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大川哲郎

大川印刷 代表

椎野秀聰

椎野正兵衛商店 代表

インタビュアーを担当する大川哲郎さんは、1881年に横浜で創業した大川印刷の代表取締役社長。NPO、NGOと協働しながら、市民参加のワ ークショップでファシリテーターを数多く務めるなど、地元のための活動にも積極的な大川さんがインタビューするのは、椎野正兵衛商店の椎野秀聰さんです。世界的音楽機材メーカー・ベスタクスを創業するなど数々の事業を成功させ、現在は、江戸末期開港当時から絹ビジネスを展開し、世界的な評価を獲得した曽祖父・椎野正兵衛氏の意思を引き継ぎ、絹製品ブランド「S.SHOBEY」の製造販売を行っている椎野さんが、横浜の街やもの作りの真髄について語ってくれました。

2. 横浜イズムって何ですか?

椎野秀聰 

過大なエネルギーが生まれるという現象がありますが、横浜というのは、まさに日本とヨーロッパの文化が摩擦し合っていた街なんです。

Q.今日はクリエイターの方も会場に多くいらしているようなので、椎野さんのもの作りのこだわりについてもお伺いしたいと思います。

椎野:以前にある賞をもらってアメリカに行った時に、「日本人は俺たちが作ったものを猿真似ばかりするから嫌いだ」とアメリカ人に言われたことがあったんです。それならお前らが作れないものを作ってやるという思いでずっとやってきているので、昔からオリジナルじゃないとやりたくないというのがまずあります。あと、これまでに凄いという人たちにたくさん会ってきましたけど、そのほとんどは凄くないんです。やっぱり本当に凄い人というのは、何も言わずに裸電球のもとで一生懸命しこしこ作っているような人なんですよ。それはクリエイターだろうがエンジニアだろうが同じで、自称”凄い人”で凄いものを作った人はいない。だから、いまの時代のようにタレント化した人をマスコミがもてはやす時代に乗っかっていては本物のもの作りなんかできないんじゃないかと思いますね。今日は若いクリエイターが来てるから、人生の捨て台詞を言うには良い機会ですね(笑)。

Q.いやいや(笑)。椎野さんと横浜の関わりについても教えて頂けますか?

椎野:私は横浜の山手に住んでいて、元町小学校出身です。私たちが子供の頃はまだアメリカ軍がいて、貧しい人たちが彼らにぶらさがって「ギブ・ミー・チョコレート」と言っていた時代を横浜で過ごしました。私の父も本町2丁目で生まれて2丁目で死んでいますし、4代にわたる生粋のハマっ子です。椎野正兵衛商店もかつては本町通りに4軒ビルがあったんですが、私が新たに始めるまではそれすらも誰も知らなかったくらいだと思います。横浜開港当時、私の曽祖父は絹織物で世界のマーケットを独占するほどだったんですが、そういうことは誰も知らない。本当の話というのはだいたい歴史には出てこないんです。ある哲学者も歴史上有名になった人にはろくなヤツがいないと言っています。穿った見方かもしれないけど、歴史には功績を乗っ取った人の名前だけが残るけど、その影にはちゃんとした人がいるんですよ。

Q.横浜という場所が特別だった時代を、椎野さんの会社も弊社も体験してきていると思うんですが、私が強く感じているのは、当時のもの作りというのがもう語られなくなっていて、若い人たちがそれを知る機会がなくなってしまっているということです。

椎野:横浜の人たちは来るものは拒まず、去るものは追わないところがあるけど、なぜそうした横浜ができたのかということはみんな知らないんですよね。開港当時の横浜に来た多くの外国人は、汚い格好で貧しいものを食べていた日本人が目だけは輝き、気持ちは大きくて、親子でニコニコしながら食事をしていて、この国は一体何だと驚いたそうです。なぜその当時の横浜がいま語られないかというと、語るべき資料が関東大震災で消失してしまったから。私のうちも3代までは遡れるけどその先はわからない。ただ、これはまさに横浜イズムだと思うんだけど、椎野正兵衛は1859年の創業当時から英語とフランス語でしか広告をやっていなかったんです。正兵衛は外為の知識も持っていたんですが、当時の江戸にはまだそういう知識がなかったんですね。彼らの代わりに正兵衛が外為をやっていた時期もあったんですが、非常にアカデミックなことが当時の横浜では行われていたんです。異なる文化がひとつのところで接触すると、過大なエネルギーが生まれるという現象がありますが、横浜というのは、まさに日本とヨーロッパの文化が摩擦し合っていた街なんです。

もっと知りたい人は…

  • 大川哲郎 

    大川哲郎

    大川印刷 代表

    東海大学法学部法律学科卒。1993年株式会社大川印刷入社。2005年代表取締役社長に就任。2001年社会起業家との出会いから、「印刷を通じて社会を変える」視点に気付き、2004年「本業を通じて社会的課題解決に取り組む『ソーシャルプリンティングカンパニー』」と言うビジョンを掲げる。現在、食物アレルギーや宗教上の理由で食材を自由に選べない人たち、一般の人たちにも分かりやすい、ピクトグラム(絵文字)の活用を推進していく「食材ピクトグラム」の他、複数の社会的課題解決プロジェクトを各種NPOと協働し推進。NPO、NGOとの協働の経験から市民参加のワ ークショップなどでファシリテーターを数多く務める。

  • 椎野秀聰 

    椎野秀聰

    椎野正兵衛商店 代表

    1947年生まれ。横浜育ち。ベスタクス株式会社社主。日本楽器製造(現ヤマハ)等を経て、77年、椎野楽器設計事務所を設立。日本初のギタープロショップ、ESP、PACOを創業し、アコースティックギター、エレクトリックギター、ベースギターの製造・販売に携わる。事業を発展させたVestaxでは、ギターを始めとする楽器のほか、アンプ、エフェクター、音響機器、録音機器、DJミキサー、ターンテーブルなどでミュージックシーンをリードする。その後、曽祖父である椎野正兵衛の足跡を調べ、その事業を再興しようと「椎野正兵衛商店」を設立、絹製品ブランド「S.SHOBEY」の製造販売に乗り出す。