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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

山口情報芸術センター[YCAM]アソシエイト・キュレーター・井高久美子さんが、
鋳銭司 和西集落元自治会長・柿並勝己さんに聞く、
「持続可能な社会に必要なこと」

「制作」「教育」「地域」を活動の3本柱に据えるYCAMにおいて、2014年におこなわれた「地域に潜るアジア」展や、2015年11月に展覧会が予定されている「プロミス・パーク・プロジェクト」のキュレーションを担当するなど、地域社会と強い関わリを持つプロジェクトを多く手がけているキュレーターの井高久美子さん。そんな彼女がインタビューする相手は、「プロミス・パーク・プロジェクト」のリサーチの一環として、「千年村プロジェクト」のメンバーとともに、古民家や地勢の調査を行った山口市鋳銭司地区で、当時和西集落の自治会長を務めていた柿並勝己さん。会社員時代を経て、現在は生まれ育った鋳銭司で農業を営む御年71歳の柿並さんに、井高さんが聞きたいこととは?

井高久美子
自治会長はどんな仕事なんですか?

柿並さんが鋳銭司・和西集落の自治会長をされていた今年の2月に、「プロミス・パーク・プロジェクト」のリサーチの一環として、ここで「千年村プロジェクト」の調査をさせて頂き、大変お世話になりました。調査にあたって、住民のみなさまに説明する機会があったのですが、好奇心を持ってたくさんの方に集まって頂けたことは非常にありがたかったです。それまで私は、自治会というものをあまり意識したことがなかったのですが、今回をきっかけに初めて仕組みなどについて知ることができました。

柿並:当時わしは、この和西集落の自治会長兼世話人だったんよ。この集落は、昔からの区分けで5班くらいにわかれていて、班ごとにひとりずつ世話人がいるんだけど、それは持ち回り制で順番に回ってくる。今回わしはたまたま自治会長と世話人を一緒にすることになって、それはこれまでなかったことだと思うね。あと、鋳銭司全体の自治会の副会長も和西の自治会長が兼任するという約束があったようで、それも引き受けざるを得なかったから大変だった。

大変な役職年だったんですね。そもそも自治会長と世話人の違いは何なんですか?

柿並:集落から見ると、自治会長よりも大変なのが世話人。自治会長というのは対外的なやりとりなどをする連絡係的な位置づけだから、わしのように可もなく不可もなくという人間でも務まるけど、世話人というのは、集落の色々な行事を全部仕切らないといけない。世話人は和西の中に5人いて、各班ごとに5年に1回くらいのペースで回ってくるんだけど、その中にみんなを引っ張って意見をまとめていく人がいて、その後についていくケースが多いね。

調査の時に、柿並さんのご自宅を見させて頂きましたが、和西集落の中では、屋根裏の骨組みまで見える家は唯一だと聞きました。柿並さんは今回の調査を通して何か意外だったことや、発見できたことというのはありましたか?

柿並:意外ということはなかったけど、奥さん方がとても前向きに協力していたことには感心したね。自治会などでも感じることだけど、ずっと和西で生まれ育ったわけではなく、よそからお嫁さんに来た人たちも多いのに、みんな非常に熱心に鋳銭司のことに取り組んでいるんだよ。わしはここで生まれ育っているから鋳銭司に対して思いがあるけど、もしそうじゃなかったらなかなかそこまでできん。女性は本質的に男性と違うところがあるんだろうね。自分の子どもが鋳銭司で生まれ育っているからできるんだということを前に聞いたけど、そういうところは女性が持つ特殊能力だと思うね。

井高久美子
なぜ農業を始めたのですか?

調査をしていて、特に和西の人たちは協力的な方が多いことが印象的でした。熊野神社をみなさんがとても大事にされていて、そういうところが結束の強さにもつながっているのかなと。

柿並:それはあるかもしれんね。理由はよくわからないにしても、みんな子どもの頃から大事にしてきているからね。鋳銭司というのは、農業立国ならぬ農業立村なんだと思ってる。農業というのは、人を土地に縛り付けるものなんよ。お国替えといって侍は逃げられるけど、百姓まで逃げてしまうと次に来た侍が困るから、土地に縛り付けるための色んな風習やしきたりがつくられていて、神社というのもそのひとつなのかもしれない。そういうものが漁師にはないから、行事ごとの風習なんかもまったく違う。そういう面でも、百姓と漁師はなかなかなじめない部分があるんだろうね(笑)。

農作業中の柿並さん。

柿並さんはしばらく宇部で会社員として働いていらっしゃったと思いますが、いつかは会社を辞めて、自分の土地で農業をしようという気持ちがあったのですか?

柿並:それは自然とあったね。もともとこの辺の人たちはみんな農業をしていたけど、わしらくらいの世代から会社勤めをするようになった。でもわしは、採算云々は別として、最終的にはこっちに戻ろうと考えていた。そりゃ儲かるに越したことはないけど、それ以前に(農業を)やらなきゃと。特にわしは長男だし、おそらく小さい頃から事あるごとに親から一家の墓のことも言われていたはずだから、自然とそういう意識が染み込んじょったんだと思う。百姓というのは土地にしがみついて生きていくものだし、わしも泥水すすってでもここで死ねればと(笑)。

日本に残っている文化や風習の多くは、農業から始まっていますもんね。以前に嘉年(山口市阿東地区)の厄神祭りに行ったんですが、昔は一晩中通してやっていたそうですね。それがいまは、夜10時くらいには終わるようになっていて、できる範囲のものに形を変えながら、現在に継承されていることが非常に良いと感じました。

柿並:でも、最近はほとんどの人が街に出て行っているからね。ここに家はあっても、家業となると農業くらいしかないから、一度街に出ちゃうとそのまま帰らんことが多いよね。まだいまは、たとえ生産性が悪かろうと、田畑があるから老後は地元に戻ってそれを守ろうと考える人が10人に1人くらいはいるかもしれないけど、そういう人たちも背を向け始めてしまうと、文化的なものまで失われてしまう。わしらが生きているうちはまだ大丈夫かもしれないけど、20~30年の間に一気にそれが進んでしまう可能性はあると思う。

井高久美子
農村と街の違いは何ですか?

調査の際に、田んぼの畦に立ち入らせてもらえるかということを各戸に聞いて回ったんですが、多くの人たちが、自分よりもまず和西の集落全体のことを気にされていたのが印象的でした。そうした集落意識の高さというのは、街に暮らしているとなかなか感じにくいことだなと。

柿並:集落の名を借りて、暗に注意しているだけかもしれんよ(笑)。結局は個人の問題だとは思っちょるけど、田んぼというのは、自分がやめてしまうことで水路がつまってしまったり、他の人に迷惑がかかることが多いから、そういう意識は強いのかもしれない。でも、田舎でも街でも、トラブルが起きないようにするための決め事みたいなものは必要だし、日本人なら大なり小なりそういうものに対する意識はあるんじゃないかね。夜中にピアノを弾いたことで事件につながったりという話もあるけど、決め事を守ったり、周囲に配慮するというのは、どこに住んでいても当たり前の話だと思うけどね。

柿並さんにとって、「街」というのはどんなものですか?

柿並:自分が暮らすということを考えると便利なことは良いことだけど、観念的に街というのはあまり好きじゃないね。ただ、夜でもどこに行っても明るいし、一人で暮らそうと思えばしがらみなく暮らせるという点は便利だとは思う。田舎だと絶対そうはいかないし、色んなものに縛られる。それが良い面もあるけど、若い時にはおそらくプレッシャーになる。息子さん夫婦が実家に帰ってこないというのも、ほとんどがそういうことが理由になっているんだと思う。自治会長をやっていた時もそういうプレッシャーがあったけど、若い人になると、それは相当なものになるんじゃろうね。

鋳銭司は、高度成長期の時に劇的に変化したというようなことはなかったんですか?

柿並:その頃は宇部で働いていたから、給料がどんどん上がっていった実感はあったけど、農村ではあまり変わらんかったと思うよ。あるとしたら、トラクターを大型に替えるとか、その程度じゃないかね。好景気になったから一旗上げてやろうというような話もあまり聞かんかったしね。そもそも、山口の人というのは保守的なのか、頭が固いのか、非常に堅実だという話はよく聞くね。おそらく明治維新でやりすぎたからやろうね(笑)。

和西地区の風景。

井高久美子
どうすれば村は持続していけますか?

これまで鋳銭司が存続してきたのはどうしてだと思いますか?

柿並:ため池があったということが一番じゃろうね。この辺は350年くらい前までは焼畑農業をやっていたみたいだけど、ため池ができて田んぼをつくれるようになり、大きく変わった。わしは、新田開発をした東條九郎右衛門のような人こそが偉人だと思っているし、もっと評価されてもいいはずなのに、みんな大村益次郎ばっかり。山口の人たちは明治維新が好きじゃからね(笑)。

これから先、鋳銭司はどうなっていくと思いますか?

柿並:先のことはわからんね。地域づくり協議会で話し合って、5カ年計画というものができたけど、あまり具体的なものはないし、誰にもわからんと思う。若い人たちに戻ってきてもらうことは大事だと思うけど、彼らが帰ろうと思える場所にしないといけない。鋳銭司にいる人たちは歴史のことなんかを言うけど、そんなに大したことじゃないと個人的には思ってる。歴史や文化があるからとか、景色が素晴らしいから良い所だとは思わないし、もし仮にそうなら、それ以外の場所は全部ダメなのかという話になってしまう。わしは、何もないところの方が好きだし、千年村プロジェクトも、無名の村に焦点を当てたいというところが気に入った(笑)。

いまは全国的に世代間のギャップが課題になっていて、いかに持続可能な社会を築いていくかということがよく議論されています。その中で和西のように農業を中心に置いて長く存続してきた土地には、色々な学びの要素があると感じています。

柿並:要は、持続可能な社会が崩壊しつつあるということだと思うけど、なぜ持続性がないのかと考えてみると、あまりにも良い生活、便利な生活、文化的な生活を求め過ぎだからなんじゃろうね。わしなんかは、なんとかカツカツでも食べていける生活で十分だし、みんながそれで満足できるような社会になればいいと思うけど、世界全体が常に上昇志向で、経済成長率ということばかり言われているからね。

鋳銭司の今後について、何か願望があれば教えて下さい。

柿並:以前に、自治会の会長、副会長会議の時に少し話したことなんだけど、鋳銭司に人を呼び込もうとするなら、教育に力を入れることが必要だと思ってる。例えば、大学の農学部を鋳銭司に誘致したり、幼稚園から一環の教育ゾーンをつくったりして、鋳銭司を教育立村にするというのがいいんじゃないかな。やっぱり車で走っていても、若い人が多い街は活気があるように感じるからね。幸い鋳銭司にはJRの駅があるから、例えば南側を教育ゾーンにして、農村とのすみ分けができればいいんじゃないかということを、冗談めかして話したことはあるけどね。