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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

「bollard」店主・五十嵐 勝成さんが、
「うのずくり」実行委員長・森 美樹さんに聞く、
「移住者支援で大切にしていること」

昨年の「QONVERSATIONS TRIP OKAYAMA」にも参加してくれた五十嵐勝成さんは、昨年末に岡山市内から玉野市・宇野港に移り住み、現在は生活用品とギフト・珈琲スタンドのお店「bollard」を営んでいます。そんな五十嵐さんが今回インタビューをしてくれるのは、全国から宇野に若手クリエイターを呼び込む移住プロジェクト「うのずくり」の実行委員長を務め、自らもガラス作家として活動している森美樹さん。宇野に移り住み、「bollard」を開店する上でのひとつのきっかけになったという「うのずくり」の活動について、五十嵐さんが鋭く迫ります。

五十嵐 勝成
「うのずくり」はどうやってできたのですか?

私は昨年の暮れに宇野に移り、「bollard」というお店を開いたのですが、その時に森さんが実行委員長をしている「うのずくり」という組織やその取り組みがひとつのきっかけになっていて、色々力も貸してもらいました。ただ、その「うのずくり」の取り組み自体をまだ完全に理解していない部分もあるので、今日はその辺のお話を中心に聞けたらいいなと思っています。その前に、もともと広島出身で、岡山の大学に進んだ森さんが、宇野港のある玉野市を活動の場所に選んだ理由を教えて下さい。

森:半分はたまたま、半分は自分で選んだところがあるのですが、私がここに引っ越してきたのは2007年なんですね。それまで倉敷の大学でガラス工芸を学んでいたのですが、卒業後の自分の作業場を探している時に、宇野に駅東創庫という共同アトリエができるという話を大学の先輩から聞いたんです。修士課程も含め6年間大学で生活をするなかで、岡山は制作がしやすい環境だなと感じていたので、岡山の中で活動拠点を探せたらと思っていたのですが、ちょうどその時に駅東創庫の話を聞き、引っ越すことにしたんです。

制作環境として岡山のどんなところに魅力を感じていたんですか?

森:私は出身が広島市なんですが、祖父母が呉にいるんですね。私にとっては、情報量が多すぎる広島市内よりも呉の方が街の雰囲気も含めて自分に合っていて、小さい頃から親しみのある街だったんです。そういう意味で、同じ瀬戸内海に近い場所ということもありましたし、時間の流れ方や空間の広がりが制作環境として良かったんです。

私は2007年に旅行で直島に行った時に宇野を通ったんですけど、直島が目的だったので、宇野の街の記憶はほとんどありませんでした。でも、これから自分が根を下ろして暮らしていこうとしている街なので、引っ越してきてからは歴史なども調べているんですが、昔のことは色々出てくるけど、ここ数年間の話を聞ける人があまりいないんです。森さんが引っ越してきた頃はどんな感じだったんですか?

森:五十嵐さんのお店がある商店街は当時はアーケードで、入口には「宇野港銀座」と書いてあったんですけど、シャッター商店街のようになっていて、「なんでここが銀座なんだ?」というのが第一印象でした(笑)。その頃から何人か作家さんはいて、活動をしていたんですけど、街として少し寂しいなという気持ちを持ちながら3年くらい暮らしていました。その後、ちょうど一回目の瀬戸内国際芸術祭があった2010年に、玉野市に中心市街地活性化基本計画というものができたんですね。それまで玉野には、「玉野みなと芸術フェスタ」という10年くらい続いている文化事業があったのですが、その運営をしている団体の斉藤章夫さんという方を中心に、文化で玉野を盛り上げていくことを目的にしたアート部会というものがその時に立ち上がったんです。そこで声がかかったのが作家さんやギャラリーを運営していたりと、地元で文化に携わる方々だったのですが、その中に現在宇野でゲストハウス「lit」の管理人をしている森岡ともきさんもいて、彼がクリエイターの移住プロジェクトの提案をしてくださり、それが「うのずくり」の原型になったんです。

五十嵐 勝成
どんな人たちが集まってくるのですか?

私は東日本大震災の後、どこに移住するかを調べていくなかで、交通インフラや気候、天災の少なさなど理由はいくつかあるのですが、ほぼ直感的に岡山がいいなと思ったんですね。でも全然知り合いはいなかったので、少しでも同じ価値観を持っていそうな人がいたら嬉しいなと思って色々調べていたところ、玉野に「うのずくり」という活動があって、クリエイターのカップルの移住支援をしていることを知ったんです。結局、まずは岡山の市街地に住んで、そこから根を下ろす場所を考ることにして、昨年宇野に移ってきたわけですが、正直まだ「うのずくり」が何なのかよくわかっていない部分もあるんです。岡山では他にも移住支援をしている自治体や団体はたくさんありますが、そういうところに比べて、「うのずくり」は僕から見ると良い意味でスローだなと感じます。特に金銭的な支援があるわけでもないし、あまりガツガツ移住者を呼び込んでいこうという雰囲気もない(笑)。

森:私自身ここに引っ越してきた身でもあるし、移住してくる人たちの気持ちを考えると、変にガツガツいきたくないというのがあったんです。もちろん色んな方が来るので、それぞれに合わせて動いているつもりで、例えば、女の子ひとりで来る人には大家さんとの交渉など色々世話をしてあげたりもします。でも、五十嵐さんの場合は、好きなことをどんどん自分でやっていく人だろうなと思ったので(笑)、何か情報が必要になった時に出せればいいかなと。だから基本はノータッチなんです(笑)。

「うのずくり」を始めてからの2年間で、どのくらいの移住者が宇野に来ているんですか?

森:14組27人くらいです。一応クリエイターということにしているんですが、「うのずくり」ではその枠組みを凄く広く設けていて、農業をされる方から古本屋さんまで、あらゆる何かを作り出そうとしている人、もしくはそれが好きな方も含まれています。また、カップルということにしているのは、全然知らない土地に身を投じる際に、どうしても最初はコミュニケーションを取れる人が限られてしまうし、そこで大変な思いをされるよりは、家族や親しい人がそばにいてくれた方が、「うのずくり」側からしても安心というのがあるんです。

アーティストやデザイナー限定ではないんですね。たしかにそう考えていくと、ほとんどの人はクリエイターということになりますよね。私の勝手なイメージですが、地方都市の移住支援には、受け身で他人任せの人も多く来るような印象があるんです。「働き口はあるんですか?」というのがよくある質問のトップに来そうな感じというか(笑)。でも、「うのずくり」が支援している人たちにはあまりそういう人はいない感じがします。

森:宇野の町というのはおそらくそういう受け身の人が入ってきても難しいと思うんですね。仕事がたくさんあるわけではないし。それに、やっぱり自分たちで何かしていこうとする人を受け入れた方が、その後も長く住み続けてくれるんじゃないかと思うんです。そういう方たちは周りの人ともフランクにコミュニケーションを取ってくれるので、繋がりも生まれやすいですしね。

朝市ごはん会

五十嵐 勝成
活動は地域の人に伝わっていますか?

宇野に移り住んでみて、「うのずくり」関係の人たちがそこだけで固まってしまう傾向があるなと感じています。私は宇野の商店街に住んでいるので、商店街の人たちともなるべくコミュニケーションを取ろうとしているんですが、実際に地元の人と話してみると、「うのずくり」の活動を理解していない人も多い。地元の人たちが理解をするチャンスというものが圧倒的に少ないような気がしているんですが、森さんはその辺をどう認識していますか?

森:たしかに「うのずくり」の活動が地域の人たちに上手く伝わっていないというもどかしさは感じていますし、コミュニケーションがちゃんと取れていないことは私自身認識しています。ここを越えて次の段階に行く必要があると感じているんですが、一方で変に急ぎたくないという思いもあって、どういうアプローチをしていけばいいのかを模索しています。一方的に「うのずくり」の活動を伝えるのではなく、例えば地域が抱えている問題を「うのずくり」と一緒に解決していくとか、そういう実質的な関係を築いていくのがいいのかなと。

「地域が抱える課題」というのは、例えばどんなものをイメージされていますか?

森:空き家が増えていることとか、畑などに関して言えば、親御さんが亡くなって手入れをする人がいなくなって放置されているところがあったりとか、その辺の問題ですかね。

もっと山間地域になればそういうこともわかりやすい課題としてあると思いますが、「うのずくり」に関してはちょっと違うような気がするんです。例えば、玉野市全体で見た時に、この宇野港周辺は市が力を入れて活性化しようとしていますが、この辺に住んでいない人の中にはそれをよく思わない人も当然いるだろうし、「うのずくり」にしても、もっとしっかり伝えないといけない部分があるんじゃないかなと。それができればもっと活動が加速していくかもしれないし、もったいないなと思うところがあるんです。

森:情報というのは色んな経路から入ってくることで初めて自分の中で形作られるものだと思うんですね。「うのずくり」のことについても、ひとりの人から話を聞くのではなく、移住した人、近所の人、市の職員など、色んなところから情報が入ってくることで初めて「うのずくり」ってこういうものなんだということが、それぞれの人の中で見えてくる気がしています。だから、そういう経路を増やしていくような形で伝えていけるといいのかなと。

東山ビル大掃除

五十嵐 勝成
「うのずくり」の未来はどうなりますか?

地元の人と話してみると、移住者に対するネガティブな考えを持っている人などもいるんですが、先入観というのが大きいと思うし、話をしていけば理解は示してくれる。決して水と油の関係ではないと思うんですね。それぞれが街のことは考えているんだけど、その考え方が違うだけなのかもしれない。森さんがおっしゃるようにタイミングというのは大事なので、急ぎすぎる必要はないと私も思いますが、もう少し地域の人たちと交われるといいと思うし、その時機は近くなっているんじゃないかなと。

森:そうですね。最近は、玉野市内に移住された方がいる町内の会長さんに挨拶に行ったりすると、若い人たちの移住支援自体は悪いことではないだろうといった感じで、ポジティブな反応を示してくれることも多くて、徐々に伝わっているのかなと感じています。

段階をしっかり踏んでいけば理解してくれるだろうし、もともとそんなに排他的な街ではないと思うんです。ただ、基本的によくわからないものというのは警戒されるので、まずはわかってもらえるといいですよね。そのためには自分たちから始めていかないといけないと思うし、単に移住者が増えただけでは街は変わらないですよね。

森:そういう意味では、クリエイターの人たちはアクションを起こしてくれる可能性が高いと思っているし、結局はそれぞれが自分のやりたいことをやってくれている状態が一番いいのかなと。

五十嵐さんが営む生活用品とギフト・珈琲スタンドのお店「bollard」。

この辺りはもともと商売の街だし、ちょっとずつ商売をやろうとする人たちが入ってくれば、どこかのタイミングで加速度的に変わるんじゃないかと思うんです。私もまだお店を始めて2ヶ月半で、とりあえず瀬戸内国際芸術祭が落ち着かないと見えてこない部分もありますが、手応えは感じています。宇野港は近くに瀬戸内の島というコンテンツもあるし、商売をしていく上でのポテンシャルはあると思う。芸術祭などをきっかけに、この辺で暮らしたいと思って商売を始める人が増えるといいですし、私としてもそういう流れを引っ張っていけるといいなと思っています。

森:私が五十嵐さんのお店に伺った時、ちょうど商店街の向かい側の方が食品保存用の小物を買いに来ていて凄くいいなと思いました。住んでいる人たちの生活の中にちょっとずつ溶けこんでいくようなところがあって、凄く良い形で入っているんだなとその時に感じました。

おばちゃんたちの口コミは凄いから、同じものが連鎖的に売れていったりするんですよ(笑)。とはいえ、私の店に限っては、いますぐに地元の人たちだけをメインにしてやっていけるとは考えていなくて、まずは打ったらすぐに響く人たちから徐々に広げていけたらいいなと。でも、やっぱり良いものは誰にでも伝わると思うし、実際玉野市内からのお客さんもかなりいるんです。あとは、島も口コミで広がるのが早いから、直島からのお客さんも多いですね。「うのずくり」の活動にしても、口コミが届く範囲がもっと広がっていけば、理解をしてくれる人も増えていくと思うんです。