MENUCLOSE

「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

クリエイティブディレクター・川村真司さんが、
ゲームデザイナー・上田文人さんに聞く、
「ゲームにおける世界観のつくり方」

今回カンバセーションズに登場するインタビュアーは、昨年クリエイティブ・ラボ「PARTY」を立ち上げたクリエイティブ・ディレクター、川村真司さん。SOUR『日々の音色』や、androp『Bell』など、これまでの概念を覆す斬新なミュージックビデオをはじめとする数々の作品で、世界中から注目を集めている川村さんが今回インタビューするのは、『ICO』『ワンダと巨像』などの作品を手がけ、現在はゲームファン待望の新作『人喰いの大鷲トリコ』を制作中のクリエイティブ・ディレクター、上田文人さん。インタラクティブ・デザインの元祖とも言えるゲーム界のトップランナーである上田さんに、川村さんが鋭く迫ります。

川村真司
なぜゲームデザイナーになったのですか?

上田さんがゲームデザイナーになった経緯を教えて下さい。

上田:もともとゲームは好きだったんです。中学生くらいの頃にファミコンが出てきて、その後メガドライブなんかをやっていた世代です。大学時代はゲームから離れていて、卒業してからはコンピュータでCGを作ったり、インタラクティブアートなんかも少しやっていました。その頃は、ゲームデザイナーになりたいという気持ちはなかったんですが、食べていくことを考えた時に、自分のスキルを生かせる場としてこの仕事があったという感じですね。もともとゲームをプレイしていたから知識はあったし、CGやインタラクティブアートなどをベースに、うまく表現していけるんじゃないかと思ったんです。

たしかに上田さんの作品を見ると、インタラクティブアートをやっていたというのが納得できる気がします。物語や世界観がすばらしいだけではなく、コンセプトが明確だし、必ずどこかに発明やユーザーにとっての発見がある。たとえば、初期のゲームというのは「スーパーマリオ」のBダッシュやジャンプみたいに、操作インタラクションに発明がありつつ、それが物語の一部にもなっていたと思うんですが、『ICO』を初めてプレイした時にも、それに似た感覚があって、スゴく魅せられた記憶があります。

上田:僕らくらいの世代からすると、ビデオゲームの進化というのは、新しいメカニズムの発明とイコールなところがありますよね。だから、『ICO』や『ワンダと巨像』は、新しいゲームには新しいメカニックがないといけないという考えのもとに作っていました。基本的に僕がいつも考えているのは、映画など違うメディアでもできてしまうものではなく、ビデオゲームでしかできない表現をいかに見出していくかということなんです。

スゴくわかります。僕はいま映像をメインで作っていますが、とにかくアイデアを出すことが好きな人間なので、特定のメディアにこだわっているわけではなくて、その時々の課題に応じて、最も良い形を考えていきたいんです。従来とは違う視点を持って、そのメディアだからこそできることは何かいうことを考えながら、できれば毎回違うメカニズムを発明して、しかもそれを誰にも真似できないクオリティで出していきたい。見方をすると、『ICO』は「手をつなぐ」という新しいメカニズムと、圧倒的なクオリティのストーリー/世界観のインテグレーションがあるからこそ、良いゲームになっているんだと感じます。

上田:『ICO』と『ワンダと巨像』に関しては、かなり恵まれていたと思います。というのも、新しいメカニズムをゲームに盛り込もうとすると、それだけで手一杯になって、ビジュアル表現やチューニングに時間が割けないことが多いんです。でも、この2本に関してはその部分にも時間を割くことができて、世界観や物語の部分も評価してもらうことができました。それでも自分としては反省点があったので、いま作っている『人喰いの大鷲トリコ』では、新しいメカニズムを構築することよりも、自分たちが確立したフォーマットの中で、より積み上げていくような表現をしたいなという思いがあるんです。今回はメカニズムの部分へのチャレンジは押さえ気味にして、キャラクター同士の触れ合いや物語の部分などに注力したいと思っています。

川村真司
ゲームの世界観はどうやって作っていくのですか?

僕は普段映像を作る時に、なるべく手触り感のあるような有機的な表現にしたいと思っています。もともと僕はプログラミングもしていたのですが、プログラムだと整数的な表現は得意だけど、逆に微妙な揺らぎや質感を表現するのが難しいと思っていて、CGでできそうなものでもあえて実写で撮ることが多いんですね。ゲームの場合は、基本的に全部プログラミングだと思いますが、上田さんの作品は、奥行き感とか光の感じとかがスゴく有機的で自然だし、それも上田ワールドの重要な要素になっているんじゃないかなと思うんです。

上田:そこは何度も試行錯誤して作っているところですね。例えば、『ICO』の時は、光や影をきちんと表現したタイトルがそれほどなかったこともあって、商品として差別化するために力を入れていこうというのがまずあったんですね。霧の表現や遠くのものが霞んで見える処理などは、色んな制約があるなかで試行錯誤の末に行き着いたものでした。

『ICO』© 2001-2011 Sony Computer Entertainment Inc

ゲームを作る上での制約というのは、主にスペック的な部分ですか?

上田:もちろんそういう部分や、予算、人材の制約もあります。でも、一番は整合性ですね。ゲームを進めていく上で、プレイヤーを迷わせないようにしたりとか、逆に少し迷う部分を作ったりとか、ゲームの世界の中でのリアリティを保ちつつ、ユーザーにとって手応えのある表現にしていくために、色んな調停をしていくのが一番大変な作業。パズルに近いところがあって、そのピースがパシっとハマる瞬間があるんです。もともとその世界が存在しているかのように思えて、なおかつプレイヤーの目的などにも合致するようなピースが見つかった時は気持ちが良いですね。

たしかに上田さんのゲームをやっていると、ゲームが作られる前からその世界があったんじゃないかという気にさせられます。もともとその世界があったから、必然的にこういうゲームになったという感じを受けます。必ずしも明確な道筋があるわけではないけど、その辺をウロウロしているだけでも楽しくて綺麗だし、一方でプレイヤーが行けない場所にも世界の広がりが感じられるように設計されていて、スゴく上手だなと。

上田:僕自身ゲームをプレイしていて何が面白いかというと、あまりコントロールされていない部分だったりするんです。例えば、ゲームというのはスタートからどんどん難易度が上がっていくのが当然のように思われていますが、そうやって先が見えてしまうよりももっとデコボコしている方が個人的には楽しかったりする。だから、あまりガチガチにチューニングをしているわけではないんです。

なるほど。だから予定調和ではない独自のリアリティを感じるんですね。

上田:そうかもしれません。よく世界観が良いと言ってもらえるんですが、もともと世界観を作ろうと思ってやっているわけではなくて、整合性をしっかり取るというのが先にあるんです。プレイヤーが興ざめしてしまうような部分をなるべく排除していった結果、世界観ができていくという感じです。例えば、現実世界と同じようなものをゲームで作ろうとすると、それは表現難度が高いと思うんですね。そのなかで何を端折るとリアリティが失われるのか、また、リアリティが上がるのかを考えながら作っていくんです。

『ワンダと巨像』 © 2001-2011 Sony Computer Entertainment Inc

川村真司
アイデアはどのように生まれるのですか?

上田さんのゲームは自由度が高い一方で、例えば『ICO』における手つなぎのインタラクションだったり、核になるアイデアがシンプルなことがスゴいと思うんです。核になるアイデアから、これだけ完成された世界が作られるまでのプロセスがとても気になります。

上田:『ICO』の時は、男の子と女の子のビジュアルから考えていったのか、それとも「手つなぎ」というメカニックから発想したのか、自分でもよくわからないんです(笑)。でも、おそらくほぼ同時にそういうことを考えていたんだと思います。男の子と女の子をうまく使うためには「手をつなぐ」というアクションがほしいし、「手をつなぐ」ということを考えたら男の子と女の子のキャラクターの方がいい。なおかつ女の子の方が大きかったら意外性もあるかなという感じで、どんどん固まっていく感じですね。

『ICO』 © 2001-2011 Sony Computer Entertainment Inc.

ほぼ同時に色んな要素がつながって発展していくんですね。

上田:そうですね。そこからの物語や世界観は、作りながらじゃないと見えてこないんですよ。特にゲームというのは毎回ハードが違ったりしますからね。『ICO』は最初「PS」用に作っていたのが、途中から「PS2」に変わったんですが、それによって表現できることも変わる。また、どんな人たちと組むかによってやれること、やれないことも当然変わってきます。そのなかでベストの表現を考えていくんです。ここで言うベストの表現というのは、それがユーザーにとってどれだけ説得力のある表現なのかということですね。

ゲームほどではないにしろ、僕がやっている表現もブラウザ環境などによってできること、できないことが変わってしまうので、それはよくわかります。どれだけの数の人に届くべき表現なのかを逆算して、取り入れるところ、切り捨てるところをジャッジしていくところがありますね。

上田:そうですね。ゲーム制作というのは、そういう制約をどう解決していくかということの繰り返しです。だから僕は、いかに制約をプラスに変えていけるかということを考えるようにしています。効果的な一手を見つけると、オセロがひっくり返っていくみたいで気持ちが良いんです。

ファミコンなど初期のゲームは、まさにそういうことをやっていたように思います。コントローラーのボタンが少なかったり、容量が限られていたからこそ、工夫してそこを突破していく過程でイノベーションが生まれていた。いまはマシンスペックが上がっていて、逆にそういうプラスにできる制約や余白のようなものが見つけにくくなってしまったのかもしれないですね。でも、その中で上田さんの作品は、スペックをフルに活かしつつ、ゲームの中だけで閉じてしまわないような世界の広さを感じさせる演出など、上手く余白が作られている気がします。

上田:ビジュアルなどについては僕も細かく作り込んでいますが、余白や想像が入り込む部分というのが、昔のゲームとは変わってきているのかもしれないですね。

『ワンダと巨像』 © 2001-2011 Sony Computer Entertainment Inc.

川村真司
インタラクションについてはどう考えていますか?

僕はインタラクティブ・デザインをやっているからこそ、あえて上田さんにお聞きしたいのですが、ゲームを作る上でインタラクションについてはどう考えていますか? 例えば、ゲームのコントローラーというのはかなりインタラクションを規定するものだと思いますが、そういうものからデザインしてみたいと思ったりすることはないですか?

上田:そういうのはあまりないですね。みんなが持っているものでプレイできるゲームが作れればいいと思っています。もともとビデオゲームって、ボタンひとつでジャンプできたりミサイルが打てたり、色んなことができる楽しさがあったと思うんです。いまはもっと身体性に即したコントローラーも出てきていますが、どっちに進むべきなのかという答えはまだ出ていません。ただ個人的には、やっぱり物理的なアクションがないとつまらないなというのはありますね。スマートフォンが出てきた時なんかも「物理ボタン欲しいな」という違和感がありました(笑)。

僕の仕事でも、コンテンツのインターフェースや、ユーザーをどうナビゲートするかという問題が必ず出てくるんですけど、ゲームを作る上でその辺りはどうアプローチされていますか?

上田:操作系はなるべくシンプルにしたいと思っています。ただ、その辺はやはりゲームの面白さとのせめぎあいになってきますよね。操作が複雑だから楽しめる場合もあるだろうし、そのアクションが現実世界だとどうなのかというのはよく考えます。たとえば、「しがみつく」というアクションは現実世界でも困難な動きだから、少々操作が複雑でもいいんじゃないかとか。ただ、ゲームをやり慣れていない人のことを考えると、結構悩むポイントではありますね。また、ナビゲートという部分については、僕はあまり得意ではないんです。『ICO』の時なんかは「そんなのどうでもいいよ」と思っていたし(笑)、多少説明不足でも表現されている世界に魅力があれば、やってみたいと思ってくれるんじゃないかと。手探りで色々調べていくのもゲームの面白さだったりしますからね。

僕はいろんな理由でなるべく言葉に依存しない表現をいつも心がけているんですけど、上田さんの字幕を使ったダイアログの見せ方などからも、言葉にある程度距離を持たせている印象を受けます。

上田:それにはふたつ理由があって、ひとつはこれも制約からですね。リアリティを追求したいというのがまず先にあるので、たとえば『ICO』の場合は、キャラクター同士言葉が通じないからこそ、手をひっぱる必然性ができたりする。もうひとつは照れですね。自分の作ったテキストをそのまましゃべってもらうのには照れがあるんです(笑)。これは日本人特有の感覚かもしれないですが、洋画を字幕で見て育ってきたので、ちょっと恥ずかしいと思う会話でも、字幕によって緩和されるような気がしていて。

なるほど。言葉ひとつとっても、やっぱりちゃんといくつかの理由を兼ね備えた上でこういう表現になっているんですね。

上田:理由がひとつだけだと、なかなか決められないんです。ひらめいたアイデアをどんどん入れていくというよりは、色々もがきながらハマるアイデアを考えて表現していくという感じなんですね。もっと簡単な方法もあると思うし、そんな狭いストライクゾーンを狙わなくてもいいのかもしれないけど、それだとつまらないなって思ってしまうんです。

『人喰いの大鷲トリコ』© Sony Computer Entertainment Inc.

川村真司
ゲームの制作環境についてはどうですか?

ゲームというのは、映画制作以外では数少ない、莫大な時間や人手、予算をかけて作っていくエンターテインメントですよね。そんなレアな制作環境に対する憧れはあるんですが、僕は基本的に飽きっぽいタイプなので、なかなか自分では難しいかなと思うところもあります。上田さんの作品も時間をかけて作られていますよね。

上田:かけたくてかけているわけではないんですけどね。僕もスゴくせっかちなんですよ。ゲーム1本で見ると長いスパンで作っていますが、ひとつのゲームの中には、細かい動きやインタラクションなどさまざまな要素があるので、そのひとつひとつを早く作って早く見たいという思いでやっています。やはりゲームというのは、クオリティを求めていくと、まだまだ必然的に時間がかかる制作環境なんですよね。

映像の場合は、いまは誰でも簡単に作れるような環境になっているので、思いついたものをどんどん形にできるんですね。それには良い部分と悪い部分が両方あって、手近になったが故に完成度が低い作品が増えていたりもする。そういう環境のなかで、上田さんが作っているようなコンテンツを見ると、ピクセルひとつひとつに魂がこもっているように感じるし、大変そうだけどうらやましくもあるんです。

上田:そう言って頂けるのは光栄ですが、僕自身妥協せざるを得ない時もあるし、「これを出したらきっと完成度低いって思われるんじゃないか」とビクビクしながらリリースすることがほとんどですよ。また、逆の見方をすると、ゲーム業界のデザイナーというのは、ひとつのアイデアだけでしばらくやっていけるところがあるんです。例えば、僕は『ICO』と『ワンダと巨像』合わせて7年間かけて作りましたが、その間に2つのアイデアしか出していないとも言える。それで本当にいいんだろうかと思う部分もあります。それこそビデオクリップなんかは短いスパンで次々にアイデアを出していて、それは素晴らしいことだと思います。

『ワンダと巨像』 © 2001-2011 Sony Computer Entertainment Inc.

スタッフとのコミュニケーションにしても、僕がミュージックビデオを作るのとはまた規模が違うと思いますが、そのなかでどのように意思疎通をしているのですか?

上田:アニメーションや3Dモデルの部分など言葉で説明しづらいところは、一度CGで作って見せたりしています。『ワンダと巨像』でプレイヤーが巨像から落下していく時のニュアンスとかも、自分でアニメーションを作って説明していました。なかなかイメージ通りにするのは難しいですけど、一応熱意だけは伝わるみたいです(笑)。

『人喰いの大鷲トリコ』©Sony Computer Entertainment Inc.

同じですね! 僕も事前にテスト撮影を繰り返して、その技法がどこまでいけるかというのはよく検証していて、そうしたプロトタイピングのプロセスは大切にしています。ちなみに上田さんは、ゲーム以外に表現してみたいメディアというのはあるんですか?

上田:あまりそういうのはないんです。僕は「一筆入魂」みたいなことが苦手なタイプなので、とにかくトライアンドエラーをしながら、選択していくというやり方なんですね。音楽や映画、映像というのは、作り方がライブで一発勝負なイメージがあるんですが、自分としてはデスクトップな環境で気楽にやり直せる状態で作りたいというのがあるんです。

これも同感です。一発撮りをする場合でも、その前のテスト撮影を何十テイクも撮りますから(笑)。じゃあ、もしそういうライブの部分が払拭されれば、やってみたいという思いもあるんですか?

上田:そうですね。何か良い仕事があればですけど。

ホントですか? ぜひ何か一緒にやってみたいです! 今度ムチャぶりします!(笑)


インタビューを終えて

あっという間に時間が過ぎてしまいましたが、とても楽しかったですし、聞いてみたかったことを色々お伺いすることができました。上田さんはお話の内容も理路整然としていて、想像していた通りとてもクレバーな方でしたね。また、制約から発想していくという方法論は、自分とスゴく近いなと感じました。おそらく制約の種類というのは全然違うでしょうし、僕の場合はもっと少ない人数で手作りをしているような感じやっていますが、さまざまな制約をクリアしていった結果、必然的に世界観が作られていくというプロセスは、自分がやっていることの延長線上にあるように思えて、勇気づけられました。
最後にもお話したように、本気で今後何かの機会でぜひコラボレーションさせていただきたいですね。上田さんは、作り方にアイデアとロジックがしっかりある方なので、どんなジャンルのものであろうとキチンと形にしてくれるだろうし、ゲームより少しライトなものを表現する上田さんも見てみたい気がします。上田さんをゲームの世界から引っ張り出すことは、国宝を盗み出すようなものだと思うのですが(笑)、普段長い時間をかけてものを作っている方なので、そのガス抜きができるようなものを一緒に作れたらうれしいですね