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「問い」をカタチにするインタビューメディア

未知との出会い

イラストレーター・黒田潔さんが、
放送作家・寺坂直毅さんに聞く、
「尽きることのない探究心について」

カンバセーションズには3回目の登場となるイラストレーターの黒田潔さん。ダンサーの黒田育世さん、コラムニスト/マンガ家の辛酸なめ子さんに続き、今回黒田さんがインタビュー相手に選んだのは、放送作家の寺坂直毅さん。さまざまなラジオ、テレビ番組の構成を手がける傍ら、「紅白歌合戦」「徹子の部屋」、デパートなどに関する膨大な知識を持ち、「やりすぎコージー」などのテレビ出演や「胸騒ぎのデパート」の著作などでも知られる寺坂さんに、黒田さんが迫ります。

黒田潔
なぜ紅白歌合戦が好きなんですか?

僕は、80年代のアイドルや歌番組が大好きで、「紅白歌合戦」(以後「紅白」)も毎年家族で見ていたんですね。だから、寺坂さんが紅白のセットのミニチュアをご自身で再現されているという話をラジオで聞いた時にとても興味を持ったんですが、どういうきっかけでそんなことを始めたのですか?

寺坂:僕は中学2年から高校3年までひきこもりだったんですけど、ある日自分の部屋の勉強机を眺めていたら、蛍光灯やスポットライトなどがあって、ステージみたいに見えてきたんですよ。それで、最初は台所にある水切りネットやアルミホイルなんかを使って、「ザ・ベストテン」や「ニュースステーション」のセットを作ったりするようになったんです。その後、僕が高校2年生の時の「紅白」をセットを意識しながら見ていたら、ひとつのステージの中でセットが40回くらい変わっていたんですね。しかもNHKでCMがないから、司会者がMCをしている間にセットチェンジしてしまうその技が凄いと。それを自分の家でもやってみたいと思い、文房具屋でカラーセロファンなんかを買って照明の色を変えたり、書道の半紙で紙吹雪を降らせたりと色んな工夫をしながら、「紅白」のセットのミニチュアを作るようになりました。

それは現在の放送作家のお仕事にもつながっていくのですか?

寺坂:まったく関係ないですね(笑)。僕がひきこもりをしていた90年代後半、自分の部屋にはテレビがなかったので、よくラジオを聴いていて、今田耕司さんと東野幸治さんの番組にハガキを投稿していたんですね。僕の実家は宮崎なんですけど、当時友達がひとりもいなくて、ラジオにネタを書くことが唯一人とコミュニケーションする手段でした。送ったネタも何度か読まれていたので、将来はこういう仕事をしたいと思うようになり、上京したんです。

寺坂さんが制作した紅白歌合戦のミニチュアセット

子供の頃に見ていたテレビやラジオというのは、ひとつの番組にかけるエネルギーが凄かった記憶があります。特に歌番組のセットとかはビックリしながら見ていましたね。

寺坂:最近の歌番組はセットは変えず、背景のCGで変化を出したりしていますけど、当時は1曲ごとにセットが変わっていましたよね。火薬や紙吹雪の量もいまより全然多い(笑)。

紙吹雪と言えば、去年の「紅白」ではYUKIさんのちょうど頭の上に紙吹雪が落ちてきたりして、そういうミラクルが生まれるのも「紅白」ならではですよね。

寺坂:そうですね。「紅白」の醍醐味は、サブちゃんが歌っている時の金紙吹雪がまだ床に落ちている状態でSMAPが歌い始めたりするところで、演歌からJ-POPまで色んなものが集まっているところでみんなが歌っているのがいいんですよね。

黒田潔
いつからデパート巡りを始めたのですか?

普段の仕事では文章や言葉を扱うことが多いと思うんですが、「紅白」のミニチュア作りのように、自分の手を動かしてもの作りをすることへの興味も強いんですか?

寺坂:工作などには特に興味があるわけではないんです。ただ、もともと実家が毛糸屋さんとブティックをやっていたから、余った型紙や画用紙がたくさんあったんですね。そういうものを使って、「ひとりシムシティ」みたいな感覚で、デパートの設計図とかを幼稚園の頃から作ったりはしていましたね。

寺坂さんはデパートの本も出されていますもんね。僕はもともと実家が二子玉川なので、玉川髙島屋にはよく行っていたんです。寺坂さんの本を見ながら、「機会があればこのデパートに行ってみたいな」と楽しみにしているんですよ。いまちょうど僕はデパートの仕事をしているんですけど、デパートというのは土地ごとに空気感などが違って面白いですよね。

寺坂:色んな地方のデパートに行くと、その街が見えてきますよね。もともと僕がデパートに興味を持ったのは、地元の宮崎の宮崎山形屋というでデパートが近くにあったからなんです。幼稚園の頃から友達がいなかったので、近所の公園とかには行かず、幼稚園が終わったらひとりで山形屋に行って、エスカレーターやエレベーターに乗ったり、エレベーターガールと話したり、屋上の遊園地で遊んだりと、とにかく隅から隅まで回っていて、デパートは僕の遊び場だったんです。僕が小学2年生くらいの時に、ボンベルタ橘というデパートができることになって、その工事の様子とかも全部双眼鏡で見ていました。スケルトンでシースルーエレベーターが見えるになっていたので、オープン後も双眼鏡を中を覗いては、「今日のエレベーターガールは◯◯さんだな」とか確認していて、完全に気持ち悪い子でしたね(笑)。

色んな地方のデパートに行くと、その街が見えてきますよね。もともと僕がデパートに興味を持ったのは、地元の宮崎の宮崎山形屋というでデパートが近くにあったからなんです。幼稚園の頃から友達がいなかったので、近所の公園とかには行かず、幼稚園が終わったらひとりで山形屋に行って、エスカレーターやエレベーターに乗ったり、エレベーターガールと話したり、屋上の遊園地で遊んだりと、とにかく隅から隅まで回っていて、デパートは僕の遊び場だったんです。僕が小学2年生くらいの時に、ボンベルタ橘というデパートができることになって、その工事の様子とかも全部双眼鏡で見ていました。スケルトンでシースルーエレベーターが見えるになっていたので、オープン後も双眼鏡を中を覗いては、「今日のエレベーターガールは◯◯さんだな」とか確認していて、完全に気持ち悪い子でしたね(笑)。

宮崎県外のデパートにはいつ頃から行くようになったんですか?

寺坂:山形屋がバーゲンの日に、いつものように遊びに行ったら、エレベーターガールの方に「今日は忙しいから帰って」と言われたことがあったんです。その時に「僕はもうここにいちゃいけないんだな」と失恋したような気持ちになって、それ以来ほとんど山形屋には行かなくなったんです。それでもボンベルタなど他のデパートには行っていたんですけど、ある時ボンベルタのエレベーターに乗っていたら、エレベーターガールがやたら僕のことを見るんですよ。当時僕は家で自分の名札とかを勝手に作って、エレベーターガールごっこをやっていたんですが、「ボンベルタ橘 寺坂」という名札を付けたまま出かけてしまっていて…。そんなことなどがあって宮崎のデパートがトラウマだらけになってしまったんですよ。

当時はひとりで県外のデパートに行っていたんですか?

寺坂:うちの父親が福岡とかに旅行で連れて行ってくれるようになって、そこで都会には色んなデパートがあるということを知ったんです。その後はお父さんにお願いをして旅行に行く度に、1日目は市内観光をして、2日目は朝から百貨店を巡って最終便で宮崎に帰るということをするようになりました。その後、小学校4年生くらいからはもうひとりで行っていいという話になり、バスに乗って福岡や鹿児島に行き、ビジネスホテルは子供が使えなかったので、国民宿舎などの公共の宿に泊まり、路面電車などを駆使して百貨店を回るということをしていましたね。

黒田潔
最近興味があることは何ですか?

寺坂さんにとって色んなものを掘り下げて、知識を得ていくというのはどんな感覚なんですか?

寺坂:知りたいという欲求が先行しているというよりも、わかりにくいかもしれないですが、自然と雨のように降ってくるような独特の感覚があるんですよね。「紅白」なんかにしても、毎年新作を待ちすぎていて、いつもオープニングテーマが流れた時から泣いちゃったりするくらいなんです。だから、曲紹介のフレーズとかも自然と覚えちゃうんだと思います。

引きこもりだったという話でしたが、寺坂さんは内にこもるというよりは、自分から動いて色んなものを探している感じがします。いまはYoutubeやWikipediaとかで色んなものがすぐに調べられるから、みんな情報としてこういうものがあるということはある程度知っているけど、寺坂さんの場合は、「紅白」にしてもデパートにしても、単に情報として知るということではなく、探究の度合いが凄いですよね。

寺坂:僕が子どもの頃はデパートのことを調べるにしても、観光名所ではないからガイドブックには載っていないし、ネットもまだないから、道路地図とかを見てそのデパートの規模を想像することしかできなかったんですよね。また、当時宮崎のNTTに行くと、全国の電話帳があって、そこに各地のデパートの外観なんかが載っていて、それを見て盛り上がったりしていましたね(笑)。いまはホームページでフロアガイドとかが簡単に見られますけど、当時はそういうものがないから、逆に凄く想像が膨らんだんですよね。当時は県外のデパートに行く時は前日に入り、シャッターが閉まった夜にデパートの周りを歩いて、館内を想像するのが楽しかったんです。いま思うと、そのくらいアナログの時代の方が良かったなと思います。

黒田潔 / Samantha Thavasa 2013年間広告「Samantha × カワイイ × Art」キャンペーン

地図を眺めたりすることもお好きなんですか?

寺坂:大好きですね。最近は、あえて飲む相手の地元で飲むということをしているんですけど、先日も京王線の調布に住んでいる人と飲み、深夜3時までカラオケをしていたんですね。普通ならそこから始発を待てばいいんですけど、近辺で一番始発が早い駅を調べてみると、それがJR中央線の三鷹だったんです。僕はいつも地図帳を持ち歩いているので、それで道のりを調べてみると、途中に深大寺や航空研究所、中央道の高架下なんかがあって凄く面白いと思い、深夜3時から1時間半かけて夜のハイキングをしたんですが、なんとも言えない時間でしたね。隙あらばこういうことをしているんですけど、AMラジオとかを聴きながら、途中までは地図も見ないでおそらくこっちの方向だろうと予想をして歩いて行くんです。疲れてきた頃にはGPSを見てしまうんですけど、「ドラクエ」的な感じとかもあって凄く面白いんですよね。

最近は何か他に興味を持っているものはありますか?

寺坂:蛭子能収さんと太川陽介さんが出ているテレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が面白いですね。この番組はぜひ映画にするべきだと思います。路線バスを乗り継いで、東京から新潟とかまで行くんですけど、だいたいいつも太川さんがバスの中で乗り換えを調べている傍らで、蛭子さんは寝ているんですよ。バスを降りると、太川さんはどこか観光に行こうと言うんだけど、蛭子さんは「こんな街何もないよ」とかゲスい発言ばっかりしたり、凄くアドリブ感があって完成度も高いんですよ。家で時間がある時とかに見ているんですけど、最高のお酒が飲めるんです。


黒田潔
「昔」と「今」のどちらが好きですか?

友だちがいないと仰っていた寺坂さんですが、いまは放送作家という仕事をされていて、どんどん周りに人が集まってくるような状況になっていそうですね。

寺坂:どうなんですかね。でも、やっぱりそんなに人には興味ないんですよね(笑)。一緒にいて楽な友だちというのは、本当に1、2人くらいですからね。でも、「紅白」とかデパートとかに興味がある方がいればこうして話をさせて頂いたりするようにしているんです。ひとりでも多くの人に、この面白さを知ってほしいので、なるべく自分から動こうとは思っていますよ。次回はDVDもお持ちして、お酒を飲みながら「紅白」の鑑賞会とかしたいですね。

黒田潔 / 布施明「君は薔薇よりも美しい」背景アニメーション(第59回NHK紅白歌合戦)

ぜひやりたいです!今日は色んな話がお聞きできて凄くうれしいです。

寺坂:「紅白」は書体の歴史なんかも凄く面白いんですよ。昭和40~50年代の手描きテロップ時代もいいですし、平成3年(第41回)以降はPCが導入され、平成16年(第55回)には丸ゴシック調のオリジナルフォントになったんです。その後平成17年(第56回)角ゴシック風に変わり、平成21年(第60回)からは明朝になっているんですけど、ぼくは角ゴシックがベストだと思っています。明朝ってお洒落なオーラがあっていいんですが、角ゴシックというのは、曲を聴いている人の想像に委ねる書体だと思うんですよね。

寺坂さんが制作した紅白歌合戦のミニチュアセット

面白いですね(笑)。もともと個人的な趣味で始めたものが、完全にエンターテインメントになっていますよね。

寺坂:ただのマスターベーションなんですけどね(笑)。もともと人前では恥ずかしくて言えなかったんですけど、「やりすぎコージー」の構成をされていた遠藤敬さんに、「紅白」やデパートの話をしたら、凄く笑われたんです。こっちは好きなことを真面目にやっているだけなんですけど、人からしたらそれが面白いということを初めてそこで知ったんです。ただ、同時に自分が中学・高校時代に友達がいなくて、いじめられていた時期の趣味だったから、ある意味つらい過去でもあるんです。でも、「やりすぎコージー」で、前から大好きだった東野(幸治)さん今田(耕司)さんの前で話すことで、暗かった自分がだんだん溶けていくような感覚があったんですよね。

テレビ番組にしてもデパートにしても、色んな歴史があると思うんですけど、寺坂さんにとっては、過去のアーカイブを掘り下げていくことと、変化していく現在進行形のものに目を向けることのどちらに興味があるんですか?

寺坂:例えば、「寅さん」なんかもマンネリと言われながらも結局48作目までいって、みんなそれぞれ好きな回というのはあると思いますけど、毎回最新作が最高と思って観ていた人が結構多いと思うんですね。それと同じで、「紅白」も常に最新作がベストだと思っています。震災などを経たいま、日本の状況も大きく変わっていて、そういう時代性を反映させた一本の映画が作られているような感覚が「紅白」にはあって、それはマンネリとかそういうことではないんですよね。

今年はNHKの朝ドラに昔僕が好きだったアイドルがたくさん出ていて、そういう人たちが「紅白」の応援隊として出るのかなとか考えたりするのも楽しいですよね(笑)。ぜひ次回は鑑賞会をやりましょう!

寺坂:そうですね。時間があればデパートツアーにもお連れしますよ。


インタビューを終えて

僕ももともと『紅白』やアイドルが好きでずっと見てきていたんですけど、寺坂さんは興味を持って切り込んでいくポイントが凄く非凡な人ですよね。インタビュー中にも少し話しましたが、いまはネットで簡単に色んなことを情報として得られる時代になっていますけど、寺坂さんのような情報力というのはそれとは違うものなんですよね。そこに引っかかる人はたくさんいると思うし、寺坂さんのような人はいま凄く求められていると思うんです。
今日のインタビューでは、寺坂さんが昔いじめられていたことや、ひきこもりだった頃の話も出ましたが、そんな過去が意外に思えるほど、初対面の僕に対しても色んなことを話してくれたし、どんどん外に開いていくような印象がありました。自分の好きな世界の中でネットワークを閉ざしてしまい、身内間の仲間意識だけで満足する人も少なくないなかで、寺坂さんのように外に向けて発信していくことによって広がっていくものもたくさんあるんだなと強く思いました。もっともっと色んなお話を聞きたかったので、次はぜひ『紅白』の鑑賞会をやりたいですね(笑)