MENUCLOSE

未知との出会い

クリエイティブディレクター/映像作家・井口皓太さんが、
作庭家・小川勝章さんに聞く、
「庭造りにおいて大切なこと」

今回カンバセーションズに登場する井口皓太さんは、デザインオフィス「tymote」の代表を務めるアートディレクター。この秋に、京都を拠点とするクリエイティブエージェンシー「世界」を新たに立ち上げるなど、精力的な活動を続ける井口さんがインタビューするのは、京都の無鄰菴平安神宮円山公園などを作庭し、近代日本庭園の先駆者と言われた七代小川治兵衞をはじめ、江戸時代より数々の名庭園を手がけてきた「造園植治」の小川勝章さん。講演やワークショップなどを通して、庭園文化の発信にも力を入れている小川さんに、庭造りの真髄について伺ってきました。

井口皓太
庭造りで大切なことは何ですか?

僕は映像を作る際に「時間」というものを大きなテーマにしています。例えば、数秒間の映像がループするGIFアニメーションの作品などを作っているのですが、最後まで見ないといけないという義務感みたいなものを極力なくして、見る側に自由を与えたいと考えているんです。その点、庭というのは見る側が自由に時間や視点を設定できるところが凄く良いですよね。それでいつか庭師の方にお話をお伺いしてみたいなと思っていたんです。

小川:おっしゃる通り、お庭の大きな魅力というのは時間軸の長さだと思うんですね。簡単に言うと、お庭は私たちよりも長生きする可能性があるわけです。私の仕事には、庭を新しく作るだけではなく、かつて先祖が作った庭を時代を越えてお守りするという役割もあります。木は何百年、石は何万年も生きるし、さらに地球ということになると46億歳ですよね。お庭には、時代を越えてさまざまな思いを伝えてくれる可能性があると思うし、そこが一番の魅力なんですよ。例えば、今日来ている(岩倉)実相院さまでは、いま枯山水のお庭で何を作るべきかを考えていったんですね。枯山水における白砂が海で、砂紋が波紋であると考えた時に、3.11以降怖い存在になってしまった海というものを風化させないために、お庭には良い働きができるんじゃないかという思いに至り、こういうお庭を作ったんです。

時間軸に対する考え方がとても長いんですね。

小川:庭というのは、作りたての頃は赤ちゃんと同じなんです。そこから10歳、20歳と年を経て大人になっていくわけですが、人間と同じように親によって全然違う性格に育つんです。例えば、もともとうちの先祖が作った庭でも、その後違う人に育てられると、まったく違う道を歩んでいくことになるんですね。また、時代とともにお庭の存在意義も変わっていきます。例えば、有名観光地のお寺などの場合、建物自体が立入禁止になっていることも多く、床の間からお庭が見られなかったり、入場ゲートがかつての勝手口に当たるような場所だったりすることもある。そのようなところでは、お庭を正面から見ずに帰ってしまう場合もあるんです。お庭に手を入れていく際には、かつてそのお庭は誰のためにあって、いまはどんな役割があるのかを考えた上で、お庭をお客様の方に振り向かせる工夫をする必要があるんです。

庭というのは自分が動くことで景色を変えることができるし、見る側の自由度がとても高くて贅沢な体験ができる場所だなといつも感じるのですが、どこから見られるのかということもよく考えられているんですね。

小川:人に何かを伝えようとする時は、ちゃんと正面から目を見て話すじゃないですか。それと同じように、お庭というのもお家やお客様と目を合わせて対話ができるようにしつらえられています。かつての日本庭園は、床の間付近に人が座ることを想定をして、そこからお庭が一番良く見えるように造るんですね。これが現代になると、リビングのソファの高さで目線が合う形になるのかもしれませんが、要はお庭にも正面の顔があるんです。もちろん正面だけではなく、横顔や後ろ姿も美しくあるように考えられているんですよ。

井口皓太
庭は誰のためにあるのですか?

その庭がもともと誰のためにあったのか、そして現在の価値は何なのかということを考え直すというお話は凄くよくわかります。僕たちの仕事でも、クライアントをまず意識するということはとても大事だと思っているんですね。ただ、例えば広告業界という誰かが誰かのために作った仕組みなどによって、自分たちが作るものの価値に対する意識が、どこかズレてきているような気がしていたんです。そこで、自分たちで新たな価値を作り直すために「世界」という会社を京都に設立したんです。小川さんもお庭の仕事や、京都市「DO YOU KYOTO?」大使などの活動を通して新しい価値を伝えようとしているような気がします。

小川:なんでも一人よがりになってしまうと良くないと思うんですね。例えば、お庭の仕事にしても、木の剪定をする時に目の前の木一本としか対話しない人がいるんです。もちろん、木を美しくすることは大切なんですが、この木を美しく見せるためには、庭との関係や空間の中でのその木の必要性ということを考えないといけないんです。つまり、木の手入れをする前に、お庭の手入れを考える必要があるんですが、それができる人は意外に少ない。木がいくら立派でも、それによって灯籠が見えなくなってしまったらもったいないですよね。結局、私たちが何のために庭を手入れするのかというと、人に喜んでもらうためであって、やっぱり人がいないお庭というのは寂しいものなんです。職人仕事がベースになりますが、人の心持ちを察し具現化するサービス業だとも考えています。

目の前のものを美しくすることだけに徹していては、作り手として不十分ということなんですね。

小川:それはそれである種のスペシャリストと言えると思います。でも、私としては、お庭は人に見て喜んでもらうためのものであり、そのために木や石があると考えています。お庭というのは難しい顔をして見ないといけないというイメージが強く、敷居が高くなってしまっていて、あまりにも日常と距離が開きすぎてしまっている気がします。「家庭」という言葉が、「家」と「庭」という字でできているように、庭というのはもっと日常に当たり前にあるものなんですね。いまはお金を払って見に行くものになっていますが、そういう非日常の庭も大切な一方で、植木鉢ひとつでも自分の手元に自然を感じることが大事だと思っています。遠ざかってしまった人と庭の距離を縮めたいという思いが自分の中にあるんです。車や時計のように、かつてお庭がステータスだったこともありましたが、いまはもうそういう時代ではありません。一部の方しかお庭が持てないという現実もあるかもしれませんが、ちょっとした心がけや思いを持つだけでお庭は身近な存在となり、現代ならではの向き合い方もできるのはないでしょうか。

小川さんには庭本来の魅力を翻訳して一般の人に伝えるという役割があるんですね。

小川:はい。この実相院さまのお庭は、一般の方たちと一緒に作っているんです。前回のワークショップでは60人くらいの人にお庭を体感して頂くという主旨で、みんなで見様見真似で苔をはったりしていったのですが、お庭にこれだけの人が入るということはないので、とても楽しい光景でした。お庭には普通の人が入ってはいけないと思われがちですが、庭に人が入ることで動きが生まれてくる気がするんです。自分たちで造った庭には愛着も湧くし、苔が枯れないかとみんな気になってしかたないんですね。ともすれば職人のルーティンワークになりかねない仕事も、参加してくれる人たちにとっては思い出になるんです。例えば、小学校の頃にお父さんが入学記念で庭に植えてくれた桜の木を大人になって見ると、当時の記憶が甦りますよね。お庭というのは、時として人生にとって大事なものになる。こうしたオープンなお庭造りというのは今後も模索していきたいと思っています。

岩倉実相院でのワークショップの模様。

井口皓太
庭には何を伝えることができますか?

普段自分が作っているものは、一度完成してしまうとそこから形が変わることはなく、それがもったいないと思うことがあるんです。もしお庭のようにその人の気分やタイミングによって見えるものが変わっていくようなものが作れたら、それは人の心に一生残るものになるのかもしれないなと。

小川:七代小川治兵衞が最も精魂を注いだ個人のお庭があって、そちらをいま私がお預かりしているんですね。人様の庭にも関わらず、子供の頃はそこでサワガニなんかを取っていた僕にとっても凄く大事なお庭で、自分を包み込んでくれるような存在だったんです。大学を卒業してからは色んなお庭に行くようになりましたが、いまでもこのお庭は僕の人生の教科書みたいなものなんです。特にきらびやかなわけでもなく、パッと見ただけではよくわからないお庭なんですね。でも、逆に目を引くようなアトラクションがある庭というのは最初に見て良いと思うけど、再訪しない場合も少なくない。一方でこのお庭にいると、ある日突然「この石がこっちを向いているから、この先にあれが見えるのか」というようなことをいきなり教えられることがあるんです。ある意味自分を試されているようなお庭で、毎日発見がある。だからこそ何度でも行きたいと思うんですね。自分の心持ちや天候などによって、同じものがまったく違って見えてくるんです。

それが生きている自然の素材を使ってものを作ることの強みのような気がします。

小川:特に私たちは自然をイメージしたお庭というものを作風にしているのですが、そもそもお庭というのは人工の産物で、本来は造形物の固まりなんです。自然と言いつつもどこかの山を削ったりしていて、それらをトラックで少し移動させているだけとも言える(笑)。でも、そこには自然への憧れというものがあって、その象徴化された姿がお庭だと思うんですね。こんな自然、あんな自然、あなたに送る自然というものを作っているのですが、そのなかで私たちは手を加えれば加えるほど自然に見えてくるお庭というものを目指しているんです。そういう意味で岩倉実相院さまのような枯山水の庭を作ることは実は少ないんです。枯山水というのは、自然というところよりも、日本の大事な見立ての発想を凝縮したお庭なんですね。

見立てという話は僕らの仕事にも凄くつながるところだと思います。僕らは、一枚の画面の中で色んな見立てをしながら、自分たちがイメージする宇宙や作品の世界を見せつけようとしているんですね。実際に庭をテーマにしたCG映像を作ったこともあるんですよ。

小川:凄くウキウキしてきますね。庭を題材にもっと色々作ってくださいよ(笑)。私はいま京都精華大学で、ちょっとした空間を学生さんたちと一緒に作っているんですね。彼らは、私が聴いてきた音楽とは全然違うものを聴き、全然違う人を尊敬してきた人たちで、そうした感覚をお庭にすることができたら、私たちが知らないようなものができるかもしれないと思うんです。私はどんなものでもお庭になると思っていて、例えば海外に行けば海外にしかない素材があるだろうし、極端な話、無機質なものを使ってもお庭を造ることは表現として可能だと考えています。私たちは、見た目のお庭はもちろんですが、その向こうにある見えない思いや、言葉になっていない情報も伝えたいんです。むしろ見えないもの方が大切で、それを見える側の人間からいかに伝えていけるか。そのための表現というのは色々あるだろうし、そこには凄く興味があるんです。

井口皓太
設計図は大切ですか?

庭を造る時というのは、まず上面図か何かで設計していくのですか?

小川:そうですね。手書きやCADなどで作っていくのが普通で、最近は設計図通りに庭を造っていくことが当たり前になりました。規格品を扱っているとしたら、何十センチの石、何メートルの木というものを設計図通りに据えたり植えることができるのですが、私たちが出合う素材というのは、例えば石を起こしてみたら後ろからとんでもなく素敵な顔が現れるかもしれないんですね。その時に、設計図上は縦に置くはずだった石を横にした方が素晴らしくなることもあり得るんです。ちょっと向きを変えるだけで石が全然違う表情を見せることもあるし、その場合は周りにある石も少しずつ変えた方がいいかもしれない。図面で伝えられることは全体3,4割くらいで、やっぱり後は現場なんです。だからこそ、お施主さんが現場に出てきてくれることほど心強いことはないんです。

僕が庭に興味を持ったひとつの理由として、庭のすべての配置を上から見た時に、一枚の絵として凄く美しいと感じたことがあるんです。例えば、重森三玲さんが造った東福寺の庭の上空写真は凄くグラフィカルで、宇宙観のようなものを立体的に表現したものが、平面的にも美しくなっているというのが面白かったんです。ものを作ることというのは、ある意味創造主になることに近くて、作ろうと思えば自分がイメージする世界を何でも作れてしまいますよね。だからこそ、そこに白銀比などの法則や秩序を入れていくという感覚が自分にはあるんですが、東福寺の庭にはそれに近いものを感じたんです。

小川:例えば、歴史ある石庭などの配置が黄金比や白銀比になっていたりするのは、後世の人が気づいた部分も多いんじゃないかと思うんですね。美しいとされているもののサンプルを集めていけば、自然とそれが法則に重なっていく場合もあり得ます。一方で重森さんは近代の方でもあり、多方面に造詣の深い方でしたから、そうした法則などを意識して造られた部分も少なからずあったんだと思います。現代に生きている私たちには、先人が培った経験や裏付けがあるので、人に何かを伝えようとするのであれば、ちゃんとした理由を何かしら持っているべきだと私は思うんです。だから、植治ではスタッフがしょっちゅうカルテのようなものを書かせていて、それらの蓄積をもとに、「今年の剪定は守り重視で、来年攻める剪定に転じるための力を蓄えよう」とか「何年かに一度の作業として、痛みを伴ってでも今後のために思いっきり行け!」というような戦略を立てていくんです。

なるほど。それは面白いですね。

小川:だけど最終的には、それらを覆すような現場のハプニングというものが凄く大事だとも思っています。胡散臭い話に聞こえるかもしれませんが、最終的には石や木に聞いてみないとわからないところがあるんです。別に私にそういう力があるということではなく、こちらが何かを押し付けたらダメなんです。なぜなら、石や木の方が私たちより長生きですからね。我々は石や木を置いたり植えたりする時に、これらが時間をかけて地球そのものになってほしいと考えるんです。

井口皓太
どんな庭造りが理想ですか?

小川さんにとって良い庭とはどんなものですか?

小川:人にしても、庭にしても、「良い人だったね」「良かったね」という感想だけだと、その次にまた会うことはほとんどないんですよね。でも、その相手が本当に気になる存在であれば、なんとかしてもう一度会う方法や時期をうかがいますよね。その後もう一度会えたら凄くうれしいし、さらにもう一回会いたいと思う。毎日合う人、週に1回会う人、年に1回会う人など、好きな相手にもそれぞれの距離感があって、もしかしたら忘れた頃にまた会うご縁の人もいるかもしれない。どんな距離感であったとしても、「良いお庭だったね」「きれいだったわね」で終わってしまうのではなく、もう一度会いたい、来たいと感じてもらえるお庭であってほしいと思っています。例えば、冬の時期というのは寒いし、木も落葉していて殺風景だし、お庭なんか行きたくないという人も多いと思いますが、実は冬に見るお庭はとても大事なんです。艶やかさやきらびやかさが削ぎ落とされ、お庭の骨格だけが見える時にこそ、人となりが一番分かるんです。そこでダメだと思われたらそれまでのお庭だろうし、もう一回季節を変えて来てみようと思ってもらえたとしたら、それはある意味魅力あるお庭なのかもしれないなと。

ショットバー「The door,」

お施主さんとのやり取りで大切にしていることはありますか?

小川:私たちはお施主さんにまず好きになってもらって、私たちもお施主さんのことを好きになってからじゃないと仕事ができないんですね。お施主さんとどんなお庭を造るかお話をする時でも、どんな木や石が好きかなど素材のことを聞くのではなく、どんな音楽や食べ物が好きで、休みの日には何をしているのかを聞くんですね。このお庭でこういう音楽を聴いてくれたらいいなとか、休日に本を片手にコーヒーが飲んでくれたらいいなということを考えたいんです。お施主さんがどんな営みをされているかというところが鍵で、それがわかってからじゃないと造れないのでどうしても時間がかかってしまうんです(笑)。

個人のお庭などでは守らなくてはいけないことも多そうですね。

小川:お庭というのはまさに守秘義務の塊なんですよ。例えば、ひとつの庭を解説する時に、この庭には何百本の木があって、この石はどこそこの山から持ってきて云々ということが書かれていることもありますよね。でも、ピカソの絵にどんな絵具が使われて、この筆はいくらだったかとかそんな説明はないじゃないですか。それよりも大切なのはそこに込められた思いですよね。色んな家に大なり小なり庭があるなかで、それぞれのお庭のことを本当に伝えようとすると、そこにある思いやその背景から説明しないといけないんですが、プライバシーについて言えないことも多い。でも、「ここまでしかお話はできないけど、実はこの庭にはこういう思いがあって、だからここから見るとちょっと良く見えてきませんか?」というようなことを伝えていきたいなと思っているんです。<インタビュー終わり>


インタビューを終えて

庭というものへの憧れが強すぎて、作庭家というお仕事が僕にとってはただただ「ははー!」と頭が下がる思いで、お会いする前は何を話せるのだろうと緊張していたのですが、お話を聞いているうちに作り手として共感させてもらうことが多く、ものづくりを通してお庭とも繋がることができるのだなぁとうれしさでいっぱいになりました。まったく違う世界においても、ものをつくるという思考が、地脈のようなところで繋がっていることに感謝する瞬間でした。
興味ある庭作りの話をたくさん聞けてそれはもう大満足だったのですが、実は冒頭の方で小川さんが言われた『お客様あってのお仕事ですから』という言葉が、僕の中で引っかかっています。なんとなく『クライアントワーク脱却!』という言葉を多く使っていた自分のその真意を、自らが問う機会になりました。僕らのような仕事をしている人間にとってお客様とはどこにいるのでしょう。間にいるレイヤーを取ってしまえば、お客様は近づいてくるのでしょうか。お客様がお客様が…という伝言ゲームのような構造によって、実態のないお客様のために一生懸命ものを作っていたりする。でも、実はそれが『何のために、誰のためにものを作るのか』という最大の難題から逃れながら、流動的にものを作れるシステムだったりすると思うのです。仮想の"お客様"をみんなで生み出して、みんなでヤーヤー仕事してる…。そんな感じでしょうか。
小川さんがおっしゃった『お客様』という言葉には、人だけでなく、それを取り巻く環境や時間、歴史などすべて含まれているように感じました。お庭もそもそもは限られた人のために作庭家さんが作られたもので、いまは時代が変わり、その存在意義自体が変わってきています。先代の声を聞きながら、現在の形に、そして未来に繋げていくという小川さんの姿勢からは、常にクリエイティブを時代や社会と隣合わせで考えているのだなぁということが感じられて感銘を受けました。
その後、七代目が作庭した無鄰菴を散歩させて頂きましたが、お客様である山縣有朋を背に、宇宙と繋がろうと暗中模索し、この庭を完成させた七代目の姿を思い浮かべ『参りました!』と頭が下がりました。