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「問い」をカタチにするインタビューメディア

地域と関わる

デザインチーム・cookedさんが、
ハンドメイドルアー製作・行友光さんに聞く、
「デザインとルアーづくりの共通点」

今回インタビュアーになってくれるのは、カンバセーションズのアートディレクションとWebデザインを手がけてくれたcookedの3人。"新鮮な役立たず"をテーマに、Web、映像、書籍などさまざまな分野でユニークな活動をしている幸前チョロくん、萩原俊矢くん、横田泰斗くんの3人が話し合いの末に"話を聞きたい人"として挙げてくれたのは、岡山を拠点にハンドメイドルアーを製作している六度九分行友 光さん。cookedとは活動内容も拠点も大きく異なる行友さんに、同世代の作り手として彼らが聞きたいこととは? カンバセーションズが10月半ばに敢行した岡山出張取材の発端となったインタビューをお届けします。

cooked
なぜハンドメイドルアーを作り始めたのですか?

行友さんがルアーを作り始めたのはいつ頃からなんですか?

行友:もともとバス釣りが好きで、学生の頃から自分でルアーを作っていました。高校を卒業してから、本場のアメリカ・カリフォルニアの知人を訪ねて、現地に3ヶ月くらい滞在して釣りをしたり、釣具屋さんを色々見てまわってきたんですね。向こうではブラックバス釣りの大きな大会になると賞金が数千万円にもなるので、プロとしてやっている人たちも結構いるんですね。アメリカに行く前は自分もプロになりたいという思いが漠然とあったのですが、実際にトップの大会を見てみると非常に鬼気迫るものを感じて。僕にはそこまでのものはないし、彼らと競うのは難しいだろうと思ったんです。でも、釣りは好きだし、それにまつわることをしたかったので、ルアー作りを真剣にやろうと。

六度九分の行友さん(右)とcookedのチョロくん(左)。

行友さんは生まれも育ちも岡山なんですか?

行友:はい。ただ、取扱店舗は関東が多いんですけどね。ハンドメイドルアーを好む人が関東圏に多いということもあるのですが、もともと千葉に住んでいる親戚がいたこともあり、柏にあるハンドメイドルアーに強いお店にお客さんとしてよく通っていたんですね。そのお店に20歳になる前くらいの時に自分で売り込んで、作ったルアーを初めてお店に置いてもらうようになったんです。

cookedの横田くん(左)と萩原くん(右)。

同世代のハンドメイドルアーの作り手というのはどのくらいいるんですか?

行友:趣味や副業で作っている人は結構いますが、これを生業にしている同世代もしくは下の世代の人はあまり見当たらないですね。僕の場合は、しばらくアルバイトをしながらルアー作りをしていたのですが、5年くらいかけてルアーだけで生計が立つようになりました。

行友さんの個展を見た時に、基本的には魚のための配色のはずなのに、僕らが見てもカワイイと感じてしまうカラーリングやパターンだったのが印象的でした。行友さんのブログなどを読んでいて、本などルアー以外の要素からの影響も受けているような印象を受けたのですが、どういうものがインスピレーションソースになっているのですか?

行友:基本的には、すでにあるものをアレンジしていく感じなんですね。例えば、ザリガニなんかを食べている魚はやはり赤色に反応するので、そういうルアーを作る場合はまずは赤をベースにするという前提があって、あとはそれをどう使っていくかというところになってきます。そういう時に、自分が好きな絵画やポスターの色使いなどを参考にしているところはあると思います。あと、ルアーの名前に好きな音楽の曲名を使ったりもしますね。ただ、水彩画などにしても当然技法までは応用できないので、最終的には自分で手を動かしながら作っていくということにはなりますね。

cooked
どうしてこういうカタチになったのですか?

これまでに影響を受けたルアーというのはあるんですか?

行友:カナダでルアーを作っている西根博司さんという方がいて、その人はマスター作りからすべての工程を自分でやっているんですね。この方には大きな影響を受けて、技術的なことも教えて頂きました。あと、個展という形でハンドメイドルアーを発表していて、最近はビームスさんなどでも展開している痴虫さんという方にも強く影響を受けましたね。

影響を受けたという西根さんの写実的なルアーにに比べると、いま行友さんが作っているルアーは形がとてもシンプルですよね。

行友:すでに世の中にルアーってものスゴい数ありますよね。当然すでにあるものを作ってもしかたがないので、ないものをいかに作るかというところからスタートしたんです。もちろん耐久性など見た目ではわからない部分も重要なのですが、他との違いが一番わかりやすく出るのは「形」じゃないですか。ルアーの動きというのは、形を変えることで大きく変わるんですね。また、ルアーには水に浮くものもあれば沈むものもあって、素材や重心などによって決まってくるのですが、それによって魚の反応も変わる。人間の見た目にはあまり変わらなくても、水中では全然違うものになるということがルアーにはあるんですね。そういうことを自分で徹底的に記録、検証しながら、必要だと思う要素を突き詰めていって現在の形になりました。だから、自分の中ではこれが最も理にかなった形だと言えるんです。これまでにこの仕事を8年くらい続けてきたのですが、自分のルアーの形にはだいぶ詳しくなりましたけど、それ以外のルアーのことはいまだによくわからなかったりするんですよ(笑)。

Webなどの仕事をしていると、インタラクションというものがあって、使い方をユーザーにどこまで委ねるのかを考えながら、ユーザーのアクションによって初めて生きてくるようなものを設計することも多いんですね。ルアーを作る上で、そういうインタラクションの部分を考えたりすることありますか?

行友:自分の中で明確なのは、シンプルに巻いて釣れるルアーを作るということなので、普段そういうことは意識していません。ただ、ありがたいことに自分が想定していなかったような使い方をするユーザーさんもいて、普通に巻いたら釣れなかったのに、こんな使い方をしたら釣れたよということを教えてくれたりするんです。そういうフィードバックをもとにして新しいルアーを作っていくということもありますね。

cooked
ルアー作りの醍醐味って何ですか?

行友さんが考える釣りの魅力を教えてください。

行友:一番説明に困る質問ですね(笑)。例えば、魚の引きの強さとか、魚との知恵比べが面白いとかよく言いますけど、外れてはいないけど言い当てているような気もしなくて、むず痒い感じがするんですよね(笑)。釣りをやっていて思うのは、釣りには文脈の異なる色んな要素が含まれていて、それが同時に共鳴する瞬間というのがあるということなんです。例えば、魚がかかった瞬間に、その魚にたどり着くまでの道のりがフラッシュバックするといいますか。それを言葉で断片的に伝えようとするから、どうもうまく伝わらない。それは音楽の良さを伝える時と似ていると思うんです。僕は高校の頃からずっと音楽が大好きなんですけど、好きな音楽を説明する時に、歌詞の世界観が良いとかメロディが良いと表現しても、伝えられている気がしないんですよね。それは音楽というものが多面的で、同時に色んなものが共鳴しているからで、それは釣りの面白さとも通じるのかなと。僕の好きな分子生物学者の福岡伸一先生が「世界は分けてもわからない」という本を書いているのですが、細かく分節していっても伝わらないものって確かにあると思います。

では、ルアー作りの醍醐味はどんなところに感じているのですか?

行友:ルアーというのは、魚を釣るという明確な目的がある道具だから、作りやすいと言えば作りやすいものなんですね。その目的には、形や重さなどを何度も変えたりして検証していくことで、いつかはたどり着けるはずなんですね。でも、ルアーを眺めて見た目を愉しんだりする要素も同時にあると思うんです。長年釣りをしている人たちに特に顕著なんですが、ただ釣れるだけのルアーが常に求められているわけではないんです。つまり、出発点には明確な目的があったのに、いつのまにか求められるものが複合的になってしまうんですね。そうなってくると、ルアーって何だろう? って考えますよね。ルアーの相手になる自然というのは刻々と状況が変わっていて、同じ状況にとどまることはありません。ということは、釣れるルアーというのも常に相対的な判断基準しかないんですよ。そこに絶対的なものはないわけだから、今度はいかに釣り人のイメージを膨らませられるかということが大事になってくる。そういう部分がルアーを作る楽しさのひとつなんですよね。

話を聞いていて、僕らがやっているデザインとの共通点も多いように感じました。ルアー作りにもデザインにもまず達成しないといけない目的というものがある。でも、目的達成だけを目指してしまうスゴく原理的なものになりかねないですよね。だから僕らは、「役に立たない」ということを重視しているんですね。”役に立たなさ”をいかに面白く伝えられるかを考えつつ、結果的にそれが目的にも適っているように見える状況というのを作っていきたいんです。だから、釣れるという目的以外の部分を大切にしていかないと釣り人のテンションが上がらないという話にはスゴく共感できました。

行友:なんでもそうだと思うんですけど、すべての答えを用意してしまうと面白くないんですよね。ガイドに連れられて、お膳立てされた状況で魚を釣っても、「釣らせてもらった」というような微妙な違和感を覚える人は多い。ただ釣るということが釣りの楽しみではないということですよね。そういう意味で釣りというのは、色んな方向から楽しめるものだと思うんです。例えば、大会のようにルールを作って楽しむこともできるし、そんなの関係なく昼夜問わず釣りに行くという楽しみ方もできる遊びなんだと思います。

cooked
食べられない魚を釣るのはなぜですか?

cookedでは横田くんが魚を釣ってくると、メンバーを呼んで食べさせてくれたりするんです。もともと釣りというのはそういう食料を得るための方法でしたが、いまでは趣味や娯楽として位置づけられるようになっていて、多様な楽しみ方がされていますよね。

行友:そうですね。奥さんに「なんで食べられない魚を釣ってくるの?」と怒られるというのはよくある話ですが、もはや釣ることと食べることは完全に別の行為になっているんだと思います。それを強く感じたのは小津映画なんですね。「父ありき」という映画では、父と息子が一緒に釣りをするシーンが何回かあるのですが、釣った魚を食べているシーンは一切出てこないんです。つまり、釣りという行為だけを記号的に扱っているんですね。この映画における釣りの役割というのは、食べることとは全く関係なくて、魚や自然と対面する釣りという行為に、仕事や学校などの社会から外れるという意味合いを持たせていると思うんですね。

インタビューの後日、行友さんと一緒に釣りに行って来ました。その結果は…!?

僕らは落語も好きなんですが、落語にも「東のバカ」の横綱は、釣りをする人だという話があるんです。ただ糸を垂らしてボーっとしているからバカだということなんでしょうけど、バカと言われている本人はスゴく楽しんでいるわけですよね。でも、それを端から見ていてもまったくわからないという。

行友:釣りというのは、見ている人とやっている人の間には絶対的な違いがあって、そういうちょっと変わった趣味なんですよね。落語は僕も見るんですけど、こないだも釣りの話が出てきて、そこでもちょっと社会から外れた人がやる遊びという位置付けがされていましたね。また別の小津映画で「戸田家の兄妹」というのがあって、お父さんが亡くなった後に誰がお母さんの面倒をみるかという話になって、子供たちはみんな何かしら理由をつけて、お母さんをたらい回しにするんです。その状況を見かねて「ふざけんな」と声を上げたのが、社会から少しはみ出た存在の次男だったんですが、その次男というのが、お父さんが亡くなった時に大阪でひとり鯛釣りをしていたという設定なんですよ。そこでも釣りをする人はちょっと世間から外れている存在なんだけど、ある意味重要な役割が与えられているんですよね。

ビギナーチョロ君、やりました!!

そういえば「釣り好きに悪い人はいない」みたいな歌詞がモー娘。の曲にもありましたね。

行友:面白いもので、釣りというひとつの共通点があると、急にお互いの距離が縮まるんですよね。それは先ほども話した音楽との共通点にもつながると思うんです。自分が好きな音楽を聴いている人を見つけると、急にその人に親近感を覚えるじゃないですか。それはやっぱりうまく説明ができないからなんですね。説明できないにも関わらず、それを共有できる相手が見つかると、結束感や喜びが生まれるんでしょうね。

cooked
釣りの未来は明るいですか?

行友さんは釣りの将来についてはどう見ているのですか?

行友:正直あまり楽観はできない状況だと思っています。大きな原因は釣り場の荒廃です。単純に釣り人のマナーが悪いということもあるんですけど、それに加えて、釣り人の数に対して、魚が圧倒的に少なくなってきているんですね。いまも上手い人は大きいものから小さいものまでたくさん釣れるんですが、逆に初心者が行ってもまったく釣れないという状況になりつつあります。初心者の人が何も釣れなかったら、楽しさはわからないですよね。釣りにハマっている人の多くは、そういう部分が見えなくなっているというのも難しいところだと思っています。

先ほども話に出た釣りの楽しみ方という部分についてはどうですか?

行友:釣り人は大きく分けると、釣ることに夢中になるタイプと、趣や道具を愛でることを大切にするタイプに分けられると思うんですね。実際はみんな両方の要素を持っていて、要はそのバランスの違いなんだと思います。80年代くらいまでは、両者のパワーバランスは拮抗していたと思うんですが、90年代以降は釣ることを重視する人の割合がどんどん増えてきた。それまでは、芥川賞作家の開高健さんなんかが、趣の部分の魅力を絶えず発信し続けていたことで歯止めがかかっていたところがあったと思うんですね。でも、テレビが台頭してきて、釣り番組などが増えてくると、やっぱり釣れている画が欲しくなるわけですから、釣ることが上手い人たちに脚光が当てられますよね。普段作家をしていて書斎にいる人よりも、毎日釣りをしている人の方が上手くなるのは当然で、そっちの方にばかりメディアが向かっていった。それは釣り道具を売るという意味でも必要なことだったんだと思います。ただ、そういう状況を危惧したり、残念に思う釣り人はいまも少なからずいて、僕もその中の一人なんです。

行友さんには、余剰の部分や趣も大事にするという明確な方向性がありますよね。

行友:そうですね。でも、それを伝えるのはなかなか難しかったりするんですよね。それで、みなさんに東京で見て頂いたように「個展」という方法を取ってみたんです。こういう状況だからこそ、自分の中で釣りということについて考える必要があったし、同時にそれを出力する場が欲しかったんですね。ブログなどで自分の考えを書いたりする方法でもよかったのかもしれないけど、自分にプレッシャーをかけることで次のステップに進みたかった。それで、東京で個展をするということを決めたんです。これからも良いアウトプットの仕方を考えながら、釣りの魅力を少しでも伝えていけたらいいなと思っています。


インタビューを終えて

インタビューを終えた翌々日、カンバセーションズの公開取材イベントの日、岡山で行友くんとバスフィッシングに行ったんです。萩原くんは予定があって東京に帰ってしまっていたんですが、チョロくんと僕(横田)と3人で。行友くんが朝6時に僕らの宿泊先近くまで車で迎えに来てくれて、最新の釣り場状況も収集しておいてくれて、しかも、初バスフィッシングのチョロくんの為に釣り道具まで用意してくれて。もちろん僕は東京から持参です。
行友くんが車内で流してたCDが、名前忘れてしまったけど日本人のジャズで良かったんです。インタビューでも音楽や映画の引用があったように釣り以外への興味も広いなと。外は雲ひとつない朝焼けで『普通の人は釣り日和ですねっていいそうな天気だけど、僕らはもう少し曇ってる方が釣り日和ですよね』って行友君が言っていて。帰りも同じ話を2、3回したんですが、釣り人は少し雨男なくらいの方がちょうどいいんです。
ホント岡山は天気がいいですね。いやになるくらいの晴天のなか、行友君の案内で釣り場をめぐったんですが、どの釣り場も減水していて、かなり難しい状況でした。岡山は水田用のため池が多いらしく、この時期はどこもそんな感じみたいで、結局僕は一匹も釣れず…。そうなるなぁと薄々思っていた通り、初めてのチョロくんが釣るんですよ、僕釣れてないのに。彼は行友君にマンツーマンで一から指導されて、それを素直に実践しただけなんですけど、それが難しい。行友くんが移動中の車内で話してたんですが、釣り人の段階には3つあると。最初は何も分からず人に習ったり色々試したりする段階、次はほどほどに釣れて自分のなかでのパターンで釣りをする段階、最後は自分のこだわりを捨てて、状況判断から手段を選べる段階。ほら、もう完全に僕は第二段階のダメ野郎じゃないかと。釣りを通じて自分自身を諭されてるような気分になりましたね。
行友くん、イベントにも来てくれて、終わった後にオセロしながら話してたら、明日は六度九分ルアー(横綱)のスイムテストをしに行くから横で釣りしてれば、と。優しいです、オセロは僕が大人気なく圧勝したのに。
また朝から迎えに来てもらって、昨日の話もあったのでこだわりを捨てようと思うんですが、結局また釣れず。ダメですね、ホント。6月がベストシーズンらしいので、来年また岡山を案内してもらう約束をして東京に戻りました。
インタビューを通じて、仕事もいる場所も違うけど感覚が共有できた気がしたのはうれしかったです。何かものを作る時に即物的な反応を期待するのではなくて、周りや作ってしまった自分に与える影響をじっくり考えて手を動かす辺りはとても共感できました。今回のインタビューはぜひ同世代の方々に読んでもらいたいです。でも、僕としては、28歳にして釣り仲間ができたのが何よりうれしかったですね。また行きます。