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長谷川踏太

クリエイティブディレクター

田中康夫

小説家

カンバセーションズには2回目の登場となるクリエイティブディレクターの長谷川踏太さん。前回の棋士・渡辺明さんに続き、今回長谷川さんがインタビューするのは、衆議院議員、参議院議員、長野県知事を歴任した作家の田中康夫さん。社会現象となった1981年のデビュー小説『なんとなく、クリスタル』(「もとクリ」)を皮切りに、数多くの著作を発表し、2014年には『33年後のなんとなく、クリスタル』(「いまクリ」)を刊行。各方面から注目を集めた田中さんに、長谷川さんが聞きたいこととは?

1. 33年間で登場人物たちは変わりましたか?

田中康夫 

理屈や理論とはまったく無縁な生き方をしてきた登場人物たちこそ、もしかしたら極めて高い理念を持っているかもしれない。それが新しい生き方なんじゃないかと「もとクリ」でも「いまクリ」でも言ってきたのだと思います。

Q.『なんとなく、クリスタル』で田中さんが書かれたのは、どんなブランドを好むかということによってアイデンティティを形成してきた人物たちでしたが、先日出版された『33年後のなんとなく、クリスタル』で彼らは、社会問題やボランティアなどに関心を持つようになっています。33年という時を経て、登場人物たちには何か大きな変化があったのか、それとも昔と変わらない皮膚感覚で生きているのか。まずはその辺りから伺えますか?

田中:田中:「もとクリ」は、バブル時代の話だと思い込んでる人がいますが、実は経済学史的には、日本のバブル景気は1986年12月から1991年2月までの51ヶ月間なのですね。「1980年6月 東京」と原稿の1行目に記された「もとクリ」を執筆したのは同年5月で、単行本の出版も翌年1月。その意味では、バブルへと突入していく以前の、高度消費社会へと移り変わっていく先駆けの物語です。身体を守るために、空腹を満たすために。それが着たり食べたりする本来の目的です。でも、容易に達成されるようになると次第に、素敵なデザインだったり、自分がお気に入りのデザイナーの服だったり、好みの味付けだったり、心地良い空間の店だったり、本来の目的を離れた部分に重きを置くようになります。「もとクリ」は、そうした「スタイリング化」現象を描いた作品でした。
でも、「文学」の世界から高みに立って見下ろしている人々からは、頭の空っぽなマネキン人形がブランド物をいっぱい下げて青山通りを歩いているような、文学以前の内容だと猛反発されたものです。あなた方だって、新聞の書評委員だったり、新人賞の選考委員だったり、芸術院の会員だったり、精神的ブランド物を自分の身にまとってるでしょ、と24歳の僕は思いましたけど(苦笑)。
他方で、その33年後を描いた「いまクリ」では、大学生だった登場人物の女性たちも離婚や再婚を経験し、婦人科系の病気を克服したり、夫の仕事や子供の就職に悩みを抱えていたりします。「もとクリ」の主人公だった由利は仕事のかたわら、南アフリカで低所得の人々に眼鏡を安価で提供する奉仕活動にも従事するようになります。そうして日本はいま、歴史上に類を見ない超少子・超高齢社会に直面しています。幸いに多くの好意的な、というよりも、こそばゆいくらいにありがたい書評や論評が掲載されましたが、中には少し首を傾げてしまう見方もありました。その評者も、作者は処女作から少しもブレていないと認めてはいるのですが、もはやキラキラなんてしてられない時代を生きる30数年後の登場人物たちといった捉え方をしていて、そうかなぁと思いました。多分、その書き手は、「リア充」と「ネト充」みたいな二項対立で捉えていたんでしょうね。
それで、その書評が掲載された「朝日新聞」からインタヴューを受けた際、“アンサーソング”としてこのように述べてみました。じゃあ、牛丼をかっ込みながら世の中を憂える設定なら“リアル”なんですか、美食家のフランス人が懐石料理を食べながらグローバリズムを語るのなら問題視しないのですか、とね。料理も美容も政治も同じ次元で語れてしまう「女性的な発想と行動」こそ大切なのにね。
「いまクリ」の中では、日の出と日の入は、目隠しされていてパッと外されたらその瞬間、日の出と日の入、そのいずれの光なのか、そのいずれにも思えてしまうでしょ、という話が最後に出てきます。実は、気象庁が発表している日没の時刻と日出の時刻の瞬間に“カットアウト”、“カットイン”するわけではないでしょ。共に、その前後はほんのりと赤みを帯びた空の色になっている。で、大昔は日没時を「誰そ彼」(たそかれ)、日出時を「彼は誰」(かわたれ)と呼んだのです。でもね、実は江戸時代くらいまでは、彼が誰なのかわからない薄暗さ、薄明るさなので手探りで確認しようとする「彼は誰時」は日没時と日出時の両方を指したみたいなの。「ロールシャッハ・テスト」や「隠し絵」と似ているよね。だから、ただ単に目先の数字とか形を見て判断するだけでなく、いかにしてそれがそうなったのかということが本当は大切なはずなのに、人というのは目に見える表層的な部分にばかりとらわれてしまいがちなのだと思います。

Q.本質的に登場人物たちは変わっていないということですよね。僕もこの本を、相変わらずキラキラしている話として読みました。登場人物たちは全然ブレていないなと。

田中:社会学者の大澤真幸さんも書評で書いて下さいましたが、理屈や理論とはまったく無縁な生き方をしてきた登場人物たちこそ、もしかしたら極めて高い理念を持っているかもしれない。それが理屈にとらわれない新しい生き方なんじゃないかということを、「もとクリ」でも「いまクリ」でも言ってきたのだと思います。岩波文庫を読んだ時の感動と、ルイ・ヴィトンのバッグを手にした時の感動は等価だと「もとクリ」で書いたように、両者は同じ人間の感情で、そこに優劣の差はないはずです。「もとクリ」や「いまクリ」の主人公たちを否定する人たちも、綺麗なもの、美味しいものに評価を与えているのに、それをストレートに口に出してしまうとオツムが足りないと思われたらどうしようと考えて、もっともらしい理屈をくっつけるわけです。でも、それ(理屈)は、後からついてきたものなんじゃないですかということが、僕が昔から思ってきたことなんです。

Q.僕は「いまクリ」をリアルな物語として読みましたが、この登場人物たちのような価値観や肌感覚というものが、ずっと田中さんのベースにあるのかもしれないですね。田中さんは政治の世界にも進出していますが、小説の登場人物たちと、政治の世界などで関わってきた人たちの間に、ギャップのようなものを感じることはありましたか?

田中:先日のシャルリー・エブド襲撃事件の時にも書きましたが、大きな声で正義を語る人は、往々にして偽善を身にまとっているんじゃないかと僕はずっと違和感を抱いてきました。だって、権力や権威を揶揄するトイレの落書きのような媒体だと批判していた面々が、シャルリー・エブドの表現の自由を守れと、しれっと隊列組んでデモ行進しちゃうってのは、逆に欺瞞でしょ。で、シャルリー・エブドが権威に祭り上げられちゃったわけで。僕は以前から、政治でも経済でも指導者には「的確な認識、迅速な決断と行動、明確な責任」が求められていると述べてきましたが、いま大きな声で「正義」や「国益」を語っている人に限って、それらが欠けているように見えるんです。 <続く>

インフォメーション

『33年後のなんとなく、クリスタル』刊行記念&『ソトコト』連載『憂国呆談』25周年記念公開対談 浅田彰×田中康夫「『もとクリ』『いまクリ』から現在の日本、そして未来まで!」が、4月25日に紀伊國屋サザンシアターで開催。また、100枚のAORのアルバムを朝・昼・夕方・夜とシチュエーション別に、100の物語を展開し、参考アルバム・リスト786枚も網羅した1984年刊行の幻の単行本『たまらなく、アーベイン』が、5月下旬に河出書房新社から復刊予定。
田中さんの出演番組文字起こし「いまクリ」書評等一覧オフィシャルサイトで公開中。

もっと知りたい人は…

  • 長谷川踏太 

    長谷川踏太

    クリエイティブディレクター

    1972年東京生まれ。1997年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)修士課程修了。その後、ソニー株式会社デザインセンター、ソニーCSLインタラクションラボ勤務などを経て、2000年ロンドンに本拠を置くクリエイティブ集団tomatoに所属。インタラクティブ広告から創作落語まで、そのアウトプットは多岐にわたる。2011年よりワイデン+ケネディ トウキョウのエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターに就任。

  • 田中康夫 

    田中康夫

    小説家

    新党日本代表、前参議院議員、前衆議院議員、作家、前長野県知事。1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に書いた『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)で昭和55年度(1980年)の文藝賞を受賞。2000年長野県知事に就任。2005年、「新党日本」を立ち上げ代表となる。2007年比例区にて参議院議員当選。2009年兵庫8区(尼崎市)より衆議院議員に当選。『神戸震災日記』(新潮文庫)、『東京ペログリ日記大全集①~⑤』『ナガノ革命638日』(以上扶桑社)、『日本を-ミニマ・ヤポニア』(講談社)、『田中康夫が訊く食の極み』(光文社)、『ニッポン解散 続・憂国呆談』(淺田彰氏との共著)、『田中康夫主義』(以上ダイヤモンド社)など著書多数。tanaka@nippon-dream.com