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暮らしの更新

「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが聞きたい、「幸せを数値化する方法」

「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんが、
「三浦パン屋 充麦」店主・蔭山充洋さんに聞く、
「食の幸せを形作るもの」

神奈川県南東部に位置する三浦市で、自家栽培の小麦を使ったパンをつくっている「三浦パン屋 充麦」。パンづくりを始める前までは、地元の横須賀でDJとして活動していたという異色の経歴を持つ蔭山充洋さんが店主を務める充麦は、商売をする上では決して恵まれた立地とは言えない場所にありながら、常に客足が絶えないほどの人気店で、インタビュアーの「ゆっくり おいしい ねむたいな」代表・熊野森人さんも熱心なファンの一人です。「食時間」にフォーカスし、幸せを数値化する方法を模索している熊野さんが、蔭山さんが考える「食の幸せ」に迫ります。

熊野森人
なぜ自家製小麦のパン屋を始めたのですか?

まずは、蔭山さんが充麦を始めた経緯からお聞かせ頂けますか?

蔭山:このお店を始めたのは2008年で、ちょうど先日10周年を迎えました。僕は横須賀出身で、18歳の頃から米軍が集まるどぶ板通りのお店でDJをしていたんですね。当時は、音楽の専門学校に通い、夜8時から朝6時くらいまではそこで働いていたんですが、振り返れば高校の頃もレンタルビデオ店で深夜のバイトをしていたり、基本的に夜の仕事ばかり(笑)。それで昼間の仕事もしてみたいと思うようになって、25歳の頃に就職先を探したのですが、あまりピンと来るところがなくて。そんな頃に、テレビでたまたまケーキ職人の番組を見たのですが、それが凄く面白かったんです。もともと何かをつくることが好きで音楽をしたり、DJで場の雰囲気をつくったりしていたところがあったのですが、ケーキやパンづくりもそれに通じるところがあると感じました。それで近所のパン屋に就職したのですが、朝5時から働くことになり、結局昼間の仕事ではなかったなと(笑)。

そのパン屋さんではどのくらい働いていたんですか?

蔭山:5年ほど働き、パンのつくり方から、お店がどのように回っているかというビジネス的な部分までなんとなくわかったのですが、すでにこれだけパン屋がある中で、独立してお店を出そうとは思いませんでした。そのパン屋をやめ、とりあえずヨーロッパをブラブラすることにしたのですが、フランスで市場に行こうとしている時に、日本の会社を早期退職して現地で寿司屋をやっている当時55歳くらいだったおじさんと出会ったんです。その人に身の上話をしていると、日本人の奥さんとフランス人の旦那さんがやっているパン屋さんに連れて行ってくれることになったんです。そこで食べさせてもらったバゲットがとても美味しくて、話を聞いてみると、隣の農家さんがつくった小麦を使っていると言うんですね。日本のパン屋の99%は、製粉会社が卸した輸入小麦を使っているということを知っていたので、パン屋さんと農家さんの横のつながりが自分には新鮮だったんです。その後帰国をして、妻の実家が農家だったこともあり、畑を借りて小麦づくりを始めました。三浦市の農業試験場などに相談しながら、一から小麦づくりを覚えていったのですが、いざ小麦ができた時に、さぁこれをどうしよう、と(笑)。そこで初めて自分でお店をやろうと考えるようになったんです。

なんと! それまではパン屋さんをやる気はまったくなかったのですか?

蔭山:そうなんです。当時はホテルで調理の仕事をしていたのですが、地元の横須賀で空き店舗を探すようになったんです。でも、そこら中にあるパン屋とは違う、自分にしかできないお店をやらなければ意味がないと思い、畑から最も近かったこの空き店舗を借りて、自分たちで育てた小麦でパンをつくるということを始めました。ここは人通りも少ない場所で、周囲の友達などからは大反対されたのですが、自分はなぜかやれると思っていました。むしろ、これから忙しくなるぞ、と(笑)。

熊野森人
直売所とスーパーの違いはなんですか?

充麦に並んでいるパンはどれもオリジナリティがあって、小麦の味が強いからか、とても個性的な味わいですよね。お値段も、クリームパンやアンパン、カレーパンなどの定番商品が並んでいるようないわゆる街のパン屋さんとはちょっと違いますが、こういうスタイルにした背景にはどんな思いがあったのですか?

蔭山:僕がやろうとしていることは、小麦を軸にした食の体験ライブハウスなんです。僕の友達にお米をつくっている人がいて、毎年送ってきてくれるんですが、そのお米を食べると自然とそいつの顔が浮かんでくるんですよね。妻の実家にしても、三崎の漁師さんが釣ってきた魚をもらう代わりに、うちで育てたキャベツをあげたり、物々交換が普通に成り立っていて、その魚を食べている時は、漁師さんやその家族の話になるんです。それは会社員の息子だった僕には大きな驚きでした。「食」というのはその字の造りの通り、「人」に「良」いことだと思うんですね。それは味や栄養だけに限ったことではなくて、つくり手の思いや気遣いなどを感じながら食べるということもまた、「人」に「良い」ことだと思うんです。

最近は食の世界でもトレーサビリティという言葉がよく使われるようになり、スーパーなどでも「私がつくりました」という農家さんの写真が掲げられているようなことも増えましたが、そのつくり手に対して何かアクションができるわけではなく、少し一方的な感じがします。

蔭山:やっぱり本来は、その人が実際に売り場に立ってくれることが一番ですよね。農家さんというのは、繁忙期以外はひとりで作業をしている時間が長いんですよ。だからこそ僕らはこうやってお店を通じて、 「これはどこの農家さんがつくった野菜です」ということを紹介しているのですが、本当は直売所で農家さんとお話をしてもらう機会がもっと増えるといいと思っています。それは農家さんにとってもモチベーションになるはずですよね。農家さんというのは、野菜を出荷してしまった後はクレームが来るばかりで、おいしかった、まずかったという感想は届かないんですよね。仮にスーパーで買った野菜がおいしかったと思っても、それを伝える術がないのはとても残念なことだなと思うんです。

たしかにスーパーで買った野菜に虫が入っていたら返品してしまうかもしれませんが、蔭山さんからもらった野菜だったら、無農薬で大事に育てられたんだろうな、で済んでしまう。やはり顔が見えていないからクレームにつながるし、気持ちも入らないというのはありますよね。

蔭山:そうなんですよね。農協を通さずに直売所で野菜を買えば農家さんの実入りも大きくなるし、消費者もおいしい野菜を安く手に入れられるから、お互いにとって良いことずくめのはずなんですよね。そうなってくるとどんどん自分の好みの直売所ができるだろうし、最終的に自分がひいきにするマイ農家さんというのができてくると素晴らしいなと思うんです。

それはどんな高級スーパーよりも贅沢なことですね。

蔭山:そうですよね。やっぱりビジネス的にやっている農家さんと、おいしいものを届けようとする農家さんがつくる野菜は違うと思うんですよね。それはパンにしても同じことで、世の中の99パーセントのバゲットは小麦粉と水と酵母と塩だけでつくられているはずなのに、不思議とすべて味が違うんです。パンは古来から、手でこねて、発酵させて、火にくべて、手でちぎって食べられてきたもので、すべての工程に手が介在する珍しい食べ物だからこそ、たとえ同じレシピでつくられたものでもつくり手によって味が変わる。手からなにか気のようなものが出ていて、それが絶対に作用していると僕は思っています。だから結局、ジャムおじさんが「おいしくなあれ」と言いながらつくったパンが一番美味しいんですよね。

熊野森人
食の幸せをつくるものは何ですか?

蔭山さんが話されていた食の「ライブハウス」というのは、言わばスモールコミュニティのようなものなのかなと感じます。仮にライブハウスをドームのような大きな会場にしてしまうと、お客さん一人ひとりの顔は見えなくなり、束でしかとらえられなくなりますよね。おそらくそれは蔭山さんが考えている世界ではなくて、もう少し小さな空間の中で、パフォーマーがギターのルーツや職人の思いなどを説明した後に演奏し、それに対してお客さんがレスポンスするような、パフォーマーとオーディエンス、さらにその奥にいる楽器職人までみんなが幸せになるような世界観なのかなと。

蔭山:そういう世界の方が物事も伝わりやすいと思うんです。仮に僕らが大手百貨店の一角にお店を構えて、どこの農家さんがつくった野菜ですとか説明しても、訴求力が弱い気がするんです。僕は、小さなライブハウスで演奏を見るのと、充麦で自分たちがつくっている様子をライブで見ながらパンを選ぶことは同じような行為だと思っていて、要はコンテンツが違うだけなんですよね。

そういう意味では、ひょっとしたら表現手段はパンじゃなくてもよかったのかもしれないですね。

蔭山:そう思います。僕は18歳までバンドをしていて、そこからバーテン、DJ、パンの仕事をしてきたから、いまこのお店をやっているだけであって、もしかしたらいつか蕎麦を打っているかもしれない(笑)。先に話したように、このお店は小麦を軸にした体験の場で、友達のマグロ問屋がつくったツナを使ったパンを売ったり、うちの小麦を使って知り合いの製麺所がつくった生パスタや、近所のブルワリーが醸造したビールなども売っています。充麦は周りのサポートがあるから成立していて、結局僕ひとりじゃ何もできないんです。本当にありがたいことだなと最近特に強く思いますね。

蔭山さんはとても大きな未来や幸せを見ているんだなと感じますし、そこにはやはり人のつながりというものがあるんですね。

蔭山:取材などを受けるとどうしても僕ひとりにスポットが当たりがちなのですが、僕はただこのお店のオーナーというだけで、ペダルをこいでるのは自分を含め、このお店に関わる人たち全員なんですよね。昨年の9月に集中豪雨があって、お店が水害に遭ってしまった時も周りの人たちがみんなで助けてくれました。改めて充麦というお店は自分がやっているのではなく、やらせてもらっているんだということを痛感した出来事でしたし、そういう周りの支えに応えていくためにも、きちんとしたものをつくらないといけない。そして、この活動を通じて、パンや野菜というものがどうやってできているかわかっていない人たちに、少しでも興味を持ってもらいたいと思っているんです。

熊野森人
今後どんなことがやりたいですか?

充麦は、パンよりも小さな小麦という単位から自分たちでつくっているからこそ、より大きな可能性や広がりを感じます。

蔭山:僕はいまやりたいことがふたつあって、ひとつはパン教室です。まずは種まきからスタートして、育てた小麦を製粉をしてパンをつくるということを何回かにわけてやりたいと思っています。そしてもうひとつは、うちの小麦をもっと色んなお店などに使ってもらうということです。最近は、近所のお店などが徐々にうちの小麦を使ってくれるようになっているのですが、これが広がっていくと、「充麦の小麦」から「三浦の小麦」になっていくはずなんです。そうなったら地域の人たちにもっと興味を持ってもらえるだろうし、さらにそれがおいしければ、地元にプライドが持てるようになると思うんです。

そういう意味でも、おいしいという体験はとても大切になりますね。

蔭山:やっぱりおいしいとうれしいじゃないですか(笑)。そのうれしさは周りに伝染するから、結果的に食からすべてが良くなる気がするんです。僕は、この場を通じて人をハッピーにするために生きているようなものなんですが、それをしていることで自分自身もうれしくなるし、それが幸せにつながると思うんです。

蔭山さんのお話を伺う中で、おいしいものを食べたときに瞬間的に高まるのは一過性の幸せであって、「おいしい」の周りに付随している色々なものを思い浮かべられるほど、食時間の幸せの質は高まり、持続時間も長くなるんだということを感じました。そして、改めて僕は充麦のことが好きなんだなぁと思いました。自家製小麦を使ったパンを一生懸命焼いているスタッフさんの笑顔が目の前で見られて、その体験があるからこそやっぱり充麦はおいしいねと思える。それはとても幸せなことだし、そこにあるのは味だけではなく、すべてをひっくるめたおいしさなんだなって。

蔭山:そう言ってもらえることが一番うれしいですね。あと、僕が常々思っていることは、つくり手のメンタルというものは必ずつくっているものに現れるということ。どんなに評判のフレンチレストランであろうと、シェフがイライラしながらつくっていたら、そんなに良いものはできないと思うんです。

そう思います。ちなみに、蔭山さんはどうやってメンタルを管理しているのですか?

蔭山:やっぱり音楽ですね(笑)。僕が一番楽しいようにこのお店はできているんです。
(※充麦の店内には、大音量のブラックミュージックが常に鳴り響いている。)

音楽は重要ですね。

蔭山:かなり重要です。以前にモーツァルトを聴かせて育てたイチゴが話題になりましたが、うちはブラックミュージックを聴いて育った酵母でパンをつくっているんです。

ヒップホップ酵母、ですね(笑)。

充麦の小麦畑で「麦踏み」をする熊野さん。

インタビューを終えて

例えば、現在の野菜のトレーサビリティーシステムにおいては、その野菜がどこの誰が、どのような農法でこしらえたという情報だけで、携わった人の想いの情報、熱量の伝達が足りません。本当は野菜それぞれに農家の方の努力があり、苦労があり、喜びがあるはずです。それらがブロックチェーンのような仕組みで種から育て、収穫、運搬、販売、購入、調理して食卓に盛られる状態になるまで携わったすべての人の「気持ち」が可視化されるならば、きっとその野菜に対しての、料理に対しての、ひいては食時間に対しての気持ちは変わるはずだとお話をしていて気づきました。見えない人との繋がりだけが食時間における幸せを構成するとは考えませんが、環境から作用されるパラメーターと人から作用されるパラメーターだと、圧倒的に人から作用されるパラメーターの方が幸せに直結するものだと感じました。気付いた点は以下3点。

・現在可視化できていない食に関する生産/制作スモールコミュニティー可視化が大事
・「おいしい」の伝染力は凄まじい。食はすべての源。
・人との関わりの中での食。自分との関わりの中での食。その機能性を紐解かなければ。

ジャムおじさんがなぜゆえアンパンに命を与えることができるのか。仮に食すシーケンスだけでなく、つくるシーケンスだけでも、人は自分を、相手を幸せにできるのではないかと改めて気づきました。