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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

まちづクリエイティブ代表・寺井元一さんが、
キュレーター/ワタリウム美術館・和多利浩一さんに聞く、
「アートとまちづくりの相性」

今回カンバセーションズに初登場するのは、アーティスト、クリエイターらを交えながら、千葉・松戸で"クリエイティブな自治区"の創造を目指す「MAD Cityプロジェクト」を推し進める株式会社まちづクリエイティブ代表の寺井元一さん。そんな寺井さんがインタビュー相手として指名したのは、現代美術を中心に扱う東京・渋谷の私立美術館「ワタリウム美術館」でキュレーターを務める和多利浩一さん。国内外で開催された数々の展覧会やアートプロジェクトなどにも関わりながら、青山キラー通り商店会会長、原宿地区商店会連合会会長、原宿神宮前まちづくり協議会代表幹事など、まちづくりにも関わってきた経験を持つ和多利さんに寺井さんが迫ります。

寺井元一
なぜまちづくりに興味を持ったのですか?

和多利さんとは、6年前くらいに一度お会いしてお話ししたことがありましたが、その後に僕は松戸に「MAD City」という新しい"自治区"を創ると宣言し、使われなくなった街の物件をクリエイターやアーティストに提供するという不動産サービスを続けているんですね。そのなかで、以前よりアートの人たちとの接点もだいぶ増えてきているんですが、「越後妻有トリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」などの影響もあって、最近はまちづくりとアートが同列に語られる機会も多いですよね。その辺りの動きについて、和多利さんはいまどう感じられていますか?

和多利:最近はアートが町おこしのために求められることも多いですよね。それについては特に否定もしないですし、アートというのは、コミュニケーションツールにも、人を驚かせるようなカンフル剤にもなるし、多種多様です。そのなかのひとつとしてまちづくりにも上手く使えるなら、積極的に扱って頂けばいいと思っています。ただ、いま私自身がやりたいことは、インキュベーションとか、人と人をつなげるというところなんです。以前は、自分自身がボランティア活動で街の中に入り込んで何かを変えようと思っていた時期もありましたが、それにはあまりにも時間がかかるということがわかってからは、何かをやる時は常に街に対して提案していく立場に立っていこうと考えました。

アートとまちづくりにおける批判的な意見でいうと、いまアートプロジェクトというのは行政から予算を引っ張りやすい安易な手法のひとつになっているという考えもあります。

和多利:も、規模的には全然足りないと思っています。瀬戸内や越後妻有などにはもっといけるだけいってもらった方がいいし、ハイアートが高みに行くほど、アンダーグラウンドは深く潜れるわけで、高低差がある方がアートの世界に幅が出てくるんです。日本は、本当の意味で現代アーティストとして食べられているのは10人くらいで、多くが大成功をしているわけではない。アメリカなどと比べると2桁は違うし、そこが日本のつまらないところなんですよね。

和多利さんは1995年に「水の波紋」という展覧会を企画され、渋谷・原宿の街にアートを出していくということをかなり早い段階でされましたよね。

和多利:当時一緒に企画を進めたのが、個人の家に合わせてアーティストが作品を制作・展示する「シャンブル・ダミ(友達の部屋)」というプロジェクトを海外で企画したヤン・フートというキュレーターだったんですね。アートを美術館から出し、街全体をプロジェクトにするということを最初にやった人なんですが、彼が「ドクメンタ」という海外展でディレクターをした時に私が携わった縁もあり、「水の波紋」では彼がこちらを手伝ってくれました。土地の値段が作品以上に高い東京の一等地で、最初は何も方法論がない時代でしたので、手当り次第に思いつく手法を探していくと、商店会や町会、自治体など、街にはさまざまなレイヤーがあることが見えてきました。私にとってはそれが非常に新鮮だったし、展覧会のために色々協力をしてくれた人たちにご奉仕をしないとと思い、街のボランティアを行なうようになったのです。

寺井元一
街に出てみていかがでしたか?

ワタリウム美術館という器を持ちつつ、商店会長を務めたり、まちづくり協議会を作ったりと、まちづくりの代表者的な立ち位置でも活動をされてきた和多利さんのような存在は、非常に特殊だなと感じます。

和多利:30代くらいの頃は、街の重鎮たち3人くらいを同時に相手にして、ひとりで議題を作って、司会をして、議事録も取って全員に送るということをずっと続けていましたね。ただ、どういう街にしたいかということをみんなで議論するために作った協議会だったのですが、どうしても「あいつは嫌いだからダメだ」という論調になってしまって、あまり機能しなかったんですね。ろくに議論もせずに権力のある人たちの都合の良いように物事が進んでいくところがあって、ここには未来がないんじゃないかと思ってしまったんです。街の内側に入っていくということはあまりに時間がかかってしまうし、自分の中のエッジの部分が削られてしまうんじゃないかと感じるようになったんです。

宮島達男 「キャットストリーの砂場 1995」 「水の波紋」展より

チャレンジすることができなくなってしまったと。

和多利:そうです。街の中で活動をしていた時は、色々な提案を受けて、それをさばいていく側だったのですが、それだとすべてがセーフティなものになってしまうんです。でも、アートをやっている以上、トガッていたいという思いもあるし、そこがワタリウム美術館や私自身の役割なのかなと。いまでも基本的には整合性を取って物事を進めることが大事だと思っているし、できる時はそうした方がいいですが、本当にやりたいことがある時は、ゲリラでもやってしまえる立場にいたいなと。

もしいまも和多利さんが商店会や協議会にいたら、それはそれで素晴らしかったのではないかとも思ってしまいます。

和多利:突き詰めていった結果、区長が変わらなければ何も始まらないというところに行き着いたんです。みんなでまちづくりをしなければという思いで区長選を戦ったのですが、最後にはコテンパンに負けました。やっぱり選挙は色んな意味で大変だったし、普通の世界ではない。こういうところでやってもダメだなと正直思ったし、それ以来まちづくりからは身を退くようになりました。私はせっかちなので、すぐに変わらないとダメだという意識が強かったのですが、そういうスパンで考えるとなかなか難しいんですよね。また、両親が倒れてしまったこともあって時間的な余裕もなくなったし、まずは本業を潰さないためにも、自分のアイデアはそちらに使っていこうと考えるようになりました。

寺井元一
アートで街は変わりますか?

現在はまちづくり的な要素を一部のアーティストに託しているところはあるのですか?

和多利:それはないですね。アーティストというのはそこに使命感を感じて活動をしているわけではないし、それはそれでいいんです。アーティストと美術館というのは、お互いの意見ややりたいことが合致した時にタッグを組むわけですからね。その分、一緒にやるからには普段できないことをやろうということは常々アーティストとも話しているし、過去にワタリウム美術館で開催したチンポムやJRの展示なども、他ではここまでできないというものをやっているという自負はあります。

「MAD CITY」 公園でのアートインスタレーションの模様。

まちづくりにおいて、アートは異物や刺激としての存在にはなり得るとしても、それがアート側を自衛するための方便になったり、自己満足で終わってしまう場合もある。そこを突破していくためにどんなことが必要だと思いますか?

和多利:そこは本当に難しい問題ですよね。たかだかひとつ展覧会をやったくらいでは何も変わらないし、特に東京で何かを起こそうとするなら、次元の違った規模で行なうか、地味に何があっても継続していく姿勢がないと、なかなか振り返ってもらえないですよね。でも、アートの面白いところは、人の意識を変えられることなんです。社会の仕組みを変えるのはとても時間がかかることだし、政治家や商店会などの意識を変えるのは難しいけど、少なくとも感度の高い若者であればひとつの展覧会で意識を変えることもできる。まずはそこからだと思うし、たとえ小さくても自分たちがやりたいことをやることが大事なんだろうなと。

ワタリウム美術館では教育プログラムなども継続してやられていますよね。

和多利:そうですね。大学生や社会人などにレクチャーするよりも、感度の良い小学生や幼稚園児に向けた方が、根っこの部分から広がっていく感覚があるんですよね。世の中には色んな人がいるという感覚を小さい頃から植え付けられたらいいなという思いもあります。こうした活動に共感してくれる人たちも出てきているし、少しは変化があるのかなと思っています。やはり継続は力になりますし、これからも続けていかないといけない活動のひとつだと考えています。

寺井元一
アートはオリンピックに関われますか?

今後また街に出て行って活動をしたいという欲求はないのですか?

和多利:それはありますよ。「水の波紋」の時のように、いつか改めて街に出て行かないといけないなと。私がこの地域に対してどう思っているのかというところは、現役のうちにもう一度見せる必要があると感じているし、それはそんなに遠くない未来のことなのではないかと思っています。

そう遠くないと感じられる理由には、東日本大震災や原発の問題なども絡んでいるのですか?

和多利:それもありますし、ちょっと思っているのは東京オリンピックですかね。これに向けてザハ・ハディドが設計する大きな競技場もできるわけですが、自分たちはまた違うものを何か示さないといけないと感じています。オリンピックといっても実質は3週間程度の話で、私たちはその後何十年もこの街と付き合っていかなくてはいけないわけですし、時機が来たら仲間を集めて何かしらのことを提示したいと思っています。

以前の東京オリンピックがそうであったように、2020年の東京オリンピックに関わる決定が今後の何十年に影響していくことになるわけですよね。その辺への危機感があるんでしょうか?

和多利:もちろんあります。前回のオリンピックというのは、20世紀にものづくりを支えた人たちの登竜門になっていたんですよね。丹下健三、亀倉雄策、田中一光、市川崑など、各分野の先端を走る30代のクリエイターたちがみんなオリンピックに関わっていたんですが、果たして次のオリンピックもそうなるのだろうかと。もちろんそうなれば問題ないんですが、もしそうならなかった時に、私たちは違う提案を見せないといけない。それがどういうものになるかは予算や時勢の問題など色々な要素に拠ってくると思うのですが、アートというのは何かの気づきを与えられるくらいの存在になれるものですし、役に立つ武器として機能させられたらいいなと。

「MAD CITY」アーティストの提供しているアトリエの風景。

寺井元一
アーティストとはどう付き合っていますか?

僕は、アートのジャンルに関係なく、ただ面白いと感じる部分で接点を持ちたい感覚があるんですね。でも、アートの世界に関われば関わるほど世界が狭まっていくような感覚があって、それがイヤなんです。和多利さんはそのあたり、どう考えてらっしゃるんでしょうか?

和多利:ワタリウム美術館では、現代アートだけではなくて、建築や思想、史学的な展覧会などもしているのですが、そこには自分の目を変えていかないといけないという意識があります。例えば、岡倉天心や日本庭園をテーマにした企画などもやってきましたが、これらは元館長だった私の母(故・和多利志津子氏)が企画したもので、最初はなぜそんなことをするのかと思っていました。でもいま思うとそういうものが自分の幅を広げてくれたし、スタディをすることが大事なんだなと。アーティストというのは一点突破の方がブレイクスルーしやすいところもありますが、私たちの仕事は社会の中に入っていかないといけなし、区長からPTAまでを相手にしていくものです。そこでは懐の深さというものが大事になるし、面白いと感じるものはなるべく取り入れるようにしています。

チン↑ポム「非常口」(奥)、「生き残る」(手前) ワタリウム美術館「ひっくりかえる展」より

アートはクリエイティブで刺激的なものという印象や理解がありますが、アートの世界ではその業界なりの利害が固まっていて、想定の範囲内でしか物事が動かないことも多いなと思って、そこに対しても違和感があるんですが…。

和多利:そういう人とは仕事をしなければいいんだと思います(笑)。以前にワタリウム美術館で展覧会をしたバリー・マッギーなどは、いまや数千万円で作品が売れるアーティストですが、それでも名前を変えて変な場所で展覧会をやっていたりするんですね。JRなどにしても作品は凄く売れているけど、そこで稼いだお金で貧しいところでプロジェクトをやったりしていて、そういう姿勢がとても好きなんです。僕は別にグラフィティが特に好きというわけでもないし、単純に本当に面白い人と仕事がしたいんです。もちろん僕の場合は、そこに現代アートの文脈とその評価など自然に肌にしみ込んでいて、このアーティストは数年後にこのくらいまでいくだろうということが瞬時に見えてしまいますので、それもひとつの軸にはなっています。ただ、いくら作品の評判が良くても、話してみると全然面白くなかったり、お金のことしか考えていないような人もいて、そういうアーティストとは仕事はできないし、やる必要もないのかなと。その分この人とやると決めたらこちらも覚悟をするし、アーティストにもプレッシャーをかけ、とびきりの作品を作ってもらいます(笑)。自分がやらないといけないことを明快にしておくことが大事だし、そこで嘘をつかないということが正解だと思います。

ストリートアートやサンプリングカルチャーなどが隆盛し、本物とコピーが入り混じるような状況があるなかで、現代アートの世界でもさまざまなアプローチがやり尽くされてきた感がありますが、今後アートはどんな方向に進むと思いますか?

和多利:これからもアートマーケットは変わらず存在していくと思いますが、僕が個人的に感じているのは、「〇〇派」などとは違うアーティスト同士の不思議なネットワークが生まれてくるんじゃないかということです。それが社会や経済レベルにまで広がっていくかはわかりませんが、これだけネットがつながっている時代において、ギャラリーにもミュージアムにも国にも属さないで、アーティスト同士が自分の弱い部分をシェアしながら、助け合っていけるような関係性というものが築かれていくかもしれないし、そうなればいいなと思っています。

いまのお話にちょっとピンと来るところがあります。どこまでやれるかわかりませんが、まちづくりの人間からのアプローチとして、そういうことを少しでも形にできたらいいなと思います。


インタビューを終えて

『アートとまちづくり』と言われる時、アートがまちを利用する、あるいはまちづくりがアートを利用するという短期的な利害関係のデザインにどこかで行き着く。最近はそう思うようになっていました。それはそれで、立場の違う人々がひとつのプロジェクトを行なうのであれば当然ではあるのですが、和多利さんがアートを出発点にまちづくりに関わったモチベーションは、もっと長期的なものだったんだなと感じました。和多利さんのその思いがまだ無くなったわけではないことも含めて、アートとまちづくりの接点にはまだ工夫と可能性があるなと思います。
一方で、和多利さんがまちづくりを突き詰めて、政治の世界に限界を感じたというのは、やはり世代や手法、もっと言えばコミュニティをどう捉えるかという差があるのかなとも思いました。アートというよりまちづくりの側を専門にしている僕としては、違った解決策を模索できるんじゃないかと思いますし、そこにチャレンジできればなと思います。
並行して新しいアーティストコミュニティの予感は、リアリティとバーチャルが入り混じる時代性を反映したご指摘だなと感じていて、まちづくりの側でも考えるべきことだなと思います。さまざまな壁やカテゴライズが緩やかに取り払われるやり方が、あるのかもしれません。個人的には、一時的にしか利用できないリアルだけれど、それゆえにアーティストと住民が緩やかに関われるアーティスト・イン・レジデンスのような取り組みが、そういうことを考えるきっかけになるのかなとも思いました