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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

AR三兄弟 長男・川田十夢さんが、
映画監督・本広克行さんに聞く、
「多様な人々を巻き込む映画づくり」

今回でカンバセーションズには2回目の登場となるAR三兄弟川田十夢さん。前回の大林宣彦監督に続き、今回彼がインタビュー相手として挙げてくれたのは、映画、ドラマ、ミュージックビデオをはじめ幅広い分野で活躍する本広克行監督。先日、惜しまれながらも完結した『踊る大捜査線』シリーズで社会現象とも言えるブームを巻き起こし、さらに現在放映中のTVアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』では総監督を務めるなど、映画監督の枠にとどまらない活動をする本広さんに、川田さんがいま聞きたいこととは?

川田十夢
製作総指揮ってどんな仕事なんですか?

先日僕は、製作総指揮とか総監督と言われるような仕事を初めてやらせてもらったんですね。ただ、何をすればいいのかわからなかったので、自分で脚本を書いて演出をして、広告やデザインのこともすべてうっかりやってみたんです。本広さんは、僕よりはるかに大きな規模の色んな映画やドラマに総監督として携わっていると思いますが、そもそも製作総指揮や総監督というのはどういうものなのか、また「製作総指揮」道みたいなものがあればお伺いしてみたいなと思っているんです。

本広:まず製作総指揮というのは、その作品に出資していて、プロデューサー権限がある人のことなんですよ。例えば、ハリウッドの映画監督は、スピルバーグにしてもルーカスにしても、売れるとみんな自分の映画に出資をするんですね。一方で、総監督というのは自分ではお金は出していない。映画というのは、やっぱりひとりの監督のものだから、あまり総監督というのは使わないかもしれません。TVのバラエティ番組なんかだと総監督と呼ぶ場合が多いのですが、これは色んな人に演出を分配して、全体を監督するような役割の人のことですね。

そうなんですね。じゃあ僕がやっていたことは正確には製作総指揮ではなく、そのフリをしていたということですね(笑)。

本広:映画やTV、CMなどでそれぞれやり方は違うのですが、基本的に中身を作っていくのがディレクターで、スタッフィングやキャスティングをしたり、お金を集めたりするのがプロデューサーですね。

本広さんの監督作品にもプロデューサーがついていますが、本広さん自身の立ち回り方もプロデューサー的に見えるんですよね。

本広:僕はかなりプロデューサー寄りのディレクターだと思います。関わるものが大きくなり過ぎているから、そうしていかないとなかなか物事が動かないんですよ。プロデューサーと言ってもひとつの作品に10人くらいいて、細分化されていることが多いんです。メインでガッツリやり取りするのはラインプロデューサーで、そこに演出家を巻き込んだりしていきます。『踊る大捜査線』などの場合は、製作総指揮的な立場のチーフプロデューサーがいたり、宣伝プロデューサーという大事な役割もある。また、タイアップを取るためのプロデューサーや脚本だけを見てくれるプロデューサーまでさまざまですね。以前ヨーロッパ企画と一緒に作った『サマータイムマシン・ブルース』という映画ではプロデューサーもやらせてもらって、ロケハンからお金集め、演出まですべて自分でやって、自主映画的に作っていきました。

なるほど。それがまさしく製作総指揮だと思っていたので、いま謎が解けました。

本広:製作総指揮というのは、ここ10年くらいで使われるようになった言葉だと思うんですけど、響きが良いから宣伝文句的に使っているところもあると思います。

AR三兄弟・川田さんが製作総指揮を務めた拡張現実シアター。

川田十夢
なぜヒットメーカーになれたのですか?

製作総指揮については、僕のイメージとは違いましたが、監督と総監督の間にはやはり違いがあるように思います。監督は自分の作品だけを見ていて、総監督はもう少し広いレンジで考えているような気がします。漠然としたイメージですが、総監督というのは、誰も知っている人がいない場所にパッと行って、そこでコミュニケーション能力を発揮できる本広さんのような人で、逆に監督というのは決まった人とだけ仲良くなれる人で、それぞれに向き不向きというのがあるのかなと。

本広:たしかに僕はコミュニケーション能力が異常に高いみたいなんです(笑)。老若男女問わず色んな人の中に入っていって、巻き込んでいくところがある。振り返ってみると、それは子供の頃に引越しが多かったことと、いじめられていた経験が大きいのかなと。その頃から色んなことを凄く俯瞰して見ていたんですね。いまでも何か大きな事件が起きた時に、凄く冷静に俯瞰している自分がいるのを感じたりします。

本広さんは何でこんなにサービス精神があるんだろうと思うんです。実は本来持っているものはアーティスティックだったりマニアックな感覚なのに、それをみんなにわかるようにして伝えて、しっかりヒットを出せているというのが凄く不思議です。

本広:20代の頃は自分が面白いものをひたすら吐き出していたんですね。僕はアニメとハリウッドのコメディが好きなんですけど、共通するのはどちらも情報が整理されていて見やすいということなんです。一方で、ヨーロッパの映画というのは深すぎるというか、考えながら見ないといけないから最初はとっつきにくかった。やっぱり一般の人に見てもらうには見やすさが大切だと思い、若い頃はそれを追求していました。この「見やすさ」というのは、先輩たちは恥ずかしくてできないんですよね。経験を重ねていくうちにだんだんカッコつけるようになってしまいますからね。僕はまだ若かったから、全裸むき出しで走りますよということをしてきたんですが、それが役者さんたちからウケたんですね。そうやって仕事を続けていくうちに、どうすればヒットするのかとか、視聴率が取れるかというのが自分なりにわかってくるようになりました。

『踊る大捜査線』で社会現象を巻き起こすレベルのことをしながら、一方で実験的なこともされるじゃないですか。そういうことは、「自分内プロデューサー」みたいなものがいる人じゃないとできないことだと思います。

本広:世の中には面白いものを作り続ける凄い監督というのが何人もいますが、その人たちがなかなか前に出てこれない現状があるんです。ブランディングということにあまり興味がないのかもしれません。でも、本当はちょっと自分をプレゼンテーションすることで、それなりに面白い仕事が来るようになると思うんですね。僕は、「自分はこれが好きだ」とか「この監督に会いたい」ということを公言するようにしているんですが、そうすると近いニオイを持った人が集まってくるんです。そういう場所にいて、色んな人と会って話を聞くことが、僕にはとても楽しいんですよね。

踊る大捜査線THE FINAL 新たなる希望」(C)2012 フジテレビジョン アイ・エヌ・ピー

川田十夢
あの大作とはどう関わってきたのですか?

『踊る大捜査線』は連続ドラマから始まり、劇場版やスピンオフ企画、広告などお祭りみたいに広がっていきましたよね。そういうものを生み出してきたクリエイターとしての本広さんは、どういう感覚でこの作品と関わってきたのですか?

本広:やっていること自体は、学生時代に作っていた自主映画とあまり変わらないと思うんです。ただ、作品がヒットしたことで予算が増えて、話の規模もどんどん大きくなっていったということですよね。もともと学生の頃から僕はプロデューサー的な立ち位置だったんですよ。ディレクターはやりたいヤツに任せて、でも編集だけはやらせてくれみたいな。そういう意味では監督にこだわりはないのですが、そこにお金を稼がなきゃというのが入ってくると、揺れてくると思うんですよね。日本の場合は、話を書く人やマンガを描く人、曲を作る人など一次著作権を持っていて人は儲かるけど、演出というのはギャランティが少ない。昔の映画監督の中には、そういう理由から監督と脚本を一緒にやっていた人も多かったんだけど、僕の場合は『踊る大捜査線』のヒットがあったから、それはやらなくてよかったんです。

『踊る大捜査線』は昨年の「THE FINAL」で幕を閉じましたが、規模的にも時間的にも非常に大きな物語になっていきましたよね。

本広:『踊る大捜査線』は連続ドラマから「THE MOVIE2」までは、構造的にはビックリするくらい同じなんですね(笑)。それがすべて大ヒットしたわけですが、これは『スターウォーズ』のオープニングでみんなが盛り上がる感じと同じなんですよね。前作から7年くらい空いた「THE MOVIE3」では、あえてそれまでと違うものをやったんです。その結果、色々な意見がスゴくあって。一方で「THE FINAL」では、これまで作品に関わってきたキャストやスタッフの思いなどをヒアリングした上で、みんなが待っていたものを作ったところ、大喜びしてもらえた。この歳になってようやくエンターテインメントを楽しむお客さんたちに対して、ちょうど良い落とし所を作っていく感覚がわかってきたところがあります。ただ同時に、当たっていなくても良い映画というのもたくさんあって、今度はそういう映画を掘り起こして、みんなに伝えていきたいという気持ちも芽生えてきたんです。

何かそう思うようになったきっかけがあったんですか?

本広:『踊る大捜査線』の最初の劇場版がヒットした後、次に何をすればいいかわからなくなって、スゴい虚無感とともに放心状態になったんですね。ちょうど結婚をしたタイミングでもあったので、しばらく新婚旅行で海外に逃げていました(笑)。海外では映画のことはなるべく考えないようにしていましたね。その後帰国して、これからどうしようと思っている時に、芝居を見に行ったんです。そこで見たヨーロッパ企画の舞台が凄く面白くて、初対面なのにその場で映画化しましょうという話をしたんです。それからすぐに京都に行って彼らのもの作りの姿勢を見て、まだ自分もやることがいっぱいあるなと思ったんです。自分がいることで下が詰まっているということも感じていたし、それなら助監督や、まだ陽の目を見ていない人たちのために一緒に映画を作って広げていこうと。それからは全部が自分のヒット作にならなくても、周りの人たちが自分の作品に関わって良かったと思ってくれることに幸せを感じられるようになっていきました。

川田十夢
作家性にはこだわらないのですか?

『踊る大捜査線』シリーズを終わらせる際には、どんなことを考えましたか?

本広:ちょうど最終章を作っている時に、山田洋次監督と食事をする機会があったんです。山田さんには昔から可愛がってもらっているのですが、その席で「青島刑事は最後に殺した方がいいのか?」みたいな話になった時に、山田さんは「どんなことがあっても殺しちゃダメだ」っておっしゃったんです。「僕も寅さんを殺してしまって凄く悔いている」と。TV版「男はつらいよ」で寅さんは死んでしまうのですが、その時にファンから凄く手紙が来て、申し訳ないことをしたと思ったそうなんです。お客さんが楽しみに見に来る作品で絶望なんて見せちゃいけないよと。作っている側としては、カッコつけたくなるんですけど、それをやったらダメだよって。

凄く良い話ですね! 僕も寅さんは大好きなんですけど、山田監督の思いは本広さんにも受け継がれているところがありそうですね。もはや寅さんはストーンズみたいな存在ですけど、一方で山田監督はロードムービーのようなものや、時代劇を撮ってみたり、フィルムに残すべきものをしっかり残していますよね。

本広:『男はつらいよ』シリーズを撮りながら、2、3年に一度はチャレンジングな作品も撮ってきていて、それがどれも本当に傑作なんですよね。これだけ歴史で証明してきている人がここにいるからこそ、自分もいまのやり方で良いんだと思えるんです。ヒット作を作りながら、実験的なものも作るというのはやっぱり必要なことだなと。映画監督の中には、キャリアを重ねていくにつれて私利私欲にまみれていくような人もいるんですが(笑)、山田さんの映画作りは純粋だと思うし、あの精神力やバイタリティは本当に凄いと思います。

本広さんはご自身の作家性ということについてはどう考えていますか?

本広:僕は作家性で立ち向かっていってもたぶんダメなんですよ。監督としてのブランドを作るなら、もっとコアな映画を作らないといけないと思うんですね。それよりも自分としては、「あの監督から巣立った人たちにはこんなにたくさんおもしろい人がいた」と言われるような存在になりたい。先日、『踊る大捜査線』の大謝恩会があったんですが、この作品に携わったスタッフというのは、いま日本映画界を支えている人たちばかりだということに気づいたんです。このままもっとみんなを育てていかないとと思ましたし、作品そのものではなくて、残していったものや仕組みが自分の作家性のようになればいいなと。ずっと映画を作ってらっしゃる人は本当に凄いと思うし、大林宣彦監督の話なんかを聞くと、いつもシビれて涙が止まらなくなるんです。でも、僕には言葉を上手く紡ぐ能力はないから、だったら動こうと。本でもドラマでもCMでも何でもいいから、それらを映画と絡めていくことでおもしろいことができるんじゃないかなと。

川田十夢
これからしたいことは何ですか?

本広さんの看板作品とも言える『踊る大捜査線』が終わるということについて、正直不安などはなかったのですか?

本広:『踊る大捜査線』は、たまたま引いたパチンコの確変みたいなものなので、この確変を終わりにしないと、次はないなと思っていました。また次の確変を起こすためには、これまで培ってきたノウハウを活かしていくことになると思うんですが、今度は例えば、自分が面白いと思っている原作の映画化なんかをやってみたいなと思っています。そんな折に、僕が大尊敬する劇作家の方から脚本の映画化の話があったんです。読んでみると凄く良い話で、しかもこれまで色々勉強をさせて頂いた方なので、今度は僕がその方の世の中での知名度を上げるためにもしっかりやりたいなと。

今年は映画祭のディレクターもやられるんですよね?

本広:2月3日から生まれ故郷の香川県で開催される「さぬき映画祭」のディレクターをしています。常々僕は色んな人たちと接触しながら、ひとつのコミュニティのようなものを作れたらいいなと思っているんですけど、そういう意味でもこの仕事というのはとても良い機会なんですよね。

もはや映画監督の仕事ではないですね。

本広:監督ということに縛られる必要はないと思うんです。もともと監督という役割にこだわってきたわけではないし、プロデューサーもすれば、時にはマネージャー的な仕事をしたり、人の人生にも口出ししたりする(笑)。僕がこうした活動をしていることを「映画監督なのにそんなことやって」と否定的に言う人もいるけど、もっと色んな人たちが交わるサロンのようなものを作っていけたらと思っているんです。

「PSYCHO -PASS サイコパス」(C)サイコパス製作委員会

たしかに、そういうサロンのような場は意外にないかもしれないですね。

本広:そうなんですよ。サロンだけをやりましょうと言ってもなかなか人は集まらないんですけど、映画祭ならそういうこともできるんですよね。色んな人たちを呼ぶ予定なんですが、行きたいというプロデューサーなんかも出てきて、こうやって映画祭はできていくんだなと実感しました。親睦会に使う会場を探す時も、あぐらをかくような場所だと長時間は厳しいかなとか色々考えました(笑)。

総監督というか宴会部長的の仕事ですよ!それは!(笑) でも、映画祭というのは本当に色んな人が集まって来るからいいですよね。映画の打ち上げなんかだと、どうしても来る人が限られてしまいますからね。

本広:そうですよね。今回は監督や役者、バイヤーなど色んな人が来るので、良いサロンのような場になるといいなと思っています。


インタビューを終えて

初めて本広さんとお会いしたのは、ある映画祭でのことだったんですが、これほどの大ヒットメーカーだし、たまに仕事でテレビ局などに行った時なんかにも色んな伝説を聞くし、もう神扱いされているような人だったから、やっぱり気難しい人なのかなという勝手な先入観があったんです。でも、今日もそうでしたが、実際にお会いして話してみると、凄く腰が低くてこちらの話も聞いてくれるし、これはある意味恐ろしい人だなと(笑)。
僕は人と会うこと凄く好きで、会いたい人が多すぎると変わり者扱いされるくらいなんですね。でも、やっぱり好きなものは好きだし、好き過ぎて考え過ぎて勝手に導いた答えみたいなものを直接答え合わせしたいというのがあるんですよね。自分の仕事にしても、お手本がないようなものが多いからこそ、色んな分野の人と会うことが一番の勉強になるし、会いにゆくまでの時間のワクワク感とか、会える前提でもう一度全作を見直したりとか、それ自体が凄く面白いんです。対話を会話に翻訳する作業とも言える。この感覚は本広さんにも通じるところなのかなと。
本広さんのような幅広いレンジを持っている映画監督というのは他にあまりいないと思うし、改めて特殊な才能だなと感じました。本広さんというのは、映画作家としての作家性とはまた違う、仕組みの部分の作家でもあるんでしょうね。今日は凄く良いお話が聞けて、やる気と希望が持てたし、とても勉強になりました。