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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

クリエイティブユニット・SPREADさんが、
ミュージシャン・曽我部恵一さんに聞く、
「音楽を通じた世界との向き合い方」

今回インタビュアーを務めてくれるのは、小林弘和さんと山田春奈さんによるクリエイティブユニット「SPREAD」。グラフィック、ウェブ、プロダクトなどさまざまな領域のデザインを手がける傍ら、人間の一日の行動を色に置き換え、24時間の時間軸に沿って記録するアートワーク「Life Stripe」を展開するおふたりが今回インタビューするのは、サニーデイ・サービスやご自身のバンド活動などで知られるシンガーソングライターの曽我部恵一さんです。「Life Stripe」にも一日の生活の記録を提供してもらった経験があるという曽我部さんに、SPREADのおふたりが聞きたいこととは?

SPREAD
CDジャケットはどんな存在ですか?

私たちはCDジャケットのデザインもしているのですが、音楽を作る人たちにとってジャケットというのはどういう存在なんですか?

曽我部:ジャケットには作り手のメッセージがわかりやすく出ますよね。凄く内容に沿ったものを出す人もいれば、あまり深く考えずに顔の写真にする人もいる。例えば、ローリング・ストーンズのジャケットなんかを見ると凄くファッショナブルで、トガッたアートディレクションがされていて、時代の先端にいたいんだなというのが伝わってくるし、一方で、ニール・ヤングみたいな人は、見てくれは全然気にしないんだなとか(笑)。最近だと、アンダーグラウンドでダンスミュージックをやっている若手とかには、コスト削減という面もあるのでしょうが、工場から届く白や黒のジャケットのまま、ラベルのところにタイトルやアーティスト名だけを入れて出荷してしまう人もいる。それだけ自分のネットワークに対する信頼があるのだろうし、そもそも不特定多数に向けているわけではないというスタンスが感じられて面白いですよね。

その中で曽我部さんにとってジャケットはどういう位置付けになるのですか?

曽我部:その時の自分が出せたらいいなと思っていて、あまりジャケットには重きを置かないようにしています。ジャケットで判断してもらいたいくないという気持ちがあるので、その時の自分の写真が載っているくらいのバランスが僕にはちょうどいいですね。

CDジャケットを作る仕事は、大袈裟に言うとその人の人生がかかっている感じがするんです。たとえ大きなレコード会社に所属しているバンドで、その後ろにたくさんの人たちが関わっていたとしても、やっぱりそのバンドのメンバーにとっては、人生の何年かの中の重要なポイントになっていて、それを想像すると凄くやりがいを感じます。

曽我部:そういう意味でいまミュージシャンは恵まれていますよね。例えば、70年代のジャマイカなんかだと、ミュージシャンの知らないうちに適当にレコードが出ていたりするんですよ(笑)。デザインも凄くラフだし、ちゃんと印刷工場で刷れなくて、ほぼ真っ黒なジャケットになってしまったとしてもそのまま出てしまう。しかも、裏ジャケに書かれている曲目も3割くらいは間違っていて、収録曲が全然違うなんてこともザラなんです。ある意味ミュージシャンの人権なんか無視されているんだけど、そこに凄い迫力やロマンを感じる(笑)。かなりマニアックな楽しみ方だとは思いますが、僕らは、アートディレクターさんが親身にアーティストのことを考えてくれるようなジャケットの作り方しか知らない。だからこそ、勝手に作られてしまうようなものや、誰も意図しなかったものが事故的に生まれたりするという状況も見てみたいなと思ったりするんです。

SPREAD
曲はいつ完成するのですか?

ジャマイカのレコードの話にもつながりますが、結婚相手の親戚って面白いなと思うんです。結婚相手というのはお互いに好き同士だからいいけれど、その先にいる親戚というのはまったく選択できないじゃないですか。中には凄い人なんかもいたりして、付き合っていくのは大変だけど、選択できない出会い方が面白いなと思うんです。そういう意図しないハプニング的な要素というのが、世の中が最適化にばかり向かうなかで少なくなっている気がします。

曽我部:そうですよね。アートなどのもの作りとは一見離れているような領域でそういうことが起こったりしますが、本当はそこにアートが立たないといけないなと思います。もの作りをそういうところから切り離してしまうのはちょっと違うと思うし、どうしようもないしがらみのなかで僕らは生きている。そこに立つということがあらゆるもの作りおいて大切なことだし、それでこそ初めてアートとしてカッコ良いものになるんじゃないかと。

いまお話して頂いたことは、曽我部さんの曲を聴いていて自分に凄く馴染んでくる感覚と重なります。例えば「満員電車は走る」という曲は、誰もが知っている風景なんだけれど新鮮に感じるし、ここがアーティストが立つべき場所なんだなと。曽我部さんはそういう日常的なことを見つめられていて、そのメッセージにも凄く共感できます。

曽我部:日常ということよりも、まずは自分の歌であるということが大事なのかなと。聴く人たちに「お前はどうなんだ?」と問いかけるのではなく、あくまでも自分に対する問いかけなんです。人に問いかけてばかりいてもキャッチボールは起こり得ないし、つまらないと思うんです。自分に対する問いかけが、ひょっとしたら人に対する問いにもなり得るんじゃないかとか、自分が思っていることを誰かも思っているかもしれないとか、そういういう感覚ですね。

曲を作っていて、これで完成だと感じる瞬間はありますか?

曽我部:そういうタイミングは本当にないんです。時間切れとか、ふと間違って完成なんじゃないかと錯覚するとか、それこそ事故的なものでしかなくて。もの作りに完成は絶対ないと思っていて、生きている間はずっともの作りだから、結局そういうタイミングでしかない。それを認識できているかどうかが大事で、完璧なものを作り上げようとするとなかなか難しい気がします。例えば、キューブリックのように凄く時間をかけて、数少ない完璧な作品を作っていくようなスタンスも憧れるけど、僕の場合はもっと量産していって、その中に良いものもあれば、よくわからないものもあるというバランスでいいと思っています。よくわからない作品というのは、その時の自分がよくわからなかったからできたものだと思うし、いま自分が残せるものを毎日やるという感覚で作っています。

SPREAD
行き詰まった時はどうしていますか?

ご自身のレーベル「ROSE RECORDS」を立ち上げた時はどんなことを考えていましたか?

曽我部:最初は完全に成り行きでしたね。当時はメジャーの契約が切れて、これからどうしようかなという時期で、色々考えた末に自分でやってみるのもいいかなと思ったんです。将来的な展望とかビジョンというのは全然なかった。いまも特にこうなりたいというものはなくて、流れに乗っているだけですね(笑)。

私たちもそういうところが多分にあったので凄くわかります。アルバムを出すタイミングは決めていないのですか?

曽我部:決めていないです。曲自体は日々作っているんですが、その段階ではどういう形でまとめるかは考えていなくて、「これは十数曲のパッケージにできるかな」と思ってから、スケジュールも含めて動いていく感じです。ただ、僕は長年アルバムをリリースしてきているから、アルバムに落としこむというのがある意味癖になっているんですが、最近はそこからも自由でありたいなと思ったりします。

曲を作っていて行き詰まった時などに、現状を打破するために意識的にやっていることはありますか?

曽我部:着想の段階では光るものがあったのに、制作過程で余計なものが積み重なってきて曇ってしまうケースというのが結構あるんですね。そういう場合は、そもそも自分が何を聴きたかったのかとか、どんな曲だと心が喜ぶんだろうというところに立ち返ってみたりするし、それでも取り返しがつかない場合は、一度ゼロに戻して完全になかったことにします。そうすると、その1ヶ月後くらいに出来た曲に、当時の良かったエッセンスだけが入っていたりするんです。そういう意味では、一度ゼロにするということはすべてを捨て去ることではないし、上手くできなかったということも、実は凄く大事だと思うんです。もの作りというのは、ベルトコンベアから不良品を排除していくようなことではないし、実はその濁ったような状態こそが自分なのかなと思ったりしますね。

ある段階でブレイクスルーが起こる瞬間が訪れることもあるのですか?

曽我部:それまで自分を規制していたものの正体がわかった時に少し開けますね。「知らないうちにこんなことを恐れていて、これを禁じ手にしていたのか」とかね。その恐れというのは自分の弱さに起因するもので、そんなもの恐れる必要ないと思えた瞬間にちょっと前に進んだりする。日々その繰り返しなんですが、自分を高めていくという感覚ではなくて、自分の核心部分がどれくらいダメなのかとか、どれだけ汚れているのかということを問い詰めていくような感じです。だから、もっと美しくなろうとかそういうことじゃなくて、「自分ってどういうこと?」みたいな感覚の中で作っているんだと思います。

曽我部さんの一日の記録を元に制作された「Life Stripe」。

SPREAD
「いい音」ってどんなものですか?

曽我部さんの曲の歌詞には「夜」や「夏」など時間を感じさせる要素が多いですよね。私たちも時間というテーマに興味があり、「Life Stripe」などの作品も作っているので、曽我部さんが時間というものをどう捉えているのかもお聞きしてみたいです。

曽我部:時の流れというのはいいですよね。必ず冬になり、夏になる。夜が来て、朝が来る。これくらい信頼できるものはないし、「夏が来たなぁ」とか「夜になったなぁ」とかそういう歌しか歌いたくないなと思うんです。その中に「あの子が好きだ」とか「友だちは何してるのかな」という不確かなものが混ざってくるような感覚ですね。

音楽というのは、僕らがやっているデザインとは違って、同じ曲をライブで何回も演奏したりするのも面白いなと思います。同じ曲なのに常に感じ方は変わっていくし、形がなく、聴く人の感覚によって変化していくというのは音楽の素敵なところですよね。

曽我部:僕自身、同じ曲でも時期によってだいぶ変わりますからね。特に歌というのは、その人が住んでいる国の言葉で歌われるものだし、意思や思いとか余計なものが色々つめ込まれているものだから、なおさらそう感じるのかもしれないですね

デザインの仕事をしていると、「いい色」というものがあるんですね。でもそれは言葉では上手く説明できないから、理解できない人にはなかなか伝えづらい。色には凄いパワーがあって、色だけで人の感情を動かすようなことができないかなと思っているんですが、音楽もそれに近いところがありますよね。言葉にはできない「いい音」というものがある。

曽我部:僕にとって「いい音」というのは、「好きな音」とか「想像力が働く音」というものとは違って、そのままの音が良いということなんです。例えば、ライブの時なんかは、ギターそのものが出す音をそのまま聴いてもらえる状態に近づけるように意識しています。マイクのケーブルひとつとってもメーカーによって全然違って、音をきらびやかにしてしまうようなものもあるんですが、なるべくフラットで原音を忠実に表現してくれるものを使うようにしています。自分が音を作る場合は、メチャクチャ汚い音に加工したりするのも好きなのですが、コンサートではそこにいる人の声がちゃんと届いていることが大事だと思っています。だから電源なんかも、電圧の安定した医療用のものを自分たちで持ち運んでいるんです。もはや変態ですよね(笑)。

突き詰めていくと変態になっていきますよね(笑)。私たちもピンクひとつとっても、「あっちが良い」「こっちの方が良い」と周りにイライラされながら選んだりしています。周りからしたら何も違いがわからなかったりするんですけどね。

曽我部:でも、それがなくなってしまったら終わりですよね。現代社会ではどんどんそういうものが排除されていて、受け取る側はそれでもいいと思いますが、作り手がそのこだわりを捨ててしまったらもうダメかなと思うんです。

SPREAD「Life Stfipe」 Photo: Takumi Ota

SPREAD
なぜここまで続けられるのですか?

曽我部さんにとって、音楽活動の出発点や原点はどんなところにあるんですか?

曽我部:昔から工作や絵などもの作りが好きだったんですよ。その究極的な満足度が得られるものが自分にとっては音楽で、これ以上のもの作りはないんです。人前で歌えて、おまけに形にも残らない。それが凄くロマンチックだなって。

僕(小林)も音楽は大好きなんですが、リズムが上手く取れなくて、必ずみんなとタイミングがズレてしまうんです(笑)。コンサートではみんな手拍子とかをしますけど、周りに合わせるためにはある程度客観的にならないといけないんですよね。でも、一人ひとりこんなに違う人間なんだから本当は合うはずなんてないし、むしろ自分の方が自然なはずだと開き直ってからは、ライブも楽しめるようになったんです(笑)。

曽我部:それは凄く大事なことですよね。ライブをやっていると、完全にリズムがズレている人が見えるんですよ(笑)。この人はどうやって楽しんでいるんだろうと思うかもしれないけど、その人はその人で楽しんでいる。最近僕は曲を作る時に、自分が言いたいことをわかりやすくして提示するということをなるべくしないようにしているんです。そもそも人の心というのは、70%くらいはわからないものだと思っているんですね。それが本当のことだと思うし、もの作りにとって大事なことは、いかに自分のリズムをしっかり出せるかということだと思うんです。

曽我部さんと同じように、僕(小林)が学生時代に聴いていたミュージシャンは他にもたくさんいるのですが、その後の活動が止まってしまったり、よくわからなかったりする人も多い。曽我部さんの活動を知ることができるのは音源のリリースがあるからなんですが、改めてそれは凄いことだなと。なぜずっとリリースし続けられるのですか?

曽我部:早川義夫さんという僕が大好きなミュージシャンがいて、彼はもともとジャックスというバンドをやっていたんです。バンドをやめてからもソロ作品を出したりしていたんですが、その後引退して、何十年も本屋をやっていたんです。90年代になって復活してアルバムを出したのですが、早川さんは「休んでいたということも自分にとっては歌なんだ」と言うんです。歌うことがない時には歌わないということが「歌」なんだと。それは絶対に正しいと思うし、自分も歌うことがなくなったら歌うべきじゃないと思っています。でも、まだそうなっていないだろうという意地もあるのかもしれないけど、とにかく音楽が大好きだし、まだ全然止まる気配というのがないんです。



インタビューを終えて

今回曽我部さんにインタビューをしてみて、思い描いていた答えと全然違うことも、自分たちが言語化できていない先のことを示唆する話もありました。曲作りの話の中で出た『自分に対する問いかけが、ひょっとしたら人に対する問いにもなり得るんじゃないか』という言葉は誠実に受けとめたいです。曽我部さんの曲を聴いて、泣いたり笑ったりする理由がわかった気がしました。問いの性質=作品の性質にもなっていくものだなと。
インタビュー中にも出ましたが、曽我部さんの作る曲やアルバムはもちろん、レーベル運営やライブの行い方なども含めた活動そのものが好きです。今回はそんな曽我部さんの世の中との向き合い方を周縁からお聞きするような試みができました。
『"夜になったなぁ"とかそういう歌しか歌いたくない』と話されていましたが(なんて根源的!)、ここから垣間見れたものがあったように思います。こうしたスタンスで、世の中のさまざまなものに向き合っている曽我部さんの様子に、自分たちは感動しているのです。
また、曽我部さんが音楽のことを『もの作り』と表現されたことも印象に残っています。『もの作り』は普段私たちがやっていることですが、なぜか『音楽』とは分けて考えていました。音楽は形がないものですし、とても憧れているものなので、別格化していたのかもしれません。ブレイクスルーの話にもつながりますが、音楽をもの作りとして考えると、自分の規制がひとつ外れます。私たちは常々『音楽がもたらすようなことをデザインでも行いたい』と話していたので、これからはいよいよ本格的に、音楽と対等の位置付けになるものに挑戦することになりそうです(笑)