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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

グラフィックデザイナー・飯田将平さんが、
シェフ・渋谷信人さんに聞く、
「小豆島でレストランを開いた理由」

小豆島でインタビュアーを担当してくれる飯田将平さんは、東京を拠点に活動するグラフィックデザイナー。フリーマガジン「NEWTRAL」や仮想ブックショップ「nomazon」など、グラフィックデザインの領域にとどまらず精力的に活動をしている彼は、瀬戸内国際芸術祭 2013 春会期に、小豆島・醤の郷+坂手港プロジェクトのクリエーター・イン・レジデンスで滞在制作をして以来、現在も小豆島に通い続けています。そんな飯田さんがインタビュー相手に選んだのは、2年前に小豆島に移住し、完全予約制のイタリアンレストラン「FURYU」を営んでいるオーナーシェフの渋谷信人さん。形は違えど、島外から小豆島に入り込み、島の人たちとの関係を築いてきたふたりの対話の行方はいかに?

飯田将平
なぜ小豆島でお店を始めたのですか?

僕は4月中旬から約1ヶ月間坂手港に滞在しながら、海を題材に制作を行っていました。移ろいやすい海辺の風景にまつわる個人的な記憶をインタビューを通して集め、それを編集していくプロセスを町の人と共有するために、編集室ではなく一夜限りのレストランや飲み屋をスタジオの中に立ち上げるといった内容です。僕が普段やっているグラフィックデザインの仕事というのは、1ヶ月ごとにまったく毛色の違う仕事をするようなことも多く、一過性が強いんですね。一方で渋谷さんがやられているレストランというのは、もっと場所や人に根を張りながら踏み込んでいく仕事で、滞在を通して徐々にそういった仕事のあり方に興味を惹かれるようになりました。渋谷さんは島の外から移住して実際にレストランを立ち上げられたわけですが、そもそもどういったきっかけで小豆島と出会ったのでしょうか?

渋谷:僕は山形の田舎で育って、仙台の大学に進んだのですが、3年でやめて上京したんですね。もともと音楽がやりたかったのですが、やがて仕事としてやっていくのが難しいとわかり、飲食店で働くようになったんです。その後27歳くらいの時に、知り合いから飲食店を任されたことがあったのですが、結局うまくいかなくて2年くらいでやめてしまったんですね。その時にお店を経営していくことの難しさを痛感し、そこからもう一度料理をしっかり勉強しようと思い、六本木にあるオーガニックのイタリアンレストランに入り、一から料理を学びました。もともと山形の田舎育ちだったので、いずれは自然の中でお店をやりたいと思っていたのですが、当時奈良の山奥で自分の畑を持ちながら、お客さんに出す分だけ野菜を作っているレストランがあって、それが僕の理想のお店だったんです。そこで働いてみたいと思ってコンタクトを取ったのですが、ちょうどお店をたたむというタイミングで、今度は兵庫県西宮市で新しいレストランを開くということだったので、そこで雇ってもらうことになったんです。それを機に兵庫に引っ越して、最初の休暇で小豆島に旅行に行ったんです。

その頃はちょうど神戸と小豆島を結ぶジャンボフェリーが運休していた時期ですね。

渋谷:そうですね。バスで高松まで行き、そこから船に乗ったのですが、船で島に渡るというのは、本州で育った人間からすると特別じゃないですか(笑)。2月の閑散期に2泊3日で行って、オリーブ園の並木などガイドブックに載っている場所を中心に色々回ったのですが、なんとなく雰囲気が良かったんですね。ただ、当時はここでお店をやるなんて一切考えてなかったんですが、旅行を終えてからもちょくちょく小豆島の情報はチェックしていたんです。その後2年くらい経ち、また小豆島に旅行に行くことになったのですが、その時になんとなく物件を調べてみたらこの場所が見つかったんです。外観の写真と平面図を見て凄くいいなと思って内見に行ったら、目の前にある木に大きなレモンがたくさん成っていて驚いたんです。海も見えるし、凄く贅沢な場所だなと思い、すぐにここでお店をやろうと決め、数ヶ月に引っ越してきました。

場所との出会いが大きかったんですね。小豆島は醤油やオリーブオイルなど調味料で有名ですが、実際に訪れてみるとそれ以外の食材も豊かで驚きました。定年を過ぎた人たちが自分で畑をやったり、小さな船で漁をしたりと、地の食べ物と人との距離がとても近くにある。FURYUさんで初めて食事をした時に、そういった親密な食材がイタリアンレストランならではの方法で編集されていて、島に対する外からの視点に可能性を感じました。

渋谷:小豆島では、玄関を出ると目の前にタケノコやワカメなんかが置いてあるというのはよくある話なんです。特にうちはお店をやっているので、畑で穫れたものとかをみんな持って来てくれるんですよ。僕らもお店のすぐそばの畑を借りていて、70歳くらいの方とシェアする形にしているんですが、そういうところからどんどん地域の人とつながっていきました。うちはイタリアンなのでレモンをたくさん使うのですが、ちょっと誰かに声をかけるとみんな気にしてくれて、「うちのレモン使って」とごっそり持ってきてくれたりするんです。

FURYUさんは完全予約制で少ないお客さんしか取らないスタイルだから、より相性がいいのかもしれないですね。

渋谷:そうかもしれません。小豆島に来て感じるのは、スケール感が凄く良いということなんです。もちろん都会ではないし、とはいえ自分が暮らしてきた田舎に比べれば流通などもしっかりしているし、文化度も高い。さらに芸術祭などによって、外から色んな人たちが来てくれるというのも凄くありがたいなと。

飯田将平
島での起業に不安はありませんでしたか?

レジデンスを終えてからも小豆島に通いながら、自分が島に関わっていく可能性を考えているのですが、普段やっている仕事をそのまま持ち込むだけでは通用しないことがほとんどで、いまも試行錯誤をしています。ただただデザインをしても、島の人の手描き看板の味に勝てないんですよね(笑)。渋谷さんはそもそも飲食店が少なく、都市部とは環境の隔たりもある場所で飲食店をはじめることに不安はありませんでしたか?

渋谷:先ほどお話したように、一回お店を失敗しているし、なおかつ今度は自分がお金を出して始めるわけなので、当然リスクは大きいですよね。でも、始める時は正直そのことはあまり考えていませんでした。それよりもこの環境でお店をやりたいという気持ちが優っていたんです。目の前で大抵の食材は揃うし、12席程度のお店をひとりで回す分には、大きな利益は出ないかもしれないけど、家族を養うくらいはできるんじゃないかと。この場所でひとりでやるならこういうイメージでやりたいというのはあったので、そこから席数や客単価などを想定していった感じですね。

FURYUの店内。

そういう意味ではやはりこの場所との出合いが大きかったんですね。小豆島は色んな場所を回りましたが、意外に建物の中からこれだけ海が見える場所は少ないですよね。国道から少し奥まっていることもあって、食事をしながら凄く特別な眺めだなと感じました。

渋谷:商工会議所などに行って相談をすると、みんなこの場所を知らなくて、そんな国道から離れたところでやらないで、役場の近辺などもっと人が歩いている所でやればいいじゃないかと言われたんです。でも、それだと東京や兵庫でやるのと変わらないし、自分が働く環境や家族が生活する場所を大切にしたいという思いもありました。今年2人目の子どもが生まれたのですが、移住してきた当時は教育のこととかはそこまで深く考えていなかったんです。でも、実際に来てみると凄く文化度が高いし、自分たちの子どもに「本物」を見せたいという思いで教育のことについて考えている人も多く、そういう意味でも恵まれていると感じますね。島に来た当初はがむしゃらにやっていましたが、色んなことが見えてくると、小豆島というのは凄く伸びしろがあるなと感じます。

外から入ってきた人だからこそ見える伸びしろもありますよね。島の人には当たり前になっている魅力がまだまだたくさんあるように思います。FURYUさんで食事をした時にそれを強く実感しました。

渋谷:そうですね。小豆島というのは外食文化があまりなく、飲食店が少ないのですが、実はイタリアンをやるには凄くいい場所なんです。これだけオリーブがあるにも関わらず、島の人に「イタリア料理って何ですか?」と聞かれることがあるんです (笑)。でも、魚介類をゆでて、レモンを絞ってオリーブオイルをかけたら、もうそれでイタリア料理なんですよ。人に聞かずともすでに地で行っていますよと(笑)。逆にいままで (イタリアンレストランが)なかったというのが不思議なくらいです。小豆島はもともと醤油蔵などが栄えていて、いまも大きなお屋敷がたくさん残っていますが、以前はそこにお抱えの料理人なんかがいて、自分たちの所で作って食べていたから外食文化が発達しなかったのかもしれません。でも、いまは島の外に出ていた人たちがUターンしてくる流れがあって、これまでの小豆島になかった外のものが入ってきている。それは僕にとっても良い流れだったのかなと思います。

飯田将平
芸術祭についてはどう思いますか?

坂手港+醤の郷プロジェクトは、瀬戸内国際芸術祭の中でも作家やデザイナーの滞在を前提とするプロジェクトが多く、滞在が長くなるにつれて島の人々の生活に踏み込んでいくことも自然と多くなってきます。関わりが深くなっていく分、ここに住む様々な立場の人たちがそれをどう捉えているのか、どんな影響を及ぼしているのかをいつも考えています。今回の瀬戸内国際芸術祭は、渋谷さんの目にはどう映っていますか?

渋谷:普通に生活をしていたらアーティストの人と知り合う機会なんてまずないですよね。ましてや僕なんか一日ずっとここで働いているからなおさらなんですが、小豆島でお店をやっていると、作品制作に来たアーティストが食事をしに訪れてくれたりするんです。作っている人自身と接することで、ただ作品に触れるだけではなく、より踏み込んだものが見えてきて、それは凄く楽しいです。芸術祭自体は準備段階から見ていますが、実際に始めてみると、芸術祭を見に来る外の人たちや地元の人たちの色んな側面が見えてきますよね。

それは僕らも同じで、長期間寝食を共にしているから人としての作家の姿がちゃんと見えるんですよね。逆に僕らは芸術祭が始まる前の状況がわらからないので、その辺をもう少し詳しく聞かせて頂けますか?

渋谷:意外と島の人たちも楽しんでいるんだなと(笑)。特に今回の芸術祭は小豆島町自体が凄く力を入れているんですが、始まる前は「どうなるんだろう」とか「面倒くさい」「大変だ」という話をしていたのに、始まってみたら結構みんな楽しんでいるんだなと(笑)。やっぱり基本的にみんなお祭り好きなんですよね。

外からやってくる人に対する懐の深さには驚きました。こちらが困っていることがあると、誰かしら手を差し伸べてくれる。

渋谷:そうですね。もともと小豆島は観光地だし、外から人が来ると地元の人は接待するし、大変ながらも楽しんでいる人が多いのかなと。もっと温度差があるのかと思っていたら、実はそうでもない(笑)。そういう状況をここから見ているのは面白いです。「今日は◯◯に行った」とか島の人同士でも結構盛り上がっていて、凄く良いことだと思います。

芸術祭の開催期間中は島の様子もだいぶ変わっているようですね。

渋谷:今回は特にそういう感じなんじゃないかと。小豆島に移住をしたアーティストさんがいたりと、一歩踏み込んだ関係性も作られていて、だいぶ地域に浸透してきているのかなと。アーティストの人間性が見えてくることによって、芸術作品の垣根も低くなっているように感じます。

飯田さんが小豆島で開いた「うみべのレストラン」。

飯田将平
小豆島の未来は明るいですか?

渋谷さんが小豆島に来て2年ほどになるということですが、移住してきた当初から現在までの間に島に対する印象で変わったことはありますか?

渋谷:正直僕もあまり外に出ていないので、まだ知らないことが多いんですよ。でも、それは島の人たちも同じで、自分の家の半径100mくらいのことしか知らないという人は多いと思います。そういう面でも今回の芸術祭でアーティストの人たちが島の色んな部分を掘り下げて、それを僕らが見に行くというのは、この島を改めて見直すきっかけにもなりますし、こういう形でアートが入るのは良いことだなと。

FURYU

レストランの名前にもつながる話かもしれませんが、島の人たちはその半径100メートルくらいの狭さの中で、日々の小さな風流を楽しんでいるように見えます。これまで僕は「風流」という言葉を、秋に団子を食べたりするような、節目に現れる行為の中で捉えていたのですが、島の人たちは、都会にいたら感じられないような微妙な気象の変化をきちんと汲み取りながら暮らして、それが風流なんだなと思うようになったんです。海も山も風も光も、毎分毎時刻々と変わっていく。そんな環境の中で、島の色んな要素を摘み取って編集することで料理が出来ていく「FURYU」という存在は凄く豊かだし面白いなと思います。渋谷さんがこれから小豆島でやってみたいことなどはありますか?

渋谷:たくさんありますよ。実際にこれから事業化しようとしていることもいくつかあるんですが、最終的な理想としては、小豆島が「食」に関する留学に来られるような場所になったらいいなと考えています。漁師さんたちがいて、オリーブがあって、柑橘類などもたくさんある小豆島で、生産の現場を見てもらった上で、それを調理しながら学べるような環境を作れたら凄く楽しいなと。小豆島だからこそできるアイデアもあるし、小豆島にこういうものがあったら凄く面白いのにというものもたくさんあるので、できることはとても多いと思っています。

この場所だからこそできることはたくさんありますよね。滞在制作を通じた気づきの中で一番大きかったのは、60~80代くらいの人たちが身体や手に蓄えている知識や技術の豊かさでした。けれど、島の外へ出て行く人も多い分、そういったものが下の世代にうまく継承されていないように見えます。そういった状況が何かしらの形で混ぜ返されて、上手くつながっていくといいなと思います。最近では、渋谷さんのように30代前後の元気な人たちが外から人を呼んできたり、コトを起こそうと動いているのが面白いですよね。

渋谷:僕らくらいの世代が体力的にも立場的にも一番動きやすいと思うんです。何かをやりたかったり、もっとこうならいいのにと思っている人はおそらくたくさんいるし、それができるくらいの時間も権限も持っているはずなんだけど、いざ何かをやるとなると、立場上難しかったり、他の目も気になったりして、結局現状維持に落ち着いてしまうところがあるんですよね。ただ、最近は30代前後の人たちがデジタルメディアなどを上手く利用して外から人や知恵を入れながら、流れを作リ出している。いまは行政も凄く積極的に動いているし、こういう動きから流れが変わっていくといいなと思っています。<インタビュー終わり>