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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

ギャラリー「ターンアラウンド」オーナー・関本欣哉さんが、
現代美術家・青野文昭さんに聞く、
「仙台アートシーンの現状とこれから」

今回インタビュアーを担当してくれるのは、東京でアートを学んだ後、2010年に地元・仙台にギャラリー「ターンアラウンド」を設立した関本欣哉さん。その関本さんがインタビューするのは、同じく仙台を拠点に活動する現代美術家で、2013年に開催された「あいちトリエンナーレ」への出品をきっかけに、近年は国際的にも注目を集めている青野文昭さん。先日、仙台市内の6会場で開催された「せんだい21アンデパンダン展」の企画を手がけるなど、仙台アートシーンの活性化にも積極的に取り組んできた関本さんが、地元を代表する作家である青野さんに聞きたいこととは?

関本欣哉
現代美術を始めたきっかけは何ですか?

青野さんと初めてお会いしたのは97年前後で、まだ僕が20歳過ぎの頃でした。それまで僕は東京のアートスクールに通っていたのですが、仙台の空きビルで展覧会をやらないかとお誘いを受け、地元のギャラリーにアーティストを紹介してもらいに行ったところ、青野さんのことを紹介して頂きました。結局その時は僕の個展という形になったのですが、当時見た青野さんの作品が強烈で、ずっと記憶に残っていました。その後、僕は仙台に戻ってきて、このギャラリーをオープンしたのですが、その少し前に青野さんに展覧会の話を持ちかけて、それ以来お付き合いをさせて頂いています。去年の夏に、青野さんが「あいちトリエンナーレ」に出品されて、それがきっかけで韓国のアラリオギャラリーの所属作家となったこともあり、最近はかなりお忙しそうですね。

青野:それも「ターンアラウンド」で開いた個展がきっかけになったんですよね。その時に評論家の椹木野衣さんや、「あいちトリエンナーレ」の芸術監督を担当した東北大の五十嵐太郎さんらが見に来てくれたのですが、ちょうど「あいちトリエンナーレ」が「揺れる大地」をテーマに掲げ、震災後のアートを意識していたこともあり、僕も出品することになりました。

このギャラリーから広がっていったことは僕としてもとてもうれしいです。さて、まずは青野さんのことを知らない方に向けて、美術に携わるようになるまでの経緯から伺えますか?

青野:もともと僕はマンガなどが好きで、小学校の頃に近所のお絵描き教室に通ったりもしていました。実はその時の先生が大変優れた作家さんだったんですが、僕が現在のような方向に進むようになったのは、現代美術をされていた大学時代の先生に感化されたところが大きかったと思います。その頃から僕はずっと仙台にいるのですが、こういう作家は珍しいようで、学生の頃から東京に出て、そのまま向こうで活動する人なんかも多いんですね。ただ、美術の制作にはモノがついてまわるので、明日から別の場所に移ってすぐに制作するということもなかなかできなくて、気づけばずっと仙台で制作を続けているという感覚です。

「あいちトリエンナーレ2013」に出品された青野さんの作品。

現在のような作品をつくるようになったのはいつ頃からですか?

青野:大学の卒業制作の時に設定したいくつかのテーマのうち、とりあえずはじめに着手してみたひとつが「修復」や「再生」で、そのままずっと現在に至るという感じです。美術作品というと、作家が新たに創作したものをイメージされると思いますが、僕自身の興味は、すでに存在しているけど自分が知らなかったものといかに関われるかというところにありました。このテーマと出合った直接的な出来事というものがひとつあります。当時、森の風景画を描くために通っていた近所の小さな山があったのですが、その頃はちょうどバブルの全盛期で、ある時に一夜にして森の木がすべて伐採されてしまったんですね。それまでの研究テーマが一瞬にして消え去ってしまったことが自分にとっては大きなショックでした。その時に、作品をつくるよりも、木を植えた方が良いんじゃないかと思い、切られた木を再生するという試みを始めたのですが、「修復」や「再生」という行為には、一般的な創作活動とは異なる別の創造性があるのではないかと感じたんです。

関本欣哉
どんなことを表現したいのですか?

青野さんの作品は、生活用品などを美術の中に持ち込む「レディメイド」とも、すでにあるものを複製する「再現芸術」「イミテーション」とも違うものだと思うのですが、ご自身の作品をどのように位置づけているのですか?

青野:僕の作品の特徴は、自分が知らない他者がつくった部分と、自分がつくった部分がひとつに融け合っているところにあると思います。本物の部分とそうではない部分が同居しているとも言えるのですが、要するに本物とも偽物ともつかないものをつくりたいという思いがあります。現実の世界や日常の生活を見てみても、本物と偽物は複雑に混ざり合っていて、もともと偽物だったものが使っているうちに本物になったりすることもある。そうなってくると、「本物って一体何なんだ?」という問いが浮かび上がってきます。美術作品というのは、架空的な空間に人工物として展示されることが多いですが、それによって現実が持っている振れ幅や奥深さが失われてしまうところがある気がしています。そこに陥らずに、なんとか現実世界のあり方に近づいていけないかということを考えています。

山形県・東根市で破棄されていた車を復元した青野さんの作品(2001年)

制作を始めた当初、そうしたコンセプトは美術界の中でどのように受け止められましたか?

青野:有り体には理解されにくいところがありましたね(笑)。むしろ当初は、アートよりも建築の分野からの反応の方が良かったです。建築では、建物を移築したり、古い土台の上に建て直すということが必要になることも多いし、リノベーションという感覚に通じたところがあったのかもしれません。ただ、僕の場合は、実際に何かを復元して使えるものにしていくということに関心があるわけではないんです。

青野文昭「なおす・復元・荒浜」(1997年)

青野さんの作品が展示された空間に入ると、何か異世界に引き込まれたような感覚を覚えます。作品そのものに、場の空気感を変える不思議な力があるような気がします。

青野:空間の話で言うと、環境に依存してしまうインスタレーションのような表現には、当初はあまり関心はありませんでした。もともと僕が美術という表現に大きな魅力を感じているのは、自分自身が表現媒体になるダンスなどとは違い、自分ではないモノに表現を託すことができる点なんです。良い作品というのは、そのモノ自体が残り続け、強い説得力を持つようになるんですね。文学や音楽などに比べて、ただそこにあるだけでいい美術作品というのは、非常にコンパクトに集約された表現だと言え、そこが大きな強みだと思っています。

関本欣哉
震災後の反応はいかがでしたか?

青野さんは長らく「再生」「修復」というテーマを掲げて制作を続けてきましたが、2011年以降は、震災抜きに作品のことを語るのが難しくなってしまった状況があったと思います。青野さん自身は、震災以降何か変化はありましたか?

青野:震災による被害は仙台でもかなりあって、僕の自宅近辺では、3軒に1軒程度の割合で家が壊れたり、傾いたりしてしまったんですね。ただ、そうした状況だったにも関わらず、創作については、直後の段階において、自然環境に左右されてはいけないと考え、なるべく影響を受けないように努めていたように思います。でも、いままでゴミを拾っていた場所はみんな津波で覆われてしまっていて、震災と無縁の漂流物は手に入らなくなってしまっていました。また、もし震災と関係ないゴミなどを用いて作品をつくることができたとしても、どうしてもそこには大きな意味が含まれてしまうんですよね。

2012年にターンアラウンドで開催された青野さんの個展。

青野さん自身が変わらずに制作を続けたとしても、それを見る人たちの反応は、やはり震災前とは異なるものになってしまいそうですね。

青野:そうですね。震災前から知名度のある作家だったら良かったんですが(笑)、僕の作品を初めて見る人たちは、当然震災後にこういうものをつくり始めたと思うわけですよね。震災前は作品のテーマについてよく聞かれることもあったのですが、例えば「あいちトリエンナーレ」では、仙台在住の作家がこういう作品をつくっていることに一切疑問を持たれず、誰からも質問されませんでした。どうしても人は震災からの「復興」や「再生」というテーマを、作品から読み取ってしまいますからね。だから「あいちトリエンナーレ」では、僕が震災前からこういう作品をつくっていたということを、スタッフの人たちが来場者に説明してくれていました。

青野文昭「なおす・復元・宮古・鍬ヶ崎(震災後宮古実家跡地から収集した記念時計より)」(2011年)

「あいちトリエンナーレ」以前にも、青野さんは震災をテーマにした展覧会をされていますが、ここにはどんな思いがあったのですか?

青野:震災以降、各地から色んな人たちが炊き出しに来てくれたりしたのですが、中央の有名人と地元の被災者の交流という図式が強くなり過ぎてしまい、地元にもつくり手がいるということに、ほとんど目が向けられていないと感じたんですね。そのなかで、自分たちで何かをやらないといけないという思いが徐々に強まっていきました。また、僕の作品においては、もともと自分ではないモノの特性に歩み寄り、そのモノが持つ特性や記憶を引き出していくということが作業の中心になるんですね。そう考えると、震災以降自分がこの場所やモノから作品をつくるということは、必然的に震災の記憶や傷跡が浮かび上がらせることになるわけです。仮にそれを嫌だと思う人がいたとしても、失った人やモノや様々な記憶のためにも、またそれを知らない次世代のためにも作品として残しておくべきなんじゃないかと思うようになり、ある意味必然的に震災をテーマにした展覧会を開催することになったんです。もちろん、津波で流されてきたモノを作品に使うことに拒否反応を示す方もいますが、結局はすべて震災瓦礫として撤去処理され消え去ってしまう運命にあります。いずれにせよ自分の場合は、「復元」をテーマに据えてきていますので、あくまでもそうした「モノ」が材料ではなく主役となり、流出物に詰まったエッセンスが作品として保存されることを念頭に置いています。作品に接してもらえば理解していただけると思っています。

関本欣哉
今後はどんな活動をしたいですか?

震災以降、東北の外から来た作家たちは多くの作品を残しましたが、地元で震災を経験した作家で、それ自体を取り上げた表現ができている人はまだ少ないのが現状です。僕たちも、戦後の焼け野原を経験した作家たちが参加した「日本アンデパンダン展」にならい、震災以降の新しい価値観から作品を表現する作家が出てくることを期待して、「せんだい21アンデパンダン展」というのを開催したりしていますが、10年、20年くらい経ってからようやく、震災の経験を消化できた人たちの表現が世に出てくるのかなという気もしています。

青野:震災以降、早い段階でアクションができたのは、写真やパフォーマンスなどの表現でしたよね。造形的な作家たちがここからどういう表現を生み出していけるのかということについては、僕自身まだピンと来ていません。その間に瓦礫は撤去されて更地になり、震災自体も忘れ去られていく可能性もあるわけで、なかなか難しい問題だと思います。

ターンアラウンドに併設されたカフェ「ハングアラウンド」。

そういう意味でも、震災後もずっと仙台で活動をしている青野さんのような作家が表現を続けていくことはとても重要だと思っています。ただ、仙台には美大や共同アトリエのようなものがなく、制作環境にあまり恵まれていないんですよね…。青野さんはいまどんな環境で制作しているのですか?

青野:街中からは離れた新川というところにアトリエを構えています。ここに流れている川が気に入って住み始めたのですが、まさにきれいな川があるという理由で、ニッカウイスキーの蒸留所がつくられた場所なんですね。僕はゴミなどを使って作品をつくっていますが、もともと自然がないとダメなんです。近代的な製品など身近にあるものが作品の素材にはなっていますが、最終的には、一見対極にあるような縄文的なエッセンスと通じ合えるものがつくれたらと考えています。

韓国・アラリオギャラリーで開催された青野さんの個展。

震災以降、ここでしかできない表現の重要性が高まるなかで、青野さんのような作家とギャラリーが連携しながら、海外に被災地の現状を発信していく必要があると感じています。青野さんもアラリオギャラリーに所属するなど、外向きの活動が盛んになっていると思いますが、今後はどんなスタンスで活動を展開されていくのですか?

青野:基本的には、今後もコツコツと作品をつくり続けていくつもりです。先日開催したアラリオギャラリーでの個展では、震災をテーマにした近作を発表したのですが、日本以上にしっかりと作品を受け取って頂くことができ、とても感謝しています。日本では、震災をネタ的に扱うだけで終わってしまうメディアも少なくなく、論点にバイアスがかかってしまうことも多いのですが、向こうの人たちはしっかりとした記事を書いてくれました。いま韓国では現代美術がかなり盛んで、ギャラリーも日本と違って規模が大きいんですね。また、ギャラリーの戦略としても、アジアの作家を世界に紹介していくということなので、僕自身とても期待しています。<インタビュー終わり>