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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

ラッパー・環ROYさんが、
小説家・角田光代さんに聞く、
「年齢とともに変わる表現のスタンス」

今回カンバセーションズにインタビュアーとして初登場するのは、今年4月に4枚目となるオリジナルアルバム「ラッキー」をリリースしたラッパーの環ROYさん。ヒップホップの解釈を押し広げながら、精力的な活動を続けている環さんがインタビュー相手として指名したのは、「空中庭園」「八日目の蝉」「対岸の彼女」など数々のベストセラー作品を世に送り出してきた作家・角田光代さん。同じ言葉を操る仕事を生業とし、人生の先輩でもある角田さんに、果たして環さんはどんな質問を投げかけるのでしょうか?

環ROY
どんな気持ちで書いていますか?

角田さんの本で最初に読んだのは「空中庭園」です。ちょうどプライベートで問題があった時期で、現実逃避をするために手に取ってみたんですけど、人にはダメな部分が必ずあって、それを肯定してくれるような印象を受けました。

角田:なぜ私の小説には素敵な男が少なくて、ダメ男ばかり出てくるのかとよく聞かれるんです。でも、私はダメ男と思って書いているわけではないんですね。小説を書く時はいつも、いかに登場人物に説得力を持たせられるかを考えるんですけど、みんなの人気者で、嘘もつかなければ、浮気もしないというような人があまり考えられないんですね。むしろ、欠点の方から人物造形を考えていく方が説得力があると思っているんですけど、欠点のある人ってちょっと魅力的だったりするじゃないですか。自分の恋人が浮気性だったら嫌だけど、端から見ている分には、ちゃんとした人よりもむしろ魅力的だと思うんです。

なるほど、自分なりにリアリティを追及していたら自然とそういう人物像になるということですね。これまでに読んだ角田さんの本で一番好きなのは「彼女のこんだて帖」です。何度も泣きそうになったほどです。書いてあることは凄く普通で、3軒くらい隣の家に住んでいそうな人が出てくるんだけど、そのなかで「幸福とは何か?」という普遍的なお話を、凄く微細に扱っていらっしゃているように感じました。自分もこんな詞が書けたらなと思いました。

角田:ありがとうございます。でも、「彼女のこんだて帖」って割と小さな話じゃないですか。そんなことをラップで歌ってもいいんですか? ラップは詳しくないですが、もっと攻撃的な感じのイメージがあったので。

ラップが生まれてからもう40年くらい経っているんですけど、時間の経過の中で多様化してきていると僕は考えています。ですので極端な話、何を扱ってもいいと思っています。例えばですが、ダンス、踊りというのはもともと五穀豊穣を祈ったり、儀式的なものだった時間が長いと思うんです。絵画も、教会や貴族にオーダーされたなかで描かれてきた時間が長いですよね。でも、ある時からそうじゃなくてもよくなった。それと同じで、ラップ音楽も、既存の定型を通過して、より自由になっている時期なんだと解釈しています。

角田:なるほど、よくわかりました。私は、普段の生活とか、普通のことが凄く好きなんですね。ダンスやラップの話と同じで、これまで文学というのは何か大きなことを言わなきゃいけない風潮があるような気がしていたんですけど、もっと小さい話でも小説になるんじゃないか、私たちの暮らしというのは常に小さくて普通なんじゃないかと。それを書くことが、それこそ儀式から開放されて自由になるための第一歩なのかなと思っていた時期があったんです。


環ROY
壁にぶつかったことはありますか?

日常の生活や暮らしを書こうとしていた時期が"あった"ということですけど、その後モードが変わっていったんですか?

角田:そうですね。日常を書くことが増え、自分の得意分野みたいになっていくにつれて、徐々に窮屈になっていったんです。それで、対極的なことをしようと思い、いままでとは違うことを書いたりするようになりました。

それはいつ頃のことだったんですか?

角田:32,3歳の頃ですね。それまでは自分の世代に興味があったんですが、当時私の周りの友だちには就職している人が少なくて、みんなフリーターだったんですね。ちょうどバブルが終わった頃だったんですが、バイトしながら好きなことをするような人が多くて、そういう人たちのことを「文体とは何か?」と考えながら書いていました。ただ、30歳を過ぎた頃に、「もうフリーターを書くには若くないな」と感じるようになり、自分の中で限界が押し寄せてきたんです。

(右)「空中庭園」(2002)、(左)「対岸の彼女」(2004)

いま自分も同じくらいの年齢なので、30を過ぎてからの変化というのは強く共感するところがあります。文体にこだわるということにしても、結局純文学という、あまり大きくない枠の中に回収されるだけで、みんなには伝わらないじゃん、みたいなお話しですよね。僕もラップという定型的な様式の中で、みんなに分かってもらえないということをだんだん感じるようになっていきました。そうなると、生活の近くにあることを書きたいなと思えてくるし、普遍性について凄く考えるようになりました。

角田:まさにそうなんですよ! それまでは分かる人だけ分かってくれればいいと思っていたし、年上の人に「こいつ分かってないな」とか言われても、「けっ!わからなくていいよ!」って感じだったけど(笑)、だんだんそれが言えなくなってくる実感があって。私の場合は、仕事も極端に減ってきたということもあり、このまま誰にも伝わらないものを同世代に向けて書いていて何になるんだろうと。やっぱり一番怖いのは仕事の場が失われることですからね。

僕も最近、意識して歌詞の内容を変えたりしています。100人中90人くらいが楽しいと思ってくれるような方法はないだろうかって模索していますね。まさに角田さんが仰る通り、仕事の場を失わないようにするための進化、変化というのは、凄く意識しています。

角田:私は32,3歳で意識的に変えようとしたんだけど、なかなかうまくできずに2年くらい苦しみました。34,5歳くらいでなんとなくやり方がつかめて、そのために必要なことも分かってからずっと頑張ってきて、いままた息切れしてきた感じです(笑)。


環ROY
周りのことは気にならないんですか?

以前に他のインタビューで、周囲の状況や他人のことが全く気にならないという話をしていましたよね。そういう純度が高い状態で創作に集中できるのは凄く難しいことだと思っていて、羨ましいなと感じます。そう思えるようになったきっかけは何かあったんですか?

角田:ボクシングジムに通い始めたことと、マラソンを始めたことですね、ボクシングジムというのは、基本的にはボクサーになりたい人が来る場所じゃないですか。でも私は始めたのが33歳で、しかも女性だし、まさかプロになろうなんて思ってないわけで。言ってみれば、始めた時から負け戦なんですよね。もともと私は運動が苦手だし、マラソンにしても早くなりたくてやっているわけではない。そういう負け戦を続けていると、誰と戦ってもしようがないということが、身体を通して嫌というくらいわかってくるんですね。それからは誰かと競うとか、人と比べて苦しむようなことがなくなったんです。

凄く参考になります。やっぱり「同世代」とか「音楽」という括りで、周りの人が気になるんですよ。「なんだろうな、この差は」みたいなことを考えちゃったりするんです。

角田:以前は私も「あの人は凄い売れてる」とか「こういう賞をもらった」とか他人の仕事ぶりばかり気にしたり、羨ましく思うことが多かったんです。そういうのは結局自分の闘争心みたいなものがネックになっているんだと思うんですね。ボクシングやマラソンとか徹底的に敵わない世界に身を置いたことで、人と競うことよりも、まずは自分の闘争心と戦わないといけないということを学びました。

僕も運動します! いつも角田さんは9時に仕事場に出勤して、5時には帰るそうですが、毎日自分のペースを守って働いているのも、周りを気にしないためなんでしょうか?

角田:それはあまり関係なくて、単に習慣というか癖のようなものですね。だから、例えば前日に飲み過ぎて、翌日仕事を始めるのが10時とかになると、凄くズルしたような気になっちゃうんです(笑)。あまりに慣れ過ぎた結果、少しでも狂うとサボった気持ちがしちゃうようになってしまいました。でも、9時から5時までずっと集中してるわけでもなく、集中が切れてネットで料理の手順とか見ちゃったりするんですけどね (笑)。

環ROY
観察することに意識的ですか?

角田さんの描写を読んでいて、日常に対する微細な表現が本当に巧みだなと感じました。乱暴に言うと、あるある感が半端ではない。これは観察するという行為から来るのでしょうか? そして観察には意識的ですか?

角田:そんなに意識しているわけではないですが、私は短気なので、街を歩いている時とかでも、ちょっとしたことでイラッとすることが多いんですね。その時にイラッとしたことを覚えておいて、その原因は自分にあって、相手の人は正しかったと考えるようにしています。例えば、往来で奥さんを大声で怒鳴りつけている初老の男性ってたまにいるじゃないですか。そういう人を見るともの凄く怒りを覚えるんですけど、そのおじいさんがそういう行為をするに至った理由や、奥さんとの関係性というものもあるだろうし、なるべくそういう要素をフラットにした上で、覚えておくようにしているんです。

こっちからしたら完全に「ジジイ、悪いヤツ! ムカつく!」ってなるけど、そこに至った理由を考えてみたり、その行為を許容している奥さんの存在というのを、なるべく俯瞰して見てみるということですね。僕も自分のことを掘り下げる時にかなり近いことをしているので、共感します。特に自分のことだとウェットになりがちなので、なるべくそれを抑えてドライに、フラットにしていくというか。でも、ずっとそんなことばっかりやってきちゃったんで、最近はいい加減もうやめようと思っているんです。

角田:お互いに物事を後から客観視するところがあるんですね。その前段階として、何かが起きた直後は、自分が悪かったと考えるタイプですか?

記憶が曖昧なくらい昔のことは自分が悪かったと考えることが多いけど、その場ではお前が悪いだろって思いがちですね。例えば、電車の中で電話しているヤツがいたらやめてよって言うし、並ばないヤツには並んでよって言う。その場でそれをやっちゃうから、クリエイトの種がどっかにいっちゃうのかもしれないけど(笑)。僕も角田さんと一緒で怒りん坊なんだけど、「僕が正当な手順をたどっているのに、お前はルールを無視していて許せない!」みたいな幼稚な衝動が働くんです。それは正義漢とかではなくて、どちらかというとルールを守るのが苦手な僕ですら社会にソーシャライズされているのに! という被害者意識だと思うんですね。社会に対して感じている窮屈さみたいなものがそういう時に出ちゃうんじゃないかなと。

角田:私も以前に、なんでもかんでも些細なことで怒っているという話を友達にしたら、それは世の中に対する信頼があるからだと言われたんです。その時はあまりピンと来なかったんだけど、いまの話を聞いていてわかった気がします。みんなが守っていることは当然であってほしいし、だから自分もやっている。でも現実は違うんだ、という時に信頼が裏切られたような怒りが沸き起こるのかも (笑)。

良く言えばお互い、社会に対する解釈がピュアで、悪く言うとユートピア思想が過ぎるのかもしれませんね。僕は「ジャンプ」で育っているから、友情とか努力を大切にしてたら楽しく生きられるという思想が基盤にあるのかもしれません(笑)。だから、自分の好きな物語が傷付けられたように感じて怒っているんだと思います。

環ROY
どんな小説を書いていきたいですか?

角田さんはこれからどんな小説を書きたいと思っていますか?

角田:最近は、歴史など長いスパンのものを書きたいんです。千年単位くらいの物語とかを考えたいんですけど、それをやるとなると一から基礎知識を学ばないといけなくて、凄く時間がかかってしまうんです。以前に書いた「曽根崎心中」にしても、他の作家の方に比べて基礎知識や素養がないから、遊女とは?とか、江戸時代とは? というところから始めなくてはいけなくて、泣きながら勉強しました(笑)。これまで凄く短期間で書いてきていて、長時間準備をするということに慣れていないんですね。いつも準備ができないまま連載が始まってしまってなかなか取り組めないという苛立ちがずっと続いているんです。

(左)「曾根崎心中」(2011)、(右)「八日目の蝉」(2007)

スケールを大きくしたいという欲求は自分にもありますね。なるべく100年単位とか1000年単位の歴史を踏まえた上で、いま自分がこういう音楽をやっているということが示せたらいいなと。だから、結構歴史のこととかを調べたり、話を聞いたりするんですよ。周りにもそういうのが好きなヤツが結構いて、例えば日本の縄文土器は世界で最初の食器だとか、そういう話を教えてもらったりするんです。縄文時代の日本は、周囲から敵も攻めてこないし、高温多湿な気候で動物も植物も豊富で、メチャ良い感じの空間だったらしいんです。だから他の大陸よりも狩猟生活の期間が長くて、縄文時代が1万年も続いたらしく、その間に凄く暇だったから、「じゃあ食器でも作ってみるか」みたいな (笑)。

角田:凄く面白い話ですね。最近は私もきっちり歴史に根ざしたものを書きたいという思いがあるんです。

小説以外の分野で何かをやろうと思うことはないんですか?

角田:いまの仕事がなくなった時に何をするかということは常に考えているけど、積極的にやりたいと思うことはないですね。だから、色々できちゃう人は凄いなと思うんです。

うらやましいですよね。ラップは人前でやるパフォーマンスだけど、作詞というのは全く違う作業なんです。ラッパーには、パフォーマーと作家の両方の側面があって、その比重はそれぞれ違うと思うけど、自分はどちらかというと、パフォーマーという部分にフォーカスしていきたいという思いがある。いまはラップが得意だけど、パフォーマンスという広い枠組みで表現ができるといいなと思っています。ただ、一から勉強するのは面倒くさいとも思ってもいるので、逃げの発想の粋は出ていないのかもしれません(笑)。

角田:私はロックが好きで、前にギターを勉強して、ひと通りできるようになったんですけど、そこから頑張り続けることはできなかった。そういう意味で小説というのは、ずっと頑張ってできている数少ないものなのかなと思います。

要は自分が頑張れることをラップ以外で探さないとということなんでしょうね(笑)。


インタビューを終えて

角田さんは普遍を紡ぐ人、言い方を変えると圧倒的な“あるある”を描ける人。それが僕の印象でした。もっと言うと、ありふれた視点に再発見や再解釈を加え、日常を再構築する魔術が使える人、です。僕はここ数年、普遍について頻繁に考えています。だから、角田さんとお話しすることが決まった時、どうやったらそんな魔術が使えるのか、とにかくそれを聞きたい!と思いました。でも、どうやって聞いたらいいのかなぁ…とも思いました。だってそんなことが簡単に説明できたら、それを聞いて簡単にマネができてしまいます。ですので、角田さんが普遍についてどのように考えているのかを伺ってみて、その回答から彼女の方法論が浮かび上がればいいのかなぁと考えました。答えではなく、ヒントを頂くようなインタビューになれば! と思って臨みました。
僕個人としては、メチャクチャたくさんのヒントを頂いたように思っています。そして角田さんが僕くらいの年齢で考えていたことや、その後の経過を伺うことまでできました。表現活動を続けていくなかで、社会とどう関わっていくのかというお話しは、人生の後輩として、大いに参考にさせて頂きたいと思います。
あと、いまはスポーツジムに通っている自分ですが、ボクシングジムに移行することも視野に入れて生きていこうと思います。ラップについて少し説明させて頂けたのも嬉しかったです!