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地域と関わる

東北大学 産学連携コーディネーター・柿崎慎也さんが、
宮城アナログ文化協会/青葉こけし会・濱田どんきさんに聞く、
「心を響く音楽のチカラ」

現在、東北大学で企業と大学の連携を促進させる産学連携に取り組む柿崎慎也さんは、地域のクリエイティブ/産業界のハブ的存在としても地道に活動を続けています。今回のQONVERSATIONS TRIP SENDAIにもご協力頂いた柿崎さんがインタビュアーとなってお話を聞くのは、音楽と社会をテーマに活動されている濱田どんきさん。市民や愛好家が音楽について自由に話す場づくりを行い、東日本大震災(以後、震災)の後には「うぶこえプロジェクト」を立ち上げ、様々な活動を展開しています。こけし愛好家としての一面もお持ちだという濱田さんの全貌を解き明かすべく、柿崎さんがさまざまな質問を投げかけました。

柿崎慎也
なぜ音楽と関わり始めたのですか?

濱田さんとは10年くらい前から知り合いなんですが、お会いするのがほとんど飲みの席で大体酔っ払っている状態で(笑)、しっかりお話をする機会があまりなかったんですね。濱田さんが、DJとして音楽レーベルの運営やイベントのオーガナイズなどをしていたことは知っていましたが、震災の後は、社会的な問題と積極的に関わりながら、せんだいメディアテークの職員として活動しつつ、なぜか本気でこけしも集め始めたと聞いていたので、「この人は一体何者なんだ?」とずっと気になる存在でした (笑)。

濱田:音楽に関しては、高校の同級生がDJをしていたことがきっかけで、昼間のクラブイベントに遊びに行くようになり、そこから自分もDJを始めるようになりました。いまはインターネットなどがあって色んな情報がフラットに入ってきますけど、当時は自分の周りの環境によって得られる情報も大きく偏るような時代で、友達や先輩の影響で自然と音楽に興味を持ち、僕の場合は、リズム&ブルースを入口にブラックミュージックへと傾倒していきました。

濱田さんが企画している「くろい音楽室」というイベントがありますよね。自分も何度か参加させて頂いたのですが、これはどういう経緯でスタートしたイベントなんですか?

濱田:音楽を聴いて楽しむ場はたくさんあると思うんですけど、音楽について改めて腰を据えて話ができるようなところはほとんどないと思ったのが最初のきっかけです。著名な人が音楽の話をして、それをみんなで聴くという構図のイベントは普通にあるけど、みんなで自由に音楽の話ができて、なおかつそれを共有できる場がつくりたかったんです。イベントの運営には、東北大学オーディオ研究部のOBや、東北学院大学ブラックカルチャー研究会の学生にも関わってもらっています。10代の頃は自分の直感だけで音楽を判断しがちじゃないですか。それは決して悪いことではないと思うんですけど、実際に来場者の思い出話や、発売された当時の時代背景などを探っていくと、その音楽の捉え方が変化して視界が広がるなんてこともあるんですよね。また、このイベントは毎回、10代から60代くらいまでの幅広い年齢層の方が集まってくれることも特徴的かもしれません。

イベントではどんな話が交わされるのですか?

濱田:もちろん回によって変わりますが、基本的には、地元の音楽愛好家や来場者のみなさんたちと、その時々のテーマに沿った話をしています。ジャズ、ヒップホップ、ハウスなど「くろいと称されるような音楽」、これについては感覚なので特に定義はないですけど、主にクラブミュージックについて自由に意見交換をしていきます。以前に、歌謡曲をテーマにした回があって、その時にアイドルの話で盛り上がったところ、話をしたさそうなおじさんたちが結構いたんですね。じゃあ次はそれをテーマにやろうと思って「クラブ歌謡曲 アイドル編」を企画したのですが、そのおじさんたちはひとりも来なくて(笑)。その時に僕も一生懸命アイドルのことをリサーチしたんですが、調べていくにつれて、自分はアイドルに興味がないということが身にしみてわかったことが自分にとっては大きな発見で、面白かったです(笑)。毎回イベントの後にはアンケートを書いてもらっているんですが、その内容はとても興味深く、色々と発見に繋がることも少なくないです。

「くろい音楽室」 写真提供: せんだいメディアテーク

柿崎慎也
震災以降音楽への意識は変わりましたか?

濱田さんはもともとDJから活動をスタートしていますが、現在はせんだいメディアテークで働きながら音楽イベントの企画をしたり、うぶこえプロジェクトを立ち上げたりと、社会との接点をどんどん増やしているように感じます。そんな濱田さんを突き動かしているものは何なのでしょうか?

濱田:やはり震災の影響が大きかったですね。それまで社会というものを意識したことはほとんどなかったんですが、僕だけに限らず、震災以降は社会へ問いかけるという行為に迫られた人は多かったと思うんですね。どんな出来事が起きても、時間が経過すればいずれ日常へ帰っていくものだと思うのですが、本当にそれでいいのかという感覚もあって。震災の後は、自分が長く関わってきた音楽で何ができるんだろうと色々考えたのですが、これがまたとても壮大な問いで…。でも、何かやるしかないという時期でもあり、当時、僕が仙台のヒップホップグループ・GAGLEのMCであるハンガーさんと一緒に運営していた松竹梅レコードの復興支援活動として立ち上げたのが、「うぶこえプロジェクト」でした。その後、「うぶこえプロジェクト」が松竹梅レコードから独立し、僕が代表として動かしていくことになりました。

あの時は、震災をテーマにしたラップをたくさん紹介してくれましたが、そこで語られている言葉は本当に切実でしたよね。僕はあまり詳しくはないですが、こうした曲が数多く生まれた状況というのが、ヒップホップの起源とも言われている黒人霊歌が、もともと過酷な状況の中で自らの生を確かめる手段だったことと妙にリンクしているように感じました。ただの音楽でも情報でもない生々しさがあって、非常に刺さってくるものがありました。

濱田:そうですね。普段の日常の中で主に関わっているいわゆる”楽しむ音楽”を超えた、何かを感じました。そもそもラップは言葉数が多いので、メッセージ性が強い音楽という一面もありますが、僕自身、震災前は、やはり音楽性という側面だけでこれらを聴いていたところがあったんですね。このイベントで紹介した楽曲は、普段はあまり聴かないようなものが多く、正直自分の好みとは少し違うんです。でも、震災直後に被災地ではまだ電気が使えなかったような時期にYouTubeなどのネット上にはたくさんの楽曲がアップされていて。その事実だけでも本当に心が熱くなりますが、そこには彼らの大きな思いがあるわけで。音楽としての単純な好みや関心を超えて、音楽のチカラというものを痛感しましたね。

「くろい音楽室」 写真提供: せんだいメディアテーク

柿崎慎也
こけしの魅力は何ですか?

ガラッと質問は変わりますが、濱田さんはこけしを収集していますよね。こけしとの出合いはいつ頃だったんですか?

濱田:出身が仙台なので、おばあちゃんの家なんかに行けば、普通にこけしがあるような環境には居たのですが、興味を持つようになったのは、これも実は震災がきっかけです。震災以降、東北の記録を調べていくと、過去にも大きな地震や津波が来ていたということがわかって、当時の災害を記録した石碑などもたくさん残されていたんですね。そこには、「地震があつたら津波の用心」などのあきらかに警句と読み取れるようなメッセージが残されていて、それらに気づけていなかったことに凄くショックを受けました。自分が住んでいる土地のことを何も知らなかったということを痛感させられて、これからは地元のことをもっと掘り下げていこうと思うようになったんです。ちょうどその頃、こけしのことをやたらと僕に説明してくる北海道出身の友人がいて、「なんでコイツは地元でもないのにこんなに詳しいんだ? こけし、、、気になる」と(笑)。それがきっかけで、まずはこけしを掘り下げていこうと考えたんです。

東北では、実家に帰るとガラスケースに入れられたこけしが3、4本はあるのが普通ですよね。

濱田:らのような東北の人にとってはある意味日常の風景かもしれません。東北の文化なので、関東とか西日本にはない文化なんですよね。調べてみると、思っていた以上に東北の生活にも密接に関係していることを知り驚きました。もともとこけしは木地職人さんたちが木の端材でつくった子どもの玩具だったんです。山里でつくられていたのですが、温泉地ができてからは、そこに集まる人たちに向けてつくるようになったそうです。いまは他に遊ぶものがたくさんあるので、ちょっと扱いが変わってきてるところがあると思いますが、ここにきて第三次こけしブームと言われるくらい盛り上がっています。そもそも第一次、二次ブームがあったのかという驚きもあったんですけど(笑)、最近は、これまでにはなかったような面白いこけしなども増えてきています。

濱田さんにとってこけしの魅力は何ですか?

濱田:こけしには、多くの人が思っている以上にたくさんの種類があるんですよ。みんなが思い浮かべるようなスタンダードなこけしだけではなく、産地によっても成り立ちが違ったりするし、一つひとつのこけしにもそれぞれのストーリーがある。音楽と同じように掘り下げていくことで関わり方も変化していきます。それに、実際に工人さんが木を削ってこけしをつくっていく様子を目の前で見ると、感動的なくらいカッコ良いんですよ。僕は特にそうした文化的な背景や、職人さんの技術に惹かれているところが大きいですね。

柿崎慎也
ひとりの時は何をしていますか?

今後濱田さんがやりたいことはありますか?

濱田:「くろい音楽室」は東京でもやりたいと思っています。震災からすでに3年半が経過しましたが、先ほど話した震災をテーマにした楽曲なんかはもっと広く届けたいと思いますし、震災だけに限らず、社会的なテーマやメッセージ性を持った曲というのは、社会が存在し続ける限り常に生まれていて、そういう音楽を通した対話のあり方は今後も探っていきたいですね。

濱田さん自身は、非常に自由な雰囲気を持った方ですが(笑)、震災以降は社会的な活動にも積極的ですよね。そのバランスが面白いと感じるんですが、ご自身としてはどんな意識で活動を続けているのですか?

濱田:なかなか難しいですけど、僕は基本的にやりたくないことはできないタイプだし、結果としてやりたいことに向かっていった方が自分を活かせると思っていて。自分にしかやれないと思えるような動きをしてないと、なんだか自分の存在意義もわからなくなっちゃうから、どんどん変化してやりたい思ったことにひたすら邁進する、という単純かつ自分にやさしいスタンスですね。社会というのはとても大きなテーマで、もしかしたらいつになっても捉えられないものなのかもしれないですが、答えを見つけるというよりは、ひとまずしっかり向き合ってみようという感じですかね。やっぱり僕にとって震災の影響はとても大きくて、180度とまでは言わないまでも、130度くらいは人生が変わったと思っています。ぼくの身近な人たちは大変ですね(笑)。

最後の質問ですが、濱田さんはひとりでいる時は何をしているんですか?

濱田:んーと、なんだろ。ひとりの時は何かしら作業をしていることが多いですね。最近は、SNS経由でみんなが何をしてるのかということもわかるし、そういったいろいろな情報ばかりを取り入れてしまいがちかも。何もしないでボーっとしたりする時間はなかなかつくれていないです…。そういえば、いま車の音響が壊れていて、無音なんですね。僕は普段ほとんどカラオケには行かないので、人前で歌うこともないのですが、こないだふと気づいたらひとりで凄い歌っていたんです。「あれ? オレも歌うんだ」と (笑)。ひとりでいる時の最近のトピックといえばそれくらいですかね…。<インタビュー終わり>