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「問い」をカタチにするインタビューメディア

発想とカタチ

イラストレーター・黒田潔さんが、
ダンサー・黒田育世さんに聞く、
「身体表現の魅力」

黒田潔さんは、美しい線画で描かれる動植物のアートワークで人気のイラストレーター。雑誌や本の装丁をはじめ、さまざまな分野で活躍を続け、さらに2010年には、自らの足でアラスカの森を歩き、その情景をイラストで表現した作品集『森へ』を出版。その後も作家・古川日出男さんとのコラボレーションなど、ジャンルを横断しながら、精力的に作品発表を行っています。そんな彼が今回インタビューしたい人は、ダンサー、振付師として活躍し、近年では映画『告白』の出演でも話題を集めた黒田育世さん。黒田潔さんが初めて彼女のパフォーマンスを目にしたのは、古川日出男さんと黒田育世さんによる朗読パフォーマンス『ブ、ブルー』でのこと。そこで目にした黒田育世さんのパフォーマンスがずっと忘れられなかったそうです。幼い頃からバレエを学び、その後も自らの身体を使った表現を生業にしてきた黒田育世さんに対し、イラストレーションという平面表現を突き詰めてきた黒田潔さんが、いま本当に聞きたいこととは?

黒田潔
なぜダンスを始めたのですか?

僕はもともと運動神経が良い方ではなくて、身体を使って何かを表現するということは自分にはできないなと早い時期からあきらめていたんです。それで僕はいま、絵を描くという表現手段を選んでいるのですが、黒田さんの公演を見た時に、自分にはない身体性を持って表現していることにまず感動してしまったんです。もともと黒田さんはバレエからスタートしたそうですが、自分の身体を使った表現が向いていると思ったのはいつ頃からですか?

黒田:5歳半で初めてバレエの見学に連れていってもらった時に、きっとこれはできるだろうなと思ったんです。そして、初めての稽古の時に「これ、知ってる」と。

それはスゴいですね…。バレエはあまり詳しくないのですが、基礎となる動きや決められたルール、体型的な制約などが色々ありそうですね。

黒田:はい。でも、私はよくアドリブで踊っていて、怒られていましたね(笑)。バレエというのは、美しいラインを出すことが最も重要で、そのためのルールというのがスゴくたくさんあるんですね。基本的にバレエには物語があるんですが、当然最初はペーペーなのでただ立っているだけの役が多いんです。でも、例えば『白鳥の湖』でオデットの知り合いとして列に並んでいる白鳥の役だったとしても、オデットが王子様と恋に落ちれば、知り合いとしてはその後の行方が気になるじゃないですか。だから、ただ立っているだけというわけにはいかなくて(笑)。でも、バレエでそれをやると怒られる。だから、身体能力云々ということではなく、メンタル的にバレエは向いていなかったんですね。多分私はバレエじゃないんだろうなと思いながら、踊ること自体は大好きだったので、ずっと続けていたという感じですね。

ロンドンに留学されていた時期もあるそうですね。

黒田:はい。一応留学で行ったのですが、学校にはあまり通わずに、バックパックを背負ってヨーロッパ中を周っていました。バスや鉄道で延々と移動して、安いユースホステルに泊まって、それ以外のお金はすべてオペラ、演劇、クラシック、バレエ、ライブなどを見ることに費やしました。色々見ていくなかで、やり方はひとつではなく、何をやってもいいんだということがわかりました。あと、向こうで親友に出会えて、彼女たちと色々な話をした時間が、いまの私を作ったところも大きい気がします。結局1年近く向こうにいて、東京に戻ってから27歳頃までは、バレエ団員として『白鳥の湖』や『ジゼル』などの古典に踊り手として参加しながら、自分のクリエーションもやっていくということをしていましたね。

黒田潔
何のために踊るのですか?

セリフがあって、ストーリーがあって、配役があるといういわゆるお芝居も面白いですが、黒田さんのパフォーマンスや振り付けは、そうしたものを取っ払ってしまった上で、その人がもともと持っている素の状態を、身体を通して表現していこうとしていることが、ダイレクトに伝わってきます。人にはたぶん「こう見られたい」とか「綺麗に踊りたい」という願望があると思うんですけど、黒田さんは、その人がかぶっているものをはがすという作業を一緒にやっているからこそ、スゴく生命力にあふれたパフォーマンスになっているんじゃないかなと。ダンスを通して自己や他者と向き合う方法論ということについて聞いてみたいです。

黒田:私は、「それなのに」というのが大きなキーワードだと思っているんです。「それなのに生きている」とか、「それなのに食べている」とかね。例えば、戦争があって、人が死んでいるという事実がありながら、それなのにおやつを食べていたり、苦しい状況で何かを作るよりは死んだ方が早いだろうと思うんだけど、それなのにあきらめないとか、世の中には「それなのに」ということがあふれていると思うんです。それを実感することは、「生きたがっている自分」を見出していくことなんですね。それは、時代が判断する「美しさ」とか「カッコ良さ」などの基準には当てはまらない壮大なスケールのもので、宇宙の根源のようなものですよね。そのくらいのスケール感を身体というものは持っていて、「それなのに踊りたがっている身体」を見出して、それを空間や見る人に投げ出すということが、私のやっていることなんだと思います。あとはそれを見る人に判断して頂くという感覚ですね。

「あかりのともるかがみのくず」 Photo:石川純

自分がいまやっている絵を描くという表現方法は、まったく見ず知らずの人からのレスポンスが届きにくいところがあります。でも、演劇やダンスなどのパフォーマンスというのは、その場で生まれるエネルギーのようなものが、見ている側にも満ち満ちている感じがするし、演者のパフォーマンスに対して、観客がすぐに反応を投げ返してくるようなコミュニケーションが生まれますよね。

黒田:もう恐怖ですよね。私はものスゴいアガリ症なんですよ。もちろん、本番までにものスゴく考えたり、稽古をしたりして準備はしますけど、それがうまくいく保証は何もないじゃないですか。その日のお客さんがどういう人たちなのかということもあるし、野外で演じる場合は天候なども関係してきますよね。そこで演じるということはもの恐怖なんですが、自分たちが踊るということは、「このスタンダードを人にお見せする」ということ以上に、「一緒にいて頂く」ということなんだと考えています。ライブのスゴいところは、一緒にいて頂けるということだと思うんですね。何百、何千という人たちが一緒にいてくれるということは、本当にありがたいことだなと。

黒田潔
プロとして大切なことはありますか?

あるインタビューで、「人間だったらもともと知っていることを表現する」という黒田さんの言葉を読んたんですが、僕は「ブ、ブルー」の公演を見た時に、水でビシャビシャになりながら激しい動きをする黒田さんを見ていて、自分の身体がビクンと反応する感覚があったんです。これが、小さい頃の記憶に残っている「人間がもともと知っていること」なのかなと。こういう感覚は、映画などではなかなかダイレクトに入ってこないけど、同じ場を共有できるパフォーマンスというだからこそ呼び起こされるのかもしれないですね。でも、それを舞台の上で、自分の肉体を使って伝えていくというのは、自分を完全に開放することのような気がして、僕なんかはなかなか難しいなと思ってしまいます。

黒田:いまもすべてを開放できているかというとそうではない気がします。やっぱり変なプライドや、便利になりたくないという思いなどがあって、すべてを手放せているわけではないし、ズルいことはしたくないとか倫理的な部分に縛られているところもある。でも、そもそも「身体がある」ということ自体が不自由なことですからね。

「ブ、ブルー」 Photo:片岡陽太

抑制されることで本当にやりたいことが見えてくるということが、僕のこれまでの経験にはあって、その過程で築かれた基礎がある人とない人には大きな違いがあるように感じます。プロとして人に何かを伝えるためには、ある程度のクオリティを提示しないといけないと思うし、個性というのはその上に表現されてくるものだと思います。黒田さんがずっとバレエをやっていたことも、いまのパフォーマンスに大きく影響していそうですね。

黒田:バレエでも日舞でもなんでもいいんですが、削ぎ落とされるまでトレーニングされたものを身体の中に持っているというのは、とても強いことだと思います。それがあるといつでも謙虚になれるし、それはスゴく得なことですよね。逆に自分に何もないと謙虚になることは難しいと思うんです。例えば、バレエのポジションというのはどこまでも追求していけるもので、「1番」という基本的なポジションがあるのですが、「それすらまだこんなに汚いんだ」と思うと、ゼロに戻れるんです。どれだけ人が褒めてくれようとも、自分をゼロに持っていくことができるのは強みだし、だからこそそこから一歩進んで「1」に近づくことをスゴく感謝できる。ムッシュかまやつさんの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』という歌を知っていますか? 曲の中で「すべてのものが珍しい赤ん坊は、何を見ても何をやってもうれしい」ということが歌われていて、これが本当に良い歌なんです。

常に自分をニュートラルな状態にしておきたいという意識が強そうですね。

黒田:負けず嫌いなんだと思います。何かフォーマットができてしまったり、すでに知っていることをやってしまった時に、スゴく悔しくなるんです。もちろん自分が気づいていない手癖のようなものもあると思うんですが、それを自分で見つけてしまった時に、「何も新しいことやってないじゃないか!」と。それは世の中的に新しいものとは関係なくて、自分にとっていまこの時期につかまないといけなかったものをつかめたかった時なんかに、「ワー、バカー」って(笑)。だから毎回冒険なんですが、死ぬほど苦しんでやっていると、奇跡的に見たことのない世界に行けることもあるんですね。安全な場所を作るのではなく、ちょっと勇気を出すことでこんなことが起こるということに、自分でもビックリしたいんです。

黒田潔
作品のテーマはどのように生まれるのですか?

黒田さん率いるBATIKの新作『おたる鳥をよぶ準備』のテーマは「死への準備」だそうですね。その言葉だけを聞くとドキッとしますが、同時にスゴく興味がわきました。僕は作品を作る上であまりそういうことを考えたことがなかったのですが、最近、周りの大切な人が死ぬということが、自分が年を重ねていくということなんだなとスゴく感じていて、いなくなってしまった人と共有した思い出を、その後どう消化していくのかということを考えるようになっていたんです。だからこそ、次の公演は絶対見たいと思っているんですが、こういう作品のアイデアはどのように出てくるのですか?

黒田:呼ばれる感じですね。しんどいことはわかっているし、本当は作りたくないんですよ(笑)。でも、ワーって引っ張られてしまうから、やらなきゃいけないんだとあきらめています。といっても、常に自分の中に何かがあるというわけではなく、人の生きている姿に感動したことなどがきっかけになることが多いですね。もちろん、自分の幼少期の記憶や、いま抱えている悩みなども出てきてしまいますが、基本的にはみなさんに作らせてもらっていると思っているし、だから私がソロでやることはほとんどありません。

「矢印と鎖」

生みの苦しみというのはありませんか?

黒田:もう悲惨ですよ。正座したまま突っ伏して、何時間も微動だにしないことなんかもあります。おでこにゲンコツを当てて、アイデアが出てくるのをずっと待つんですね。この時が一番つらくて、過呼吸になってしまって、気づいたらコンビニの袋を頭からかぶせられていることとかもあるんです。

「花は流れて時は固まる」 Photo:石川純

それは壮絶ですね…。そこからどんな世界が生まれるのかますます気になります。静岡での新作公演は野外ということですが、会場は毎回テーマに合わせて決めているのですか?

黒田:いえ、むしろ場所を見てから作品ができていくことが多いですね。ただ、場所はとても重要なので、必ず下見には行くようにしています。今回もダンサーを連れて会場に行ったのですが、翌日のお昼までその場を貸して頂けたので、その日はひとり残って、野外ステージを巨大な机に見立て、そこで森を見ながら作業をするというぜいたくな体験ができました。王様になった気分でしたね(笑)。

この仕事をしているからこそできる経験ですね。自分がこんなことをしていたら、こんな素敵なことが待っていたという体験が蓄積していくことが、幸せに生きるということなんじゃないかなと思います。

黒田:そうですね。先日、オーストリアから親友が来たので、何年ぶりかにクラブに行ったんですね。私がクラブで踊っていると、みんな一緒になって踊ってくれるんですよ(笑)。自分が踊りで生きているんだということを実感できた瞬間で、それは幸せなことですよね。 


インタビューを終えて

「以前、黒田さんのパフォーマンス後のトークを聞いたことがあるんですが、踊っている時とはまったく違う物腰の柔らかさにとてもギャップを感じたんです。こんなに綺麗な人が舞台では水をかぶったり、叫んだりしていて、でもその後のトークでは淡々と話していて(笑)。今日もまさにそんな感じだったので、きっとダンスの時には普段とは違うスイッチが入る人なんでしょうね。ただ、エネルギーの固まりのような人だということは、話をしているだけでもビンビン伝わってきたし、バレエを初めてやった時に『知ってる』と思ったという話は、まさに踊るために生まれてきた人のセリフだなと。
今日は、忘れてはいけない話をたくさん聞けたのですが、特に印象に残ったのは、自分に謙虚でいるという話ですね。人間としてはもちろんですが、自分のパフォーマンスに常に謙虚でいる姿勢は、見習わないといけないと感じたし、プロとして本当にカッコ良い生き方ですよね。黒田さんは公演数がそう多くないにも関わらず、たくさんの賞を獲っていているので、天才肌と思われがちなのかもしれないですが、苦しみや葛藤のなかで作品を生み出していることがよくわかったし、伝えたいものを必死で人に伝えようとしている姿勢は、とても美しいと感じました。

僕は黒田さんのパフォーマンスを見た時に、自分の感覚が引っ張られまくられたのですが、僕自身、自分の作品が見る人の感覚を何かしら刺激するきっかけになればいいと思って絵を描いているところがあります。今日聞けたことなどを自分の中で消化して、これからもしっかり絵を描いていきたいなと感じました」