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「問い」をカタチにするインタビューメディア

未知との出会い

アーティスト・松井えり菜さんが、
バービーコレクター・関口泰宏さんに聞く、
「バービーに見る日本のものづくりの底力」

今回、インタビュアーとしてカンバセーションズに参加してくれるのは、カルティエ現代美術館に収蔵されている『えびちり大好き』をはじめとする個性的な自画像作品や、ウーパールーパーをモチーフにした作品などで知られるアーティスト、松井えり菜さん。世界を股にかけ、精力的な活動を続けている松井さんが、"いま本当に話を聞きたい人"として指名したのは、世界的なバービー・コレクターとして知られる関口泰宏さん。数えきれない程のレアなバービーたちが陳列された圧巻の関口コレクションに囲まれながら、失われつつある"ニッポンのもの作り"について、松井さんが鋭く迫ります。

松井えり菜
バービーはどんな時代に生まれたのですか?

私はもともとアンティークドールが好きなんですが、以前に行われたパリ万博で日本が持ってきた市松人形から着想を得て作られたものだということを聞いた時にスゴく感動した覚えがあるんです。人形に服を脱ぎ着させるという発想が当時の向こうの人にはなかったらしく、とてもビックリされたんだそうです。そのアンティークドールの流れにバービーがあることを考えると、そもそものオリジンは日本にあるとも言えますよね。最近私は、日本のもの作りということについてよく考えていて、今日はバービーを通して、そういう話をお聞きできればと思い、お伺いしました!

関口:市松人形もアンティークドールもちょっと怖いイメージがあるじゃない。そういう意味では、子どもが本気で遊べる人形というのは、バービーが最初だったんじゃないかなと思います。リカちゃん人形ができたのもその10年後くらいだし、当時はアメリカがだいたい10年くらい先を行っていたんですよね。60年代半ば頃のバービーで人気があったのは、ウェディングドレスを着たお嫁さんか、スチュワーデスか看護婦で、そういうものが子どもたちの憧れだったんですね。その後、夜の社交界に出かけるためのドレスを着たバービーなんかも出てくるんだけど、昼と夜のメリハリをつけて人生を楽しむという女性像が確立されるのも、日本では女性が社会進出するようになった70年の万博以降ですよね。ファッションでもなんでも、当時の日本は10年くらい遅れていたんですね。

バービーはそうした時代の流れと共にあるんですね。バービーが生まれてから最初の10年くらいは、日本が製造を請け負っていたんですよね。

関口:そうですね。59年にバービーが生まれて、日本が製造を請け負った頃というのは、まだ戦後の生活が安定していない時期だったんですね。そのなかで、所詮オモチャだし賃金も安いけど、良いモノを作って世界を驚かせてやろうという思いが当時の日本人にはあったんだと思います。それで、ファスナーをYKK、ケースを凸版印刷、洋服を横須賀メリヤスが担当するなど、日本の職人たちの技術を結集して、世界に認められるものを作っていったんですね。バービーを作ったマテル社が、当時まだ安かろう悪かろうの時代だった日本に目を向けたこともすばらしいけど、それに応えた日本人も大したものだと思います。私は55年生まれだけど、当時の日本というのはいまからは信じられないくらいひもじい思いをしていましたからね。

そう考えるとバービーはスゴい高級品だったんですよね。

関口:そうですね。他の人形の3倍くらい高かったけど、こういうものができたことは画期的だったと思います。当時、ミルク飲み人形や目がつぶったり開いたりする人形などが主流のなかで、人間の完全な縮小版としてこれだけ精巧な人形を作って、当時の子どもたちに夢と衝撃を与えたというのは、スゴく大きなことだった。その頃日本では、ソニーやパナソニックといった会社が少しずつ伸びてきた時期でもあったんですけど、科学技術の進歩と同じくらい、人間にとって情操教育というのは大切だと思うんです。そういう意味でも、オモチャ業界だからといって侮ることなく、日本人がこうしたものを作ったというのは素晴らしいことだったと思います。

関口さんのコレクションルーム

松井えり菜
日本人が作ったバービーは何がスゴかったのですか?

日本で作られていた頃のバービーを見ると、スゴく小さく細いファスナーが使われていたりして、いまではもうできないんじゃないかというくらい精巧な作りですよね。

関口:アメリカからこういうものを作ってほしいと色々オーダーされるなかで、当然できるものとできないものがあるわけですよね。そこで日本人が、こういうものならできますといって作ったものが当時のバービーだったわけですけど、洋服の縫い目などを見ても本当に子ども向けのオモチャなのかと思うくらいスゴく丁寧にできているんですよ。最初の10年間に日本人が作っていたバービーのスゴさが評価され始めたのはここ最近のことなんですね。バービー自体はいまでも世界中で人気がありますが、その中でも特に価値の高いバービーは日本で作られたもので、そこには日本人の魂が入っているんだということは、日本人がしっかり主張していかないといけないなと思っています。

その使命感からバービーをコレクションしているんですか?

関口:使命感とは違いますけど、日本が高度成長期に向かっていった10年間の重みや価値というのを残すためにも、誰かが持っている必要はあると思っています。本来オモチャというのは遊び終わったら捨てられる運命にあるもので、バービーも基本的にはそうだったと思うんですけど、その中でも捨てられずに残ったものを僕はこうして展示をしているわけですよね。他にもブリキのオモチャなどをコレクションしているんですけど、みんなにも流れている日本人の力、メイドインジャパンのスゴさというのを忘れちゃいけないなと思って集めているところがあります。いまはどうしてもみんな、日本という国が悪いから自分たちに仕事がないんだという話になりがちですけど、その前に一度原点に返って、そこから色々変えていくということは大切だと思います。

当時の日本人にこれだけのもの作りができた背景には何があったと思いますか?

関口:日本人がバービーを作っていた59年から70年前後までというのは、日本に純粋なやる気があった時代。64年には東京オリンピックがあって、70年の大阪万博をピークに第一期の経済成長期を迎えていたんですね。これからの日本を豊かにするにはどうしたらいいかということをみんなが考えていた。なかには過激なこともあったけど、このままじゃまずいという意識や、新しいことをしないといけないという思いで、試行錯誤を繰り返していた時代だったんだと思います。

形は違えど、みんなが何かを変えようとしていたんですね。

関口:そうですね。いまの若い人でもしっかりやれる人はたくさんいますが、言われたこと以上はやらないというか、何をしていいかがわからないんですよね。上から言われたことは忠実にしますが、例えば早く会社に来たりした時に掃除をしたり、机を拭いたりはあまりしないですよね。全部が全部そういうわけではないと思いますが、会社愛といったようなものは薄れてきていると思います。「なぜ、給料分以上働かなくてはいけないの?」「そんなの業者に任せればいいじゃん」的なところがあって、良くも悪くもアメリカナイズされてる部分が多々あるなぁと思います。

松井えり菜
なぜ、バービーコレクターになったんですか?

関口さんには地金屋さんという本業がありますが、バービーと何か関係はありますか?

関口:ほとんどないですね(笑)。ただ、三輪車や戦車のオモチャを作るようなブリキ職人たちがうちにはよく来ていて、その人たちを見てスゴイと思ったり、自分自身もブリキのオモチャを骨董市やアンティークショップに探しに行ったりしていました。その頃にあるお店でバービーを見つけたのが最初のきっかけです。もともと僕が「VAN」などのトラッドなファッションが好きだったんですけど、「ケン」がそういうファッションをしていたということもあって、そこからバービーに入っていったんです。

そうだったんですね! たしかにヴィンテージのバービーたちが着ている洋服は、いま渋谷なんかで売っている洋服よりもオシャレかもしれない (笑)。

関口:特に当時は、いまよりも発色の良い顔料が使われていましたからね。やっぱりバービーはファッションがスゴいと思います。当時のパリならオートクチュール、アメリカなら雑誌の「Seventeen」からそのまま抜け出してきたような、その時代時代に流行ったファッションをしているんですよね。ファッションというのは巡り巡るもので、昔に流行っていたスタイルとベーシックな部分はいまも変わっていなかったりする。僕自身当時のヴィンテージ・ファッションが好きで、そういうものが巡り巡ってまた流行ったりするのは面白いですよね。そういう目線でバービーを見ても発見が色々あると思います。バービー展をよくデパートでやるんですけど、バービーの展示を見た人が、その後に下の階で洋服を買っていくということも多いんですよ。

数々のバービー展に協力している関口さん。

いつの時代もバービーは女性の心をつかむんですね!

関口:そうですね。デパートだと空間に限りがあるから、場所や時期に合わせて、バービーを選ぶんですけど、それが至福の時なんですよ (笑)。例えば、銀座で上品な人が多く来るような場所なら、ヴィンテージのものをたくさん出したり、渋谷など若い子が来る場所だったら、ジューシー・クチュールやクリスチャン・ディオールを着たバービーを出したりね。将来的には、どこかに博物館を作りたいなと思っているんですよ。まだどの場所がいいのか色々迷っているところなんですけどね。

関口さんは、これだけのコレクションを商売にするということは考えていないんですか?

関口:好きなことを商売にするというのはスゴいことだと思うけど、私の場合は、本業がある上で趣味としてやっているから楽しくてしかたないというのがあるんです。もしこれが本業になったとしたら、果たしてどれだけモチベーションが保てるのかというのはありますね。ただ、こうして展示などをするようになると、自分では集めたくないものでも、一応持っておかないといけないんじゃないかと思って買ったりすることはあります。もともと私はヴィンテージのバービーをたくさん集めていたんですが、バービーならすべて持っていると思われているところがあって(笑)、「関口さん、これ持ってないんですか?」と言われることもあるんですよ。それが面白くないから、今後の展示のために買ったりすることもありますね。本当は欲しいものだけを集めている方がいいと思うんですけど、こういう立場になってくると、そうしたジレンマも出てきますね。

松井えり菜
趣味を持つってどういうことですか?

私がこうして関口さんと会えたこともそうですけど、趣味を通して交流をすると、言葉を超えてつながれますよね。

関口:僕はそんなにたくさん友達がほしいというタイプではないけれど、同じ趣味を持つ人同士で集まって語らうのは至福の時間だし、人生の大きな一部分を占めていますよね。私はたまたまお金がかかる趣味になっちゃいましたけど、別にお金をかけることが大事ではなくて、例えば河原に落ちている顔に似ている石を集めているという人だっているわけですよね。人の趣味に乗じて商売をするような人もたまにいますが、根本的には純粋な人たちが多いような気がします。

ヴィンテージ・バービーに松井さん制作のオリジナル・シュシュを着せてみました。

私、オモチャとアートって似ていると思うんです。ただそれを買うというのではなく、例えば、オモチャ屋さんのおじちゃんおばちゃんたちや、展覧会の会場にいる作家と話してからそれを買う。どちらも衣食住には関係のないものだからこそ、そういう触れ合いが大切なんじゃないかなと思うんです。

関口:絵にしても、売れるに越したことはないだろうけど、金銭の対象だけにするんじゃなくて、本当に大事にしてくれる人のところにその絵が渡る方が幸せですよね。

そうですね。形としては絵を売るということになるんですけど、自分としては引き取って保存して頂くという意識があります。私がオモチャ屋さん巡りが好きだったのも、お店のおばあちゃんとかから、オモチャ産業の全盛期の話などを聞いたりできることが楽しかったからなんですけど、最近は昔からあるようなオモチャ屋さんが少なくなってきていますね…。関口さんが、これからのオモチャに期待することは何かありますか?

関口:個人的には、子どもたちの情操教育にもつながるオモチャというのがどんどん増えていってほしいと思っています。その一方で、いまは大人が遊べるオモチャというのも必要だと思うんですよ。これだけ景気が悪くなっているなかで、遅くまで仕事をしてもろくに残業代が出なかったり、福利厚生もしっかりしていないようなところでこき使われながら、辞めようにも他に仕事がないから辞められないというような厳しい時代ですよね。そんな時に仕事だけやっていても心が荒んでしまいますよね。だからこそ、見ているだけでも心が和むような大人向けのオモチャというのはこれから流行っていきそうな気がします。

現代人の心のビタミン的なものですね。

関口:そうそう。好きなものと一緒に自分の時間を過ごすというのは大事なことだと思いますよ。仕事が趣味と直結している人なんて、全体からみたら1割くらいしかいないと思うんです。残りの9割の人たちは、仕事は生活のためだと考えているはず。それなら、休みの時間には自分が楽しめることをしないともったいない。仕事で疲れたからといってボーっとしていても、疲れは取れないと思うんです。だから、それこそ自分にとっての「心のビタミン」みたいなものをみんなに見つけてほしいですよね。人形というのはまさにそういう存在だと思うし、バービーはやっぱりスゴいんですよ(笑)。

関口さん、ありがとうございました!

インタビューを終えて

作ることを、人を、これまで以上に大切にしたいと考えさせられたインタビューでした。何かを変えるということが破壊だけでなく創造を生んでいた時代にタイムスリップし、『何かを変えたい』というよりは『日本仕様バービーを買いあさりたい』と徐々に思考が煩悩に逸れていった時に、私はクリエイターであると同時に生粋のコレクターなのだと自覚もしました(笑)。また、コレクターに必要なのは趣味を共有できる友人です。今回の取材にあたりバービー好きの友人ふたりと同行したのですが、私以上に興奮し喜んでくれた時はうれしかったです! バービーのような時代も世代も超える良い作品をこれからも制作していきたいと思いました