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地域と関わる

ローカルプランナー・松浦孝行さんが、
映像ディレクター・高平大輔さんに聞く、
「震災が映像制作に与えた影響」

今回インタビュアーを務めてくれるのは、旅行雑誌の編集、地域プロモーションのディレクションなどの仕事を経て、現在は宮城・仙台の伝統工芸の魅力を伝えるプロジェクト「手とてとテ」にプランナーとして携わっている松浦孝行さん。そんな松浦さんがインタビューするのは、仙台を拠点とする映像ディレクターとしてさまざまな作品を制作し、「手とてとテ」のディレクターも務める高平大輔さん。震災以降は、ドキュメンタリー映像の制作でも注目されている高平さんに、松浦さんが聞きたいこととは?

松浦孝行
どんな活動をしているのですか?

高平さんと知り合ったのは約1年前で、その頃僕はフリーランスで地域プロモーションの仕事などをしていました。現在は、「手とてとテ」という仙台市が支援する伝統工芸プロモーション事業に携わっているのですが、もともとこれに誘ってくれたのも高平さんでした。それまで高平さんと一緒に仕事をしたことはなかったのですが、手がけた映像はよく見ていて、映像と音楽のバランスや間の取り方が心地良く、「こんなにロマンチックな映像を撮る人が仙台にいるんだ」と思っていました (笑)。その後本人とお会いして、作品と風貌のギャップに驚いたのですが(笑)。今日はそんな高平さんの映像ディレクターとしての側面を中心にお話をお聞きできればと思っています。まずは、今回のインタビューで高平さんのことを初めて知る人たちに向けて、簡単に活動の紹介をして頂けますか?

高平:僕はもともと仙台のCMディレクターとして、代理店からの受注で映像を撮っていました。現在も引き続きそうした仕事はしているのですが、2011年の震災以降は、被災地の夜明けの映像を撮った「Tomorrow at Daybreak」という活動を個人的に始めたことをきっかけに、ドキュメンタリー系のプロジェクトも増えていきました。最近は、作品が色々な縁を生み、さまざまな団体、地域、クライアントとつながり、その先で出合った感動を映像として収めていくような、言わばフィールドワークに近いイメージで仕事をしています。

震災以降に撮り始めたというドキュメンタリー映像の中で、まずはじめに観てもらいたい作品や特定のシーンがあれば教えて下さい。

高平:一番観てもらいたい作品というのは、常にこれからつくる作品なんです。現在は、11月に発表される石巻工房のドキュメンタリーをつくっていて、これはぜひ観てほしいですね。最近撮影したものだと、震災以降に松島町でスタートした「海の盆」というお祭りの映像があります。このお祭りには、何よりも地元の子どもたちに楽しんでほしいという主催者の思いがあったのですが、僕自身一児の父であることもあってそれがとても共感できたし、実際に子どもたちの映像もたくさん撮ることができました。その中でも特に印象的だったのは、松島の伝統的なお盆の供養の儀式を、女の子が凄く不思議そうな表情で吸い込まれるように見ていた光景で、とても大切なものが撮れた気がしました。子どもが、地元の文化と出合うことで成長していく瞬間に立ち会え、それを映像を通して発信できたということがうれしかったし、純粋にお祭りを楽しんでいる地元の子どもたちや、盆踊りに混じっている留学生の外国人なども含め、日本の祭りの良さというものを感じてもらえる映像が撮れたと思っています。

この作品では、多くの人がイメージする日本の夏祭り的な楽しさだけではなく、ある種の驚きや怖さ、浮遊感のようなものが映されていますよね。その場で起きていることが淡々と撮影されているんだけど、見慣れた光景が特別に見える。そういうものを表現することが高平さんは非常に上手だと感じますが、撮影の時はどんなことを心がけているんですか?

高平:実は、僕は自分でカメラを回すことは少ないんですね。僕の本業であるCMの世界が分業制になっているということもあるのですが、特にドキュメンタリーの場合、僕自身がファインダーを覗いてしまうと、四方八方でライブで起きている情報をキャッチすることが難しくなってしまうんです。だから、撮影はカメラマンにお願いし、僕はその場に憑依して全方向に妖怪アンテナを張り巡らせ(笑)、そこにいる人たちのちょっとした表情や音などを俯瞰でキャッチできるように心がけています。そういう意味でも、目線が共有できるカメラマンをキャスティングすることはとても大切にしています。ちなみに、「蕪栗沼ふゆみずたんぼプロジェクト」の撮影をした時は、10年に1度と言われる大雪が降って、真っ白な世界が撮れたのですが、このカメラマンは奇跡的な運の持ち主なんです。こういう引きの強さを持っている方もいて面白いんですよ。

松浦孝行
影響を受けた映像作家は誰ですか?

先ほど紹介して頂いた「海の盆」や「蕪栗沼ふゆみずたんぼ」をはじめ、高平さんの映像には、脳裏に焼き付くようなシーンがあります。撮影をしていて、そういう瞬間が撮れた時に手応えを感じたり、背筋がゾクゾクしたりすることはあるんですか?

高平:僕が震災以降に関わっているプロジェクトというのは、それまで好きだったものが失くなってしまったとか、「喪失」から始まっているものが非常に多いんですね。だから、そうした昔の名残を捕まえられた瞬間や、撮影をしている被写体の人たちがずっと執着しているもの、最も信じているものが見えた瞬間などには、やはり特別な感覚になります。また、撮影の時以上に感動する瞬間が多いのは編集をしている時で、編集マンと一緒に感動して半泣きするようなこともありましたね(笑)。

少し話が変わりますが、高平さんがこれまでに影響を受けた映像作家を教えて下さい。

高平:僕は90年代に青春を過ごした世代で、映画が大好きだったので、一番好きな映像作家は、映画監督のウォン・カーウァイなんです。彼は、毎回クリストファー・ドイルという撮影監督を起用していたんですが、90年代に台頭したミュージックビデオ的なポップな画作りをしながら、カンヌなどで評価されるような文学性も併せ持っていて、音楽の使い方なんかも大好きでした。また、現在興味を持っているのは、藤井光さんという映画監督です。僕の地元である南相馬に「朝日座」という映画館があるのですが、震災以降に「朝日座」の映画をつくるプロジェクトがあり、その監督をされた方です。僕も撮影で少し参加して、藤井さんとお酒を飲む機会もあったのですが、人柄も作品も素晴らしかったですね。

南相馬にある映画館「朝日座」。この隣に高平さんの実家が営む食堂があり、高平さん自身もこの映画館を応援するプロジェクトに携わっている

具体的にはどんな作品だったですか?

高平:「朝日座」の関係者や、この場所で映画を見たことがある人たちの声を集めたドキュメンタリー作品です。背景説明などが排除されていて難解な部分もあるのですが、震災以降の問題や、これまで見えていなかったコントラストなどが浮き彫りになるような映像で、とても感動しました。また、僕がWOWという映像制作会社に在籍していた頃の上司で、現在は東京で映像ディレクターをしている月田茂さんからも影響を受けました。僕とは年齢がひと回り以上違う方なのですが、最近は映画を撮りたいと話していて、早くその作品が見てみたいと思っています。

松浦孝行
震災は創作に影響を与えましたか?

2011年の震災は高平さんの生活に大きな影響を与えたと思いますが、映像制作の面でも何か変化はありましたか?

高平:震災以降、膨大な真実が映像を通してあふれ返りましたよね。正直、僕らが仕事でつくってきたような演出された映像が嫌になった時期もありました。いまは誰もが簡単に映像を撮れる時で、どんなに良い機材を使おうが、真実の強度には勝てないということを思い知らされたんですね。たとえ脚色や演出があったとしても、事実や真実に近づいていけるものでなければ誰にも届かないという思いが強くなったし、嘘のない映像が撮れないような仕事は受けなくなりました。CMの仕事にしても、それが一企業のプロモーションだったとしたら、その企業の本当に素晴らしいと思う部分を見つけられなければ、見る人にも伝わらないだろうし、そこまで辿り着けなければ意味がないんじゃないかと。僕自身、いまだにドキュメンタリーというものの核心がつかみきれていないのですが、やっぱり人間の何かを通したもの、血と肉が入ったものじゃないとダメなんだということは強く感じるし、とても難しいことですが、真実を撮って伝える側にいないといけないと思っています。

受け手の意識も大きく変わったように感じます。震災前は見向きもされなかったようなアンダーグラウンドで活動していた人たちの活動が、震災後に初めてリアルな表現だったと気付き、自分事になっていったというケースも多々あったと思います。高平さんの視点は、震災以降ローカルに向かっていますが、ひとつの空間に紐づくストーリーを語っていくことで、震災以降に偏在化しているヒリヒリした感覚がよく伝えられているように感じます。

高平:震災以降、東北でリーダーシップを取って活動する人たちがたくさん出てきましたよね。そうした人たちは東京からも注目されやすいのですが、僕自身としては、注目されることのない普通の人たちを撮影していきたいという思いがあるんです。僕の両親は、南相馬の「朝日座」の隣にある食堂を営んでいるのですが、こうした街の商店街で真面目に働いている人たちにカメラを向けたいと思っているし、震災以降は、そういうところからこそ真実というものが際立ってきたんじゃないかと感じています。それまで多くの人たちが価値を感じていなかったものに目を向け、少し目線を変えると実は素敵に見えるんだということを伝えていくことが自分の使命だと思っています。

Q.視点を変えて新たな価値を与えていくという面では、映像というのは非常に力を発揮できる媒体ですよね。

高平:映像が持つ強度や速度というのはありますよね。もともと僕は、何もない普通の日の公園で、夕日が綺麗すぎて涙を流すような変な子どもだったんです(笑)。でも、世界遺産でもなんでもない場所の日常にも素敵な瞬間があるし、ちょっと偉そうな言い方になりますが、声なき人の声を聴いて、その人たちの中にある美しさや凄さを見つけたいと思っています。僕の本業であるCMにも、本来はそういう側面があったはずで、普通の人たちの素敵な瞬間を15秒で収めるような仕事がしたいんです。そういえば先日、東北大学を歩いていて、ボロボロですばらしい床屋さんを見つけたんですが、こういうものを見つけるとほっておけなくなるんですよね(笑)。

松浦孝行
今後どんな映像を撮りたいですか?

もし予算的な制限などが一切なかったとしたら、どんな映像を撮ってみたいですか?

高平:僕が住み続けている仙台の音楽シーンをしっかり撮ってみたいですね。いま僕は地元の伝統工芸の魅力を伝える仕事をしていますが、30代も半ばに差し掛かり、音楽などのユースカルチャーからは結構遠のいてしまっているんです(笑)。「楽都仙台」と言われるように、この街には、ジャズからハードコア、ノイズ、ビジュアル系まで、掘り下げていくと色々な人たちがいると思うんですね。そういうカルチャーシーンを追いかけて、ヒリヒリしたいという気持ちもあるし、こうした活動が仙台の魅力の発信にもつながるんじゃないかなと。

「サイタマノラッパー」ではないですが、音楽シーンからはその地域の魅力や文化がよく伝わってきますよね。

高平:そうですね。あと、もうひとつ撮影してみたいのは、やはり僕の地元の南相馬ですね。子どもの頃から育ってきた街なんですが、もともと故郷が嫌いで仙台に出てきたところがあったんです。僕がいた南相馬の原ノ町というところは、映画館やデパートなども多く、とても栄えていたんですね。でも、他の地方自治体同様に、郊外に巨大なショッピングモールができたことで、商店街のシャッターがどんどん降りていきました。もちろん楽しかった頃の街の記憶もあるのですが、衰退していく商店街のど真ん中で育ち、地方独特の粘っこい人間関係などを見て、それが嫌で逃げるように仙台に出てきたんです。でも、南相馬がこういう状況になってしまったいまだからこそ、自分の原体験としっかり向き合ってみたいと思っています。

失われてしまったものをアーカイブしていくことが、映像制作のモチベーションのひとつになっているのですか?

高平:たぶんそうだと思います。これまで喪失の経験を繰り返してきているところがあるし、最近取り組んでいる仕事にしても、失われつつある伝統工芸や自然に対して、少しでも歯止めになれればという思いで積極的に関わっているところがあります。例えば、先に紹介した松島の「海の盆」は、日本の祭りの原風景であると同時に、僕にとっては南相馬の商店街の原風景を思い出させてくれるものなんですね。こうしたものを自分なりのやり方で撮影し、喪失に向かうエネルギーに対抗できるようなものを、映像という形で投げかけていきたいと思っています。<インタビュー終わり>