてからはそれだけをやってきているけど、いちょこさんは仕事のことはどう考えているの?

庸子:職種は毎回全然違うんだけど、私の中の基本的なスタンスは一貫していて、結局人と話すことが好きなんだよね。美容の仕事をしていた時も、エステがやりたかったというよりは、その会社の人と環境に魅力を感じたのがきっかけだったんだよね。私が貧乏学生なりにお客さんで通っていた時からそこの店長が好きで、その店長のお客さんとの関わり方がスゴく素敵だった。自然で明るくて、でも女性それぞれを真剣に応援する人だったんだ。その頃から変わっていないのは、人と話をして、その人が作りたい状況を一緒に考えながら形にしていくことが好きだということ。人の言葉が企画になり、立体化される過程が面白いし、作った後に良かったと言われるものを残していきたいっていうのがあるんだと思う。

うちの父親が倒れて実家に戻って、いちょこさんを父に紹介した時に、「結婚するかどうかわからないけど、一生応援し続けます」って言ってくれたでしょ。その言葉はずっと残っているし、いま話してくれた仕事のことにもつながるけど、人を応援したいという思いが一貫してあるんだね。

庸子:よく言えば「応援してくれる人」だし、悪い言い方をすれば「おせっかい」。それは小学生くらいから変わらない。高校の頃とかはとにかく忙しくやり繰りするのが好きで、生徒会とかやってたんだけど、いま振り返ると忙しくて手が回ってなくて、その分周りに色々迷惑をかけていたと思う(笑)。

青山裕企「ソラリーマン」

ボランティアをする人とかに多いと思うんだけど、最終的に満たされるのは自分というパターンってあるじゃない。でも、いちょこさんは、最終的に自分のためになるかどうかということを全く考えていない感じがするんだよね。そのことともつながるのかもしれないけど、根本的に自分に自信がある人なんだなと思う。それは虚勢の裏返しの自信ではないし、こんなにナチュラルに自画自賛を繰り出せる人は見たことがないって (笑)。僕自身、自分に何もないと思っていた頃は自意識過剰になることで自分を保っていたところがあったのね。それがなくなると今度は自分を卑下していくようになって。いまは卑下もすることなく、ありのままを出せるようになったと思うんだけど、それは本当にここ1、2年のことなのね。いちょこさんのその絶対的な自分への肯定感みたいなものがどこから来ているのか、その謎を知りたい (笑)。

庸子:自信があるというのかはわからないけど、家族とかいま付き合っている人だけは何があっても自分のことを支持してくれるということを私は強く信じているのね。それはもしかしたら、神がいるから救われるという宗教的な考え方に近いのかもしれない。もし裏切られたら本当にクジけるだろうけど、どんなに八方塞がりの状態になっても、裕企や親たちは私の味方でいてくれる。たとえその場にいなくても、その人たちのことを感じられる。最近はさらに先の思考回路にも繋がるようになってきたんだよね。もしその人なら同じような窮地に立った時でも、おそらくこんな風に解決していくんじゃないかな? なんていうその人の視野から見た解決方法まで考えるのね。例えば、どうしようもないトラブルが起きた時、裕企がいたら「それは誰が悪いわけでもない。自然に起きてしまった事故。だからそんなに落ち込まない方がいいよ」って多分言うだろうな、とか想像するの。そうするとあまり立ち止まらなくなるんだよね。

青山裕企
女子高生を撮っているのに嫉妬しないんですか?

僕が女子高生やアイドル、女優を仕事で撮っていて、それに嫉妬はしてないという話は前に聞いたけど、それはなぜなの?(笑)

庸子:絶対的な信頼ですよ。あとは、付き合い始めた頃に、過去のあまりにもかわいそうな恋愛事情を聞いていたから、この人本当にモテなかったんだなぁっていう同情(笑)。

青山裕企「スクールガール・コンプレックス」

そんなにモテない人と付き合うということには抵抗はなかったの?

庸子:最初に会った時は、面白い人だけど付き合う対象ではないなって思ったのね。付き合い始めてからも、男性としてというよりも、人間として魅力的だなって。いまでも覚えてるけど、告白された後の鎌倉デートの時に、お好み焼き屋さんのざぶとんに正座して、「ちなみにこれはお付き合いすることになったんですかねぇ?」と私が聞いて、「そういうことになりますね」って裕企が答えて。なんだこのおカタいお見合いカップルみたいなやり取りはって(笑)。

青山裕企「ソラリーマン」

(笑)。それは僕の恋愛スキルの低さのせいだね。

庸子:恋愛の関係よりも家族愛という方がいまは完全に強いんだよね。たぶん私たちは不思議なバランスで、ある時は片方が子どもで、もう片方は親という感じで、状況によって役割が入れ替わるんだよね。夫婦によっては常にどちらか片方が子どもであり続けるということもあると思うんだけど。そういう関係性ってやっぱり異性的な魅力とはまた違う話なんだと思う。もし仮に、実は裕企が女性でしたって言われても、驚きはするだろうけど、そっかぁって受け入れちゃう感じかもしれない(笑)。

前に、唯一写真を撮っている時だけはカッコ良いと思うことがあるって言ってたよね。でも、結婚を決めるまでの過程で、僕はスゴいカメラマンとしての姿を見せつけたわけじゃないよね(笑)。

庸子:うん。お義父さんに病院でご挨拶した時も、結婚がどうとかいう次元をある意味超えてたんだと思う。その頃から裕企を異性としてではなく、魅力的な人として見ていたところがあったからね。ずっと応援していくと決めたのも、裕企の初個展を見て、直感で「この人は写真をやっていくべき」だと思ったからなんだよね。あと、何か企画してやらかしてやろうという姿勢に、自分と同じ匂いを感じたのかもしれない。

僕も「男」「女」と同列に「妻」というカテゴリがあるくらい、それぞれは違うものだと思ってるところがある。もともと僕は、高校時代の不遇な恋愛経験がきっかけで、女性という存在に対して、恐怖感、劣等感、不信感みたいものが、渦巻いていたんだよね。それはいまも変わらないんだけど、「妻」に関しては全く別に考えているところがある。話してみるまで気付かなかったけど、お互いに結構似ているところがあるのかもね。

庸子:え? そうだよ。いまさら何言っているの?(笑)

青山裕企
なんで社交ダンスを薦めるのですか?

僕が女子高生を撮っていても別に嫉妬しないというさっきの話と同じように、いちょこさんが趣味でやっている社交ダンスで、僕より背が高くてカッコ良い男の人と踊っていても、別にイライラしたりしないんだよね。いちょこさんに薦められて自分でやるようになっても、異性とこれだけ密着しているのにドキドキしたりすることはなくて、それが不思議だなって。

庸子:私がなぜ社交ダンスを脅迫のようにずっと薦めていたかというと、先々の人生のことを考えた時に、カメラを通さない人との関わり方にもチャレンジしてほしかったからなのね。ここ数年で写真家として急激に売れ始めて、文章を書くことや、人前で話すことも評価されるようになったけど、それを極める前に、一度自分の武器を捨ててみるのもいいんじゃないかと思ったの。それによってこの人はまた変われるんじゃないかなって。人間はどんどん意固地になっていくものだから、やってみようと思えるタイミングはこれからどんどん減っていくだろうし、カメラにも言葉にも頼らない方法を見出してほしかった。

青山裕企「スクールガール・コンプレックス」

たしかに社交ダンスをやってみて、カメラを外した無防備な状態で異性と接することを続けていったら、自分の写真にも変化が起きそうな気はした。例えば、僕は女子高生を撮る時、目は合わさずに後ろからの視点でこっそり撮っているんだよね。だから、下着が透けていたり、うなじが見えていたりするカットが多いんだけど、社交ダンスなんてそれこそ女性の背中、というか下着のホックの辺りを支えたりするもんだから、距離感の詰め方が僕にとっては異常なんだよね(笑)。

庸子:裕企はどうしても頭が理系だから、物事を理屈で考えていくところがあるけど、社交ダンスのように、相手のことを感じ取って動いていくという共同作業も必要だなって。あまり女性との距離を固定化してほしくなかったんだよね。柔軟に色んなものをキャッチする感覚は常に持っていないとね。

青山裕企「スクールガール・コンプレックス」

人はひとつ成功をすると、それに固執し始めるからね。これまでに築き上げてきたものを捨てようとは思わないけど、人に言われたことには耳を傾けようと最近スゴく思っていて。こうしてふたりで暮らすようになってお互いに支え合うようになったけど、いまはまだこれまでひとりでいた時に築いてきたものの蓄積で写真を撮っていると思うんだよね。でも、これから5年、10年と経ってきた時に、結婚してからのことをイメージしながら撮ることも出てくるだろうし、ひとりだった頃のイメージの貯金がなくなってくると思う。だから、夫婦関係にしてもそうだけど、相手から言われたことを理屈をつけて断るんじゃなくて、理屈を超えてやってみようと思っているし、人に委ねていくということを積極的にしていきたくなってるんだよね。

庸子:いままでは女性だけじゃなくて、人間全般に不信感があったんじゃない? それこそ家族に対してもどこかでそういうところがあったのかも。だから、自分がやっていかなきゃってスタンスだったんだと思うけど、それが少しずつ解除されてきて、人に任せてもいいかなってところにシフトしてきたのかも。

…そうかもしれないね。他の人はとっくにやっていたことが、僕には圧倒的に欠けていたのかもしれない。だからこそ撮れた作品もあると思うけど、やっぱり欠けているものは欠けているものだからね。スゴい本質を突いてきたね。女性女性って言っていただけで、実は人間不信だったのかもしれない…。

庸子:どこかで武装していたんだと思うよ。

なんか諭しに入ってきましたね。こっちがインタビューする側なのに。…って、そうやって武装してるんだな…。なんか僕がイタい感じになってきたから、この辺で終わりにしようか(笑)。


インタビューを終えて

なんだかんだ言って妻は僕の本質を完全に見抜いているんだなということがわかったインタビューでした(笑)。今年僕は文章メインの本を3冊書いて、そのなかで『さよならユースフルデイズ、ようこそピースフルデイズ』という言葉を使っているんですね。これまでの青春とはさよならをして、穏やかな日々を迎えていくという意味なのですが、それはまさに妻がインタビューで話していたように、絶対的な味方ができたということなんですよね。女性とは何か? みたいなことを妄想したりしながら身勝手に生きてきた青臭い時代はもう終わり、これからは守るべき人たちと共に生きていく時代が続いていく。それは自分の人生にとって大きな変革で、その準備をするためにも今年は本を書き続けてきたところがあったし、整理がついてからじゃないと子どものことも考えられなかったんです。
大学を出てからフリーで活動してきた僕は、これまで自分ひとりで生きてきたと思っていたところがありました。でも、そんなのはもちろん思い上がりで、どんな些細なことでも妻をはじめ周りの人に支えられているわけで、助けがあってこその活動なんですよね。これは人前式の時にも宣言したことなのですが、おじいちゃんおばあちゃんになっても、手を繋いで街中を歩いているようなチャーミーグリーンな関係と家庭を築いていきたいなと思っています