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「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが聞きたい、「幸せを数値化する方法」

「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが、
立命館大学 教授・和田有史さんに聞く、
「食における『おいしさ』の正体」

食時間にフォーカスし、お金や偏差値に代わる幸せの指標をつくるという壮大なテーマに向け、まずは「食べると幸せになるカレー」の開発に着手することを決めた株式会社「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表の熊野森人さん。そんな熊野さんが今回インタビューするのは、食における「おいしさ」を、人間が食品を味わった時に生じる感情ととらえ、食という行為と感情の関係を知覚心理学的なアプローチから解き明かそうとしている立命館大学の和田有史教授です。「おいしさの正体」というユニークな研究テーマの一端に触れるべく、立命館大学 食マネジメント学部がある滋賀県のびわこ・くさつキャンパスを訪ねました。

熊野森人
人は何を「おいしい」と感じるのですか?

僕らは、一日に3回訪れる食時間にフォーカスし、幸せの数値化をすることをテーマに、これまでに声や身体の動きによって感情や幸せの測定をしている方たちや、腸やホルモンと幸せの関係について研究されている方などにお話を伺ってきました。こうしたリサーチを続けている過程で、和田先生の取り組みついて書かれた記事を拝読し、食における知覚は五感のみならず、さまざまな内臓や身体、文化などからの影響が相互に関係し合った「多感覚知覚」であるという考え方に興味を頂き、ぜひお話を伺いたいと思った次第です。

和田:類人猿においても、「怖い」「楽しい」などの感情が顔の表情として現れるという話があるように、一定の感情は身体から測り得るものだと思いますし、腸やホルモンと幸せの関係というのも非常に興味深い話ですね。こうした研究に共通しているのは、人種や文化を超越した共通のものさしで幸せを測りたいということなのでしょうが、人間の幸せというのは、文化や習慣の中にあるものとも言えます。例えば、一日に3回食事をとるという前提がない地域や職業の人もいる中で、幸せにおける共通の指針をどう定義するのかというのはなかなか難しいテーマですよね。

おっしゃる通りです。なぜ指標をつくりたいのかという話からさせて頂くと、資本主義の世の中において、多くの人たちが偏差値やお金という指標を信じ過ぎていると思うんですね。幸せというものをこれら以外の観点から考えようとすると、急に愛や宗教といった話にまで飛躍してしまうところがあって、もう少し別の指標となるようなものさしがつくれないかと考えています。

和田:例えば、お金という指標について考えてみると、そこそこあるに越したことはないですが、逆にあり過ぎても不幸なことが起きそうな気がします。同様に、仮に幸せの数値があって、それを追求していった先にバランスの良い世界があるのかという問題は出てきそうですよね。指標を設定した上で何を目指すべきなのかというところをしっかり考えておく必要があるのでしょうね。

一元的な価値観のもとで、幸せの数値を他人と競うのではなく、毎日測る体重のように昨日の自分と照らし合わせながら、それぞれが適正な数値を目指していけるようなものさしというものをイメージしています。その中で、食時間というものにフォーカスして幸せについて考えていくにあたって、食という行為における人々の認識や感情という和田先生が研究されているテーマが非常に重要になってくると思っています。

和田:食における知覚については、生まれながらにして甘い物が比較的好きだという全人類に共通する部分もありますが、食の好みは基本的には個人差によるところが大きく、それはその人が母親のお腹の中にいた頃の環境などの影響も受けて形成されるものだったりします。わかりやすいところで言うと、母親が好きだった食べ物や、いわゆるおふくろの味、あるいはお母さんの匂いというのが、その人の好きな味や匂いになることが多いので、そういうものに触れるとその人は幸せを感じやすい。こうした個人差をいかにとらえ、指標をつくっていけるのかということがポイントになりそうな気がします。

熊野森人
なぜ知覚には個人差があるのですか?

五感だけではなく、過去の経験や記憶、学習というものがその人の知覚に大きな影響を与えているというのは、とても興味深い話です。

和田:かつてサッカー選手のラモス瑠偉が、「初来日の時に空港に降りたら醤油の匂いがした」と言っていたように記憶していますが、日常的に醤油に馴染みがある私たちは感じませんよね(笑)。同様にフランス人はバターの匂いに馴染みがあるのだと思います。また、僕らが美味しそうだと感じる納豆の匂いを嗅いだら、多くの海外の人は腐っていると感じるでしょう。同じように、ドリアンが好きな人はあの臭みこそ最高だと言うはずです。日本国内でも、例えば九州で寿司屋などに行くと醤油が甘いと感じますが、大将に聞くと、「うちの醤油はそんなに甘くない」と突っぱねられたりする。でも、やっぱり甘いわけです(笑)。そうした定性的な人々の認識と、実際の食品の成分などを調べていったら、地域ごとに面白い結果が出るだろうなと思っています。

嗅覚提示装置を装着し、味覚評定をする和田さん。

全国チェーンのお店が増え、東西の味の差はだいぶなくなってきている気がしますが、今後は「これがおいしい」という認識も少しずつ統一されていくのでしょうか?

和田:画一化は進むと思いますが、同時によくわからない細かな違いみたいなものはこれからも残っていくのではないでしょうか。例えば、あるビール会社の瓶ビールに熱処理をした銘柄が残っているのをご存知ですか? 最近は、ビールのろ過技術が優れているので、ろ過した生ビールを瓶詰めするのが当たり前になっていますが、以前はみんな熱処理をしていたんですね。それによって特有の匂いが出てしまうのですが、いまでもこの匂いが好きだという人たちがいて、彼らにとってはこの銘柄が最高なんですよね。また、コーヒーの選択肢が増えたいまでも、冬は缶コーヒーを買って手を温めたり股に挟むのが良いという人もいるし、缶コーヒーの熱処理殺菌された匂いが好きだったりもする。こうした細かい幸せというものが世の中には散らばっていて、これらもしっかりカウントしてあげたいなと思うんです。

こうした幸せや認識のギャップをなくしていくのではなく、お互いに認め合っていくことが大切で、それはユニバーサルデザインなどの思想にもつながっていきそうですね。

和田:そう思います。いま世の中を動かしている人たちの認識が必ずしもマジョリティではないかもしれないのに、個人差を理解できないがために、自分たちの基準でルールをつくっているということが多々あると思っています。人の認識にはギャップがあるということを心理学的な観点から証明していくことができれば、どのような情報発信やルールづくりをしていくべきかという提案にもつながるはずです。心理学では、個人差をノイズとしてとらえて人間の認識や感情について研究しがちなところがあって、それはそれで大事なことなのですが、一方で個人のものさしが及ぼす影響もとても大きい事実をとらえ損ねることも多いです。例えば、金木犀の香りと聞いた時に、いまの40歳以上の人はかなりの確率でトイレの芳香剤をイメージするはずです(笑)。でも、それは当時の香料メーカーがトイレの芳香剤にそれを使っただけであって、30代以下の人たちは金木犀とトイレは結びついていないようなんです。私はそうした個人差に配慮しながら人間の知覚を探っていくことにも興味があって、それらを紐解いて世の中に知らせていくことが、より深いコミュニケーションにつながるのではないかと考えています。

熊野森人
人間の知覚を操作することはできますか?

以前にある研究者が、受容体や感覚器官などに電気刺激を与えることで嗅覚や味覚を変化を及ぼす研究を進めているということを知って驚きました。また、最近はVR、ARなども発達していますが、これからは人間の認識を擬似的に操作するようなことも可能になっていくのでしょうか?

和田:例えば、脳への磁気刺激や電気刺激によって視野の一部が欠けたり、視覚的注意のタイミングが変わったりするのですが、それによって見ている世界を変えることなどはすでに現在の技術で一部実現できています。その一方で、VR研究によって実体験の重要性も再認識されてきているように思います。興味深かった最近のVR関連の研究があって、女の子とバーチャルデートをした時に、吐息や体温まで伝わってきたと感じた人とそうではない人がそれぞれいて、その違いは実際に女の子と間近な距離で接した経験の有無だと言うんです。すべての感覚の刺激をバーチャルだけで与えることはなかなか難しくて、人間は足りない情報を自分の経験や記憶で補っているところがあるんです。最近はバーチャル旅行なども話題になっていますが、本当にその場に行った気分が味わえるのは、実際にその場を訪れた経験がある人だけなのかもしれない。ところで熊野さん、『銀河鉄道999』をご覧になったことはありますか?

もちろん、あります。

和田::『銀河鉄道999』に、合成ラーメンというのが出てくるのを知っていますか? メーテルと鉄郎は行った先々の星でラーメンを食べるのですが、本物のラーメンというのはめったにないから、合成ラーメンというもので代用するんです。そして、たまに本物のラーメンが食べられるエリアに行くと、非常に盛り上がる(笑)。きっとこれと同じように、バーチャルの世界が発達すればするほど、リアルな体験が重視されるようになるはずです。一方で、人は常に本物的なものを求めるわけでもなく、今日は専門店ではなく、インスタントラーメンの方が食べたいという日があるように、バーチャル的なものも別の価値の存在となり得る。バーチャルでも人間は幸せを感じられる時があるんですよね。

ちなみに、ある人が知覚した感覚を他人と共有する時には、言語化という作業が必要になるのでしょうか?

和田:言語の力は大きいですよね。例えば、ソムリエの人は、ワインの香りや味わいを表現するために、自分の感覚を言語化する練習をたくさんするわけですよね。それによって味や香りを記憶しやすくもなるし、共通の言葉で表現するから他人とも共有ができるわけです。一方で視覚的な記憶では、「直観像」といって辞書などに書かれた内容を画像として完璧に記憶できる人もいますし、ある心理学の実験では、人は心の中にあるイメージを3Dオブジェのように回転させたりすることができるという結果も出ているように、感覚に言語とは異なるラベルをつけることも可能なのだろうと思います。

熊野森人
誰もが幸せになれる味はありますか?

僕らは、幸せの数値化に向けた第一歩として、何かしらのモノを伴った食体験を通じて、幸せを数値化するという概念自体を普及させていくことが必要だと感じています。その中でいま、「食べると幸せになるカレー」というものを開発しようと考えています。カレーには幸せ物質が含まれているという都市伝説のような話があるのですが、よく考えてみるとスパイスというのはもともと薬でもあったわけですし、そうした効能があってもおかしくない。こういったことを自分たちなりに科学的アプローチで実証した上で、「食べると幸せになるカレー」を商品化したいんです。

和田:カレーというのは良いと思います。実は立命館の学生も「SDGsカレー」というのをつくっているんです。カレーはスパイスを使っていれば食材は問われないので素材さえ工夫すれば、アレルギーから宗教上のタブーまでを越えて、誰もが食べられるものなんですよね。

和田さんが教授を務める立命館大学 食マネジメント学部のWebサイトより。

なるほど、そういう視点もあるのですね。これまでに、認識というのはその人が触れてきた文化や経験、記憶によって異なるという話を伺ってきましたが、逆にそれに触れると誰もが一様に同じような感情を抱く味、匂い、音などもあったりするのでしょうか? 例えば、ガスの匂いというのは、あえて誰もが危険だと感じる匂いをガス会社がつくっているという話を聞いたことがあります。

和田:ガスの匂いというのは、危険に感じるというよりは、自然の環境ではめったに存在しない匂い、つまり違和感を抱かせる匂いというのが正しいと思います。知り合いの心理学者もガス会社に就職してこういうことを研究していたようですが、結構難しいそうです。そういう意味では、何も違和感がない状態というのが最も安心で幸せだとも言えるかもしれません。何が幸せなのかは人によって違うので、逆に幸せではないこと、嫌なことをリストアップしていって、消去法的に幸せの形を示す方がユニバーサルな感じもして良いのかもしれない。
ものごとを禁止したり、許可したりするリストには、ポジティブリスト(許可するものをリスト化、リスト外の物は禁止)とネガティブリスト (禁止・制限するものをリスト化、載っていないものは規制しない)という2つの方式があります。例えば、2006年から残留農薬のリストはポジティブリストに変わりました。かつてはリストに入っていない農薬の残留は規制されていなかったのですが、そうすると規制したい新しい農薬が出る度にリストに追加していかなくてはいけないですよね。そこで、逆に使っても良い農薬とその許可する量の方をリストにすることにして、管理がしやすくなりました。多様な幸せのあり方について考える上でも、幸福のポイントと並行して不幸のポイントについても探求していくというのは有効な手段かもしれません。

たしかにマイナスの要素を先にリスト化し、それを解決していくというのは、マーケティングなどにおける常套手段だったりもしますよね。色々とお話を伺う中で、いかに新しい幸せの概念や指標を提唱しようとも、結局は受け取る側の経験や記憶に依存するところが大きいのだなと強く思いました。そういう意味では、いかに受け手のクラスタのようなものを多様にとらえ、そこに対してどうアプローチしていくのかということがポイントになるのだろうなと。

和田:そうですね。一人ひとりが異なるバックグラウンドを持つ中で、さまざまなカタチの幸せを認めていくこと、他人が喜んでいる状況を侵さないことというのが、これからの時代における非常に重要な幸せの要素になってくるのではないでしょうか。熊野さんたちがフォーカスしている食時間の幸福や、幸せの数値化というテーマを考える上でも、それは同じことなのだと思います。ちなみに、イナゴの写真を見た時に美味しそうだと感じる人は全体の1割くらいはいるそうで、大体そういう人たちはイナゴを食べた経験があるんですね。昆虫食に関わる調査をしてはいるのですが、正直僕はその境地には達していません(笑)。ですが、そういう自分とは異なる感性の人たちが存在することを知り、それを受け入れていくことが大切なのだと思います。


インタビューを終えて

初めて取材で関東以外の土地! カンバセーションズの原田さんと共に、滋賀県の立命館大学のキャンパスにインタビューしに伺って、それだけでテンションが上がった今回のインタビュー。
前回のインタビューで伊藤さんに仰って頂いたことと同じく、今回和田さんにも、『いかにパーソナルな情報にフィットした結果を出せるか』ということを問われたように思います。育ってきた時代背景、文化的背景、家庭環境などによって当然のことながら価値観は変わるので、平均値を取った良さをつくるのではなく、究極的にはそのすべてに対して個別に良さを提供できることが理想です。完成形として個別に無数に提供することは難しいかもしれませんが、カレーで考えると、薬の処方箋のようにスパイスを個別に処方して提供することは可能かもしれないなーとお話を伺いながらおぼろげに考えていました。
「多様な幸せのあり方について考える上でも、幸福のポイントと並行して不幸のポイントについても探求していくというのは有効な手段かもしれません」。これはまさに目から鱗。不幸から幸せという形を捉えるのはとても有益な思考だと思いました。さっそく不幸の要素を集めて研究し、憂鬱になってみたいと思います(笑)。