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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

美術館研究員・橋本 梓さんが、
編集者・中村悠介さんに聞く、
「大阪で編集者として働くことについて」

今回インタビュアーを務める橋本 梓さんは、大阪・中之島にある国立国際美術館に勤務する研究員。そんな橋本さんがインタビューする中村悠介さんは、大阪発のローカル・カルチャー・マガジン『IN/SECTS』をはじめ、さまざまなメディアの編集や執筆、イベント企画などを手がける編集者。この7月に国立国際美術館で開催される「Music Today on Fluxus 蓮沼執太 vs 塩見允枝子」の企画を共に進めているおふたりの間で、果たしてどんなお話が繰り広げられるのでしょうか?

橋本 梓
なぜ大阪で働いているのですか?

いま中村さんとは国立国際美術館で開催する蓮沼執太さんと塩見允枝子さんのイベントの企画を進めているんですけど、それ以前から顔は合わせていたんですよね。私自身の仕事もある意味編集に近い部分があるから、編集をしている人自体には興味があって、中村さんはどんなスタンスで仕事をしているのかなと。

中村:普通に考えたら、編集者って東京の仕事だと思うんです。大阪には出版社もそんなにないし、人口も東京に比べたら少ない。そんな大阪で雑誌をやるということは無茶な話だし、実際編集者も少ない。それに、例えば大阪には昔から面白いヤツに吉本に入れというような半分本気の冗談があったりして、見る側と出る側の区別があまりない場所だったりもしますよね。その間にあえて立とうする編集者のようなスタンスって大阪では珍しいかもしれませんね。

私はもともと滋賀出身で、その後神戸、京都を経て、大阪に住んでからは5年経ったんだけど、いまだに文化的に馴染めないところがあって(笑)。おばあちゃんの家も大阪だし、私も関西弁をしゃべるけど、大阪は人間の距離感とかが独特なんですよね。嫌いじゃないんだけど、たまに油断してると「あ、ここ大阪だった」って思わされたりします。大阪で暮らして、仕事もしているので、自分がどう大阪にコミットしたらいいかずっと考えているけど、いまだにうまい落とし所が見つからなかったりするんですよね。

中村:それは結構リアルな問題ですよね。僕もちょっと近い感覚があって、普段は大阪で仕事をしているけど、住んでいるのはずっと京都なんですね。これでもし家も大阪にあったら、大阪の友達の輪に完全に入ってしまって、編集という仕事がやりにくくなるなと思っているんです。大阪は「みんなで仲良くやろうや」という雰囲気があるんだけど、完全に仲良くなりすぎてしまうのではなく、あえて一歩引くという意味でも、京都に住むことで客観性を持たせているところがあるかもしれない。

その感覚はわかります。私の場合、逆に美術作家が大阪よりも京都に多いので、一歩引くという意味では大阪に住んでいた方がいいのかもしれない。京都には美大なんかもあるし、美術作家にとっては特別な場で、コミュニティ的な要素も強いんですね。もし私が京都に住んでいたらそういう場所にしょっちゅう行っている気がするし、それをし過ぎてしまうのは私の立場としてはあまり良くないことなので。

中村:逆に大阪から見ると、京都というのは閉鎖的で身内受けな感じはやっぱりあるんですよね。でも僕は身内ノリが好きだし、友達の家で鍋パーティとか、2、3人でコソコソと話してるようなことが本当は一番面白いと思ってます。だから「IN/SECTS」でイベントをやるときにも、その身内ノリをどこまで大きくできるかを考えてますね。友達の友達くらいが遊びに来るような。そういう意味では、大阪の「みんなで仲良くやろう」ムードはそのつながりを発生させやすい、身内ノリを拡大させやすいと思ってます。

橋本 梓
編集ってどんな仕事ですか?

中村さんは音楽系の編集者というイメージがあるんですけど、これまでどんな音楽を聴いてきたんですか?

中村:うわー、お里が知れます(笑)。中学に入ってパンクが好きになりました。そこからニューエスト・モデルやエルヴィス・コステロなんかが好きになって。あと、やっぱりフリッパーズ・ギターという存在も大きかったですね。例えば、雑誌の「Olive」に盛んに広告を出したり、音楽だけではなく、その戦略やファッションにも衝撃を受けました、いま考えると。その後、高校がアメ村の近くだったこともあって、学校帰りによく寄っていた古着屋さんで当時バイトしていたDJの田中フミヤさんと知り合って、フミヤさんの「CHAOS」っていうイベントでキャッシャーをやったりするようになりました。そこでテクノを聴いてカッコ良いなって。新しいパンクという感じで。それから大学ではヒップホップやジャズが好きになったりしてニューヨークで友達と朝から晩までレコード屋巡りをしたりしていましたね。安いレコードばっかり買ってました、それはいまもですけど。

めっちゃ本格的ですね(笑)。

中村:でも別にDJとかじゃないです。その当時一緒にニューヨークに行った友達と、その後「OK FRED」という雑誌を作ったりもしました。大学生の頃はCRJ-Westというサークルでカレッジチャートをラジオ番組で紹介したりしていて、結構楽しかったですね。別に編集者になりたいと思っていたわけではないんだけど、そうやってレコード屋とか本屋をブラブラしてたら、こういう仕事をするようになったという感じなんです。なんの考えもなく。

音楽関係の仕事をやろうとは思わなかったんですか?

中村:それはなかったんですよね。学園祭でバンドのライブをやったりはしていたんだけど、プロになりたいというよりは、ただ面白いからやっていた感じで。レコードも好きだったけど、自分がレコード屋をやるというよりは、お客さんでいることが良かったんですね。音楽を作りたい気持ちとかはいっさいなしです。ただ、普段サラリーマンをやっていて、土日だけライブに行くとかバンドをするというのもちょっとできない気がしていて。だから就職活動もしてないし。もの凄く中途半端なまま、現在に至る(笑)。

そうは言っても、曲がりなりにも編集者としてお金をもらっているわけじゃないですか? 自分の仕事のどんな部分にプロフェッショナリズムがあるんですか?

中村:プロの線引きは難しいですけど考えてみると、いま自分がやっている仕事は、聞こえが悪いけど、ある種のチェック機構みたいなものなのかなと思っていて。自分がお客さんの立場としてこれを見た時にどう思うだろう? どうあるべきだろう? という気持ちはずっと持っておきたいというのがあって、例えばさっきのイベントの話じゃないけど、自分がお客さんでそこに来た時にあまりに身内ノリ過ぎて意味不明だったらわざわざイベントやる意味がないですよね。僕は音楽が好きだけど、専門の仕事をしているわけではないし門外漢なんですよ。カマトトぶっているわけではなくて、専門家になってしまうと自分自身がお客さんでいられなくなるし、中に入り過ぎると僕自身が面白くないですよね。門外漢の立場から客観的にものを見て第三者に伝える、というのが編集者としての仕事だと思っています。

中村さんが編集を手がける雑誌「IN/SECTS」

そういう意味では、私の場合は、職業的に専門家であることを求められるけど、一方でいま中村さんが話していたようなアマチュアリズム的な気持ちもどこかで持ってないといけないなと。

中村:橋本さんは、作品を歴史や文脈を踏まえた上で位置づけていくということをされていて、大変な仕事だなと思うんですね。憧れます。一方で僕の場合は、好き勝手に作品を見たいという思いがどうしてもあるというか。作家が友達だったとしても、がんばってなるべくフラットな目線で。お客さんとして。例えば、名画と言われるような作品でも自分があまり面白くないと思えばそれはそれでいいわけで。当たり前ですけど鑑賞はそれが楽しいと思うわけです。鑑賞人生ですね(笑)。でも、いまは色んな情報が入ってきたりして、だんだんそういう感覚を保つのが難しくなってくるなというのも感じるんです。ピュアなままでいたい、ピーターパン症候群(笑)。

展覧会「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」(2011年、国立国際美術館)よりcontact Gonzoの展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫

橋本 梓
お金儲けはしないんですか?

ある意味、ひとつの専門分野に自分を追い込んでいく方が簡単だったりすると思うんですね。そういう意味で、中村さんのように一歩引いた立場の人が果たす役割というのは大事だなと思うんです。

中村:そう言ってもらえると、なんかやりがいが出てきたぞー!(笑)。まぁ、僕らは小さなイベントなんかをやっていますけど、それで儲けよう、というか、儲かるとは思ってないんですね。もちろんプロのイベンターさんの仕事は別にして、例えば大阪が東京と大きく違うのは、こっちはあまりお金ベースで考えていないところですよね。儲けないということが原因で悪く転ぶこともあるけど。関西の場合はスタッフなんかも少ないから、なんでも自分たちでやる事情があるにせよ、やっぱり第三者が入って一緒にやることが大事だと思ってます。ただ、そういう人というのが少ないから、それが自分の役割なのかなと。

そういう立場の人が一人入るだけで全然変わることもありますよね。作家さんでもなんでも自分で全部やっちゃう人は途中までは早いけど、その先の伸びしろみたいなものがなくて、頭打ちになってしまう場合も多いんです。

中村:なんでも自分でやりがち問題。ミュージシャンが自分でレーベルなんかをやるのはいま真っ当なことかもしれませんが、なんというのか世知辛いとも思ってしまうんですね。

「IN/SECTS」主催のイベントの様子。

例えば、失業率の高さがよく話題になったり、最近大阪がギスギスしてきていているのが凄く残念なんですよ。昔だったら気さくに話していたようなことが「そんなん得にならへん」と切り捨てられたりしている気がする。

中村:わかります。お金の物差しで計ることと、そうじゃないこと、というのは当然ありますよね。いきなり損得だけで考えてしまうのは…たぶん損ですよね。回り回って経済的にも。

経済原理をベースにすると必要なシステムなのかもしれないけど、違うメガネで見てみると、全然要らないものって多いですよね。「IN/SECTS」の人たちに感じるのは、良い意味であまりトンがッたところがないことなんですね(笑)。東京にも編集者の知り合いはいますが何かが違う(笑)。

中村:ユルいってことですよね(笑)。それは戦略です。ウソ。トンガってもみたい…。まぁ、東京の出版社に勤めて、編集者らしい編集者になるという憧れも以前はありましたよ。「トレンドはこれだ!」「広告ゲット!」みたいな。それもファンタジーかもしれませんが。でも、「IN/SECTS」は広告ベースで動いているわけでもないし、最初から動けるとも思ってない。大阪から出しているということをもっと強みにしていくつもりです。とはいえ、「対東京」で考えているわけではなくて、トンガって言うと(笑)「トランスローカル」ですか? 物理的な距離よりも気持ちの距離が近い人たちが、とりあえず繋がることがいまはまだワクワクできると思っています。

橋本 梓
どんな企画をやりたいですか?

いま「IN/SECTS」は、どんな体制で運営しているんですか?

中村:スタッフは6名です。普段はフリーペーパーの制作を請け負ったり、別媒体の取材をしたり、みんなバラバラの動き方をしていますが、毎日だいたいスタッフみんなで、いつもここ(アララギ)のカレーを食べていて、その時に「次はこういう特集にしたい」とか「こういう企画が面白いんじゃないか」ということを言っているんですけど、全然形になっていない(笑)。最近は日々の仕事が忙しくなってきていて、もちろん会社としてはありがたいことですが、自分たちから勝手に発信することをしたいな、と。

私「IN/SECTS」に食べ物の特集をやってほしいんですよ。

中村:そういうのやってないですからね。どういう視点で取り上げるかによると思うけど、「どこそこのレストランが美味しい」とかじゃなくて、検索で引っかかりようのないもの、例えば「おふくろの味」をテーマにしたりとかね。一時期、人と会う度に「おふくろの味」を聞くことがなぜかマイブームだったんです。橋本さんは何か思い浮かびますか?

う−ん、すぐには思い浮かばないなぁ。

中村:そもそも「おふくろの味」の定義が難しいですよね。実際に聞いてみると、肉じゃがみたいなステレオタイプなものはあまりなくて、むしろ名前がないような料理が多かったりするんです。でも、その内容よりも「おふくろの味って何だろう?」と考えるのが面白いなって。例えば、僕のおふくろの味は親子丼なんですけど、それがなぜか考えてみると、たしかに卵も鶏肉も好きなんだけど、「おふくろ感」みたいなものって何?って(笑)。そういうことをあーでもないこーでもないと考えるのが楽しいんですよ。「徹底追及 おふくろの味」やりたいですね。わからないけど。

色んな世代や職業の人がどんな食生活を送っているかをデータとかでも見てみたい。原発のこともあって食べ物に敏感になっている人も多いけど、みんなどうやってそこに折り合いをつけているか知りたいですね。…ってなんで私が企画考えてるんだろう(笑)。

中村:食べ物は色んな切り口がありますよね。でも例えば、今日みんなで話していたことですけど、昔のプロポーズの言葉で「お前の作る味噌汁が食べたい」とかがあったと思うけど、いまそれに変わる言葉って何?って。例えば、「Facebookの交際ステータスを一緒に既婚にしないか」とか(笑)、そういう意見が出ましたけど。まぁ、しょうもないというか、アホな問題提起が好きなんですよね。でも、その話題だけ2時間喋れるならそれはそれで豊かではないか、と(笑)。それが敗者の言い訳に聞こえてしまう、そんな世の中だと寂しい限りですが、そういう話を自分ちの鍋パーティとかでしているのが、本当は一番楽しいんです。今度、鍋やりましょうか。