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「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが聞きたい、「幸せを数値化する方法」

「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが、
慶應義塾大学・伊藤 裕さんに聞く、
「食と身体の幸せな関係について」

食時間にフォーカスし、お金や偏差値に代わる「幸せ」の数値化を目指している「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表の熊野森人さん。前回の中間報告インタビューで、幸せを数値化するという概念や研究成果を、カレーという製品を通して広く訴求していくことを当面の目標とすることを語ってくれた熊野さんが今回インタビューするのは、腸やホルモンなど体内の臓器や化学物質と幸福の関係にまつわる著書を数多く執筆している慶応大学医学部教授の伊藤 裕さん。熊野さんたちが目指す「食べることで幸せになるカレー」の開発にも直結する身体と幸せの関係というテーマについて、さまざまな角度から質問を投げかけました。

熊野森人
食と幸せはどのように関係していますか?

僕らは、食時間にフォーカスし、幸せを数値化することを目指しています。これまでに幸せに関する研究をされている方をはじめ、さまざまな人たちにお話を伺ってきたのですが、その中で現在は、幸せの数値化という概念や考え方を、何かしらのプロダクトを介して広めていくということを第一フェーズとして考えるようになりました。具体的には、食べると幸せになれるカレーをつくる予定なのですが、そこでは、これを体内に入れると幸せになるという科学的な実証が大切になります。そこで本日は、腸という体内の器官から幸せについて考える本などを書かれてきた伊藤先生に、お話を伺いたいと思って参りました。

伊藤:とても面白そうなプロジェクトですね。お話を聞いていて、幸せを数値化する上では、個人個人の変化をしっかりモニターすることが大切になるだろうと思いました。なぜなら、客観的かつ絶対的な幸せのスケールを各人に当てはめるようなことは、おそらく幸せの概念にそぐわないからです。例えば、これまでは週に1回だけだった良いと感じる瞬間が、今週は3回になりましたということが本人にフィードバックされながら、その人がどんどん幸せになっていけるような指標があると良い気がします。例えば、高血圧の人にとって、良い医者にかかること、薬を飲むこと、減塩をすることなど以上に大切なのは、自分の血圧を測ることなんですね。自分の血圧が高いことが認識できると、その先は食べ物に気を使うなど自発的に行動をするケースが多く、幸せの数値化にも同じような効果が見込めるはずです。そして、幸せと食を結びつける考え方は非常に良いですね。いまは食べることがネガティブに捉えられがちですが、本来食というのは幸せを体の芯から捉えられる行為だと思うんです。

食がネガティブに捉えられるというのは、食べたら太るとか、健康に悪い、という話ですか。

伊藤:はい。人は食べることに対して、どこかに後ろめたさがあるんです。でも、食事というのは1日3回必然的に取らなくてはいけないものですし、栄養を摂取する必要がある人間には、食に対する鋭い感覚というものが元来備わっていて、その感性を呼び戻すことは幸せに直結することだと思っています。

現代人の食に対する感覚は、だいぶ鈍ってしまっているとお考えですか?

伊藤:食に対して敏感な人とそうでない人がいますよね。そこには、その人が育ってきた家庭環境が大きく影響していると思います。少し暗い話になりますが、拒食症の人の多くは、育ってきた環境に何かしらの問題があるケースが多いんですね。幼い頃に、両親から自分の存在を否定されるような経験をしてきたことなどが原因となる場合が多いのですが、30歳を超えてからこれらを乗り越え、拒食症を克服するケースはほとんどありません。食への意識や感覚はそれだけ早い段階で培われるものだと言え、それは食育という話にもつながっていきます。食の喜びを自覚している両親であれば、当然子どもにも同じような食環境を与えるでしょうし、それがその人の幸福にも大きな影響を及ぼすはずです。

熊野森人
腸が美味しさを感じられるって本当ですか?

伊藤先生の著書に、幸福は人と人、または違う考えや文化を持つ者同士、もっと言うと生と死の「あいだ」に存在するということが書かれていて、まさにその通りだと感じました。食に関しても、食べ物を口に入れ、噛み砕きながら味わい、身体に入っていくまでの「あいだ」に幸福があるのかなと。裏を返すと、スマホを見ながらごはんを食べたりしても、幸せは感じにくくなるように思います。

伊藤:そうですね。例えば、ストレス食いやドカ食いというのは、自分が抱えている問題やストレスを、食べることで発散する行為ですが、これらは胃が引っ張られるまで食べ物を体内に放り込むことで、満足した気になっているだけなんですね。僕は、食べ物本来の美味しさが感じられれば、過食は減り、肥満の問題もかなりの程度解消されるのではないかと考えています。ちなみに、食べ物の美味しさというのは、舌を中心に鼻や歯など主に口腔内で感じているわけですが、実は舌にある味覚受容体と同じ細胞が、腸管のあらゆる場所に存在しているんです。

そうなんですか! ということは、人は食べ物が口を通過した後も、腸管で美味しさを感じ続けているということでしょうか?

伊藤:舌と同じように、「いま身体のこの部分が甘さを感じている」ということを意識するのは難しいですが、身体は美味しさを確実に感じています。美味しいものを身体の中に入れた時の原始的な幸せ、持続的な幸せというのは、腸管がそれを感じ続けていることによるものです。「腸が驚くから、食事はゆっくりよく噛んで味わおう」ということがよく言われますが、これも理に適っているんです。美味しいという感覚を身体全体でリレーしていくためには、ある程度時間をかけて食べることが必要で、その間に腸管が美味しいものを待ち受け、取り込む準備をするんです。また、栄養を吸収する際に必要な副交感神経はリラックスしている時に活発に働くので、怒りながら食べたりすることも良くないんです。

(左)『幸福寿命』(2018年 / 朝日新聞出版)、(右)『腸!いい話』(2011年 / 朝日新聞出版)

食べ物を取り込む時、体内のホルモンはどのように作用しているのでしょうか?

伊藤:例えば、お腹が減っている時にはグレリンというホルモンが出ていて、お腹が鳴るのはそのサインなんです。このグレリンが分泌されることによって、腸管の方では血糖を下げる作用を持つホルモンが分泌され、食べ物の吸収を助けるというシステムになっています。過度に緊張をしている時などは、こうしたホルモン間のコミュニケーションがうまくいかず、栄養分を体内に吸収しにくくなったりします。つまり、上手に食べることで良い満腹感が得られ、同時にエネルギーも効率的に吸収できるわけです。そう考えていくと、食に関して今後我々が考えていかなくてはいけないのは、太る/太らないということだけではなく、いかに栄養をうまく身体に取り込んでいくかということも重要な観点で、これが幸せに長生きすることにもつながっていくんです。

熊野森人
食の合理化はどこまで進みますか?

近年海外では、遺伝子検査の結果に基づいて、個々人の体質に応じたミールキットを販売するサービスなども出てきているようですが、こうしたパーソナライズされた医療や食のサービスについてはどうお考えですか?

伊藤:基本的には正しい考え方ですが、大切なのはどんなデータを用いるのかということです。いまちょうど遺伝子についての本を書いているところなのですが、各人の食や健康に及ぼす遺伝子の影響は全体のおよそ50%くらいなんですね。例えば、肥満に関しても、太りやすい遺伝子というのはたしかに存在しますが、それがすべてを決めるのではなく、食生活によって改善できる部分も大きい。つまり、遺伝子と同じくらい、その人の食のパターンや家庭環境などの履歴が大切なんですね。パーソナライズしていく上でもこうしたデータを考慮にすることが不可欠ですし、その時には過去の成功体験や快感というものをうまく活用しながら、モチベーションをコントロールしていくこともある程度必要になると思います。

不足している栄養や何かしらの疾患に対して、サプリや薬で補完するという考え方もありますが、こうしたアプローチについてはいかがでしょうか?

伊藤:例えば、貧血の人に鉄分を投与すれば元気になるように、ある程度は必要だと思います。ただ、先に話したように、食べるという行為には長いプロセスがあり、腸管の各部位がさまざまなものを時間差でセンシングしながら、徐々に体内に栄養を取り込んでいくわけで、そこにはさらに腸内細菌などの要素も加わってくる。こうしたプロセス全体を通して人は幸せを感じ、健康になっていくのですが、サプリメントを飲むだけでそのすべてを再現することは不可能だと思います。

巷に合理化や時短という言葉があふれる中、できるだけプロセスを短くすることが良しとされ、逆に複雑でゆっくりなものは敬遠されがちな世の中になっています。でも、伊藤先生のお話を聞いていると、人間の食や身体においてはプロセスが長いことこそが合理的だと捉えることもできそうですね。

伊藤:何をもって合理的とするのかは難しいところですよね。ただ、食糧危機で人間が死ぬ可能性が限りなく少なくなってきている中で、食を栄養学などの観点から合理的にとらえるだけでは限界が来るはずです。もし仮に、宇宙食のようなもので生命の維持ができるようになったとしても、それだけで食事を済ませていたら我々の食に対する感性は大きく変わるはずですし、食文化も失われるかもしれない。自分が美味しいものを親や子どもにも食べてほしいという感覚がなくなってしまったら、人は家族というものすら必要としなくなる可能性だってあります。現代の我々の文化的背景や、食を通じて得ているものというのは、合理的で身体に良い食品をつくるだけでは到底まかなえないと思うし、そこが食行動の難しさだと思います。

熊野森人
ホルモンの数値化は可能ですか?

伊藤先生は、人間の心と身体というものは切っても切れないものだとお考えですか?

伊藤:やはり身体がうまく働いていると、人間は良い気持ちになりやすいですよね。例えば、上司から怒られた日なんかでも、美味しいものを食べると少し忘れられるように、身体が良い状態になると精神的にはかなり楽になりますし、逆に精神が落ち込んでいることによって身体に悪い影響が出ることもあり、不即不離の関係だと思います。鶏と卵の関係かもしれませんが、僕自身は身体ファーストという立場を取っていて、身体が豊かだと不幸に対する耐性も強まるのではないかと考えています。

(左)『ココロとカラダを元気にする ホルモンのちから』(2017年 / 高橋書店)、(右)『なんでもホルモン』(2015年 / 朝日新聞出版))

先生が本でも書かれているように、人間の身体はホルモンに支配されているところがあると思います。女性が生理になると精神的に不安定になるというのはその最たる例ですが、これに限らず自分のホルモンの状態が自覚できると、先ほどの血圧の話と同じように、ある程度対処もできるような気がします。現在、ホルモンの状態を見える化するような技術や研究は進んでいるのでしょうか?

伊藤:それが実現できると素晴らしいのですが、なかなか難しい面があることも事実です。人間の感情というのは、体内の化学物質の多寡で決まると思うのですが、では血中のホルモン濃度を測ればすべてが分かるのかと言うと、そこまで単純な話ではありません。ただ、もし血中濃度だけではなく、身体のさまざまな箇所のホルモンがセンシングできて値も取れるようになると、感情の状態や起伏をかなり現すことができるのではないでしょうか。最近、肌にパッチを貼るだけで血糖値が測れる技術が出てきて、24時間通して簡単に血糖の見える化ができるようになったのですが、これは非常に画期的なことなんですね。これを使うことで、何を食べた後に血糖値が上がったのかがわかったら、その人は次にそれを控えますよね。同じように身体の各部位におけるホルモンのスコア化が実現すれば、セルフコントロールにつながるはずです。これからの医療は病を治す段階から、より良い体をつくるというポジティブな方向に向かうと思いますので、数値化には非常に大きな意味があるんです。

そうなってくると、医療に関わる仕事や学問体系などもだいぶ変わりそうですね。最後に、なぜ伊藤先生が「幸せ」というものをご自身の研究の最上位概念に持ってきたのかを教えてください。

伊藤:おそらく、人間の本能だからだと思います。みんなが健康になりたい、病気になりたくないと思うのは、その先に幸せでありたいという欲求があるからですよね。医師である我々には、残念ながらどうしても患者さんを救うことができないことがあるのですが、では亡くなってしまった人は、人間として不幸せだったのかというと、それはまた別の話だと思うんですね。病気になっても幸せになることはできるだろうし、身体はピンピンしていても不幸せな人というのもいる。ただ、人間というのはみな、生きていく過程の中で幸せを本気で追い求めていて、そこには理由がないんですね。その幸せというものにダイレクトにアプローチする方法論は多様であり、しかも幸福を追求すること自体は誰からも反対されないということが自分にとって大きかったのだと思います。


インタビューを終えて

まず、腸に舌と同じようなセンサーがあるという事実にビックリしました。咀嚼されて身体に入ってきた食べ物を改めてスキャンして、自分の身体に有益か無益かをジャッジするだけのものだったら、味を感じるセンサーなんていらないはずなのに、それでも身体がそのセンサーを機能させていることはとても面白いです。

「おいしい」ものを食べた後って、その味や香りや視覚の記憶が色濃く残っているから幸福感が持続しているのではないかと思っていたのですが、実は内臓が「おいしい」って言ってるから幸福感が持続しているのかもしれません。人間の生活すべてにおいて時短、時短が加速してヒューマンコンシャスなものでなくなってしまうと、もはや誰のための、何のための合理化なのかがわからなくなります。
今回のインタビューを通して、仕事で時短した分、どこに時間を配分するべきなのかがハッキリしました。それはゆっくりと食べる食事や、十分な睡眠、筋肉や内臓を強くする運動など、ホルモンが作用して人間の原始的な幸せを司る、体内処理に時間がかかる行為に対して充分な時間をあてるべきだと。まさに、「ゆっくりおいしいねむたいな」(笑)。

自分を常にモニタリングして幸せの現状を知り、人と比べるのではなく、昨日の自分と比べることが大事。ダイエット、もしくはトレーニングと一緒ですが、ただ贅肉や筋肉のように目に見えて増減がわからないので、何かしらの方法で体の内部を把握しなければなりません。人のお腹に耳を当ててみると、「グルグルグルルルル〜」など常に音を立てて活発に動いていることがわかります。それを意識してモニタリングしていると、急に冷たいものをたくさんお腹に入れたときの苦しそうな音を聞いて、罪悪感を甘受するかもしれません。そういうことが伊藤先生のおっしゃっていた「自身の無意識を把握すること」なのかなと解釈しています。

まだできていないという、身体内部のリアルタイムスキャニングをどのように行っていくかに僕たちの研究のキーがありそうです。スキャニング結果の根幹が把握できるようになると、光吉さんの声や、矢野さんの動き、前野さんの気持ちの研究とのリンクやシンクロが期待できそうです。見えてきました!