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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

メディアアーティスト・市原えつこさんが聞きたい「来訪神をリデザインする方法」

メディアアーティスト・市原えつこさんが、
慶應義塾大学・斉藤賢爾さんに聞く、
「デジタル通貨と宗教の気になる関係」

先日、キャッシュレス時代の新しい奇祭「仮想通貨奉納祭」と題してチャレンジしたクラウドファンディングで、見事目標金額を超える資金の調達に成功したメディアアーティストの市原えつこさん。いよいよ新作発表の場となるお祭りまで待ったなしとなった彼女が今回インタビューするのは、「仮想通貨」「ブロックチェーン」の専門家である慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)の斉藤賢爾さんです。これまでに仮想通貨やブロックチェーン、インターネット社会に関する数々の著作を世に送り出し、さらに大学時代は意外にも仏教を学んでいたという斉藤さんに、市原さんが貨幣、宗教、ブロックチェーンなど次回作の中核を担うテーマについてインタビューしました。

市原えつこ
お金はどのように生まれたのですか?

私は、2年ほど前から東京で新しい共同体のための奇祭をしたいという妄想に取り憑かれているのですが、現代の都市空間における豊穣はお金であると仮定し、世界中からデジタル通貨の投げ銭を集め、豊穣を祈る祭りをしたいと考えています。また、テクノロジーが発展した未来に、人間は原始的な社会に回帰するのではないかという直感もあるので、今日は新しいお金のしくみである仮想通貨やブロックチェーンと、ある意味原始的な人間の営みとも言える宗教や呪術などとの関係について伺ってみたいと思っています。

斎藤:おっしゃる通り、デジタルテクノロジーには人間をある種の原始的な世界に回帰させる側面があると思います。近代の社会や産業は、活版印刷術の発明に端を発する大量複製の仕組みや考え方の上で発展してきました。それは、国家という大きなものを取り扱う上ではマッチしていたのだと思いますが、一方でそれ以前の個人の営みというものが抑圧されてしまったところもあったはずです。かつての、そしていまも残る狩猟採集社会では、一人ひとりが自分のできることはすべてやっていたわけで、言わば万能の個人たちが暮らしていた時代でした。そうした専門未分化の状態とも言える自然な人間の営みが、新しいテクノロジーによって取り戻されていくように感じています。

斎藤さんは著書の中で、富を再分配するツールとしてお金はそろそろリデザインされるべきではないかと書かれていましたが、人と人の関係を健全化するための貨幣のあり方についてはどうお考えですか?

斉藤:基本的にお金は必要ないものだと思っています。なぜなら、ホモ・サピエンスが生まれてから数十万年もの間、人類はお金がない世界、つまり贈与経済の中で生きてきたからです。そもそも「お金」というのは、「国家」「専門分化」との関係の中から生まれてきたものです。例えば、メソポタミア文明では大麦を税のように徴収していたという記録が残されていますが、これらは国から軍人に給料のような形で支払われていて、ここに国家による支配の構図があるんです。国が軍によって人々の安全を保障した上で、万能だった人たちを専門分化させ、自分ができないことには対価を支払うという状況をつくり出したことによって、初めてお金に意味が生まれました。それまで自分で食べていられた人たちが、突然明日からパンを買ってくださいと言われるようなことは、国家による支配がなければ起こりえない変化なんです。

それまで一人の人間が担っていた色々な役割がどんどん外部化されていくことによって、お金に意味が生まれたと。

斉藤:はい。お金が流通するようになることで、国による支配が成立するんです。西洋諸国は植民地に対してそれを意識的にやっていたところがあり、原住民が暮らしていたところに市場経済をつくることでその国を支配し、富を得てきました。ただ、お金の起源に関しては、もっと深いレベルでの説を唱えている人もいます。文化人類学者のデヴィッド・グレーバーによる『負債論』という本では人身売買について言及されていて、人間という代替の利かない存在の証のようなものが貨幣の起源だったのではないかと書かれています。お金の起源をたどっていくと、それこそ呪術的な話に行き着くところがあるのではないかという気もします。

市原えつこ
仮想通貨にはどんな思想がありますか?

お金の成り立ちには、人類が築き上げた支配制度のえげつなさなどが詰まっていて、ある意味野蛮な経済システムなのですね…。そう考えると、なぜこれまでお金の価値を信じ込み、大事に扱ってきたのだろうかという疑問が湧いてきました(笑)。

斉藤:地域通貨やデジタル通貨に早い時期から取り組んでいた人の中には、お金の価値に疑問を感じていた人も少なくありませんでした。一方、そうした流れとは違うところから出てきたのがビットコインで、そこには政府や銀行などを信用せず、自分のお金を誰にも邪魔されずに使いたいという思想があって、お金自体を礼賛しているんですね。信頼の上に成り立っていたかつての贈与経済のような、健全な人と人との関係性に回帰するのではなく、むしろそれらを鑑みずにお金そのものだけを称えるというのは、ある意味特殊な考え方だと言えます。贈与経済から貨幣経済に変わっている現代においても、例えば電車に乗って仕事をしている電鉄会社の人がわざわざ運賃を払わないのは、当然効率性という部分が大きいわけですが、文化人類学的に観点からは、同じ電車を動かしている仲間だからお金を取らないと見ることもできるんです。

同じコミュニティにいる仲間同士であればお金を払う必要がないということですね。

斉藤:それを極めているのがGoogleのような企業で、会社の中にいれば社食などが充実しているので一切お金を使う必要がなく、それこそが豊かな空間であり、コミュニティであると彼らは考えているわけです。貨幣というものは、贈与経済や信頼という土台の上にあり、氷山の一角のように水面に顔を出しているような存在だと思うんです。円という通貨にも同じ日本で暮らしている仲間同士が使うものだという意味合いがあるわけですが、ビットコインやFacebookの仮想通貨「リブラ」などは世界中で使うことができ、そこには人間関係や信頼というものも必要なくなりますよね。ある意味、これらの仮想通貨というのは、資本主義経済が極まった形でもあると感じています。

資本主義経済のヒエラルキーの頂点を崇拝するという意味で、どこか宗教に近いところがありますね。

斉藤:そうかもしれません。ちなみに、アメリカの1ドル紙幣の裏側にはピラミッドのような図形が印刷され、「In God We Trust(我々は神を信じる)」という標語が印字されているというのも興味深い点です(笑)。

なんと! ビットコインは私も持っていますが、どうしても投機的な目的から保有しておきたくなるところがあります。

斉藤:そうですね。僕らのような専門家には、フラットなポジションを保つために、仮想通貨を全く使わなかったり、投資的なことに一切手を出さない人が多く、僕も基本的にはそうした立場なのですが、先日自分が代表を務めている子どもたちのための非営利団体「アカデミーキャンプ」にビットコインで寄付をしてくれた方がいました。それを現代社会で使えるようにするために日本円に換金したのですが、せっかく寄付してくれたものだからこそ、最高の金額で換金したいとどうしても考えてしまうんですよね(笑)。そうした感覚を体験できたことは良かったなと思っています。

2011年の夏より、主に福島の子どもたちに向けて開催している「遊び」と「学び」が詰まったエクストリームなキャンプ「アカデミーキャンプ」。

市原えつこ
仮想通貨と宗教の相性はどうですか?

先日、京都仏教会が賽銭などの宗教行為におけるキャッシュレス導入に反対声明を出して話題になりました。プライバシー・個人情報の扱いや税制的な面での問題を危惧する彼らの主張も一理あると感じるのですが、斎藤さんはどのようにお考えですか?

斉藤:税のところはわかりませんが、個人情報の保護については、技術でクリアできる問題だと思います。寄付をしたという事実自体はブロックチェーンに記録され、本人にも確認できますが、第三者にはわからなくするという技術がすでにあるので、それを使えば問題ないと思いますし、匿名性という点では、すべてのお札に番号が振られている現金の方が疑わしいところがあるんですよね。

現金を対面で支払うというコミュニケーション自体、匿名性を維持しにくいところがありますよね。用途に応じて使い分けられるという意味では、現金だけ受け付けるよりもむしろ仮想通貨も使える方が健全にも思えますし、寄付という良い行いこそログを残すべきだという気もします。また、お寺は氏子さんのお墓や戸籍を管理していたそうなので、ブロックチェーンで記録ができると便利な可能性もありますし、意外と宗教と相性が良いテクノロジーなのかもしれません。

斉藤:死者の思い出をブロックチェーンに刻み込んで、必要に応じてその記録を呼び出すということができるようになると、お参りのあり方も大きく変わるかもしれないですよね。少し話が飛びますが、宗教とデジタルテクノロジーの関係という点では、サイバーパンクのSF小説にやけに呪術的な描写が出てくるんですよ。これもよく考えると納得できるところがあって、なぜなら呪術というのは、相手を象徴するオブジェクトに手元で呪いをかけることで、その影響が向こう側に及ぶものですよね。一方、サイバーパンクにおける仮想空間や、その語源になっているサイバネティックスというのも、脳内や手元で行われたことが、外界など”向こう側”に影響を及ぼすという点で実は共通しているんです。

「都市のナマハゲ」展示風景 at ICC

デジタルテクノロジーによって、魔術的に何かを表出させるというのは、私の作家活動の大きなテーマでもあります。また、以前にナマハゲをテーマにした作品をつくった時にも考えたことなのですが、宗教や土着的な神事には、人間の倫理観や社会規範をコントロールする役割があると思っています。そう考えると、日々の行いなどが記録できるブロックチェーンというのは、宗教における神の目のような役割を果たすこともあるのではないかと思ったりもします。

斉藤:特にキリスト教の人たちは、自分の行いが神様に見られているという感覚があるので、それは大いにありそうですね。一方、仏教にも因果応報などの考え方がありますが、インドで生まれた本来の仏教というのは、ある意味不自由な状態からいかに解脱するかという発想だったりするので、なんとも言えないところですね。日本に限ると、例えば下駄づくり職人の中には、まるで仏様でも掘っているかのように作業に取り組んでいるような人が多い気がしていて、そこにもある種の宗教性を見出すことはできると思います。ただ、極めれば極めるほど、もはや誰かから見られている、記録されているということは関係なくなり、完全に個人の問題になっていくわけですよね。もしかすると日本は、社会の相互監視が厳しいがゆえに、内にこもっていくという側面があるのかもしれません。

市原えつこ
ブロックチェーンは「祭り」に接続できますか?

そうした社会における相互監視や、近代の社会規範、あるいは農耕社会以降の秩序が崩れる瞬間として、祭りというものが面白いと思っているんです。

斉藤:経済人類学者の栗本慎一郎さんも、バタイユの「過剰蕩尽理論」をベースに、非日常的な祝祭の場において、日常の場で積み重ねられた「過剰」を処理することで人間社会は成り立っていると言っています。また、祭りというのは、突如何もなかった場所にお店ができて、炊き出しのように色々なものが食べられたりするわけですが、ここには災害時のトレーニングという要素も含まれていると思うんですね。そう考えると、市原さんが行う「祭り」が、仮想通貨業界によくある流出をはじめとした「災害」のトレーニングの場になる可能性もありますよね(笑)。

たしかに。今日は、貨幣経済の野蛮さや、ブロックチェーンと宗教の相性、仮想通貨業界における「祭り」の意味など、色々なことを勉強させて頂くとても良い機会になりました。これまで当たり前のように資本主義や貨幣経済の中で暮らしていたので、ここから逸脱するという概念はほとんどありませんでした。むしろお金があれば万事解決できるという思考に陥りやすかったのですが、来るべき祭りでは、資本主義の野蛮な経済システムからいかに抜け出すかという観点で、できるだけ人間同士の信頼や仲間意識を共有できるような落とし所を探っていきたいと思いました。

斉藤:あえて現在の貨幣経済のシステムを強調し、その背景にある野蛮さを露わにしていくようなアプローチもありそうですね。

そうですね。あえて凄くいやらしいお金の使い方をするようなこともできそうですし、仮想通貨のシステムを露骨にハックするようなアプローチもあるのかもしれないですね。

斉藤:ちなみに、奉納やお布施に関する話だと、江戸時代に数学の問題を解いて、その解法を奉納していたこともあったようで、とても興味深いですよね。おそらく幾何学なんかの問題だったのだと思いますが、数学の問題というのは人間社会に属するものではなく、自然現象に近いものだという考え方があったのでしょう。もしかしたら、仮想通貨をマイニングしたこと自体を奉納するのも面白いかもしれません(笑)。

本来奉納というのは、神楽などのようにそれこそ神仏に贈与し、楽しんでもらうものだと思うので、そう考えれば数学の解法などもある種の奉納になるんでしょうね。その文脈に則れば、論文や研究の業績を奉納したり、ブロックチェーンで資金の動きなどを奉納するということにも、神楽と同じような要素を見出すことができるのかもしれないですね。今日は本当にありがとうございました。


インタビューを終えて

斉藤さんのお話は、技術・歴史や文化人類学・SFなど、現実と虚構が融合し、面白すぎてインタビュー中は知的好奇心が暴走してしまいました。こと「仮想通貨」に関わる話になると、投機的な目線からの言説が強くなりがちなのですが、斉藤さんほどデジタル通貨をフラットに捉えて広い観点から論じている方は他にいないだろうと思い、初期からずっとお話を伺いたいと思っていたので、本当に貴重なインタビューの機会でした。
物心ついてからはずっと資本主義経済の中で生きていたのですが、「お金」といった存在の性質・役割を俯瞰的にとらえるきっかけになり、そこから逸脱した世界や信用のあり方を、おかげさまでありありと思い描くことができるようになりました(私たちは資本主義という宗教に汚染されすぎていたのかもしれない……)。本体の奇祭にも色濃く反映されると思います。最後に出てきた「ブロックチェーンの動きを奉納」という概念も最高でした。
斉藤さんは非常にわかりやすい技術解説本から、不思議なSFストーリーまで多くの著書を手がけられていますが、その本質は研究者であると同時に高度なSF作家なのでは……とお話をうかがう中で感じました。肩書きに反してアーティスト性の非常に高い方で、非常に楽しい時間でした。ありがとうございました!