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「問い」をカタチにするインタビューメディア

暮らしの更新

「PAPERSKY」編集長・ルーカスB.B.さんが、
藍の職人ユニット・BUAISOU.さんに聞く、
「藍染めを通してやりたいこと」

地上で読む機内誌「PAPERSKY」の編集長ルーカスB.Bさんと、インタビューサイト「カンバセーションズ」がコラボレートし、トヨタのプラグインハイブリッドカー「プリウスPHV」に乗って、四国・お遍路の道をたどる特別企画「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」。「カンバセーションズ」では、その道中で出会ったさまざまな方々のインタビューを紹介していきます。今回は、共に東北出身で、それぞれ東京で社会人、学生をしていた渡邉健太さんと楮(かじ)覚郎さんが、徳島県上板町に移住し、藍染め文化を国内外に発信していくことを目的に結成した「BUAISOU.」のインタビューをお届けします。
※「HENRO-ing 1200years×1200km×120sec.」の旅の記録は、PAPERSKYのWebサイトでご覧になれます。

ルーカスB.B.
なぜ藍染めを始めたのですか?

おふたりはどうして藍染めに興味を持ったんですか?

楮:僕は大学で染織を学んでいて、草木染めは経験していたのですが、藍だけはやろうと思ってもすぐにできる染料ではなかったので、ずっと触れられずにいたんですね。だからこそやってみたいという思いが強く、学校を卒業してから1年半ほど東京で藍染めができるところを探してはいたのですが、やはり職人の世界は厳しく、なかなかすぐにやらせてくれるところがなかったんですね。ちょうどその頃、この上板町で募集がかかったので、思い切って徳島に移住することにしたんです。

渡邉:上板町は藍の葉を発酵・熟成させた染料である「蒅(すくも)」の生産量が日本一なのですが、年々藍の栽培面積が減っていたこともあり、新しい人員を募集していた んです。僕はもともと東京でサラリーマンをしていて、いまとは全然違う仕事をしていたのですが、ある時、東京にある天然藍染工房で藍染体験をしたことが契機になりました。染液が藍色をしてい るわけではないし、その中に生地を入れても最初は黄色になるだけなのですが、空気に触れるとまたたく間に藍色になり、どんどんそれが濃くなっていって、何だこれは!と (笑)。

BUAISOU.を結成した経緯を教えて下さい。

渡邉:ちょうど藍染めをやりたいと思っていた時期が同じで、先ほど話した上板町の募集に集まったのが僕たちふたりだったんです(笑)。

楮:面接をした日に、ひとりですべての工程をすることは絶対無理だと感じたんですね(笑)。それですぐに、年も近かった渡邉と一緒にやっていこうということになりました

渡邉:藍染めというのは、染料である蒅(すくも)をつくる「藍師」や、それを使って染める「染師」などに分かれるのですが、自分たちはそれらを一本化して、染料づくりから製品の制作、販売までをやろうと考えました。それからすぐにBUAISOU.という名前を決め、藍染めのプロセスから伝えていく活動を始めたんです。

楮:最初に会った時に、ふたりともジーンズが好きだということで盛り上がったのですが、日本人で初めてジーンズを履いたと言われているのが白洲次郎なんですね。彼の東京・町田にある邸宅の名前が「武相荘」だったことから、それをユニット名にすることにしました。

渡邉:ネットで検索をした時に、白洲次郎の「武相荘」よりも上に来るような存在になりたいという思いで名前を決めました。ツカミもバッチリの名前だし、結果的にも良かったなと思っています。

Photo: Koichi Takagi
Photo: Akihiro Ueta

ルーカスB.B.
どうやって染料をつくるのですか?

藍の植物も自分たちで育てているんですか?

楮:そうですね。この地域には6反分の畑があり、それらを自分たちで管理しているので、年間300日くらいは農作業をやっているという感じですね。

渡邉:藍は葉っぱにしか色素がないので、育てた藍は刈り取って、葉と茎に選別していきます。また、藍というのは多くの栄養を必要とする植物なので、刈り取ってから翌年また新たに藍を植えるまでの半年くらいは土作りをしていきます。

Photo: Koichi Takagi

藍を植えてから染められる状態になるまでにはどのくらいかかるのですか?

楮:約1年ほどかかります。今日はちょうど「切り返し」という作業をしていたのですが、これは夏の間に選別した藍の葉に水と酸素を供給しながら混ぜ込む作業です。これを週に1回ほど行い、約100日〜120日かけて藍の葉が発酵することで蒅(すくも)という染料が完成します。藍は生葉のままだと腐ってしまうのですが、蒅にすれば保存ができ、何十年も使えるようになるんです。毎年2月頃に完成する蒅を液に仕込むことで初めて藍染めができるようになります。

Photo: Koichi Takagi

徳島県はなぜ藍染めが盛んなのですか?

楮:もともと気候が適していたということに加えて、吉野川という豊かな水源があったことも大きかったのだと思います。

渡邉:先ほどお伝えしたように、藍には大量の肥料が必要となるので、肥沃な大地であることが前提になります。昔は大きな川がよく氾濫をしていて、その時期には作物がつくれなくなっていたわけですが、たまたまその時期が藍にとっては土作りの時期と重なっていたということも良かったのだと思います。

楮:いまは蒅をつくることができる「藍師」が、全国を見渡しても上板町にいる上板町にいる5人をはじめ数えるほどになってしまっているのですが、かつては徳島だけで2000〜3000人ほどいたと言われています。最も栄えていた江戸時代には、藍に水を加える「水師」という専門家から、藍の品質を見て販売する人まで、職種が非常に細かく分かれていたそうです。

ルーカスB.B.
海外からの反応はいかがですか?

藍染めのワークショップを始めたのはいつ頃からですか?

楮:今年からです。最初は上板町の「技の館」という施設で、藍染め体験などを開催していたのですが、そこで徐々に教え方なども学んでいき、やがて東京やニューヨークなどでも行うようになりました。特に革製品が主体のアメリカには、染織文化というものがほとんどないため、草木染め自体がかなり珍しがられました。

渡邉:東京に、四国のことを好きな人たちが集まった県人会のようなグループがあるのですが、彼らが中心となって、徳島の阿波踊りや、丸亀のうちわのワークショップなどを海外で開催していたんですね。その流れで、藍染めの体験ワークショップもやろうということになり、人を探していたようなんです。海外の水は藍染めに合わないんじゃないかとか、藍が発酵しないんじゃないかと思われていたところがあり、なかなか人が見つからなかったようですが、変わったことをしているBUAISOU.のことがたまたま伝わったのか、僕らのところに依頼があり、ふたつ返事でやりましょうと答えました。最初にアメリカに行ったのは今年の4月だったのですが、それが非常に好評で、現在はニューヨークの現地スタッフが開設したスタジオで、定期的にワークショップを行っています。

楮:ニューヨークでワークショップをやった翌日に、参加者がやって来て、昨晩は凄い熱が出たと言うんですね。体の中から悪いものがすべて出て、今朝はとてもスッキリ起きれたということだったんですが、意外とそういう人は多いんです。僕らはもう慣れてしまっているのでそういうことはないですが、藍にはデトックス効果があり、最近ではアトピーなどにも効くと言われているようです。

渡邉:昔は何かを染めるためだけではなく、薬としても服用されていたんですね。いまも藍茶などとして飲むことができるのですが、藍というのは、葉っぱを発酵させて、中に含まれているインディゴの色素を抽出するという段階を踏まないと色が出ないので、お茶にするだけでは他のお茶と見た目は変わらず、藍の香りがするだけなんです。

Photo: GION

日本の藍と海外の藍に違いはあるんですか?

渡邉:日本の藍は、葉っぱ一枚に含まれるインディゴ成分の含有量が、インドやエルサルバドルなどの藍に比べ、非常に少ないんですね。その少ない成分を引き出すための発酵技術というのが日本は非常に優れていて、世界で最も濃い色をつくるほど発酵させていくのですが、そういう点も面白いと思います。例えば、ジーンズというのは合成藍で染められているのですが、これは僕らがつくっている天然藍とは大きく違うんですね。そういうところも現地で受け入れてもらえたのか、日本人以上に感動してくれる方も多かったです。

楮:染液を完全に天然で仕込んでいるケースというのは、藍全体の割合からすると非常に少ないんですね。合成藍の場合は、化学薬品を使って色素を引き出していることがほとんどなのですが、一度に大量のものを染める場合などは、その方が効率が良く、失敗も少ないんです。ただ、薬品を使った合成藍で染められたものは色落ち、色移りがあるんです。それがデニムの良さにもなっていますが、完全に天然で発酵させた藍は色落ちしないので、例えば真っ白なシャツに藍色のストールを巻くなんていうことも、色移りを気にせずにできるんです。

ルーカスB.B.
将来の夢はありますか?

BUAISOU.では、オリジナルのプロダクトもつくっているのですか?

楮:はい。受注生産や展示販売が基本なのですが、先日東京に行った際には、藍染めのシューレースやトートバッグ、バンダナなどを持っていきました。また、木なども染めることができるので、藍染めのけん玉をつくったり、徳島在住のファッションデザイナー、hakushiとコラボレートした洋服などもつくっています。

渡邉:現在店頭で販売しているのは、ニューヨークの「ヒッコリーズ」だけなのですが、来年にはBUAISOU.の新しい工房をつくり、そこにはショップも併設する予定です。どうしても小ロットにはなってしまいますが、今後はWebなどでも販売していこうと考えています。

藍染めのけん玉なんて見たことないですね! 何を染めるのかも自分たちで考えているんですか?

楮:そうですね。昼間は畑仕事などをして、夜には何かを染めたり、シンプルな洋服やバッグなどを自分たちで縫ったりしています

渡邉:江戸時代の頃は決まった幅や素材の生地だけを染めていましたが、いまは織物の技術も発展していますし、テキスタイルも無数にあるので、生地に応じて毎回方法を変えていかないと綺麗に染まらないんです。でも、基本的に天然の素材に対しては非常に間口が広いので、色々な分野の方たちとコラボレートする機会は多いです。僕は阿波踊りが大好きなんですが、今年の阿波踊りでは、踊り手の方から依頼があり、衣装をつくらせて頂きました。BUAISOU.をスタートしてからまだ3年ですが、畑仕事から制作まで、丸一日藍のことばかり考えているので、非常に濃い時間が過ごせています。

楮:ちょうど今日東京のイベントから帰ってきたばかりなのですが、やはりこっちの方が落ち着きます(笑)。こちらの生活にはもう完全に慣れているし、永住するつもりでやっています。

今後やってみたいことはありますか?

楮:もともと藍染めを始めた動機として、本藍のジーンズをつくってみたいということがあるんです。ふたりともジーンズが好きなので、いつか自分たちで織りからしっかりやれるようなBUAISOU.のオリジナルジーンズをつくりたいという夢がありますね。

渡邉:来年の4月に新しい工房ができるのですが、そこでは染色から縫製まで一連の作業を一貫してできるようになる予定です。先ほどもお話ししたようにショップ機能も持たせ、そこで展示などもしたいと思っているので、ぜひ多くの人たちに訪れて頂きたいですね。

Photo : Koichi Takagi