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地域と関わる

NOSIGNER主宰/デザイナー・太刀川英輔さんが、
横浜美術館 館長・逢坂 恵理子さんに聞く、
「横浜のまちが持つ可能性」

QONVERSATIONS TRIP YOKOHAMAの公開取材イベントの会場となったNOSIGNERは、太刀川英輔さんが主宰するデザインオフィス。ここ横浜に昨年事務所を移転した太刀川さんがインタビュアーとなる最後のセッションでは、横浜美術館で館長を務める逢坂恵理子さんにお越し頂きました。多様化する時代において、「形を作る」だけがデザインの領域ではなくなりつつあるいま、「文脈を作る」キュレーターという仕事に長年携わり、横浜トリエンナーレをはじめ、クリエイティビティと街を紐付ける活動も展開してきた逢坂さんのお話から、これからのデザインのヒントを探ります。

太刀川英輔
キュレーターはどんな仕事ですか?

僕は、現代ないし未来において、どうすればデザインというものがもっと機能できるのかということを活動のテーマにしているんですね。多くの人は、デザインというのは形を作ることだと考えていると思います。例えば、いま僕が手にしているマイクは、音声を拾うことができて、なおかつ握りやすいように、このような形にデザインした人が最初にいたわけです。でも、色んな可能性があった中で、この形がスタンダードになったということにはまた別の力学が働いていて、それはある意味文脈化するということですよね。逢坂さんはキュレーターとしてその部分を担ってきていて、そこにはデザイナーの専門性だけではタッチできないヒントがあるんじゃないかと思っています。まずお聞きしたいのですが、キュレーターとはどんなお仕事なのか簡単にご説明頂けますか?

逢坂:キュレーターは日本語では学芸員と言われていますが、具体的に何をしているのは一般的にはあまり知られていませんよね。キュレーターにも色々な仕事がありますが、大きな役割のひとつは展覧会を作ることです。また、美術館の収蔵作品を、保存・管理して未来につなげるという役割もあります。これらを可能にするためには調査・研究が必要で、つまり、学芸員は美術を世の中に伝えていく研究職だと思っています。

展覧会というものを、他の人からも理解しやすい状況、状態にするために編集しているところがありそうですね。研究などによって得られた多くの情報をそのまま出してもなかなかわかりづらいですからね。多くの人たちが自分とは関係がないと思っていたアートというものを、「私にも興味が持てるかもしれない」と気づかせ、人とアートを関係付けていく仕事のように感じます。

逢坂:そうですね。展覧会にも色々な種類があるのですが、そのひとつは「テーマ展」です。特定のテーマに基づいて、アーティストや作品をつなげていく。テーマ展では、展覧会を通して何を伝えていきたいのかが前面に出てくるのですが、これが太刀川さんがおっしゃる文脈を作ることにつながっていくのだと思います。私は長年学芸員の仕事をしてきましたが、一番の関心は美術を社会に伝えていくことなんです。今日会場に来てくださっている方はデザインやアートに関心が高いと思いますが、全人口からしたらアート好きの人たちは一握りですよね。でも、美術はどんな人生や状況においても必要なものだと思っているので、色々な引き出しを使いながら文脈化し、それを伝えていくことが自分の仕事だと考えています。

伝えていくということには始めから意識的だったのですか?

逢坂:意識的になったのは、大都市を離れて仕事をするようになってからです。私は、横浜美術館に来る前は、水戸芸術館で仕事をしていました。水戸市は茨城県の県庁所在地ですが、人口は27万人程度です。そういう環境のなかで現代美術の最先端を伝えることは容易ではなく、どうすれば一般の人たちにもアートへの関心を持ってもらえるのかという発想をせざるを得ないんですね。その頃から現代美術が持っている色んな引き出しをできる限り駆使していこうと考えるようになりました。

太刀川英輔
どうすれば関係性が生まれますか?

デザインには、ユーザー視点でコンセプトを考えていく「ユーザーオリエンテッド」という考え方があります。デザイナーやメーカーの思いや技術主導で生まれていくものがある一方で、それを使う人とどう関係していくかという部分に重きをおいて設計していくやり方もあるんです。デザイナーの中でもそのどちらに寄っているのかというのは人それぞれで、自分が作る形や作品性を押し出して成功している人ももちろんいますが、もう少し相手に寄り添う形で作っていくタイプもいます。そういう意味で言うとキュレーターという仕事は、ユーザー寄りの立ち位置ということになるのですか?

逢坂:色々なタイプがあると思います。キュレーター主導で自分の好みを全面的に押し出すこともありますし、一歩引いて全体のバランスを取りながら回路をいっぱい開いていく場合もあります。私自身としては、ひとつのやり方にこだわらずに色々試したいと思います。

全然美術に無縁だった人たちを関係付けるということは、世界中の美術館が試みていると思いますが、逢坂さんの経験の中で成功例などはありますか?

逢坂:過去に「カフェ・イン・水戸」という展覧会を水戸芸術館で2度ほど開催したんですね。CAFEは「Communicable Action For Everybody」の頭文字から取ったもので、誰とでもコミュニケーションができるアクションという意味です。行動ということにポイントを置いて作家や作品を選定し、美術館の外に作品を設置したり、コミュニケーションをキーワードにして色んな方と作品を作ったりしたのですが、いままで美術館に来てくれたことがなかった人たちの関心を引き出すことができました。「こういう人たちにこういうものを提示しても反応してくれないんじゃないか」と思いながら出したものに意外な反応がありました。40歳以下の社長さんたちが集まる青年会議所のメンバーは、最も忙しく、美術館に来る機会がない人たちでしたが、一緒に展覧会を作ることができ、ネットワークが非常に広がりました。

日埜直彦「家プロジェクト1/セントラルビル」(2004/カフェ・イン・水戸)  撮影:逢坂恵里子

ビジネスの世界で頑張っている未来のある人たちがアートや伝統工芸品を愛して、自分の成長ステージに見合った素敵なものを手に入れるということが、文化の盛り上がりにもつながると思うんですね。でも、実際にはそういう人たちはアートや伝統工芸品を買っていない。おそらくそれは、その人たちが常日頃求めている形に翻訳されていなかったり、そもそも関係付いていなかったりするからではないかと。

逢坂:この「カフェ・イン・水戸」は、公立美術館が外に出て行く大きなきっかけになったんですね。この流れをより大きく展開したものが、「越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」のような自然の中に作品を設置していく国際展ですよね。ホワイトキューブと言われるギャラリーの中で展示をするのではなく、場所探しから始まり、土地の歴史や文化を意識しながら作品を作っていくということが新鮮だったし、美術ファンではない人たちが先入観なくアートに目を向けるきっかけになった気がします。

太刀川英輔
アートと街はどう結びつきますか?

話に出た瀬戸内や越後妻有のような場所ではなく、大都市でトリエンナーレを行うという点で横浜は先駆的だったと思います。逢坂さんが「横浜トリエンナーレ」に関わるにあたり、横浜の街とクリエイティビティを紐付けていくということにはどんな意義を感じていましたか?

逢坂:2011年に横浜美術館を主会場として開催した第4回では、総合ディレクターとして展覧会の企画全体を見る立場にあったのですが、まずなぜ横浜市がこうした現代美術の大きなフェスティバルをするのかということを考えました。横浜は、鎖国を経て日本が開国した際に開港した150年の歴史しかない街です。でも、日本の近代化とともに一気に発展した横浜では、海外からの文化や経済、政治システムが流れ込み、人々の交流も盛んに行われました。そのなかで新しいものを受け入れていく土壌が育まれた横浜は、新しい表現を紹介していく大規模な展覧会にふさわしい場所なんですね。横浜の歴史、精神、風土は「横浜トリエンナーレ」の文脈に一致しているし、様々なことを発信していく上で非常にポテンシャルがある街だなと。

それは僕も横浜に引っ越してきてから強く感じています。世界の窓口になっていた横浜がクリエイティブハブとなり、ここから世界につながっていくというのは凄く素敵ですよね。ただ、それが実現するためには何かしらの事件のようなものが起こらないといけないのかなと。クリエイティブのハブになる得る場所で、世界からお客さんが来るようなイベントも行われているなかで、これらがどう結びついて何が起きるのか見てみたいんです。そこでは、多くの人にとってアートやデザインというものを自分事にさせる設計が必要だと思うんですが、前回の「横浜トリエンナーレで」はどんなことを考えていましたか?

逢坂:前回は東日本大震災があった2011年の8月に開催されたことなどもあり、色々な意味で開催にこぎつけるまでが大変な状況でした。「OUR MAGIC HOUR」というのがトリエンナーレのテーマだったのですが、まさにマジックのようになんとか間に合い、オープンすることができました。このテーマには、すべてが便利になった情報化/コンピューター化社会において、理性や知識だけでは計り知ることができないもの、掴み取ることができないものが実は世の中にたくさんあるのではないかというメッセージが込められていました。私たちが直面している日常生活とは切り離されたところにある不思議なものへ、通常とは異なる視点からアプローチしていく展覧会だったんです。

それもひとつの文脈化と言えるかもしれないですね。みんながみんなアート好きではないけれど、シャボン玉というものを見れば老若男女問わず不思議に感じるし、虹などもそうだと思いますが、何かよくわからないマジカルなものというのは世界中で愛されていますよね。日頃の固定概念から外れたものがパンと現れることで琴線に触れる瞬間というのがあって、その時にもっとそれと関係したいと思うことがあるのだと思います。リテラシーや前提の知識をキャンセルしてでも伝わるものをどうすれば設計できるかということは、僕も常に考えているところなんです。

逢坂:例えば、「OUR MAGIC HOUR」という言葉を虹のアーチのようにしたウーゴ・ロンディノーネというアーティストの作品があったのですが、虹は普通晴れた昼間の空でしか見られないですよね。この作品は夜になると光るのですが、夜に見られる虹というのは一体何なんだろうと。結局私たちが見ているものは視覚によって受け止められているけれど、世の中にはそれだけでは受け止め切れないものもたくさん存在しているということを示唆する作品なのですが、みなさんがアプローチしやすく、どこかマジック的で不思議な要素を含んでいる作品が前回のトリエンナーレには多かったように思います。

Ugo RONDINONE「moonrise. east.」(2005) Courtesy the artist and Galerie Eva Presenhuber,Zürich, ©the artist, Photo by KIOKU Keizo, Photo courtesy of Organizing Committee for Yokohama Triennale

太刀川英輔
誰でもアーティストになれますか?

例えば印象派など、大きな流れが生まれて、その表現をマーケットが強要していたような時代というのが過去にはあったかもしれません。でも、現代は表現の中に多様性というものが凄くある時代で、あらゆる表現が許容され得る分、それぞれが大きなマーケットになりにくいという状況がありますよね。

逢坂:ボーダーレス時代と言われているように本当に色々な境界線がなくなってきていますが、「横浜トリエンナーレ」のようなフェスティバルは、美術に限らず色んなジャンルを橋渡しできる機会になると思うし、その役割を少しずつ果たしつつあるように感じています。そのなかで、デザインや建築などのクリエイティブな仕事に対して、私たちがどういうアプローチをする必要があるのかを考えることはあります。

NOSIGNER「The Moon」(2011)

「OUR MAGIC HOUR」ではないですが、アーティストの専門性から発信するものではなく、誰しもの中にある共感覚みたいなものに訴えていくということで勝負するという考え方もあるのかなと。そういう思考が強まりつつあるなかで、アーティストやデザイナーなどの「表現する人」と、それを「体験する人」の境界もどんどんなくなっていくように感じています。

逢坂:とはいえ、やはり本物のアーティストには簡単にはなれないんですよね。ある時代に瞬間的に評価されることはあっても、クオリティを維持して、一流であり続けるということは非常に大変なことです。多くの方たちに、アーティストが持っている視点を想像し、日常に取り込んでもらいたいと思っていますが、キュレーターとしては、何がこの時代を語り、時代の質を提示できる表現なのかを厳しくチェックしていかないといけないなと思っています。

よくサッカーのたとえを出すのですが、サッカーというのは誰もが少なからず一度はやったことがありますよね。でも、そこからプロサッカー選手になるということは凄く大変なことで、それは少なからずアーティストやデザイナーというものにも当てはまると思っています。要は、最初の垣根の部分の話ですよね。誰もが絵を描いたことはあるけど、自分がアーティストだと考える人はそんなにいない。でも、図画工作が好きだった子供が将来デザイナーになるということが、サッカー選手になりたいと思うくらいの感覚で思えたら、デザインのレベルは全体的に凄く上がると思うんです。そういう競争がもっと過激になった方が面白いしフェアだと思うし、垣根が低くなることでより広い文化圏から発酵するかのようにクリエイティブなことが出てくるんじゃないかと想像するとワクワクします。裾野の広げ方とトップクオリティの上げ方の両方が大事ということですよね。

逢坂:そうですね。トップクオリティを支えるのは結局一人ひとりですよね。美術館は敷居が高いとか、知識がないから行けないと思っている人はたくさんいますが、一人ひとりの生活の中でカーテンの色や食器をどうするかと考えることも実は美術と直接つながっていると思うんです。私は小さい頃から民芸が好きで、日常で使われるザルも竹のものしか使いたくないというこだわりがあったのですが、そうした日常性と、美術館にあるアートが分断されているわけではないことをみんなが捉えたら凄く変わるだろうし、そういう時代が来つつあるように思います。<インタビュー終わり>