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「問い」をカタチにするインタビューメディア

問いから学ぶ

クリエイティブディレクター/1PAC.INC.代表・阿部淳也さんが、
サントリーホールディングス・若林 純さんに聞く、
「企業のソーシャルメディア活用法」

今回のインタビュアーは、デジタル、インタラクティブ領域を中心としたデザイン、アプリケーション/システム開発などを手がける「ワンパク」の代表兼クリエイティブ・ディレクターの阿部淳也さん。これまでにさまざまな企業の案件を手がけてきた阿部さんがインタビュー相手として挙げてくれたのは、サントリーホールディングス株式会社広報部デジタルコミュニケーション開発部で働く若林 純さん。現在、同社の某プロジェクトを共に進行し、言わばクライアントとも言える若林さんに、同世代である阿部さんが聞きたいこととは?

阿部淳也
なぜサントリーに入ったのですか?

まずは若林さんがサントリーに入ったきっかけを教えて下さい。

若林:もともと大学で電子情報工学を学んでいたので、情報通信系や自動車関係などエンジニアとして会社に就職するケースが一般的なのですが、創業者の理念があるメーカーに入りたいという思いがありました。サントリーの創業者は鳥井信治郎ですが、これまで「やってみなはれ」という精神のもと、ワインやウイスキーなど新しいお酒文化を創ってきた会社であることに惹かれたんです。また、面接を受ける前に行った採用セミナーも大きかったですね。大きな会社の採用セミナーと言うと、一般的に100人くらいを一同に集めて説明会をするというイメージがあると思いますが、サントリーの場合は、自分が情報系の採用希望ということもあり、20人くらいの少人数でビール工場に連れて行ってくれました。そこでまず美味しいビールを飲ませてくれるんです。その後に、人事部の担当者から会社についてのレクチャーがあるのですが、ビールを飲んでみんな良い気分になっていましたね(笑)。これは面白い会社だなと思い、サントリーに入ることを決めました。

それだけでもワクワクしてきますよね。当時は、サントリーに入ってどんなことをしたいと思っていましたか?

若林:いまやっているWebの仕事にも繋がる話だと思うのですが、電機や情報通信系の会社などに技術者として入るのではなく、お酒や食品を扱っている会社の情報システムを変えることができたら、もっと凄いことができるんじゃないかという漠然とした思いを持っていたんです。私が入社した2000年というのは、ちょうどY2Kと言われる2000年問題の頃だったのですが、同時にISDN回線がADSLや光に置き換わりつつある時期で、インターネットが面白くなっていくタイミングでもありました。そのようななかで当初は、インターネットの裏側とも言えるネットワークの仕事などをしていましたね。

そもそも若林さんが理系に進むきっかけは何だったのですか?

若林:私は76年生まれのいわゆるナナロク世代で、ゲーム世代だったんです。幼稚園の頃にはゲームウォッチがあり、小学1年になった年にファミコンが発売され、小4くらいでPCエンジン、小6でスーパーファミコンが出てきて、さらにMSXというゲームのためのパソコンのようなものもありました。特に最初にファミコンで「スーパーマリオ」を見た時には腰を抜かした記憶があります。いまiPhoneやiPadなどでみんなが熱狂している状況と同質の体験を子供ながらに感じていたんだと思います。さらに、大学入学と同時にWindows95がリリースされるなど、インターネットに接していける階段も世の中が用意してくれていたんです。

僕も若林さんと同世代ですが、まさに時代とともにテクノロジーが発達していった時代でしたよね。そう考えると、子供の頃に好きだったことの延長に現在の仕事があると。

若林:そうですね(笑)。我々の世代は、ネットやデジタル系の分野に進む人が多い気がします。例えばゲームなどにしても、新しいハードが出るたびに、画質、音、ストーリーなどがどんどん進化するという時代に立ち合ってきたので、テクノロジーの進化によって未来はもっと面白くなるだろうと思い描けた時代だったんですね。

阿部淳也
社内での立ち位置はどう築いたのですか?

現在の広報部に移ったのはいつ頃なんですか?

若林:もともと情報システム部という部署にいたのですが、入社した時から、機械系よりもインターネットをやりたいということを社内では言っていました。その後しばらく異動はなかったのですが、入社から5年ほど経った頃に、広報部でWebの仕事を始めるのでシステムがわかる人間が欲しいという話があり、それまで働いていた大阪の情報システム部から東京の広報部に異動することになりました。

情報システム部と広報部では、色々な違いがありそうですね。

若林:それまでシステムをやってきた人間が、急に女性も多く、新聞や雑誌などのメディアの方々と接し、ニュースリリースなどを書く人たちがいる世界に来たので、カルチャーギャップは大きかったです。その中で私は、Webで情報発信を行なっていくためのホームページなどを整備するチームに入り、全社のWeb制作ガイドラインの整備や、各部の制作サポートなどのほか、iモードなど携帯サイトの運営、SEO対策の研究などの仕事を中心にやるようになりました。

SUNTORY

Webでの情報発信は、他のマスメディアとはだいぶ違うと思うのですが、広報部として苦労したことなどはありませんでしたか?

若林:例えばホームページやメルマガなどにしても、公にした瞬間に数十万人に一気に伝わりますので、文章を書くのはいまでも緊張します。また、当時は社内にWebのプレゼンスというものがあまりなく、陽の目を見ない存在というか、完全にマイノリティでした。ある商品ブランドの宣伝に関する会議などでも、まずテレビCMや交通広告、店頭販促のことが議論されて、Webは後回しというか、「そういえばWebはどうしましょう」くらいの扱いでした。いまでこそ多くの人がスマートフォンを持つ時代になりましたが、当時は「インターネットを使っていますか?」と聞いても、あまり使わないという人も多かったですからね。

状況が変わってきたのはいつ頃だったんですか?

若林:当時は、各部署の新入社員や若手がWebを担当することが多かったのですが、それを逆手に取れたのが大きかったと思います。毎回新任のWeb担当が決まる度に、少しずつ私たちが先輩になっていくんです(笑)。新任者は右も左もわからないので、私のところに相談に来てくれるのですが、その都度サポートしていくことを通じて彼らと信頼関係を作っていけたんです。そこで関わった社員がまた他の部署に異動し、Webの担当になったりして、自然と各部署でのWebのプレゼンスも高まっていきました。また、社内向けに行なっているWebの説明会で回っていくことで色々な相談を頂くようになり、やがて、各ブランドの担当者から、打ち合わせにも参加してほしいと言ってもらえるようになっていきました。手間はかかりましたが、そうやって一緒に会議に入らせて頂くことで、Webを効果的に活用するために本来やっていくべきことなどについて意見交換ができるようになったんです。

阿部淳也
どんな社風の会社なのですか?

サントリーさんは、大企業の中でもデジタルに能動的というイメージがありますが、何かきっかけはあったのですか?

若林:各部署で、デジタルを担当するグループが立ち上がっていったのが大きかったのかなと思います。これはサントリーの社風でもあるのですが、基本的に新しいもの好きなのかもしれません。ですので、デジタルが重要そうだと感じれば、自ら手を上げて新しいことにチャレンジしていくところがあります。例えば、「インターネット◯◯室」といった感じのグループが宣伝部や広報部の中にあり、そこがデジタルコミュニケーションにおける予算をすべて持ってガバナンスするという考え方の企業も多いと思うのですが、サントリーの場合はいくつかの部署の中にWebを専門で担当する部門が作られていったという経緯があります。当社では、ひとつの部署が全ての予算や人員を持つよりも、いくつもの部署それぞれが予算を持ち、人を育てていった方が良いと考えていますし、その方がそれぞれの部署で必要なノウハウを蓄積していくこともできるんです。また、横縦ともに風通しが良く、部署間での連携がしやすいというのは当社の強みだと思います。

SUNTORY CHANNEL

若林さんの部署の役割は、それらの部門を包括的に取りまとめることにあるんですよね?

若林:すべての屋根になるということではなく、ハブとして機能するイメージです。例えば、あるブランドが新しくFacebookページを作ろうとしても、最初はノウハウもガイドラインもありません。それを各ブランドが毎回最初から考えるのは大変なので、まずは私の部署で引き取ってルール作りをしたり、すでに違うブランドがFacebookページを立ち上げている事例があれば、そのノウハウを紹介するということもしています。いまあるFacebookページの立ち上げのほとんどに何らかの形で携わっていますので、各部署からしても我々に相談をした方が楽なんです。私の部署には、ソーシャルメディアに強い担当者、スマホに強い担当者などがそれぞれいますので、その都度適任者が助っ人として入るような感じです。また、担当者が別の部署に異動することもあるのですが、そうするとまた外に自分たちの仲間が増えるので、だんだんやりやすくなっていくんです。

暖簾分けみたいな感じですね(笑)。色んな企業の話を聞いていると、部署ごとに考え方が違ってうまくいかないケースや、そもそもどの部署がそれを担当するのかということで揉めていることもあったりするんです。若林さんのお話を聞いていると、自然な流れで広がったとはいえ、凄く良いやり方だなと。ノウハウ化したら本も出せそうです(笑)。

若林:他社様は分かりませんが、当社は部署を越えた連携は比較的しやすいのかなと思います。当社は商品ブランドごとにブランドマネージャーがいて、最終的にはそのブランド担当者がどうしたいと思っているかが大事なんです。逆に言うと、ブランド担当者がやりたいと思わなければ動かないし、例えば、Webサイトを作るべき、と強制する力は誰も持っていません。また、ブランド担当者がイエスといったものは、基本的にそのマネージャーも支援していくような文化があるように感じています。そういう意味では、究極のボトムアップなのかもしれませんね。

阿部淳也
なぜソーシャルメディアが得意なのですか?

サントリーさんのデジタルマーケティングの事例を遡ると、ブログを活用したハイボールの展開が有名ですが、当時はどのような考えや経緯があったのですか?

若林:当時、ブログが流行し始めている時期で、サントリーもソーシャルメディアの活用を検討していました。2008年には広報部ブログを始め、ブロガーイベントも取組みを始めました。このイベントでハイボールを取り上げたところ、ブロガーさんから好評で、この頃からブロガーイベントも本格化しました。ハイボールの事例は、マーケティングや営業活動など全社の活動と、ブログでの活動が上手に連携できたからかなと思います。ハイボールイベントを開催するにつれ、ブロガーさんに取り上げていただく機会も増えていきました。いまソーシャルメディアを担当しているマネージャーも当時からブログを書いており、ブロガーでもあるんです。広報部ブログは広報部員が数名で書いていますが、広報部では、普段から文章を書く機会が多く、素養と言いますか、感覚も身につけやすいのだと思います。このハイボールでの成功例があったことで、これからはソーシャルメディアが重要だという意識も自然と社内に浸透していったようにも思います。

多くの企業の場合、「何を書かれるかわからない」というリスクの部分を先に考えますよね。

若林:関係各部と連携しやすく良い関係にあったことは大きかったと思います。また社内の説明会なども通じて、ソーシャルメディアに対する理解は深めていけたと思います。もともと広報部は、自ら情報発信する機能はありましたし、広報部員が書いているメルマガもありました。もちろんリスクについてはさまざまな検討を重ねてきましたが、最終的に責任を持ってやると決めたら早い会社なのかもしれません。それこそ「やってみなはれ」ですね。

各企業がソーシャルメディアを導入し始めた頃にしても、リスクや必要性について何度も説明をして、半年後くらいにようやく実現できるというケースも少なくなかったと思いますが、リスクよりも担当者の思いが大切ということですか?

若林:リスクがあるからという理由だけで一方的に止める人はいないですね。基本的には、どうすればそれをやれるかという発想を持ってくれています。もちろん熟慮は重ねますが、「やるなら一緒に考えよう」というスタンスなんです。だから我々としても社内でコソコソ始めるのではなく、早めにきちんと各部署に話をして、味方を作っていくということを大事にしています。ブランドマネージャーには若い社員が多いので、自らやりたいと私たちの部署に相談に来るケースも多いです。ソーシャルメディアというのは、お客様のもとに出かけていって会話をさせて頂くという場だと思うのですが、もともと工場見学や、サントリーホールやサントリー美術館をはじめ、ダイレクトなコミュニケーションを大切にする会社ですので、取り組みやすいのかもしれません。

SUNTORY TOWN

現在若林さんが担当されている「SUNTORY TOWN」という会員登録制のサイトは、コンシューマーを強く意識したものだと思いますが、こちらはどんな戦略があるのですか?

若林:「SUNTORY TOWN」は、オウンドメディア上でのお客様との接点を、基盤としてどう作っていくかという考えが基本にあります。コンテンツとしては、ポイント制のキャンペーンやゲームなどがあるのですが、まずは訪問者数とともに、訪問頻度、滞在時間を伸ばし、各部のサイトへの回遊を促すことを目指し、2011年にスタートしました。ゆくゆくは購買やブランド訴求につなげたいという考えもありますが、まずはお客様との接点を作ることが第1ステップです。一度立ち上げたら終わりというようなフロー型のキャンペーンだけではなく、そこで得たお客様との接点をしっかりストックできるものにしていきたいという考えており、そのストックする基盤がようやくできてきたという段階ですね。

そのストックを事業部の各ブランドが活用できる形になりつつあるということですね。

若林:それが第2ステップですね。そして最終的には、お客様のロイヤリティ向上にもつながっていくといいなと考えています。

阿部淳也
クリエイターとどんな関係を作りたいですか?

若林さんは色々な面白いクリエイターと仕事をされていますが、どんな人たちと一緒に仕事をしたいと考えていますか?

若林:プロジェクトは1つのチームで進めるものですので、お仕事を依頼する側、される側という役割分担ではなくて、サッカーに例えるなら、強いチームを作るためにフォワードやキーパーは誰がすべきか、という発想であるべきと思っています。社内外の人たちがひとつの強いチームとして、円滑にコミュニケーションしながら一緒に考えて、議論しながらやっていく、という考え方がとても大事だと思いますし、クリエイターの阿部さんのような方には、ぜひ強力なフォワードとして入っていただきたいと思います。

そのためにも常に業界をウォッチして、それぞれの人の強みを把握しておく必要がありそうですね。

若林:いまの時代は、すべての領域に精通していることは非常に難しいと思っています。ですので、なるべく色んな方とお話をさせて頂いて、その方の強みや良さというのを知っておかないといけないなとは思っています。もちろん、目的によっては総合代理店さんにすべてをお願いした方が良い場合もあると思いますし、逆にそうではない場合もあると思います。その都度よく検討して、それぞれの強みを活かしたお仕事をお願いしていければと思っています。

デジタルとクリエイティブの関係についてはどう捉えていますか?

若林:宣伝のことは詳しくないのであくまで個人的な意見になりますが、人に感動や共感、驚きを与えるということがクリエイティブの力だと思っています。それはデジタルやテクノロジーと喧嘩する類のものではないですし、両者を組み合わせることで広がっていくことも多いと思います。私はドラえもん世代なんですが、藤子・F・不二雄さんはイノベーターだと思うんです。未来を見ているわけでもないのに、こういうものがあったらいいよねという発想をしていくことは凄くクリエイティブですし、それがあるからこそ、テクノロジーも進化していくのだと思います。やりたいことが見えていて、そのために技術を進化させていくという発想は、凄く素敵だなと思います。

最後に、若林さんが思い描くサントリーのデジタルマーケティングの未来を教えて下さい。

若林:パートナー企業の方含めて、若い人たちの中には、今までとは逆に、Webを中心にとらえすぎてしまい、既存メディアの理解が薄い人もいるのですが、それは違うと思います。たしかにネットに接触する人の比率は増えていますが全員ではありませんし、一般のお客様がデジタルを含めたメディア全体をどう使っているかを俯瞰的に見ながら、マーケティング全体を考えていく発想を持つことが大切だと思います。今後デジタルがどう進化していくかはわからないですが、社内についても、宣伝部、広報部などの括りは関係なくなって、色々な部署にデジタルの仕事が偏在していくと感じています。そのなかで、全社的にデジタルの素養を持った人材を育てていく必要があると思いますし、そういう人間が営業、経理、工場などあらゆるところにいて、それぞれの目的に応じてデジタルを活用できるようになったり、色々な部署がデジタルでつながっていくということができたら良いですね。また、阿部さんのようなクリエイターの方たちにも、広告やマーケティング領域だけに限らず、幅広い領域で力を発揮して頂けるような関係を築いていけるといいなと思っています。


インタビューを終えて

若林さんとは一緒にお仕事もさせて頂いていて、同世代で集まって飲む仲間でもあるのですが、改めて、飲みの場以外で若林さんのパーソナリティやサントリーという企業文化がどのようなものなのかを直接聞くことができ、『サントリーってスゲー良い会社! ここで働いている人たちも素敵! 若林さんもカッコイイ!』と三拍子揃いました(笑)。やはり会社員であれ、きちんと自分と向き合って熱意を持っている人は素敵なんですよね。サントリーという会社も若い人が活躍できる場をきちんと提供してくれる企業文化が根付いているんだなということがとても印象的でした。
これからも同世代として切磋琢磨しながら色々なことにチャレンジしていきたいです。また、若林さんのお話を聞いたおかげで、他の企業で活躍している方々のお話も俄然聞きたくなってきました。このシリーズ続けていけたらなと(笑)