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「問い」をカタチにするインタビューメディア

未知との出会い

放送作家・寺坂直毅さんが、
八木橋百貨店・宮地 豊さんに聞く、
「現代におけるデパートの役割」

以前に、「インタビューされる人」としてカンバセーションズに登場し、「紅白歌合戦」やデパートなどにまつわるさまざまなエピソードを語ってくれた放送作家の寺坂直毅さん。そんな寺坂さんがインタビューする側にまわる今回、「話を聞きたい人」として挙げてくれたのは、埼玉県熊谷市にある八木橋百貨店の販売促進部 催事企画課で働く宮地 豊さん。オヤジバンド大会やアイドルを招いたライブをはじめ、さまざまな試みを通して百貨店業界に風穴を空けてきた宮地さんに、『胸騒ぎのデパート』などの著書を持つ大のデパート好きである寺坂さんが迫ります。

寺坂直毅
デパートはどんな場所ですか?

八木橋百貨店は、もはや日本一マスコミに登場するデパートと言っても良い存在ですよね。特に、八木橋の入口に置かれている温度計は、熊谷の暑さの象徴としてテレビなどでよく映されていますし、最近は一般の人も記念写真を撮られたりするそうですが、もともとこれはどういう経緯で設置されたのですか?

宮地:熊谷市が「あついぞ!熊谷」と暑さを逆手に取ったキャンペーンを始めるにあたって、民間企業にも何かやってほしいという要請があったのがきっかけです。そこで、八木橋の前に大きな温度計を立てたら夏の名物になるのではないかと、弊社の地元・なおざね商店街で発案したんです。上司からは、暑くて住みにくい街というマイナス面を強調してどうするんだとも言われたのですが、私個人ではなく、商店街全体の提案だったので、怒りは緩和できました(笑)。

いまや熊谷は暑さが売りになっていて、暑さ対策の街というイメージも定着してきていましよね。ところで、宮地さんはどういう経緯で現在のようなお仕事をされるようになったのですか?

宮地:私はもともと浦和で生まれて、小学校の頃にこの辺りに引っ越してきたんですね。だから八木橋は自分にとって慣れ親しんだ存在だったし、家族でデパートに行くことは、子供の頃の最大のイベントでした。そんなこともあり、大学で経済学を専攻した後に八木橋に入社しました。入社してからは、紳士服や靴下、化粧品などの売り場で長く働いていたのですが、ある日突然販売促進部に異動することになり、それからはイベント企画やチラシの計画などを考える仕事をするようになりました。

宮地さんが子供だった頃に比ると、いまのデパートもだいぶ変わってきているように感じますか?

宮地:そう思います。他に楽しみがなかったということもあったかもしれませんが、私が子供だった頃のデパートというのは、大食堂でみんなでご飯を食べたり、屋上で遊んだりと一日中過ごせる場所だったんですね。当時は、デパートに行けば何か楽しいことがあるだろうというワクワク感があったのですが、最近はお客様の滞在時間も短くなっていますし、何かの必要に迫られてから初めて行くような場所に変わってきている気がしています。また、昔はデパートに行かないと手に入らないもの、食べられないものというものがありましたが、最近はコンビニでも美味しいお菓子が売っていますし、モノで差別化することが難しい時代になっています。だからこそ、いかに付加価値を与えられるかということが大事になってきているのかなと思っています。

寺坂直毅
なぜデパートでバンド大会なんですか?

宮地さんといえば、オヤジバンド大会を企画されたことでも有名ですが、これはどういうきっかけで始められたのですか?

宮地:私が入社して2年目の時にベースが弾ける新人が入ってきたんですが、すでにドラムが叩ける人が社内にいて、ギターは自分が弾けたので、会社でバンドを組もうということになったのがそもそものきっかけです。当時はまだ23,4歳だったのでオヤジという感じではなかったのですが、社内の余興として賑やかしで演奏していたそのバンドが、さいたま市にジョン・レノン・ミュージアムができた時に、そこで開催されたイベントに呼ばれたんです。その時に一緒にいた他のバンドの人たちと、こうやって演奏できる場所があるといいよねという話をしていたのですが、ちょうど八木橋にはホールもあるし、うちでやってみる価値はあるんじゃないかと思ったんです。当時は、すでにNHKが「熱血!オヤジバトル」というオヤジバンドの番組を数回放送していたし、マーケットもあるんじゃないかと。

かつて八木橋の地下にはライブハウスもあったそうですね。デパートの地下というと、いわゆるデパ地下と呼ばれるような食品店街などがあるのが普通ですよね。

宮地:うちの先々代の社長は、自分で絵を描いたりするような人で、絵描きや写真家などの面倒もすいぶん見ていたようなんですね。そういうこともあってか、かつてあった八木橋の旧館の地下には、「木偶」というライブハウスが入っていました。また、熊谷では毎年「うちわ祭り」というものが開催されていて、その時期に合わせて八木橋では屋上などで市内のバンドのライブイベントを開催していたんですね。実は、ブラザートムさんが高校生の時に初めてライブをしたのが八木橋だったり、その共演者が当時中学生だったスターダスト・レビューのメンバーであったりと、熊谷というのは古くから音楽が根付いている街でもあったんです。

オヤジバンド大会の企画はスムーズに通ったのですか?

宮地:そのままでは企画を通すのが難しいと思っていたので、「中高年のための音楽発表会」という名目で提案しました(笑)。ところが、チラシに「オヤジバンド大会 出場者募集!」と入れたらすぐに役員室に呼ばれ、「お客様に対してオヤジとは何だ!」とお叱りを受けました。でも、これまでの経験からすると、会社が諸手を上げて賛成してくれる企画よりも、騙してでも強行するくらいのイベントの方がみなさん面白がってくれるんです。実際に第1回のオヤジバンド大会にもかなり多くの応募があり、そのほとんどは埼玉県内の方だったのですが、中には神戸からの方もいたくらいです。また、第1回のイベントにNHKが取材に来てくれて、それからはお客様が入りきれないほどのイベントにまでなりました。

寺坂直毅
デパートの定義はありますか?

オヤジバンド大会のように、デパートの一イベントがNHKで取り上げられるというのはかなり珍しいことだと思いますが、このイベントはこれまでに何回くらい開催したのですか?

宮地:全部で10回開催したのですが、実は昨年が最後だったんです。続けていくうちに、出演者同士が自分たちでサークルのようなものをつくり、市民ホールなどの会場を借りてイベントをするようになったんですね。そんな様子を見て、もうだいぶ根付いたんじゃないかという気がしましたし、惜しまれながら辞めたかったというのもあるんです(笑)。最後の回では、これまでに人気があったバンドにこちらから依頼をして、ベストメンバーを組んでみたり、飛ぶ鳥を落とす勢いのマキタスポーツさんに出演して頂いたりしました。「なんでやめちゃうの?」といった声も多かったのですが、私はサラリーマンなので、いつまた異動になるかわからないですし、自分でやめたと言いたかったんです(笑)。逆に「まだやっているんだ」と言われるのはイヤだったし、どんどん次を考えていかなければというのもありますからね。

山口百恵じゃないですが、最高の状態で引退したかったと(笑)。オヤジバンドの次は何か考えられているのですか?

宮地:次はダンスだろうと思い、ダンス大会を開催しています。はじめはキッズダンス大会として春休みの時期に3年くらい続けていたのですが、今年はゴールデンウィーク期間中に、オールエイジのダンス大会として開催し、ハワイアンから民謡、フォークダンス、ヒップホップなどジャンルの幅も広げました。オヤジバンド大会の参加者で最も多かったのは、66年にビートルズの来日を経験している世代だったのですが、そこから10年くらい経つと、今度はディスコ文化が広がっていったので、そうした世相を後追いする形で、バンドブームの次はダンスなんじゃないかと。

「Negicco感謝祭」

他にも宮地さんは、まだ売れる前の「Negicco」を、八木橋の新潟物産展に呼んでいたりと、デパートと言う場所から色々な文化を発信されていますよね。そんな宮地さんにとって、デパートの定義というのはありますか?

宮地:定義はないと思っています。僕にとってデパートというのは「楽しい場所」でしかないのですが、いまは色んな情報があり、趣向も多様化しているので、全員が楽しめるものというのはなかなかないと思うんです。昔は、山下清展のようなメガ催事というものがあったのですが、いまはみんな一緒にという考え方は難しくなっていますよね。今年のゴールデンウィークには、新潟物産展とは切り離して、「Negicco感謝祭」というライブをホールで開催したんですが、300人弱のお客様が来てくれました。ゴールデンウィークというのは地元の人たちも遠くに遊びに行ってしまうので難しいところがあるのですが、逆に距離など関係なく人が来てくれるこういうイベントは強いんです。普段は百貨店に来ないような方たちが館内にたくさんいらっしゃって、食堂などもとてもにぎわっていました。やはりガラガラの百貨店というのは寂しいですからね。

「Negicco感謝祭」

寺坂直毅
デパートに大切なことは何ですか?

デパート好きとして、土曜ワイド劇場の「デパート仕掛け人! 天王寺珠美の殺人推理」シリーズを毎回見ているのですが、八木橋がロケ場所として使われていますよね。「デパート! 夏物語」のような楽しいイメージのドラマではなく、殺人事件なども起こるサスペンスドラマの撮影に協力するというのは、デパートとしてはなかなか勇気がいりそうですね。

宮地:おそらく普通は貸さないですよね。さすがに殺人事件の現場は、駐車場や近くの場所などデパートの外にしてもらっていますが(笑)、このドラマのプロデューサーをはじめスタッフのみなさんが、どうしてもデパートで撮りたいという熱意をお持ちだったんです。それで店休日に場所をお貸しすることになったのですが、出演されている泉ピン子さんが、そのお返しとして座長公演のお礼の品を八木橋に発注してくれたり、番宣のインタビューなどでも、撮影の後にデパートで買い物するのがとても楽しいと言ってくれたりするんです。さらに、全国ネットのドラマのためにわざわざ熊谷まで来て撮影してくれるだけでもありがたいのに、こちらからお願いもしていないのにスタッフの方たちがうちのマークをドラマの中で大きく映してくれたりするんですね。そういう方たちだからこそ継続的にやれているのだと思いますし、やはり人のつながりというのは大切ですよね。

最近は売上のことばかり言われがちですが、デパートというのはやっぱり人のつながりだと思いますし、それこそが本来のあり方ですよね。

宮地:そう思います。自分が売り場で働いていた時も、今月はこれだけ売らないといけないとか、狭い枠の中でしか物事を考えられなかったのですが、こういう仕事をしていると、何か面白そうなものを見つけた時に、どの世代に合うだろうとか、こういう人たちに届けられたらいいなというようなことを考えられるようになりました。楽しさのおすそ分けではないですが、自分が好きなことをやりながら、「この人たちとこういうことをすると楽しいですよ」とか「こういう大会に出てみませんか」と呼びかけてお客さんを巻き添えにしたり、共感してもらって共犯者になってもらっているような感じがします。気がつけば、趣味が仕事のようになっていて、まさかこんな楽しい50代が来るとは思っていませんでした(笑)。

これからも色々な企画を仕掛けていくおつもりなんですか?

宮地:常に休まらないですね(笑)。熊谷の街は暑さを売りにしていくことで、だいぶ知名度が上がったと思うんです。以前は、物産展の打ち合わせなどで地方に行くと、群馬県にあると思わていたり、「雪は降らないの?」と聞かれたりしていたのですが、最近はそういうこともなくなりました。これまで寂しかった町が暑さのおかげでちょっとした文化を発信できるようになったと思いますし、自分たちも常に面白いものを探しながら、そのムーブメントを後押ししていければと考えています。


インタビューを終えて

カンバセーションズのインタビューは、文化人、著名人、アーティストの方の多いように思います。しかし、私がインタビューした宮地さんは、埼玉県の百貨店で働くサラリーマンです。インターネットで検索しても、すぐにプロフィールがわかる人ではないのです。形容しがたい不思議なオーラがあり、話し方も飄々としていて、どこか謎めいています。しかし、様々なアイデアを提案し、実現し成功させている、こんな魅力あふれる人を知ってほしい。『宮地さんのプロフィールを誰でも見れるようにしたい』。そんな思いから、今回インタビューさせて頂きました。
今回じっくりとインタビューして、私の『理想の大人』像が、宮地さんになりました。そう思う理由のひとつは、『趣味と仕事の両立がパーフェクト』だということです。百貨店という、品格があり、規則正しいイメージがある仕事で、自分の趣味、嗜好、生きがいをきちんとブレンドして、日々を過ごしていらっしゃる。辛いことも多いと思いますが、その顔はポーカーフェイスだから見せません。そこがまたいいのです。
そして、もう一つは『熊谷を愛している事』。百貨店は、街のリーダーです。街の歴史と共に歩み、文化を育み、生活する人の身近な存在が百貨店です。宮地さんの現場は、その熊谷の人に愛される百貨店を作るという仕事。温度計も、催事も、すべて熊谷の事を思う、宮地さんの愛情から生まれたものだと思います。
百貨店といえば伊勢丹や三越などを思い浮かぶ方が多いと思いますが、日本には、こういった地元になくてはならない、人と密着した百貨店が数多く存在します。宮地さんのような人がいれば、地方がどんどん活性化するのだと信じています