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地域と関わる

建築家・家成俊勝さんが、
小豆島町長・塩田幸雄さんに聞く、
「アートを通じた新しい地域社会のつくり方」

瀬戸内国際芸術祭2013」の参加アーティストとして、小豆島「醤の郷+坂手港プロジェクト」において、誰もが「建てる」ことに参加できる建築プロジェクト「Umaki Camp」を展開している建築家の家成俊勝さん。大阪を拠点に活動する建築事務所dot architectsの共同主宰でもある彼が今回インタビュー相手に指名したのは、その「Umaki Camp」が建てられた敷地のオーナーであり、さらに小豆島町の町長でもある塩田幸雄さんです。長年中央省庁で働き、3年前に故郷である小豆島に戻り、「瀬戸内国際芸術祭2013」にも積極的に関わっている塩田町長に、家成さんがいま聞きたいこととは?

家成俊勝
アートと社会保障はどう関係しているのですか?

僕らはこの春から瀬戸内国際芸術祭のプログラムとして、町長の家の敷地に予算300万円で建築物を建てる「Umaki camp」というプロジェクトを進めていますが、最初に町長のところに挨拶に伺った時、おそらくわけのわからん兄ちゃんたちが大阪からやって来たという感じだったと思います(笑)。しかも、自分の家の敷地内に家を建てて、そこでラジオ局を作ったり、ヤギを飼ったりしたいと(笑)。正直僕らがやろうとしていることは伝わりにくいものだったと思うんですが、そういう僕らをやんわり受け入れてくれました。その時に、わけのわからないものを入れることで地域を活性化させていくようなボトムアップ式のやり方と、決断してすぐに実行に移すトップダウン式の進め方の両方があることが凄くいいなと感じました。

塩田:僕は、なぜ瀬戸内国際芸術祭を小豆島でやっているのかと聞かれたら、「アートが社会保障の問題を解決するから」ということをキャッチフレーズのように答えているんです。社会保障の本質的な問題は、人々が助け合う仕組みをいかに維持するかということなんですが、いまは権利ばかり主張するような社会保障制度の中で、お互いに助け合っているという実感が一人ひとりからなくなっていると思うんです。社会保障の問題を解決するために必要なものは、お年寄りのケアから子どもの面倒までをきちんとできる共同体としての強い絆だというのが僕の結論なんですね。その絆を深めるためにどうするかということが、お祭りであり、アートであり、この「Umaki camp」なんですよ。実際、わけのわからん建物にこんなに人が集まっているでしょう(笑)。

僕は阪神大震災の時に住んでいた家が全壊したんですが、インフラがシャットダウンされ、行政のフォローも届きにくい状況下で、それまで挨拶程度しなかった住民同士が助け合いながら、自分たちの街を作っていこうという意識を共有していた瞬間があったんです。その時僕はまだ建築を始める前で、法律をやっていたのですが、ルールというのはもしかしたら自分たちで作れるのかもしれないと思ったんですね。今回のプロジェクトも建築自体は14坪程度の小さなものですが、そこからこの馬木地区、さらにその先に広がる社会というものを念頭に置いています。

塩田:家成さんたちは、建築という世界で新しいものを生み出そうとしている職人さんですよね。一方で僕は、社会のあり方を少し変えてみたいと考えている社会政策の職人なんです。たぶんお互いに考えていることは一緒で、今回のプロジェクトが町長の家の敷地内で行われているというのは偶然ではなく、必然なんですよ。

普段だったらあまり入れないようなプライベートな場所を町長が解放区のように開くことで地域の人たちが集まってきていますよね。

塩田:僕が子供の頃は、人がたくさん集まってくる空間というのはあったんです。ただ、現代社会には所有権や個人の自由という概念があるから、人が集まる空間を新しく作る必要が出てきて、それがコミュニティセンターだったりすると思うんです。公民館や集会所というのは全国各地にあるけど、それらと「Umaki camp」の何が違うかというと、それが僕の家の中にあるということですよね(笑)。こうした仕組み作りというのは社会保障にもつながるし、さらにここの良いところは外から丸見えだから誰が何をしているかすぐにわかるところ。こんなコミュニティセンターはおそらく日本でここにしかないと思います。

家成俊勝
都会との違いはどこにありますか?

小豆島に来てから気づいたのですが、ここには海も山もあって自然が凄く豊かで遊べる場所はいっぱいありますが、公園というのはないなということだったんです。

塩田:僕の幼少期の記憶では、児童公園などは何ヶ所かあったんですよ。でもいまはそこに新しいお店などができたりして、いつの間にかなくなっていましたね。

遊ぶ場所には困らないですが、フラッと立ち寄れる公園のような場所がなくなっていて、その機能をいま「Umaki camp」が果たしているのかなと。この「Umaki camp」ような形もこの場所だったからうまくいった気がしています。例えば、これをいきなり大阪で始めても、果たしてここまで色んな人が関わってくれたかどうか。

塩田:そうかもしれないですね。都会から来た人はこの状況を見て驚かれるかもしれないけど、地域の人の間では人の家に勝手に集まるというのがまだ許されているところもあって、この「Umaki camp」も馬木の人たちにとっては当たり前のことのように受け入れられているのかもしれないですね。ただ、僕が小豆島に帰ってきたのは3年前ですが、その時点では、このまま何もしなければ10年先には取り返しがつかない状況になりかねないという印象がありました。若者たちが都会へ行くという流れは強いし、地元の人たちも自分たちの地域がとても素晴らしいところだという意識が少しずつ薄れていたんですね。昔のようにみんなが集まってワイワイガヤガヤやるようなこともなくなってきていたし、ギリギリのところでなんとか踏みとどまっているような感じでした。

でも、島で色んな方とお話をしてみて、この地域の人たちはもともと凄く繋がりが強く、チームワークがあるんだなと凄く感じました。先日、地域の人たちと一緒に脚本を作って、撮影をして、その日に上映をする「ご近所映画クラブ」というワークショップのプログラムを使って馬木の人たちと映画を撮った時も、こちらが用意したルールをさらに良い方法に塗り替えていくような意見がどんどん出てきて驚きました。お葬式という設定なんですが、その中に笑いがあって、さらに社会保障や地域の問題も抑えられていて凄く良かったです。

塩田:なかなかのものですよね(笑)。最初はどうなるかわからなかったけど、抱腹絶倒の素晴らしい作品ですよね。この映画にはこの「Umaki Camp」の素地がよく出ていると思いますし、この馬木地区には、自分からどんどん意見を出して色んなことをやっていける人たちが多くて、昔からそういう基盤があるんです。

ご近所映画クラブ

家成俊勝
なぜ小豆島に帰ってきたのですか?

町長はずっと東京で中央官僚としてバリバリ仕事をされてきて、3年前に故郷の小豆島に戻ってこられたわけですが、そもそも本腰を入れて帰ってこようと思ったきっかけは何だったのですか?

塩田:もともと故郷に対する思いというのは人一倍強くて、とても良い所で生まれ育ったという自負があるんです。小・中・高校の先生にも凄く手塩にかけて育てられたと思うし、東京でがんばったらいつか帰ってこようとは思っていました。地元の人たちからも帰ってきてくれとずっと言われていたのですが、当時うちの母は体調が悪くて、ずっと病院に入っていたんですね。もし僕が町長として帰ってくるとしたら、当然母親の面倒を見なくてはいけないし、町長としてやっていくことと、親のケアをすることを両立させるのが自分の中では難しかったんです。その後、忘れもしない3年前の2月19日、町会議員のみなさんが4月に迫った選挙へ出馬するように最後の説得に来たんです。僕自身は、母のことがあるので断るつもりだったんですが、ちょうどその日に母親が亡くなって…。そこで自分の中で決心がついたんです。

お母さんが後押しをしてくれたのかもしれないですね。

塩田:だから覚悟が決まっているんです。東京での役人生活では、自分としてはやり残したことがないくらいやり抜いたという自信があったし、その中で中央省庁で働くことの限界も感じてきました。中央省庁というのは、凄く情熱があって、努力家で、頭の良い本当に素晴らしい連中が集まって仕事をしているのですが、残念ながら彼らは自分の入った省庁の枠を超えることはできないんです。例えば、経産省に入った人間はいくら福祉のことを考えていてもそこには指ひとつ出せない。でも、実際の社会の生活というのは、ここまでが厚生労働省、ここまでが経産省という風には分かれていないですよね。当然みんな自分が与えられた中でベストは尽くすわけですが、ベストを尽くした者同士がぶつかった時に調整する機能というのがこの国にはないんですね。一方で、根っこから変えていける町長といういまの仕事は、責任は非常に重いですが、凄くやりがいを感じています。

Umaki camp

日本全体が縮小しているいま、従来の縦割り行政というのは上手く機能しなくなっているように思います。小豆島の人口は現在3万人程度ですが、これは凄く良い規模だと思うし、東京から見たら周縁の小さな島に思われるかもしれないけど、町長が考えている社会保障を含めたビジョンや試みというのは、壮大なひとつの実験のように感じます。

塩田:その通りなんですよ。小豆島には、小豆島町と土庄町というふたつの町があって、それぞれ人口が15,000人程度なんですね。このくらいの規模だと一人ひとりの顔も見えるし、その中で全体をやり繰りしていけるんです。もしふたつの町が合併したら、人口3万人の町になるわけですが、そうすると間違いなくこの「Umaki camp」にかけられる時間は半分になってしまう。1万5千人の町と3万人の町は全然違うし、5万、10万、100万という規模に応じて仕事の仕方は変わってきてしまうんです。

Umaki camp

家成俊勝
小豆島にはどんな可能性がありますか?

いま地域を盛り上げるための要素として「ツーリズム」というのが重要になってきていますよね。これには2種類あると思っていて、ひとつはディズニーランドなどのテーマパークや世界遺産などの有名観光地に訪れることを目的にしたもの、もうひとつはその土地の人や生活に触れ合うものです。今回僕が参加している「醤の郷+坂手港プロジェクト」では、「観光から関係へ」というフレーズを掲げていますが、この「Umaki Camp」に取り組む際に考えていたことも、地域の人たちとここを訪れる観光客がうまく交われる仕組みを作りたいということでした。

塩田:先日開催された小豆島の盆踊りに、高校生など若い人たちが凄くたくさん来ていたんですね。これはおそらく芸術祭の効果だと思っているのですが、例えばいま坂手港でクリエイター・イン・レジデンスをやっている「eiスタジオ」などに地元の若い人たちが行って刺激を受けたりしている。そういう面で今回の芸術祭が小豆島の若い人に元気を与えているのは間違いないし、おそらくこれは芸術祭をやっている他の島が到達していない域なんじゃないかとさえ思っています。1年前には何もなかったところに、今回の青写真を描いてくれた椿昇さんとの偶然にしては出来過ぎと言える出会いがあり、半年くらい前にはわけのわからない兄ちゃんたちがやってくるし、信じられないような展開ですよね。

eiスタジオ

(笑)。アートが社会保障の問題を解決するという町長の持論は凄く腑に落ちるところがあるし、今日こうして町長のお話を聞いて、その覚悟やヴィジョンに改めて素晴らしいと感じました。

塩田:3年前の芸術祭を見て、小豆島もしっかりやれば直島や豊島に負けないものができると思っていました。そのためにどうするかは知恵の絞りどころだったんですが、この醤の郷にはそれができるんじゃないかと感じていました。ほとんど誰も注目していないですが、実は僕が町長になって1年目に、「醤の郷条例」というのを作っているんですよ。その時に考えていたことは、醤の郷の産業の営みを繰り返していくことで地域おこしをするということだったんですが、それはまさに今日の芸術祭のようなことなんです。

eiスタジオ

町長が考えられているのは、かつてのコミュニティをそのまま取り戻すことではなく、社会状況を踏まえた上でこれから先にどうあるべきかということなんですよね。

塩田:過去には戻りようがないですからね。人口が減り、少子高齢化が進むなかでどういう社会を作っていくかということが課題だと思います。そして、実はその問題を先取りしているのが小豆島なんです。先ほども話に出ましたが15,000人とか3万という人口規模は社会実験をするにはちょうどいいですし、地場産業、農業、漁業、教育のすべてがこの島にはある。そんな小豆島にアートを入れることで新しい地域社会のモデルを示していけるんじゃないかという思いでこの瀬戸内国際芸術祭に関わっているんです。例えば、家成さんが働いている大阪にとっても、瀬戸内海にこういう場所があって常に交流が持てるというのは大きな力になり得るし、これは小豆島だけの問題ではなく、壮大な社会実験だと思っています。