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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

アーティスト・KYOTAROさんが、
ファッションブロガー・Luluさんに聞く、
「美意識を形作るもの」

昨年、作品集をはじめ計4冊の刊行物をリリースするなど、いま注目が高まっているKYOTAROさんは、アート、マンガ、ファッションなどジャンルを超えて活躍するドローイング・アーティスト。そんな彼女がインタビューしたい人として名前を挙げてくれたのは、VOGUE JAPAN公式ファッションブロガーとして活躍するLuluさん。ふたりのお子さんを持つ母でありながら、国内外のカッティングエッジなファッションやインテリアなどの情報を発信する彼女独自の美意識に、KYOTAROさんが迫ります。

KYOTARO
なぜブログを書くようになったのですか?

Luluさんはブログでも紹介しているようなさまざまなトップクラスのファッションや雑貨などと出合ってきていると思うのですが、子供の頃はどういう環境で育ったのですか?

Lulu:本当に普通の家庭で育ったんですよ。全然お金持ちではないし、小さい頃から洋服に興味があったわけでもなくて。子供の頃は考古学者になりたいと思っていて、エジプトのガイドブックなんかを読んでいるような子でしたね。他にもファーブルやシートンなどいわゆる男の子らしいものが好きで、バービーとかお姫様の人形の代わりに、恐竜図鑑みたいなものを抱えていました(笑)。

美意識がとても高くて世界観も完成されているし、てっきり大富豪のお嬢様かと思っていました(笑)。

Lulu:前にFacebookで頂いたメッセージで、「『VOGUE』に載っているような日常ではなかなか着られないハイブランドを、日常に取り入れるための橋渡し役をしてくれているんですよね」ということを書いてくれた方がいて。そんな風に感じて下さるなんて、まさに「書いててよかった!」でした。

「VOGUE.talk」

どういうきっかけでブログを書くにようになったのですか?

Lulu:これまで子育てをしながら普通の主婦としてやってきたのですが、自分で何か発信してみたいという思いがずっとあったんですね。それで最初は「VOGUE JAPAN」のSNSコミュニティ「VOGUE.talk」に登録をしたんです。そこに登録すると、スクラップとして小さな記事のようなものを発信できるのですが、それを何ヶ月かやっていたら、編集部の方からオフィシャルのブログに書かないかという話をもらって。それまではまったくこういう世界とは関わりがなく、業界につながりがあったわけでもないんですよ。

ブログを書く上で、ここだけは譲れないというポイントは何かありますか?

Lulu:オール or ナッシングじゃないですけど、本当に好きなものじゃないと紹介したくないなというのはありますね。たかだかブログかもしれないけど、自分がピンと来るまで絶対書けないんですよ。PCの前に座っても全然進まないこともあるし、書けない時は本当に1週間以上書けない。例えば、ドラゴンのモチーフをテーマに書こうと思ったら、歩いている時でもトイレに行く時でも常にドラゴンが頭の中で回っていて、どこかで何かがパってはじけた時に、一気に書き始めるんです。読む側からしたら、写真だけを見る人や流し読みをする人も多いと思うけど、自分の中では納得するまでアップしないというこだわりはありますね。そのアイテムだけで終わらずに、そこから想像できる世界はないのかということを考えながら書いているところがありますね。

KYOTARO
どうやってチョイスしているのですか?

Luluさんのブログを見ていると、チョイスに一貫性を感じます。ブログで取り上げる基準やポイントはありますか?

Lulu:特に意識しているわけではないんですけど、写真なんかを見た時にそれだけ色がついているように飛び出してくる感覚を得る時があります。傾向としては、ちょっとグロテスクなものや、悪趣味一歩手前のギリギリのものが好きで、気持ち悪さのなかにある美しさに惹かれるんです。あと、アトランティスとかムーとか超古代文明も好きなので、そういう要素が入ったものにも興味がいきます。そういうものって、そんなに多くの人が好きなものではないと思うんですね。私がグロテスクなものをアップした時に「いいね!」してくれる人はだいたい決まっています (笑)。

実は私が最初にLuluさんの記事を見て「いいね!」を押したのも、リスやキノコがモチーフになっているグロテスクなアクセサリーか何かだったんです。気持ち悪いから「いいね!」は少なかったんですけど、本当に美しかった。同時に、これを商品として作っている人がいるんだということにもビックリしました。

Lulu:だいたいそういうものはイタリアのものが多いんです。そして、日本にそれを持ってきても売れない。だから、私が紹介するのは日本未入荷のものが多いんです(笑)。「グロテスク」という言葉の語源は「グロッタ=洞窟」という意味なんです。昔、イタリアの貴族たちの間で、小石や石灰石を貼付け、彫刻や像で密集させた人工洞窟を作る趣味が流行したらしく、それが語源になっているらしいんですよ。

グロテスクなもののなかにある美しさというのは、それがどれだけ高いレベルにあるものでも、しっかり整理して伝えないと、人を喜ばせるのはなかなか難しいなとよく感じます。特に日本はカワイイものが求められがちですしね。でも、Luluさんのブログを見た時は、あれほどのグロテクスなモチーフの中から本当に美しいものをちゃんと拾える人が日本人にもいるんだと、面白く感じました。

Lulu:いま情報がこれだけあふれていて感じるのは、自分に必要な情報というのは実は少ないということです。情報なんて欲しければ自分から取りにいけばいいもので、上から降り注いでくる必要はないと思うんです。情報があまりにも多いから、知らないと置いていかれるような感覚になるけど、それはただ煽られているだけなんじゃないかなという気がします。

「VOGUE.talk」内にあるLuluさんのブログ。

KYOTARO
ファッションは何のためにあると思いますか?

トップクラスのデザイナーによるオートクチュールのコレクションなんかを見ていると、「売れる」ということとはまた別の次元で作られているような気がします。彼らが追求する造形美のようなものは、何のためのものだと思いますか?

Lulu:例えば、(アレキサンダー・)マックイーンとかは、「売れる」ということを前提にはしていなかったと思うんです。それでも、本当に鳥肌が立つようなコレクションを見せてくれるんですよね。売れるものを作るとか、誰かに着てもらうことをイメージしてデザインするということではなく、自分の中にあるものをすべて出していった結果、ああいうものになっていたんじゃないのかなと勝手に感じています。でも、そういうどこか浮世離れしたものでも、顧客はちゃんとついているんですよね。そこまでいくともう芸術になるんでしょうね。それを買う人たちも、自分が着るためというよりは、コレクターとしてそれを並べることに喜びを感じたりするんじゃないのかなと。

そこには人間の創作力の大きな可能性が感じられるし、触れた人たちには何かのスイッチを押されるような感覚があるように思います。そもそも人間の起源からずっと衣服というのはありますが、なぜ人はファッションに興味を持つんでしょうね。

Lulu:基本的にファッションってなくてもいいものですよね。最低限身体を隠して、保温してくれればいいわけですけど、なぜそこに装飾性を求めるのか。私個人としては、やっぱりキレイなものを身に着けたいということに尽きるんですけど、一方でそういうことに無頓着な人もいる。そういう人たちは違うところに幸せを求めていて、それがインテリアかもしれないし、車かもしれない。ファッションというのもそういうもののひとつなのかなと思います。

お花を見てキレイだなとため息をつくようなことがありますが、そういうことは人間にとってスゴく大切なことなのかもしれないですね。

Lulu:そう思います。モノ自体に豊かさを求めるわけではないけど、人間の内面の表現が形になるのはモノじゃないですか。洋服でも車でもなんでも、単純に「うわー」ってため息がつけるものがあるのは幸せなことだし、それを生み出す人というのはスゴく尊敬しています。

KYOTARO『I SAW A LOT OF FAIRIES』(2012)

Luluさんは、アーティストやデザイナーが作った色んな要素をしっかり見てくれるから作り手からスゴく喜ばれると思うし、とても大切な役割だと思います。これだけ素敵な感性があるのに、プロデュースの仕事などはしていないのですか?

Lulu:そういうイメージは頭の中にはたくさんあって、何かを見たりしても、すぐに着てみたいとかファブリックにしてみたいと思うんですよ。ただ、ここまでずっと主婦でやってきたので、自分が見て感じたものを商品やブランドにするというところまではいってないんです。いつかそういうことはやってみたいんですけどね。それこそKYOTAROさんのドラゴンや犬の絵を見た時も「着てみたい!」と思いました。

本当ですか? 是非一緒に何か作りましょう!

KYOTARO
日本とアメリカどっちに住みたいですか?

ところで、Luluさんはアメリカに住んでいた時期もあるんですよね?

Lulu:主人の仕事の関係で3,4年ほど住んでいました。

日本とアメリカのどっちに住みたいかと聞かれたら、どちらを選びますか?

Lulu:アメリカですね。日本にいると、人目をスゴく意識しないといけないじゃないですか。自分ひとりなら別に気にしなくてもいいんですけど、子供ができるとそういうわけにもいかない。向こうは向こうでまた違う問題もありますが、人間関係の話で言えば、違いを違いとして認めるという前提があるんですよね。日本の場合、突き抜けた個性は別ですが、中途半端に群れから飛び出るとすぐにカットされてしまいますよね。それこそ、子供の迎えに行く時なんかは、身に着けているものひとつでも神経を使いますからね(笑)。

特に女性は七変化的な術が必要ですよね (笑)。

Lulu:もちろん日本は自分が生まれた国だから好きだし、アメリカには雑な部分なんかもあります。でも、教育のことを考えても、子どもたちにとっては向こうの方が楽しかったんだろうなと思います。日本だと、5教科9科目がまんべんなくできる子が良しとされて、飛び級もないですよね。一方でアメリカには、苦手克服よりも好きなものを伸ばしていくという考え方がある。それは別に何かを捨てるということではなく、例えば数学とか美術とか得意な分野を伸ばすという教育です。日本は個性個性と言っていても、それがなかなか実行できていないように感じます。運動会は運動ができる子が一着になればいいし、音楽ができる子は音楽会で活躍すればいいと思うけど、優劣を付けずに手をつないでゴールをしたりするような、変な公平感があるように感じます。

それぞれの人にそれぞれの役割があるということですよね。

Lulu:そうですね。一方で向こうは階級社会だから、日本のように保険証さえあればどの病院にも行けるわけではなく、保険の種類でかかれる病院が変わってしまったりする。両方に良い面、悪い面があるけど、最近の日本には一律に事なかれ主義で、とにかく波風立てずにいけばいいというところがあるように思います。

(左)KYOTARO『天界トリップ』、(右)KYOTARO『ベイビー・シャワー・ストーリー』(ともに2012)

KYOTARO
日本人の役割って何ですか?

東北の震災の後、Luluさんはブログで「True Harmony」=真の和の精神ということについて書かれていましたよね。「戦争反対の集会に出席しません。平和のための集会を開くのでしたら、私を招待して下さい」というマザー・テレサの言葉を引き合いに出されていたのが印象的でした。

Lulu:まさにその言葉の通りで、「反対」とか「イヤ」ということではなくて、「そうなってほしい」ということにフォーカスしていった方がいいと思うんですね。「戦争反対」と「平和」はイコールのような気がするけど、実は全然そうじゃない。「そうなってほしい」未来に目を向けた方がいいですよね。私は、世界は自分が信じているようになると思っているんですね。パラレルワールドじゃないですけど、日々生きていくなかで、選択肢は無数にあって、そこで自分が選んだ方に世界は動いていくんじゃないかなと。

KYOTARO『MWUAI』(2012)

「そうなってほしい世界」にみんながシフトしていったら、スゴいことになるんじゃないかなと思います。私もいまは「やるしかない」みたいなモードになっていて、これからはもっと発言をしていこうと思っています。

Lulu:ちょっとずつですけど、何かが変わってきているような空気感はありますよね。何の根拠もないんですけど、日本ってギリギリまで追い詰められてから、クルッとそれをひっくり返す力があるように思うんです。言われっぱなし、やられっぱなしのようでいて、実は何かあった時に盛り返す力がある気がしていて、いまはギリギリまで追い詰められている状態ですけど、そんなことを勝手に信じていたりします。

たしかに日本はそういう側面を持っていますよね(笑)。原発問題などやるべきことはたくさんあるけど、もしいま日本がなくなってしまったら、それは世界全体にとってスゴく良くないことだと思うんです。例えば、これから発展途上国に原発が増えていった時に、日本には事故のデータがあるわけですよね。日本がサポートするしかない日本の技術を持ってすれば、きっと貢献できるに違いないと思います。それに、日本人の「思いやり」という感性は、他にあまりないもののような気がします。そういう意味で日本人はキーパーソンだと思うんです。

Lulu:そうですよね。こんなに天皇制が途絶えずに続いてきた国は他にないですし、日本人の精神も独特のような気がします。もちろん海外でも荷物を持ってくれたり、席を譲ってくれたりするし、レディーファーストという文化もありますが、日本の思いやりというのは、また少し違うんですよね。そういう部分に日本人の使命というのがあるのかもしれないですね。

みんな目覚めないといけないですよね! Luluさんのブログを通して、私はスイッチを押されました。Luluさんのような感性の持ち主が、日本人として、世界に発信していくことはスゴく大切なことだと思います。


インタビューを終えて

今回Luluさんにインタビューを快く引き受けて頂き、とても幸せでした。昔に会ったことがあるような懐かしい感覚がする方で、気づいたら時間を忘れて夢中でお話ししていました。抽象的なお話をしているのに、なぜがビジョンが映像として浮かんでくるという不思議な感覚だったのですが、日々Luluさんのブログにバチバチとボタンを押されるなかで感じていたことを、ご本人に直接質問できて、色んなことがしっくり来る機会となりました。
今回お話ししたいと思っていたのは、Luluさんが主に携わっている『ファッション』という枠を踏まえた上で、その根底にある『感性』の分野のことでした。『なぜ人は美しいと思うものを身にまといたくなってしまうのか?』『ファッションはこの世の中でどのような存在なのか?』etc...。
お話しをするなかで、人間にとって、芸術やファッションなど美しいものにため息することは、とても大切な行為なのだということを感じました。同時に、ただの美しさに熱狂することには、私は興味がないんだということにも気付かされました。ファンタスティックな創造性とリアリティは対局にあり、どちらが欠けてもダメなのだと思います。例えば、美しい創造物に豊かさを感じながらも、一方でこの地球上には、餓死していく人たちもいるということを意識した上で、ファッションの大切さを考えていきたいです。
大切なのは、『目覚める』ことと『目覚めさせる』ことだと思います。例えば、Luluさんが集めたビジュアルを見ていると、地球の素晴らしさが伝わってくるのと同じように、人は少しチャンネルを変えるだけで、目の前に美しい世界が広がっていることに気づくことができる。自分もそれを伝えられたらと思うし、日本に生まれたことにありがたさを感じながら、自らのセンスを『役割』として他の人に使っていけたら最高だなと思います。Luluさんとは今後何かご一緒できたら良いですね