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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

「PAPERSKY」編集長・ルーカスB.B.さんが、
沢田マンション住人/写真家・岡本明才さんに聞く、
「日本の九龍城・沢田マンションの魅力」

地上で読む機内誌「PAPERSKY」の編集長ルーカスB.Bさんと、インタビューサイト「カンバセーションズ」がコラボレートし、トヨタのプラグインハイブリッドカー「プリウスPHV」に乗って、四国・お遍路の道をたどる特別企画「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」。「カンバセーションズ」では、その道中で出会ったさまざまな方々のインタビューを紹介していきます。3回目の更新となる今回は、建築に関しては素人だった沢田嘉農さん・裕江さん夫妻が手づくりで建てた地上5階建ての「沢田マンション」に住む岡本明才さんにインタビュー。写真家として活動しながら、マンション1Fにあるギャラリーの運営や、沢田マンションでのお祭りの企画、見学ツアーなどを率先して行っている岡本さんに、「日本の九龍城」とも呼ばれる高知の名物マンションの魅力を伺いました。
※「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」の旅の記録は、PAPERSKYのWebサイトでご覧になれます。

ルーカスB.B.
なぜここに住み始めたのですか?

沢田マンションにはどのくらい住んでいるのですか?

岡本:もう10年以上住んでいます。以前から高知市内に住んでいたんですけど、かつて、沢田マンションブームの火付け役にもなった「27号」という伝説の住人が居たんです。単に27号室に住んでいたからそういう呼び名がついていたんですけど、ある時に27号の部屋で飲み会があり、そこに参加したんです。そこで色んな人たちと飲んで騒いだんですが、それがとても面白くて、すぐに大家さんに空き部屋があるか確認し、翌日に引っ越してきました。

いまは沢田マンションに関わる活動などもしているのですか?

岡本:そうですね。沢田マンションでは、その「27号」が率先して自主防災組織などをつくって避難訓練をしたり、マンションでのお祭りを企画したりしていたのですが、そうした活動に共感し、自分でも手伝うようになりました。最近では、「沢田マンションツアー」と称して、ボランティアでマンション内を案内したり、今回で6度目になる沢田マンション祭りを取り仕切ったりしていますが、ここに引っ越してきてから人生が変わっちゃいましたね(笑)。

沢田マンションに来る前はどんなことをしていたんですか?

岡本:普通に会社員をしていました。いまも仕事はしているんですが、並行してマンションでの活動をしたり、写真を撮って作品を発表したりしています。ここに来る前は写真はやっていなかったんですが、若い住人たちに写真やアートが好きな人が多く、自分も感化されて写真を始め、作品を発表するようになりました。去年はニューヨークのソーホーで個展をさせてもらったりもしたのですが、5年前くらいに友人たちで集まって、自分たちの作品を発表する場をつくろうということになり、沢田マンションの1階に共同運営の「沢田マンションギャラリーroom38」を開設しました。ちょうど明日から(※取材時)ギャラリー5周年の記念展示として、奈良美智さんの個展をするのですが、こんなことをするようになるとは全く思っていなかったですね。

ルーカスB.B.
この場所からどんな影響を受けましたか?

沢田マンションツアーでは、どんなことをしているんですか?

岡本:地下から5階までを30分くらいかけて案内しています。表面的に見ると、ここはヘンテコなだけのマンションだと思われてしまいがちですが、僕たちが細かく館内を案内をしながら、マンションや大家さんの魅力などをお話しすると、このマンションに対する見方が180度変わるんですよ。今日はもう夜なのでみなさんを案内できないのが残念ですね。

大家さんの魅力を教えて下さい。

岡本:懐がとても深いんです。普通の集合住宅の場合、村社会的な自治会があって、何かがあると強制的に参加しないといけないケースが多いと思いますが、ここの大家である沢田さん一家はとても自由な考え方を持っていて、参加したい人はすればいいし、引きこもりたい人はそうすればいいというスタンスなんです。例えば、もうまもなく開催される(※取材時)「沢田トロリンナーレ」という3年に1度のお祭りがあって、40店舗近くが出店し、ライブイベントなども行うんですが、僕のようにこういうことをやりたいと思えば、「祭りをしようぜ」と自由に呼びかけることができるし、それを応援してくれるんです。

先日沢田マンションで開催されたお祭り「沢田トロリンナーレ」。

良い意味で寛容的なスタンスなんですね。

岡本:いまは亡くなってなくなってしまった沢田嘉農さんをはじめ、大家さんたち自身がこの場所を手づくりでつくってきているし、なんとかなるなら自分たちでやってしまおうという発想なんですね。ここに住んでいると、自然とそうしたものづくりの精神に影響を受けるし、たとえ何か困ったことがあったとしても、なんとかなるだろうと思ってやってしまうところがあります。それで上手くいく時もあれば、そうならない時もあるんですが(笑)、自由なものづくりやコミュニケーションができるということが大きな魅力なんです。

ルーカスB.B.
どんな人たちが住んでいるんですか?

いまはもう沢田マンションは増築などはしていないんですか?

岡本:いまはもうしていないですね。ただ、古くなった部屋をリフォームしたりということはよくしていて、いま僕たちが話しているこの場所は、部屋をリフォームするために木材を切ったり、削ったりということができる大家さんの作業部屋になっています。

もともと沢田マンションは10階建てにしようという話があったみたいですね。

岡本:10階建で100戸をつくるという構想があったみたいです。しかも、図面ナシで(笑)。いまある部屋もそれぞれつくりが違っていて、同じ形の部屋がひとつとしてないんですよ。きっと、沢田さんたちが、同じものをつくるよりも違うものをどんどんつくっていった方が面白いと考えていたんじゃないかなと思います。結局約70戸くらいで落ち着きましたが、いまは空き室もあるようなので、よかったらどうぞ(笑)。

Photo: Koichi Takagi

沢田マンションの住人には長く住んでいる方が多いんですか?

岡本:そんなこともないですよ。沢田マンションができた当初から30年以上住んでいる人もいるみたいですけど、途中から越してきている人も多いです。このマンションは若い人が多いと思われるかもしれないですが、実は若者は20%程度で、割合で言うとお年寄りの方がとても多いんです。沢田マンションでお祭りなどをすると、外から1000人以上来てしまうこともあるので、それをあまり良しとしていない住人もいるとは思いますが、もう慣れてしまっているところもある気がします。ただ、その辺は大家さんも凄く考えていて、マンションツアーにしても夜の時間帯はNGにするなど、住人第一で物事を進めていくようにしていて、それはとても大切なことだと思っています。

ルーカスB.B.
沢田マンションの魅力は何ですか?

県外から見学に来る人も多そうですね。

岡本:厳密に数えたことはないですが、沢田マンションの案内マップをつくっていて、僕たちが案内できない時は各自でそれを見ながら、住民に迷惑がかからない程度に回ってもらうようにしているんですが、そのマップがあっという間になくなってしまうので、かなりの数の人が来ていると思います。自分がツアーをしている時なんかでも、高知では沢田マンションの他にどこに行くのかと聞くと、ここだけのために来たという人も結構多くて、ある意味観光地みたいになっています。ただ、あくまでも人が生活している場所なので、その辺は難しいところなんですけど。

地元の人たちにとっては、沢田マンションはどんな存在なんですか?

岡本:変わったところだねというイメージ程度しかなく、あまりよく知られていないんじゃないかと思います(笑)。むしろ県外の方が興味を持ってくれることが多く、大学の建築やコミュニケーション、福祉関係の先生なんかが視察に来ることもあります。例えば、福祉の世界ではバリアフリーとよく言われますが、本当にバリアフリーが必要な人以外は、ある程度段差がある場所に暮らした方が良いらしいんですね。沢田マンションはスロープや段差が多いので、一見お年寄りには向いてなさそうなんですが、それが適度な運動になり、足腰の健康が保たれるということもあるらしく、実は最先端を行っているという説もあるんです(笑)。

Photo: Koichi Takagi

今後も沢田マンションで色々活動をされていく予定なんですか?

岡本:そうですね。この場所にいると、先ほどお話したように奈良美智さんなど自分が憧れていたような方たちと、「沢田マンション面白いよね」という共通項で話ができるし、自分にとってとても良い経験になっています。ここには若い人からお年寄りまで色々な人がいますが、みんなで何かをしようと思ったらお祭りなどができて、普段付き合いがなかった人たち同士の間で新しいコミュニケーションが生まれるんですね。そういうことは普通のマンションだとなかなか難しいと思うし、それが自然な形でできているというのが凄く良いなと思っています。