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「問い」をカタチにするインタビューメディア

未知との出会い

クリエイティブディレクター・熊野森人さんが、
ライター・石井ゆかりさんに聞く、
「占いというコミュニケーションについて」

企業のブランディングや広告製作などを手がけるエレダイ2で代表を務める熊野森人さんが今回インタビューするのは、ご自身のWebサイト「筋トレ」やツイッター、ミリオンセラーとなった書籍「12星座シリーズ」、数々の雑誌やWebメディアでの占いコーナーなどをはじめとした文筆活動で知られるライターの石井ゆかりさん。かねてから石井さんのファンだったという熊野さんが、独自の視点と語り口で多くの熱狂的なファンを抱える石井さんに、星占いのことからコミュニケーションの話まで、さまざまな質問を投げかけました。
※このインタビューは、2016年10月20日に収録されました。

熊野森人
どうやって「答え」を見つけるのですか?

石井さんの文章を読んでいると、非常にたくさんのセンサーをお持ちの方なんだなということを感じます。色々なものが見えている中で、あえて楽観的なことや明るい未来が表現されているというか、食材の美味しいところだけを料理に出されているような感覚があるのですが、著作には表現されていないそれ以外の部分とどう折り合いをつけているのかということにとても興味があります。

石井:たしかに私の本を読んだ方から、希望が持てたと仰って頂くことが多いのですが、実はあまり明るくしようとか、良いことを書こうと意識しているわけではないんです。例えば、絵で光を表現しようとすると、明るくしたいと思えば思うほど「白」になります。つまり、光を描き込むのではなく、光らせたいところには何も塗らないで残し、そのまわりに影を暗く塗るしかない。私の文章もそれと同じように、白い部分を残すように書いた結果、読者の方に明るいと感じて頂けているのかもしれません。私自身は「良いことを書いている」つもりはないんですが、読者の心の中にはやはり、「明日どんな良いことがあるかな、良いことを見つけたいな」という気持ちがあるから、文章の中からポジティブなイメージを、いわばつかみ出して頂いている、ということなんじゃないかと思います。「良いことを見つけたい」という気持ちというのは、つまり「希望」ですよね。読者の中にあらかじめ「希望」があるからこそ、私の文章の中にもそれが見つかるということなんだろうと思うんです。

石井ゆかりさんのWebサイト「筋トレ」。

今日の質問を考えるにあたって、石井さんのサイトを見ていたらQ&Aコーナーがあって、読者からの質問に答えられていましたよね。それを拝読して、石井さんは質問の中から読み取れる情報を整理して、ポジティブな答えを出されているように感じました。バラバラになっている要素を時系列で並び直したり、矛盾点を見つけたりした上で的確な回答をされているのを見て、非常に高度な編集テクニックをお持ちなんだなと。

石井:たしかに、質問の中にまず、すべてがあるんじゃないかという思いで読んでいるところがあります。これは、占いというものが「質問に対して答えていく世界」であることとも関係していて、問いの中に答えがあるはずという前提で、質問を読んでいるんです。たぶん、誰でもそうだと思うんですけれど、質問された方の胸の中には、本当は、すでにちゃんと答えがあるんですよね。質問の中にもそれがきっと表れていて、私はそれを紐解いていけばいいと考えているような気がします。

「筋トレ」一億PVを記念して行われたQ&A企画。

相手の力を利用してしまう合気道などに近いものがありますね。

石井:そうですね、インターネットという場は、書籍や雑誌とは違って、やはり双方向のところがあるんだと思います。ただ私が思ったことを書けばいいというわけではなくて、どこかで読者の反応がちゃんと、対等に返ってきます。そして、その返されたものに対して、私も返していって、最終的にコンテンツが成立していきます。それは、メールやコメント、レビューのようなものだけでなく、「いいね!」とか、リツイート等も立派なレスポンスです。占いって、昔からあるのは「占い師の先生がアドバイスをくれる」というフォーマットだと思うんですが、私がWebサイトを始めた15年以上前は私もまだ20代で、いまほどインターネットが浸透していなかったこともあり、私の記事を読んでくださる方は、仕事でパソコンを使う、私よりも年齢が上の方がほとんどだったんですね。なので、上から「あなた、こうすればいいわよ」みたいな言い方には絶対なりません(笑)。フラット、という以上に、読者への敬意があるわけです。いまはもう少しフラットな感じになったかもしれませんが、そのためか、読者の方たちはだいたい、私を自分と同世代の書き手だと感じることが多いようで、以前、70歳くらいの方がサイン会に来てくださったのですが、私を見てとても驚かれて、なんだか申し訳ない気持ちになりました(笑)。

ミリオンセラーになった石井さんの著書「12星座シリーズ」。

熊野森人
読者にどんな影響を与えたいですか?

石井さんは著書の中で、占いのことをどちらかというと否定的に書かれていたりして、一般的にイメージされる占い師のような演出が一切ないですよね。私が書くことが良ければ聞いてほしいけど、良くないと感じるなら聞いてくれなくていいというフラットな姿勢を常に保たれているように感じます。

石井:私は、占い以外の文章も最近結構書かせて頂いているのですが、これは大変不思議な仕事で、たとえば専門家や研究者の方が発信することには、ちゃんと「ナカミ」があるわけですが、そういった深い裏付けのない状態でとにかく「書いている」自分は、これは一体何をしているんだろう? と思うことがあります。その点、占いというのは、それを求めている人というのが確実にいるんですね。「貴方はこうですね」という、二人称の文章です。文章自体が、まるっと相手のためのものなんです。ですから、実は私自身が言いたいことというのは、特にないんです。例えば、ファッション誌の企画などでは、「幸せになるための方法」とか「いまをどう過ごすべきか?」ということについてアドバイスを求められがちです。でも、「ピンクの服を着たら幸せになれる」みたいなことは言いたくないわけです。「ピンクがいい」と言った時に、「ピンクなんか絶対着たくない」と思う人は絶対にいますし、「着たくない」という思いの方が絶対的に正しいんです。それを尊重したいというか、「こうしたい」という気持ちをできるだけジャマしたくないと思うと、どんどん言いたいことがなくなっていくんです(笑)。そうした状況で仕事をしているから、自分は一体何をしてるのか? とつくづく不思議になることがあります。

石井さんが「FEATURE.FELISSIMO」で連載している12星座占い「今週の星模様」。

お話を聞いていて、需要と供給の関係の中で他者とのコミュニケーションを成立させようとしている石井さんの仕事は、ある意味デザイナーに近いのかなと感じました。占いというのは、もう少しファンタジーの世界に足を踏み入れても成立する世界だと思いますが、そういうことはされないですよね。

石井:それをしてすると嘘くさくなってしまいますよね。ちょっと話が脱線しますが、ドラマなどで役者のセリフが棒読みだったりすると、お芝居だと思って冷めてしまうことがあるじゃないですか。もっと本物っぽくやって騙してよ! と(笑)。以前にある編集者の方が、「本当に書ける作家は、自分が見たことがないものは書かない」と言っていたんですね。一つひとつは見たことがあるもので、それらが組み合わされることによって現実ではない世界が創り出されていると。たしかにその通りだと思うし、私自身、それが例え話だったとしても、自分が見たことがあるものを書くようにしています。占いというのは未来のことを語る以上、「目の前の現実」ではないので、その意味では完全なフィクションなのですが、読み手にとってはそうではないです。ちゃんと「自分のことだ」と思って、ぐっと自分の手元に引き寄せて読んでくださるわけですから、ある意味それはリアルなんです。これは別に、占いを信じるとか信じないにかかわらず、占いというものがそういうものなんです。「占いなんか信じないよ」と言っている人でも、お正月におみくじを引いたりすれば、どうしたって「これは自分のことだ」と思って読まずにいられないです。そういうことです。

僕は占いをインチキだとは思っていないし、まったく否定はしていません。例えば、僕は大学の先生もしていますが、学生に不幸になってほしくはないですし、できれば人生うまくやってほしいという思いを持っています。どれだけ小さなことでも、良い方向に変えるきっかけになりたいという気持ちがありますが、石井さんはご自身が与える影響という点についてはどう考えていますか?

石井:誰しもが、少なからず「人に影響を与えたい」という思いを持っていると思います。たとえば「モテたい」とかでもそうですよね(笑)。ただ、人を変えたいと思っている人はたくさんいても、逆に「自分を誰かに変えてもらいたい」と思う人は、そう多くないんじゃないでしょうか。恋愛などは別ですが、基本的に自分は自分のままでいたいはずだし、変わるにしても、自分の力で変わりたいんじゃないかなと。だから、物を書いて人を変えたいとか救いたいというのは、私自身は、少し違うのかなという気がしています。何かが変わるとしても、それは読者の側が勝手にしていることで、書き手側が変えることを目的にしてしまうと、とんだカンチガイ野郎になるなと思って(笑)。

熊野森人
コミュニケーションで得られるものはありますか?

占いというのは、他者とのコミュニケーションの上に成り立つものですよね。そして、他者とのコミュニケーションというのは、新しい視点を得られることもあれば、自分の魂がすり減ってしまうようなこともあったり、得られるものと失われるものというのがそれぞれあるような気がします。そういう観点で考えた時に、石井さんにとって占いというのはどんなコミュニケーションですか?

石井:どうなんでしょうね…。昔は、対面の占いも少ししていたので、「疲れませんか?」「相手から何かをもらってしまうことはないですか?」とよく聞かれました。でも、私としては、そういう質問にはあまりピンと来ないんです。私は、まあ、外に出て人と話す機会は少ないのですが、日頃のコミュニケーションにしても、「得る」「失う」という感覚はないかもしれません。「得る」「失う」というのは、自分という個体が容器のようにまずあって、そこに何かが入ったり出たりするイメージですよね。私はそういうイン・アウトの感覚よりも、もう少し、いわば「ストリーム」みたいなものとしてコミュニケーションをとらえているところがあります。ちゃんとした大人というのは、自分の身体というものがあって、そこから適切な距離感をおいて、外側に「ペルソナ」みたいなものをちゃんとつくって、それをインタフェースとして他者と接していると思うのですが、自分にはそういう「ペルソナ」的な、最初の城壁のような社会的インターフェースが、どうもないんですよね。それで、人と接するとむき出しになりすぎてしまう。なので、対人用のインタフェースをつくる代わりに、なるべく物理的に「人と会わない」ことをバッファにしているようなんです。大人としては全然ダメですね、めちゃくちゃですね(笑)。

石井ゆかり「星ダイアリー2017」(2016/幻冬舎)

(笑)。壁がないということは、浮遊霊のように人の中にも入っていける感じなんですか?

石井:そんなことはできないです。すごいチキンなので。ガラスの心臓なので(笑)。それはでも、みんなそうなんですよね、きっと。内側にある「自分」はとても傷つきやすくて、みんなそこに変になにかを入れたくないから、インターフェースをつくって守っていると思うんです。こちらに壁がないからといって、相手も壁を取り払ってくれるわけではないです、むしろ、気持ち悪いから壁をガツンと強化したりして(笑)。多くの人たちは、恋人や親友などと一緒にいる時はその壁を開いたり調節している気がしますが、私にはそれができないんです。だから、友達がほとんどいないし、つくれない。20代の頃は、なんでみんなみたいに普通のことができないんだろうとグルグル考えていたのですが、それは自分が人と良い距離感が取れないからだとある時に気づきました。だから、たとえばもし、仮に、熊野さんをはじめみなさんに綺麗な卵の殻のようなインターフェースがあるとしたら、私の方はホビロンみたいな凄くグロテスクなものになっているはずです(笑)。ホビロンというのは、ベトナムなどで食べられている、孵化直前のアヒルの卵をゆでたものなんです。殻ごとゆでて、卵の殻をむいて食べるんですが、中には卵じゃなくて、もう鳥寸前のモノが入っていて、食べるのはちょっと、勇気が要るんです(笑)。それくらいむき出しなイメージです。出しちゃいけないものが、出てしまっているわけです(笑)。

石井ゆかり『後ろ歩きにすすむ旅』(2016年/イースト・プレス)

ホビロンですか(笑)。例えば、こうして対面でお話をするのと、文章を書くというコミュニケーションでは、だいぶ勝手は違うのですか?

石井:うかもしれないですね。文章を書く時は他者の圧がないからゆっくり考えられます。あ、別にいま圧がツライといっているわけではないですよ(笑)。でも、人と対面して喋っているよりは、コントロールできます。後で修正もできるし(笑)。むき出しだと何が辛いかというと、なんというか、距離感が辛いんです。たとえば、こういう取材を機会に友だちになったり、場合によっては恋愛関係に発展したりという話をよく聞きますが、私は友達になんてなったことないぞと、毎回寂しくなるわけですよ(笑)。

あの、もし良かったら、友達になりましょう(笑)。でも、他者との境界がない感覚というのは、言い換えると、石井さんは関係の「はざま」にいらっしゃるということなのかなと感じました。境界線のちょうど真上というか、左足A領域、右足B領域みたいな。石井さんは、そうした「はざま」に常に立っているからこそ、白黒がないフラットな世界が見えているのかなと。

石井ゆかり『選んだ理由。』(2016年/ミシマ社)

熊野森人
なぜ星占いだったのですか?

僕は星占いに特に詳しいわけではなく、むしろ石井さんを通した世界でしか占いのことを見ていないんですね。石井さんのフィルターを通して解釈されたものが僕にはとても魅力的なんですが、なぜ石井さんは星占いというツールを使っているのかなということが気になっています。石井さんであれば、星占い以外のものでも読者の需要を満たす情報を供給できるんじゃないかなと。

石井:本当にできるかどうかは別として、どんなことでもやろうと思えばできると思い込んでいる自分はいるかもしれないです(笑)。過去にも、編集者に言われて『親鸞』や『禅語』いう、仏教関連の本も出したことがあります。自分の中には、何でも勉強をしたり調べたりして考えれば、ある程度のものにできるという思い上がった考えがあるのですが、ライターというのは本来そういうものかなとも思います。例えば、「このニュース知ってる?」という類の世間話があるじゃないですか。私がイメージしているのもそれに近いコミュニケーションです。たとえば、すべての人が、出版されているすべての本を読めるわけではないですよね。ならば、自分なりに読んだり考えたりしてできた文章を、個人的なお手紙の感覚で「発信」してもいいのではないか、と思ったりします。偉い先生の書いた立派で深遠な本、というのでない「本」も、あってもいいのではないか、という仮説ですね。そういうコミュニケーションを必要とするモードも、人間にはあるのではないかと。星占いをやるのは、さらにもう少し問題があります。占いというのは、時代によっては「風説の流布」みたいなものとして、イギリスなんかでは法律で禁止されていたこともあったくらいで、罪なものなんです。いまはたまたま取り締まられていないからできているだけで、たとえばお酒だって、禁酒法時代があったくらいで、人間にとっていいものかどうかというと、あまりいいものとは言えない。アルコール依存症とか、社会問題もあるくらいです。お酒でも煙草でも、摂取しなくてハッピーになれるならその方が絶対良いんです。もし、何か迷いや不安がある時に、占いではなく、たとえば芸術や文学などに触れて、自分なりに深く考えて、そこから生きる力を取り戻せるなら、そっちの方がよっぽど良いんです。

石井ゆかり『禅語』(2011年/パイインターナショナル)

でも、芸術や文学よりも占いの方が生きる力になるという人もいるわけですよね。

石井:もちろん、誰もが何かに頼って生きているので、占いがその選択肢になっているということはあります。それこそ、お酒や煙草など、数ある「一時的に頼れるもの」の中では、占いは「あまりオススメできるものではないけど、かといってそんなにヒドイことにもならないかもよ」という程度の位置付けでしょう。応急処置的なものとしてはあってもいいけど、必ず出ないといけないもの。その世界に入りすぎてしまうと、お酒と一緒でダメになってしまうと思うんです。占いというのは、「あなたは~」という語り口で書かれているので、もの凄く読み手へのパンチが強いです。自分自身のことが書かれているわけですから。ストレートに心に入ってきます。どんなにライトな占いでもそういうところがあります。でも、それは決して根拠があるものではない。一方で文学や芸術作品には、ダイレクトに「貴方は〜」というふうに、自分のことは書かれていません。他人の人生や他人のイマジネーションが書かれているだけです。それはなによりも「本当のこと」なんですが、どうしても、読み手の側から作品の世界にがんばって入って行く必要があります。そこは大きな差があると思っています。

例えば、星のめぐりをベースにした占星術でも、占う人自身の経験次第で、答えはそれぞれ変わったりしますよね。先ほどお話に出たように、作家というのは自分のインプットをもとに新しい物語をつくり、それを読んだ人たちが共感したり、陶酔したりしますよね。でも、その作家がインプットしたソースが普遍的なものかというと絶対にそんなことはない。占いにしても同じで、たとえ星占いという同じソースだったとしても、石井さんの占いは信じられるけど、他の人のものは信じられないということが起こり得るはずですよね。

石井:それはあると思います。ただ、それが自分の書いた小説やエッセイだったり、誰かをインタビューした原稿なのであればある程度責任が持てます。「誰が考えたことですか?」「この人です」って答えられますよね。でも、星占いはそうではない。「星がこうなってますよ」というのは、もうどこに責任があるのかわからない(笑)。だから、星占いとして語ってしまった時点で、人間理性という最終的な人間社会の責任のよりどころ、ということを考えると、決して健康的ではないです。「未来はこうですよ」ということを言ってしまった時点で、人間理性という土台がないものになるから、人間のおこないとしては、無責任なんです。その責任が持てないものが大きな仕事になっているという状況は問題だと感じるところがあります。でも、人は占いを求めるというどうしようもない事実があって、その欲求は決してなくなりません。誰が考えたことでもない、もっと遙か遠いところにある何事かと繋がっていたい、という思いを、人間はなぜか古い昔から持っているからです。やっていいかどうかは別として、占いは、もう厳然と「ある」んです。エクスキューズできないけど、でも、仕事をしている。そういう、ある意味情けない状態でやっている仕事が「占い」です。タバコ会社が、パッケージに「健康を害する恐れがあります」と大きく書きながら、でも、それを売っていますよね。あのビジネスモデルに近いのかもしれません。「タバコはいいものですよ!」とは言えないし言わない、けれど、タバコを売る仕事がある。占いもそれと同じだと、私は思っているのです。

熊野さんが設立した新会社「ゆっくりおいしいねむたいな」のティザームービーより。

熊野森人
自分の肩書きは意識しますか?

現在の仕事の他にやってみたいと思うことはありますか?

石井:昔から理系に憧れがあって、本当はそっちの道に進みたかったんです。実際にプログラマーとして働いていた時期があったのですが、もともと算数ができない人間だったので、私が書くコードは間違っているわけではないのに、動作がとても遅かったりするんです(笑)。20代でプログラマーになって初めて、自分が根っからの文系だとわかったのですが、勉強すれば何でもできてしまうと勘違いしていた期間が長くて、その時にやっと人にはできることとできないことがあると気づきました(笑)。いまだに、文句がつけようのない理屈のようなものに憧れはあります。占いにしてもそうですが、雰囲気的なものを信じてしまうと、戻ってこられなくなるというおそれがあるから、裏付けがある理屈にしがみついていたいと思っているんです。やっぱり数学者とか物理学者とかはカッコ良いと思うし、なれるものならなりたかったなと。

石井ゆかり『「美人」の条件』(2016年/幻冬舎)

いまはライターというのが石井さんの肩書きだと思いますが、これには「なれた」という意識はありますか?

石井:そう言っていいと思います。日本で「ライター」と言うと、何かしらの発注があって、その通りに文章を書く仕事だという印象が強いですが、もともとの英単語としての「Writer」は、作家、文筆家ってことですよね。私としては、純粋に「物書き」「書く人」というイメージで「ライター」という肩書きを名乗っています。一方で私は、「占い師」とは名乗っていないんです。占い師というのは答えを出さなくてはいけない仕事だと思っているので、私は本質的には占いをしていないんだろうなと。もちろん西洋占星術などのルールに基づいてやってはいますが、当てるための研究とかもしたことはないですし、個人の占いもいまはほとんどしていないし、仕事の内容的に「占い師」と名乗ってはいけないだろうと思っています。だから、やはり「文章を書く」ということだけが私の商売なんじゃないかなと。

石井さんの中で、「ライター」と「作家」に線引きはあるのですか?

石井:作家は作品を書く人で、おそらくもっとクリエイティブなんだろうと思います。私の中では、作家とライターの違いは、アーティストとデザイナーの違いのようなものです。ライターはまずクライアントや読者のニーズがあって、それに対してどう応えられるかを考える仕事です。現状の私は、ライターとして仕事をしています。昔は、いつかは作家になりたいという思いもあったのですが、気づけばもう40歳になっていて、そろそろ時間がなくなってきているなと。ただ、私はもともと本を出したいという夢を持っていて、自分がこういうテーマで本を書きたいというものが出版できるのであれば、作家でもライターでもどちらでもいい気もします。本というのは、著者が誰なのかということも重要な情報のひとつですが、自分からそれを定義する必要もないのかなと思っています。とにかく「本」があれば、それでいいんですね、結局(笑)。

書籍『選んだ理由。』のベースとなったミシマ社のウェブ雑誌「みんなのミシマガジン」での連載企画「石井ゆかりの闇鍋インタビュー」。

インタビューを終えて

インタビュー中にあった、『質問の中にまず、すべてがあるんじゃないか』という石井さんの言葉。これと同じことを、石井さんのことを紹介いただいた方からも言われたのを覚えています。『人は直感的に判断し、すでに答えを持っている。それを歪めたり、違うものにすり替えてしまうことが、人間の欲であり、罪である』と。
占いとは偶然ではなく、必然であると信じる人にとって、それは限りなくピュアなもので、煩悩のノイズが混じっていないもの、すなわち答えそのものだと考える人が多いなか、石井さんは『それは違う』とおっしゃいました。依存性の高い情報だけに、摂りすぎたら毒であるとも説かれました。
コミュニケーションを真面目に捉えられている方は、必ずと言っていいほど頑張って中立の視点を構築し、俯瞰視できる立ち位置をつくられるように感じます。『占い』という、パブリックイメージとして『あなたはこっちに進んだ方がいい』というような人の心のベクトルを誘導するようなコミュニケーションにおいて、石井さんは常にご自身をフラットであるように心がけられていることも、僕の心を捉えてやまない要因なのかもしれません。
占いは嗜好品。嗜好品は贅沢品。僕は、石井さんの言葉に触れるたびに贅沢させて頂いているのだと気付きました。これからも心地良い場所で、いい音楽を聴きながら、少しお酒でも飲んで、石井さんの言葉を嗜もうと思います